空を駆ける姫御子
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第二十二話 ~邂逅 -Numbers.【暁 Ver】
前書き
『暁』移転版の二十二話。当時これをブログに投稿してしまった後に「あ、ギンガがいない」と言うことに気が付きました。そして今回、暁に投稿するに辺り改訂した上で投稿しました。だけどやっぱりギンガは出てきませんでした。
────── ぜったいに、だいじょうぶ
口元を三日月に歪めたまま、ゆらりゆらりと人型へと近づいていく。あたしが乱れた呼吸を整えていると、突如としてアスナの足下が爆ぜた。静から動へ、一瞬の移動。幻のように消え失せ、現のように姿を見せたアスナへ人型はあたしを吹き飛ばしたときと同じように大砲の如き蹴りを撃ち出す。だが、アスナは──── 左の手のひらで造作もなく受け止めた。
「……アハ」
アスナは子供のような笑い声を上げると同時に、右の手のひらを人型の足首へ噛みつかせる。そして右腕だけで人型を吊り上げると、轟音と共に床へと叩きつけた。それにはアスナが今まで死に物狂いで身に付けた技術はない。唯々、気に入らない者を力でねじ伏せているだけ。人型の足首を持ちながら何度も、何度も。床へ壁へ柱へ叩きつけるその姿は……癇癪を起こした子供が人形を振り回しているようで──── 昔のアスナと姿が重なって。涙が溢れた。
溢れた涙を乱暴に拭う。泣いている場合じゃない。クロスミラージュの照準を合わせ躊躇なく引き金を引く。アスナは迫り来る魔力弾を避けた。思った通りだ。完全魔法無効化能力の事も忘れている。だけどこれでいい、隙は作った。後はあの娘がやってくれる。アスナ──── 戻ってきなさい。
スバルが悲痛な面持ちで、アスナの名を叫びながら疾風の如く飛び込んでいく。スバルを迎え撃つアスナは、しなやかな右脚を横薙ぎに振るう。スバルは飛び込んだ勢いのまま、それを跳躍してやり過ごした。勢いは、止まらない。スバルは跳躍と同時に猫のように体を丸めると縦に回転する。すらりとした左足が伸ばされたかと思うと、落雷のような踵がアスナに襲いかかった。
跳躍から縦に回転。勢いをつけての踵落とし──── 独楽鳥。アスナの技だ。あの娘いつの間に……。
「ボブ、状況は?」
ボブからのコールで強制的に目覚めさせられた桐生は、徹夜明けの胡乱な思考のままに声を発した。工房のワークチェアに飛びつくように座ると、素早く状況を確認する。
『アスナの理性が飛んだ。こちらの呼びかけには応じるものの、とりつく島もない』
「原因は?」
『ティアナが『Unknown』と交戦。攻撃を受け壁に叩きつけられた。背中を強打した事に依る一時的な呼吸困難と、転倒した際に口内を裂傷したが命に別状はない』
ボブの報告を聞いた桐生は安心したように息を吐く。だが、状況はあまり宜しくないようだ。
「ティアナさんは無事なんですね? ……自動制御は?」
『一瞬は『乗っ取り』出来るが、すぐに制御を奪われる』
「『封緘』は、外れていませんね?」
『そちらは問題無い。そんな事になっていたら『Unknown』は生きてはいないよ』
「冗談としても笑えま」
状況を確認する為に『フラッター』から送られてきた映像を見た桐生は、それこそ伝説の怪物に魅入られたかのように動きを止めた。映像の中にいた『Unknown』は、つい最近彼が遭遇した者だったからだ。アグスタの地下駐車場で出会ったアレはジェイル・スカリエッティの使いだったはずだ。それは、今現在彼女達が扱っている事件にスカリエッティが関与していることに他ならない。
『桐生、どうかしたのかい?』
「因縁と言うか、出来すぎと言うか……いえ、何でもありません。状況は把握しました、あなたは何もしなくて良いですよ」
『しかし』
「平気ですよ、恐らく。だって、ほら」
──── アスナはもう一人じゃありません
スバルの踵は、アスナの右肩を強かに打ち付けるに止まった。だが、まだ終わらない。スバルは小さく舌打ちすると、今度は右脚をアスナの側頭部めがけて振るう。アスナは打ち付けられた肩の痛みなど物ともせず、緩りと挙げた左腕でガードした。スバルは──── まだ、終わらない。右の蹴りをガードされるや否や、今度は体を錐のように回転させると、左の後ろ回し蹴りを頭部へと放つ。
