| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

樹界の王

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

9話 ラウネシア

 朝が来る。
 夜明け前に朝露と溢水を集める為に、アルラウネの周辺を散策する。斧は邪魔になるため、そのまま置いてきた。
 アルラウネを中心とするような空き地。そしてその周りに点在する粘着性のある植物とギロチンのような葉を持つ植物。
 水源と食料は見当たらず、土壌生物さえも発見できない。
 スーパーの袋とペットボトルが満杯になるほどの水が貯まる頃には朝日が昇り、徐々に気温も上がり始めた。
 アルラウネの元に戻ると、彼女は既に目を覚ましていた。僕の姿を認めると、微笑むように笑った。そこに敵意は感じられない。
「おはよう。昨日よりはちょっと元気みたいで良かったです」
 話しかけると、頷くようにアルラウネは頭を下げる。ボクは彼女の前に腰を下ろすと、彼女に向かって手をかざした。淡い好意のようなものが感じられる。
「……お願いがあるんですが、構いませんか?」
 問いに、アルラウネの瞳が真っ直ぐとボクを射抜く。若竹色の透き通るような切れ長の瞳が美しかった。
「果実を、分けて頂けませんか。食べるものがなくて」
 正直に言うと、アルラウネはにこりと微笑んで、右腕を上げて頭上を指さした。見上げると、昨日のように果実が降ってくる。がさ、と周囲に三つの果実が落ちた。
「助かります」
 割れた果実を拾って、皮を剥いていく。果肉が多く、種が見当たらない。食用の為に品種改良を施したかのような果実だった。口に含むと甘みが広がり、自然と頬が緩む。
「あの、それと。ボクと同じような人間を見たことがありませんか?」
 躊躇しながら、結局ボクは食べながらその質問を投げかけた。植物には人間と同様に光受容体がある。つまり、視覚がある。
 人は明暗をロドプシンという光受容体で知覚する。そして赤、青、緑の光を知覚するフォトプシン。この四種類の光受容体に加え、クリプトクロムという光受容体が体内時計を調整する。植物もこれに類似する光受容体を保持していて、例えばシロイヌナズナは少なくとも十一の光受容体を持つ事がわかっている。光というものは植物にとっては食料そのものであり、それを感知する術は人間よりもよほど優れている。しかし、その光を像として理解する術を植物は持たない。近くに何かがいることを植物は理解し、それが赤色のTシャツを着ている事も理解できる。しかし、それが少女であるのか、おじさんであるのか、という理解を植物はしない。そこに像という概念は存在しない。
 だから、普通に考えればこのアルラウネに過去に人間を見たか、という質問をすることはとても馬鹿らしい事だ。それでも、今までの会話におけるアルラウネの目の動きから、人に近い視覚を有している可能性が推測できた。
 アルラウネはボクの質問の意図を理解したようで、ゆっくりと首を横に降った。
 やはり、このアルラウネは人の言葉を解し、人のそれに近い視覚も有していると見て間違いない。それに対応する知能を有している。コミュニケーションは十分に可能だ。
『私の森に入ったのは、貴方が初めてです』
 不意に、感応能力にはっきりとした意思が割り込んだ。アルラウネが発した感情だとすぐに理解できた。
 途端に、思わず後ずさってしまう。
 ボクには確かに植物の心を読み取る能力がある。しかし、ここまで明確に思考そのものを捉えたのは初めてだった。
 いや、そもそも植物に自己という明確な自我は存在しない。中枢神経系が存在しない以上、高度な知的活動は起こりえない。そこに思考は存在せず、感応能力で拾えるものは自ずと感情に似た大雑把な心の動きに限定される。
 しかし、このアルラウネには明確な自我が存在するのだろう。人間の中枢神経系に似た全体を調整、統括する部位が存在し、人と同じように言語によって思考を実現している。その結果、言語そのものをボクの感応能力が拾い上げたようだった。
「もしかして、喋れるんですか?」
『私は貴方のように音を発する器官を持ちません。しかし、貴方はこちらの意思を読み取る事ができる様子。それを喋る、と定めるのであれば私は喋る事が可能だと答えましょう』
 極めて明瞭な思考。
 アルラウネが薄い笑みを浮かべる。その見た目相応の、大人びた笑み。
 想像以上の知性を有していると見られるアルラウネに、思わず言葉を失う。これと敵対すれば、危険な存在にもなりうる。
「あの、名前はありますか?」
『ありません。この森に高度な情報交換ができる存在は他にいないからです。お好きにお呼びください』
 くす、とアルラウネは控えめに笑う。とても植物とは思えない仕草。
「……ラウネシア、と呼んでも構いませんか?」
『ええ。どうぞ。貴方には個を識別する名前があるのでしょうか?』
「……要(かなめ)です」
『カナメ。覚えました』
 そして、ラウネシアは優しく微笑む。
『食べ物に困っているのであれば、果実を提供する用意が私にはあります』
 その代わりと、とラウネシアの思考が続く。
『私に絡みつく植物を引き続き駆除して欲しいのです。いかがですか?』
 願ってもいない提案だった。安定した果実の供給が叶うならば、それくらいの仕事は歓迎する。
「……是非お願いします」
 ボクの言葉にラウネシアは笑みを絶やさず、大きく頷く。
『良かった。貴方とは良い関係を築けそうです』 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