ジンクス
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第二章
第二章
「そんなんはな」
「そういえば二年目も凄かったですよね」
「そんなもの何もなかったみたいに」
「そういう感じでしたね」
「あれはなあ」
野村はさらにその顔を思い出していく。その長嶋が二年目のことをだ。
昭和三十四年の日本シリーズだった。野村のいる南海は絶対のエース杉浦忠の驚異的な活躍により優勝し巨人と対することになった。その大阪球場でのことだ。
野村はこの時一塁グラウンドにいた。そしてそこで隣にいる黒縁眼鏡の美男子と話していた。彼の背番号は二十一であった。
「なあスギ」
「何や?」
「あいつはどうする?」
丁度相手の巨人が練習をしていた。打席には長嶋茂雄がいる。
打撃投手が投げる球投げる球を次々と軽々とスタンドに放り込んでいる。まるで何ともないようにだ。
その彼を見ながらだ。野村は話すのであった。
「あいつどうして抑える?」
「ああ、シゲのことか」
同じ大学の同級生同士である杉浦は長嶋を軽くこう呼んだ。
「あいつはな」
「ああ、どうするんや?」
「僕に任せてくれ」
「御前にかいな」
「このシリーズは絶対に勝つ」
杉浦は強い言葉で言った。
「南海が勝つんや」
「それは絶対にやな」
野村も杉浦の今の言葉にはそのまま頷いた。彼もまた、であった。
「南海はこれまで巨人にいつも負けたからな」
「ああ、二十年代な」
「ほんまいつも負けてた」
川上や与那嶺、千葉、そして何よりもその南海から強奪した別所によってだった。巨人は黄金時代を迎えており南海はその巨人に常に敗れていたのである。このことは南海にとっては屈辱以外の何でもなかった。
それがわかっているからこそだ。野村も言うのだった。
「それで最近はなあ」
「西鉄に負け続けたからな」
「西鉄はほんまに強い」
野村は言った。そしてその強さの理由もだ。
「他の奴も凄いがサイさんはなあ」
「あの人やな」
「打てるものやない」
稲尾和久である。鉄腕と言われ絶対のエースとされている男だった。
「そうそうな」
「それで巨人を破ったんは西鉄やったな」
「三連覇な。けれどや」
野村はここで見た。杉浦をだ。
「今の南海には御前がおる」
「僕がやねんな」
「御前はサイさんを超えるピッチャーになれるで」
「おいおい、それは持ち上げ過ぎやろ」
「いや、わしはボールを受けてるからわかる」
キャッチャーであることはそこまで大きいというのだった。
「御前は物凄い奴や。そやからな」
「このシリーズにも出られたし」
「それで巨人も倒せる。で、話を戻すで」
「ああ」
杉浦はその野村を見て頷いてだった。そうして応えたのだった。
野村もその杉浦を見てだ。彼にまた話した。
「長嶋、倒せるんやな」
「任せてくれ」
また言う杉浦だった。
「それでこのシリーズ、南海が勝つんや」
「わかった、じゃあ勝とうな」
こうしてだった。彼等はその長嶋、二年目のジンクスなぞ全く縁のなかった彼に向かうのだった。そうして第一試合は。
杉浦の好投で南海が勝った。その長嶋もだった。
「ほんまに抑えたな」
「ああ、やったで」
勝ってマウンドでだ。二人は笑顔で言い合うのだった。
「シゲ、抑えたやろ」
「他の奴もな」
「僕は約束は絶対に守る」
この辺りも杉浦だった。彼はそうした男なのだ。
「そやから。シゲはな」
「御前が投げてる間は大丈夫やな」
「そう言うてくれるか」
「言うで、何度でもな」
野村は笑顔で応える。そのうえでキャッチャーマスクを頭の上にあげたその顔の笑顔をさらに明るくさせてだ。杉浦に話すのだった。
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