「スバルさん……凄い……」
いつの間に傍に来ていたのか、エリオが呆けたように呟く。隣にいるキャロもエリオの袖を掴みながら、驚いたように見ていた。
アスナと言えば、シグナム副隊長との模擬戦の印象が強い。だが、純粋な接近戦による格闘でアスナとまともに戦えるのは、シグナム副隊長やヴィータ副隊長を除けば……実は、スバルだけなのだ。それも当然で、スバルがどれほど、アスナと戦い──── そして、どれほど見てきたのか。シューティングアーツだけに拘らない柔軟な思考。取り入れたものを自分の技にまで昇華できる器用さと努力。
先ほどの『独楽鳥』が良い例だ。独楽鳥は本来、踵落としで終わる技だ。だけど、スバルは踵落としから始まる空中での三連撃にまで昇華させた。あれは間違いなく──── スバルのオリジナルだ。
「あいだっ」
……着地に失敗するところが、実にスバルらしいけれど。アスナは流石に衝撃を受けきれず、よろめくように体勢を崩すと膝をついた。スバルの御陰でアスナがアレの足首を離した。『人型』は緩慢な動きではあったが、立ち上がると同時に、一足飛びで離脱する。体を覆っている装甲のあちこちに罅は入っているが、問題無いようだ。人であろうが、そうでなかろうが、あの娘に『何か』を殺させて堪るものか。そんな事になったらきっと──── アスナは壊れてしまう。
「ルールー、チャンスだ。ガリューを回収して撤退だっ」
「でも、レリックが……」
「……あの女も十分、ヤべぇけど……でかい魔力が近づいてきてる」
──── 轟音と共に天井が崩れ落ちた。
慣れ親しんだ魔力が五つ。ほっとしたのも束の間、すぐ傍に知らない魔力を三つ感じる。しかも……でかい。入り口を探すのも、もどかしい。あたしは慣れ親しんだ得物を握りしめながら、一番手っ取り早い方法を選択する。そう、一番早くあいつらの元へ行ける方法だ。あたしは何の迷いもなく振り上げたグラーフアイゼンを壁へ叩きつけた。
耳を劈く爆音と共に天井が崩れ落ちた。粉塵と瓦礫の飛雨の中から人影が現れる。子供と見紛うほどの体躯と真紅のドレスのようなバリアジャケット。ふわりと降り立つと、後ろで一本にしている三つ編みも同じように揺れた。彼女の傍には妖精のような人影が寄り添っている。……ヴィータ副隊長とリイン曹長だった。
「みんなっ、無事か」
「お二人とも、何故こちらに?」
「……あたしとリインは空で暴れてたんだけどな。はやてに言われて、おまえたちの助っ人に来た。なのはとフェイトはヘリの護衛に向かってる。でだ……」
ヴィータ副隊長はあたしの疑問に手早く答えると、地下水路を支えている幾つかある柱の一つを見据える。瞳は鋭く糸のように細められていた。
「出てこい……それとも柱ごとぶっ飛ばしてやろうか?」
ヴィータ副隊長が油断なくデバイスを構えながら、言い放つ。あたし達全員の視線が集まる中、柱の陰から文字通り影のように姿を見せたのは────
「子供と……融合騎?」
出てきた人影は二つ。一方はリイン曹長とほぼ変わらない体躯で、燃えるような赤い髪が印象的だ。恐らくはユニゾンデバイスだろう。先ほどの『人型』がもう一人の子供……少女を守るように移動する。少女はそんな人型の行動を当たり前だと考えているのか、全く表情を変えない。色素の薄い長髪と相まって、本当の人形のようだ。人型の行動から考えて、あの少女がマスター。……妙な組み合わせだ。エリオやキャロと変わらない年端もいかない少女。その使い魔、もしくは召喚されたモノ。そして、ユニゾンデバイス。
特に抵抗するような素振りを見せないのを不審に思ったが、取り敢えず拘束しようと動き出そうとした時、リイン曹長の慌てたような声が聞こえた。
「アスナちゃん? アスナちゃん、どうしたですかっ」
しまった。と思った時にはもう遅かった。リイン曹長が先ほどから片膝をついたまま、動かないアスナへと近づいていく。不味い、今のアスナに近づくのは不味い。
「リイン曹長っ、今アスナに近づくのは」
「え?」
「……んぁ?」
