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世紀末を越えて

作者:のに
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プロローグ
  その樋泉あゆの戸惑い

 私には生まれつき親という者がいないのだそうだ。しかし嘆くほどのことではないだろう。例えいたとしても、いなかったとしても、それぞれにいいこととわるいことがあるのだろう。そうでなくとも、私以外にも親がいない人なんてこの世には沢山いるし、いずれにしてもよほどのことが無い限り、子よりも親の方が先にこの世からいなくなってしまうのだ。
 
 ただ、ほんの些細なことであるが、私は服が好きだ。それなのに私には洋服が少ない。仕方が無いことだとは重々承知の上だ。しかし実際の服が無くとも、私の中には部屋がある。歩き回るには広すぎて、走り回るには少し狭いような、そんな部屋が。その中で私は私の好きな服を創るのだ。それにはまず布地が必要だろう。しかし心配は要らない。この部屋の中なら私は何だってできるのだ。

 まずは世界をイメージし、それを床に映し出す。手を床につけ、そうしてできた布地を引っ張り上げる。余分な物をはらうのを忘れずに。今日は黄昏色の絹の布地が創れた。次は思念の糸、それは私がいくらでも持っている。最後に万能の針、これは私の唯一の授かり物だ。この針なら計測するのも、裁断するのも、裁縫するのも自由自在だ。適当な大きさに切り取った世界の布地に、バランスを考えながらうまく思念の糸を通すのだ。そうして出来上がっていく服は、裾にフリルのついた黄昏色のワンピースだった。私はそれを見てうっとりする。
 
 しかし油断してはいけない。たとえ完成した物でもしっかりと手入れをしなければ、すぐにだめになってしまう。さて、最後にこの部屋を去る前にいままでに創った服の手入れをするとしよう。と、私はふと一番奥のクローゼットに目がいった。
あそこには私が一番はじめに創った服が入っている。私は、まだ私の身の回りのことをまだ把握できていなかった頃からこの部屋に入ることができていたが、実は服を創り始めたのはほんの数年前からで、その際今のように始めに布地をイメージする必要はなかった、なぜなら、私がこの部屋に初めて入った時からすでにこの部屋には世界が広がっていたのだ。それに触れることができると知った私は、それを布地へと加工した。つまりそれが私の作った初めての服ということになる。その時は私は気づかなかったが、あれは特別なのだ。あの服には重さがあったのだ。そして、初めてながら、あの服は私の最高傑作だった。クローゼットから私は丁重にその服を取り出す。しっかりと縫い付けておいたはずの布地が一部服から剥離し、周りを漂っていた。こんなことは今までに例はない。私はすぐにその布を床に敷き、転写させ、そして中央にある肘掛け椅子に座り、意識を集中させた。
 
 そうして、気づくと私は黒い世界に立っていた。周りには何も無く、見渡す限り地平線が続いていた。地面は黒く、空も黒かったがどういう訳か不快な気持ちにはならなかった。どうもここではないらしい。次々と場所を写していくうちに私は赤陰を見た。遥か彼方で数えきれない程の赤が蠢いていた。混沌と狂乱と、そして血の、赤、黒、赤、黒、赤、赤、赤、…
そんな、私にとって、それが如何に恐ろしいことか…。黒が、赤を纏っているのである。その黒の一部がこの黒の大地を揺るがしながらこちらに向かってきた。凄まじい速さだ。それが私を殺しに来ているというのは直ぐに分かった。それは私の考え得る動く生き物の中で何よりも大きく、速かった。しかし、どういう訳かそれは、その黒が私の視界を覆い尽くした所で急に減速し、そしてこう叫んだ。私の鼓膜が破れんばかりの声で。
助けてくれ
 
 私の世界はそこで弾けてしまった。そうして弾けた世界の欠片は辺り構わず霧散してしまったのだ。
 
 既に私の意識は外にあった。もうだめだ。私はそこで初めて絶望という感情を知った。この自分の意思では仕様も無い感覚が今この全身を押さえつける。全身を駆け巡る。まるでこのまま私という体、その存在が、少し気を抜くと、このままどろりとした液体となり、外へ漏れだし、この途方も無く、存在の所以を見失いそうなこの世界で、私の存在が消えてしまいそうになる。私はそこで何度も私の置かれる状況を確認し、気怠い私の体。それはまるで起き上がる気配を感じられない。私はどうにかこのぴたりと地面に密着したその体、同じくそこから延びる、と思われるその腕を、私の体が崩れてしまわない様に、出来る限りゆっくりとした速度で、比較的綺麗なコンクリ固めのその地面に接したまま動かし、長い月日放置され続けた埃や塵、雨や風にも流されず、そこに蓄積され続け、そんな黒ずみのざらついた感触を愛でていた。要するに、そう。ただ、それだけのことなのだ。
 
 今現在、放課後の静寂が、私を取り巻いている。これが唯一の救いなのかもしれない。そう、今日はどことなく調子が悪かった。未だ夏の日差しが残っているとはいえ朝から夕方まで、こんなコンクリートの床の上で寝ていれば調子が悪くもなるだろう。という訳でもないらしい。眠っている時もそうだった。何か嫌な物が、私の胸の中で渦巻いていた。彼、樂間君のせいというのも考え難い。別に彼がこそこそと私の周りをまとわりついてきても今まで何とも思わなかったのだから。地面から体をどうにか起き上がらせる。空咳を一つ零して、そうして私は屋上から去った。
 
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