寝ていた子供が急に起こされたような間抜けな声。まさか……戻ってきた? 気がつけば、息をするのも困難なほどの圧力がいつの間にか綺麗に霧散している。
「……リインとヴィータがいる」
「あ、あぁ。おまえらの助っ人にな」
「……いらっしゃいませ」
「アスナちゃんは、相変わらず変ですねぇ」
何が楽しいのかリイン曹長はアスナの周りを楽しそうに飛び回る。アスナは特に気にした風もなく、左腕を押さえながら、やおら立ち上がった。
「……ひだりうでと、あたまが痛い」
「おい、怪我をしているのか? ……誰がやった」
ヴィータ副隊長の不機嫌メーターが、あっという間に許容値を超えてしまいそうだ。なのはさん達曰く、昔に比べれば随分穏やかになったと聞いた時は、何かの冗談かと思ったほど沸点が低い。昔のアスナ並みだ。その場に最初からいた全員が、スバルを見た。スバルは皆の視線に全く動じる樣子もなく人差し指を動かし、
「あいつです」
と、言いながら指をさす。
「てめぇっ、ガリューのせいにしてんじゃねぇ!」
「元はといえば、そいつがティアをぶっ飛ばしたのがいけないんだよっ」
子供じみた口喧嘩を始めるスバルと、融合騎。どうやら、アレは『ガリュー』と言うらしい。隣に立っている少女は我関せずとばかりに、こちらを見つめたまま眉一つ動かさない。本当に人形のように思えてきた。今のアスナの方がまだ分かり易い。
「何があったかは知らねぇけど……アスナ、大丈夫なのか?」
「……へいき」
スバルの最後の蹴りをまともに頭に食らったというのに平気なのか。ヴィータ副隊長は少しだけ安心したように微笑むと、視線を戻す。
「さて……抵抗しなきゃ、手荒な真似はしない。大人しく捕まってくれ」
一瞬の隙だった。あたしがヴィータ副隊長と、アスナに視線を移した僅かな時間。融合騎の手のひらに、炎弾が生まれていた。
「Pa.shel!」
思わず口を衝いて出てしまった『略式伝令』にヴィータ副隊長やリイン曹長はともかくとして、皆驚くほど素早く反応してくれた。なのはさんや副隊長陣に毎日しごかれたのは決して無駄では無かったと言う事が、思いがけず証明されてしまった。
あたし達がその場から飛び退るのと同時。叩きつけられるように床へ着弾した炎弾は、目も眩むような閃光と鼓膜が破れんばかりの音を発した。思わず耳を塞いでしまう。皆の無事を確認するように薄目を開けてみると、だからどうしたとでも言うように立っているアスナが目に入る。視覚と聴覚を保護するあのゴーグルは、本当に便利だ。
閃光と音が収まった時には案の定、彼女達の姿は消えていた。ヴィータ副隊長は目を二、三度瞬かせると悔しげに舌打ちをする。
「リイン」
「ばっちり補足してるですよ」
「……よし、追うぞ。な、なんだっ」
揺れる。地下水路全体が、ミシミシと音を立てながら揺れ始めた。地震など殆ど起こらないミッドチルダで、これだけの揺れ……人為的なものを感じる。あたしが声を掛けると、スバルは力強く頷いてみせた。振り上げた右拳を床へ撃ちつける。ウィングロードが螺旋状に展開され、ヴィータ副隊長が開けた天井の大穴まで伸び上がった。……即席の螺旋階段だ。
「スバルのウィングロードはこんな時に便利よね。アスナっ、行くわよ」
「……どこに。なんかよくわからん」
「憶えてないの? さっきのヤツに攻撃されて気を失ってたのよ」
「……マジで?」
「本当。早く地上に出るわよ」
本当のことを今話したところで意味は無い。……後でも話さないけれど。
アスナは暫く首を傾げていたが、やがてどうでも良くなったらしく自分で駆け上がっていった。アスナはスバルのウイングロードが苦手なのだ。本人曰く足を踏み外しそうで怖いと言う事だが、何もないところを平気で走る方が怖いのではないだろうか。そんなアスナを見ながらウイングロードを駆け上がる。
身元不明の幼い少女。生体ポッド。人造魔導師。あたし達の前に立ちはだかった『敵』。そしてこの地震。地上へ向かっているあたし達に待っている厄介ごとは何だろうか。天井に開いている大穴が、得体の知れない生き物が口を開けているようにも見えた。
先行していたアスナが、ふいに立ち止まると何もない空中に視線を送った。追い抜く際に声を掛けようとしたが思いとどまった。ゴーグル脇にある小さなインジケーターが点滅している。念話だ。アスナは念話が酷く苦手でデバイスの補助がなければ長距離は疎か、中距離での念話も侭ならない。ここであたしは失念していたことを思い出した。六課に三つある分隊の何処にも所属していないアスナのコールサインは、なんだったか────
<こちら、Lightning01。『FreeBird』へ。……聞こえる?>
<……だれですか>
<アスナ? みんなのコールサインは憶えておこうね。フェイトだよ>
<……なんのごよう?>
<うん。アスナにお願いしたいことがあるんだ>
<……どんとこい>
<う、うん。アスナにやって欲しいことは────>
スバルのウィングロードを駆け上がり地上へ出たあたし達を迎えたのは朽ちかけのビル群と、もう使われなくなったハイウェイだった。いつの間にやらあたし達は廃棄区画まで来ていたらしい。アスナは地上へ出るなり、ヴィータ副隊長やリイン曹長と何事か言葉を交わすと、太陽のような髪をなびかせながら空を駆けていった。
八神部隊長やなのはさんの意向で遊撃となったアスナは、その時の任務や状況で部隊長や隊長権限で自由に動かせる。先ほどの念話で別の任務を指示されたのだろう。
「どしたの、ティア?」
「ん。やっぱりあの娘は……青空を走ってる方が、らしいわ」
スバルは陽射しを遮るように片手を目の上に翳しながら、小さくなっていくアスナの背中を目を細めながら見つめる。
「そだね。……あんなアスナよりはずっと。ところで、さっきの新技だけど『稲妻駝鳥蹴り』とかどうかな」
「……凄くいいわ。流石スバルね」
「だよね」
満足げに頷くスバルから目を逸らし、こいつの最悪なネーミングセンスも何とかしなければと考えた。アスナが何処へ向かったかは、ヴィータ副隊長とリイン曹長が知っているだろう。取り敢えず、あたし達が今しなければいけないのは連中の確保だ。あたしはスバルを促しながらホルスターから愛銃を引き抜いた。
「……でっけー、ふんころがしな」
『確かにあれは……昆虫にしか見えないね。大きさは桁外れだが』
桐生アスナがフェイトの『お願い』を聞く為に空へ駆け上ると、眼下に巨大な昆虫が見えた。先ほどの地震の原因だろうと当たりをつける。アスナがどうしたものかと考えていると。
──── 我が求めるは、戒める物、捕らえる物。
その歌うような詠唱は
──── 言の葉に答えよ、鋼鉄の縛鎖。錬鉄召喚。
アスナの鼓膜を優しく震わせた。
──── Alchemic Chain.
それは鋼の鎖。一棟の廃ビル屋上に静かに佇むキャロから紡がれた『魔法』は生き物のようにそれへと絡みつき拘束する。
「……キャロはすごいな」
アスナは素直に感心した。自分がどれほど努力を重ねてもあのような魔法を使うことは出来ないだろうと考えた。
『キャロだけじゃない。今戦っているアスナの仲間は皆、凄いさ。勿論、アスナもだが』
「……なかま」
『違うのかい?』
アスナは何も答えず、走り出す。
『照れているのか?』
「……ボブ、うるさい」
アスナはそれが図星であるかのようにスピードを上げる。
『アスナ? フェイト嬢から指示された場所は……こっちだ』
「……はやく言え」
抵抗を試みたようだが少女と融合騎は、拍子抜けするほどあっさりと捕まった。アスナがぼろ雑巾にした人型……ガリューと言ったか。姿が見えないのが気にはなったが、恐らく送還したのだろう。思いの外ダメージが大きかったのかも知れない。あたし達の目の前で、キャロに拘束されていた巨大な昆虫が送還され、消えていく。間違いない、この少女は……召喚士だ。
融合騎の方はリイン曹長によって物理的に拘束されている。召喚士の少女へ視線を移してみれば、背中まで流した色素の薄い髪を風に揺らしながら、相も変わらず人形のように佇んでいた。……アスナとは全く違うベクトルの無表情。あたしはなぜか薄ら寒い物を感じて──── 自分の肩を抱いた。
人気も車の影すらないハイウェイの一角で、ヴィータ副隊長が身柄を拘束する際の口上を読み上げている。だが、それまで眉一つ動かすことなく一言も発しなかった少女が──── 小さく口を開いた。
──── ヘリは放っておいていいの?
粗末な廃ビルの屋上に二人の人影。深い青を基調とした体にフィットしたスーツは些か扇情的ではあったが、二人の少女は全く意に介していないようであった。
「だけど、本当に墜として良いの?」
「構わないそーです。あれが本物なら死にはしないそうですから」
「で? 『クアットロ』はさっきから何やってるの? 随分楽しそう」
クアットロと呼ばれた眼鏡を掛けた少女は、瞳を猫のように細めた。
「んふふ。絶望と言う名のスパイスを小さじ一杯ほど」
「……趣味が悪い。あたしには関係ないけど」
<はいはーい。ルーお嬢様ぁ。……クアットロの言う通りに>
「こんなところで私に構っている暇があるの?」
──── この少女は
「あのヘリには大切な仲間が乗っているんじゃないの?」
──── 何を言っている?
「てめぇっ」
ヴィータ副隊長が激高する。だが、少女は。臆することなく言葉を続けた。
「あなたは、また──── 河童の川流れ」
空気が死んだ。空気が凍ったでも良い。少女の言葉を何とか理解しようと、エリオとキャロは可愛らしく小首を傾げ、ヴィータ副隊長は難しい顔をしながら空を見上げる。リイン曹長が、「河童、知ってるです」と呟いたが、取り敢えずは無視だ。
「ティア? 何かもの凄い既視感が……すぐそこにアスナがいるような」
「……言うな」
あたし達の様子を訝しく思ったか……当然抱く疑問だろうけれど、初めて少女の顔にほんの少しだけ困惑が浮かんだ。
<クアットロ?>
<も、申し訳ありませんっ。だ、誰かが私の念話に割り込みを>
クアットロの混乱しているような様子を見て取ったもう一人の少女は駆け寄りながら、声を掛けた。
「どうしたの?」
「……どうした」
「ディエチちゃん、誰かが念話、に……」
「……ねんわな」
クアットロとディエチと呼ばれた少女は顔を見合わせる。……声が一人多い。二人が全く同じタイミングで振り返ったそこには。
「え?」
「え?」
「……え?」
「誰っ」
見知らぬ少女がいた。抜けるような青空に──── 少女達のユニゾンが響き渡った。
桐生アスナが晴れ渡る空をひた走り、フェイトに指示された場所まで来てみると、そこはなんの変哲もない廃ビル屋上だった。屋上には自分と似ているスーツを着込んだ女が二人。一人はその上から白いコートを羽織っていた。スカリエッティの戦闘機人との初めての邂逅ではあったが、アスナはその事実を知らない。
アスナは二人の容姿などを全く憶える気が無かった為、映像と音声記録をボブに丸投げすると、フェイトの指示通り屋上へと降り立った。……『悪戯』と言う名のスパイスも忘れずに。
ディエチと呼ばれた少女は心の中で舌打ちをしながら、屋上の隅に置いてある『イメースカノン』を見やる。チャージは粗方終わらせてある。フルではないが、それでもS級の威力はあるだろう。構えて引き金を引くだけだ。ディエチは恨みがましい視線をクアットロへ送った。クアットロが余計な事をしなければ、ヘリはとっくの昔に堕とせていたものを。
二人が警戒していると、アスナは腰のポーチに手を回す。ディエチとクアットロが警戒を強める中、アスナが取り出したのは緑色の物体だった。
「……かめです」
「あ、うん。知識としてはあるけど……初めて見た」
「……すごい緑です」
「そうだね」
「……しまっちゃいますね」
「え、しまっちゃうの。何で出した。……いや、君は誰?」
「……ひとに名前をたずねるときは、じぶんから」
ディエチにはよくわからなかったが、そんな物かと納得する。言っておくが、そこで納得する時点でペースをアスナに掴まれているのだ。これが、ティアナであれば黙れの一言で終わる。
「わかった……あたしの名前は「……桐生アスナといいます」なんなのっ、もうっ。クアットロ! 笑ってないで助けてっ」
「ご、ごめんなさい、ディエチちゃん」
クアットロは本当に可笑しさを堪えるように肩を震わせていた。
<私が彼女の注意を引いている間にヘリを>
<わかった>
クアットロに念話で指示されたディエチはじりじりと、イメースカノンへと近づいていく。だが、そんなディエチの行動に目敏く気がついたのか、偶然かはわからないがアスナは何の気負いもなくディエチへと声をかける。
「……へんな、かっこう」
「そっちだって、あたし達とたいして変わらないよ」
「……絶対に、ゆるさない」
「え? なんでキレたの」
「えぇっとぉ。アスナちゃんでしたかぁ。飴食べます?」
「……たべる」
子供かと思いながらも、ディエチはイメースカノンへと走る。構え、瞬時にヘリへと照準を合わせた。
「邪魔しないの?」
気がつけば、アスナはクアットロから貰った飴を頬張りながらイメースカノンを構えているディエチを見ていた。邪魔する気配は、ない。管理局の魔導師としては言動も行動も何もかもが、おかしい少女を理解出来ないままディエチは──── 引き金を引いた。
リイン曹長からもたらされた情報に、驚愕と動揺が走る。ヘリに大規模質量の砲撃が直撃。ジャミングが酷い為、それ以上の情報を知ることが出来ない状況だった。
「てめぇ……シャマルに……ヴァイスに何かったら……おまえをこの場で殺してやるっ」
「ヴィータ副隊長っ、落ち着いてくださいっ」
「落ち着いてられ『─ち─Sta─01。ヘリ──衛─成─』な、なんだ」
──── その声は。とても安心できて。
『こちら、Stars01。ヘリの防衛に成功。繰り返します、ヘリは無事だよ』
──── とても力強い声だった。
その場にいた全員の歓声が上がる。あたし自身も、ほっと息を吐いた。……最近、アスナが教導官と言う肩書きだけで『先生』と呼んで懐いている理由がわかる気がするわ。何となくだけど。
「冗談でしょ。ヘリを墜とすには十分だった筈。あれを防御したの? 無傷で。それに……撃つ瞬間までいなかった」
ディエチの驚きとも感心ともとれる言葉を聞き取ったクアットロは、何かに気がついたようにアスナを見た。アスナはいつの間にか屋上の端に立っている。下から吹き上げるビル風でアスナの髪が踊る。
「えっとぉ。二つほど質問があるんですけど、いいですかー」
アスナは何も答えない。その軽い口調とは裏腹に、クアットロと呼ばれた女の瞳には──── 兄である桐生や、ティアナ・ランスターと同じ光が宿っていた。ゴーグルの下の瞳を鋭く細める。アスナは確信する。自分が尤も苦手とする戦い方をするタイプの女だ、と。
「私の念話に割り込んで悪戯したのも、ディエチちゃんとのお馬鹿なやり取りもぉ……あの人が来るまでの時間稼ぎですね?」
アスナは……何も答えない。
「沈黙は肯定と一緒ですよぉ。それともう一つ。時間稼ぎって、弱い人には無理なんですよね。仲間が来るまで保たせなければいけませんし。私のように搦め手を使う人もいますけど、あなたはそのタイプには見えませんしねぇ。……何故と聞いても良いですか? あなたならやろうと思えば、私達を倒してしまうことも簡単だったはず」
クアットロの言葉に驚いたディエチは目を見開いた。そして、彼女は思い出した。屋上の端で髪をなびかせながら立っている少女は決して単独で戦いを挑むなと指示されていた、魔導師の一人だった事を。暫しの時間が風と共に流れていく。やがて、アスナは。短く彼女達にこう告げた。
「……あなた達と戦うこと。そして倒すことに────」
──── 心が躍らない。
アスナはそれだけ言うと、両手を広げて重力に惹かれるままに──── 屋上から身を投げた。
……あと、おねがい。
ありがとう、アスナ。任せて。
屋上から落ちていったアスナと入れ替わるように、豊かな金糸を揺らしながら黒衣の女性が降り立つ。
「今度は誰っ」
「市街地での危険魔法使用……及び殺人未遂の現行犯で身柄を拘束します」
それを聞くやいなや、クアットロとディエチは躊躇なく逃走を図る。黒衣の女性──── フェイト・T・ハラオウンも逃走した二人を確保するべく屋上を翔びだしていった。
逃走した二人に警告を発しながらも冷静にフェイトは分析していく。一人は飛行魔法……もう一人は、冗談のようだが、ビルとビルを足場にして跳躍しながら逃走している。人間離れした身体能力。少なくとも……フェイトはそこまで考えて思い直した。憶測による決めつけは視野を狭くするものだ。捕らえてしまえば明らかになるのだから。
「相当に早い。振り切るのは難しい」
「そうですねぇ。余り手の内は明かしたくないんですが──── Silver Curtain.」
突如として、フェイトの視界から二人が幻のように消え失せる。驚きに目を見開くも、素早く思考を立て直す。
<はやてっ>
<補足しとるよ……位置確認や。詠唱完了。発動まで──── 4秒>
「了解っ」
フェイトは身を翻すと、スピードを上げその場を離脱する。それに巻き込まれない為に。
「今日はめっちゃ疲れるなぁ。『これ』を使うのも久しぶりや」
瞼を閉じれば……今は亡き彼女の面影。彼女から受け継いだ大切な言葉。これは本来、自分を中心として発動する魔法。だが、八神はやての資質である『遠隔操作』が遠く離れている海上からの発動を可能としていた。
「力、借りるよ……遠き地にて、闇に沈め────」
──── Diabolic Emission.
クアットロのISを解除し、地上へと降り立つ。だが、追ってくるはずの魔導師が追ってこない。単純に撒いただけかも知れなかったが、気配すら感じない状況を二人は不審に思う。
「完全に振り切った?」
不思議そうに顔を見合わせていた二人であったが、自分達の周りへ急に影が差した。
「な、なに?」
ディエチの動揺を他所にクアットロが、ふと空を見上げる。そこにあったのは────
「あ……」
──── 『黒い太陽』だった。
「く、空間広域攻撃……あたし達を捕まえるのに、ここまでするの?」
「ここが廃棄区画だと言うことで、割り切っているのかも知れませんねぇ」
二人の見ている前で爆発的に質量を増した黒い太陽は、全てを飲み込んでいく。クアットロはディエチを抱え込み、自分達を飲み込もうと迫る魔法から逃れるべく全速力で空へと翔んだ。
「ぎりぎりでしたぁ」
──── それは、どうかな?
前方にヘリの撃墜を食い止めた白い魔導師がいた。後方には先ほどまで自分たちを追い詰めていた、黒の魔導師。前門の虎後門の狼。一難去ってまた一難。万事──── 休す。白と黒が、デバイスを構えるのと同時に。大気を震わせる咆吼を轟かせながら砲撃が放たれた。
桜と金色が、ぶつかり合い轟音と共に爆発する。六課オペレーター陣は勝利を確信し歓声を上げた。だが、そんな雰囲気に水を差すように、なのはとフェイトから淡々とオペレーター陣へ事実が告げられる。
「だめ、回避された」
「直撃する瞬間に救援が入った。まだ、遠くへは行っていないはず……追って」
「た、助かりましたぁ。トーレ姉様」
「はぁ、感謝……」
「馬鹿者共が。手間をかけさせるな」
トーレと呼ばれた背の高い女性は腑甲斐ない妹達を鋭い瞳で叱責した。片手に抱えていた二人を降ろすと、藤色したショートヘアを乱暴にかき上げる。口調や仕草で二人よりも凜々しい印象だ。ディエチは息も絶え絶えといった樣子で、トーレを見上げる。そして、驚いたように立ち上がった。
「トーレ姉、左腕が」
トーレの左腕は力なくだらりと下がったままだった。
「おまえ達を助けに入った時に、な」
「そんな……あの程度の砲撃でですか。あり得ません」
トーレが施された肉体増強レベルはオーバーS。少なくとも、なのはとフェイトが放った砲撃程度の威力では金属の骨格は疎か、肉体に傷を付けることも困難だ。
「にわかに信じ難いがな。おまえ達を抱えて離脱する瞬間、左腕に直撃された。なんだと思う? ……唯のコンクリート片だ」
「嘘……」
ディエチが信じられないような表情をしながら呆然と口にした。
「ドクターの言っていた通りだ。機動六課には面白い魔導師がいるらしい。それと、お嬢の救出は既に『セイン』が完遂させている。……戻るぞ」
「面白い魔導師……」
「まさか……」
クアットロとディエチは何かに思い至ったように、それを口にした。トーレはそんな二人の樣子を見て、ほんの僅かに唇の端を吊り上げる。トーレは自分に迫り来る物をコンクリートの破片だと理解した時。回避ではなく、左腕でガードしたのだ。二人を抱えていたことなど彼女にとっては言い訳にもならなかった。
油断していたのだ。コンクリートの破片など石ころと変わらない。そう判断した。その結果が左腕の損傷だった。ドクターから聞いた時は話半分ではあったが、認めざるを得ない結果がここにある。二人に話を聞いてみると、私達と戦うのはつまらないと言ったらしい。彼女は決意する。ならば──── 嫌でも戦いたくなるようにさせてやろう、と。
──── 実に楽しみだ。
『逃げられたね』
「……頭をねらえばよかった」
『どうする、追うかい?』
「……なんで?」
ボブに問われたアスナは本当に、心底わからないとでも言うように首を傾げた。アスナにとっては、そこにいるのを偶然見かけたから、投げた。ただ、その程度の認識であった。
『……それもそうだね。では、皆と合流しよう』
ヴィータ副隊長が悔しげにアスファルトを蹴りつける。結果だけを先に言えば、召喚士の少女と融合騎に逃げられた。何者かの介入によって。それは、あっという間だった。理屈はさっぱりわからないが、あたしとそう変わらないであろう年頃の少女が突然現れた。そう──── 突然だ。
その少女は瞬く間に、エリオからレリックのケースを奪うと、召喚士の少女を抱きかかえ、アスファルトの中へと消えていった。まるで、水に潜るように。物理的に拘束されていた融合騎も気がつけば、拘束具だけを残し姿を消していた。逃げるタイミングを伺っていたらしい。
「あぁ、召喚士一味に逃げられたのは、完全にあたしの失策だ。フォワード連中に責任はねぇ……だけど、レリックは無事だ。あぁ、ティアナが悪知恵を働かせてくれた御陰でな」
失敬な、策と言って欲しい。そんな感情が表情に出ていたのか、状況を報告していたヴィータ副隊長が、あたしを見ながら苦笑いを浮かべ、気にするなとばかりに手をひらひらと振った。
策とは言ったが、実のところたいしたことはしていない。ケースからレリックを取り出し、ケースの中にちょっとした『意趣返し』を入れ、キャロが最封印。取り出したレリックは、あたしの『幻術』を被せた上でキャロの帽子の中へ隠した。
帽子を取られてしまうと、頭の上に花が咲いているという正しくアスナ状態で怪しさ大爆発だが、戦闘中に敵と直接戦闘を行う機会が少ないキャロの帽子の中は、隠し場所としてはうってつけだった。
さて、あたしのメッセージは気に入ってくれるかしらね。身元不明の少女から始まったこの一連の事件。あたしの推論と感が告げていた。間違っていたとしても意味のわからない紙切れが一枚入っているだけだ。ねぇ?──── ジェイル・スカリエッティ。
それは、ほんの気紛れだった。『マテリアル』とレリックの奪還に赴いていた『娘』達が戻ってきたのを見計らい、彼女達の前に顔を出した。だが、その気紛れが。ジェイル・スカリエッティをこの上なく愉快にさせる結果となる。姦しい少女達の喧噪にスカリエッティは、少しだけ眉を寄せたが気を取り直し声をかけた。
「随分と騒がしいね……何か、面白いことでもあったかな」
これに驚いたのは、『娘』達だった。彼女達を代表するかのようにトーレがスカリエッティへ答える。
「ドクター、何故こちらに?」
「何、唯の気紛れさ。……『マテリアル』とレリックはどうしたかね?」
「……申し訳ありません。奪還に失敗しました。私の責任です」
そう言いながら、トーレはスカリエッティへ深々と頭を垂れた。
「ふむ。……頭を上げたまえ。咎めたりなどしないよ。奪い返す機会などいくらでもある。今は彼女達に束の間の勝利を味わって貰うとしよう。それと腕を負傷しているようだね。直ぐに再調整しよう」
「ありがとうございます。それと……ケースにこんなものが」
トーレから差し出されたのは一枚のメモ。スカリエッティはメモを受け取ると、紙に踊っている綺麗な文字を視線で追った。トーレは内心驚いていた。ジェイル・スカリエッティという人物が狂気じみた嗤い声を上げているのは何度も見たことがある。だが、今の彼は少年のように笑っているのだ────メモにはこう書かれていた。
『親愛なる狂信者へ ドレスの準備は整いました。紳士的なエスコートを期待してるわ』
「いや、すまないね。トーレは憶えていないかい? いつだったか研究施設を襲ったとき……戯れに壁に残したメッセージを」
「メッセージ……あ」
──── 月夜に踊る準備は出来ているか?
「機動六課の諸君は頭の固い連中ばかりだと思っていたが……中々どうして、ユーモアを解する人間もいるじゃないか。……いいだろう。ご期待に応えようじゃないか。……紳士的に、ね」
──── さぁ、喜劇の開幕だよ。
~邂逅 -Numbers. 了
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