IFのレギオス そのまたIF
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糸の紡ぐ先
熱を得る。
そういう経験がただ欲しかった。
何をしても埋まらぬ空虚。それを初めて感じたのはいつからだっただろう。気がついたときにはそれは常に胸の中に有り、そして今では絶えず一日中己の傍にあった。
それは言葉を変えれば己が腐り、手が錆びに覆わて行くのを何も出来ず見続ける様な絶望に似た諦観。ただ、漫然とした日々に飽いていた。
己が生まれ落ちた環境に不備があったわけではない。己の才覚に欠損があったわけではない。
客観的に見れば十分過ぎるほどに恵まれているのは理解していた。天賦の才を身に秘め、そしてそれを磨き上げた。周囲はそれを賛美し、十分なだけの見返りを与えた。
それはその力を失う事を、恩恵を得られなくなることへの恐怖の裏返しでもある事は分かっていた。だがそうだとしても能力に価値を見出すのは当然の行為だ。
結果、都市で一番裕福は環境を得るようになっていた。
だからこそこれは贅沢な、周りからすれば酷く不吉とも言える望みだろう。
磨き上げた腕が錆びることが、己が本文を全うする機会を得られぬことへの空虚が。
全力を持って立ち向かえるだけの、地獄のような戦場が欲しいと願うことなど。
「お疲れ様です、リンテンス様」
窓の掃除をしていたメイドが手を止め頭を下げる。平和なこの日常で、何もせずただ漫然とこの屋敷にいるだけで何を疲れることがある。そう思った心中を口に出さず、無言のままにその横を通り過ぎる。
武芸者。この世界における人間の守護者。その圧倒的才覚への価値は莫大な富となりこの膨大な広さの屋敷が居住空間として与えられた。要らぬという言葉に都市の住民は遠慮するなと耳を貸さず、使用人までも宛てがい始めた。宛てがわれた使用人は女性の比率が圧倒的に多く大半は美しく、それは己の才を、子種を狙ってのものだった。
自分自身屋敷の全貌を把握してはいなかった。寝る場所と、飯と食う場所。部屋から出口までの道のり。それだけで十分で他には興味もなかった。
何かを望めばそれは直ぐさま手に入るだろう。粗方の罪も無かったことに出来るだろう。非合理な官能小説の如く家のメイドを残らず手篭めにし孕ませたとしても何も問題にはなるまい。寧ろ都市の住人の望みに叶うだろう。
だがそれでも、己の本分を、それを全うするために磨き上げたこの腕を活かせずに腐らせていくだけの日々。
何不自由のない生活。それが己にとって、どうしようもないほどに不自由だった。
「……」
廊下の途中で足を止め煙草を咥え火をつける。煙草を抑える指が、そこから伸びる腕に錆が回り朽ち落ちて行くような錯覚さえ覚える。
研鑽した日々が無為であったと、刻んだ軌跡が無価値であったというそれは己全てへの否定にほかならない。ここにいると己が時間をかけ澱んでいくようだ。
紫煙を曇らせ窓の向こうを見やる。ガラス一枚隔てた向こうに広がるのは都市の街並みと、荒れ果てた荒野。人の住む世界と、住めぬ世界。その境界がはっきりと見て取れた。
その荒野には住民がいる。汚染獣という世界の覇者。人類を脅かす、仇敵。
だが、それさえも己にとっては十分な敵にはなりえない。幾多もの武芸者が血を流し徒党を組んで当たるような敵も、己にとって暇つぶしの域を出たことはない。
気づけば血を流すことを恐れた者たちは背に控え、己一人が外敵に相対するようにさえなっていた。
かつて、何もかもを捨て外に出ようと思ったことはあった。狂ったように汚染獣と戦う都市があると噂に聞いた。地獄のような都市。けれど己にとては天国になるやもしれぬ。それが本当ならばそこに行きたいと願った。
だが出る決意が固まる少し前、狙ったように都市に汚染獣が襲来した。それで一時期遠のいていたその思いが再び己の中で鎌首を持ち上げようとしていた。
ガラスの向こうを、どこまでも続く荒れ果てた地を睨む。その彼方から汚染獣が、まだ出会ったことのない化物が来て欲しい。そう切に望む。
視覚とともに自然と強化された聴覚。それがどこから届く子供の声を捉えた。
「赤ん坊だな」
剄によって鋭敏になった耳は多くの情報を取り入れる。声の位置、そこに群がる人々。耳以外からも伝わってくる情報が己にその現状を詳細な状況を与える。
その赤子の存在は既に気づいていた。ただ興味がなく、今の今まで気に留めていなかっただけ。だが暇つぶしにでもなればいいとその方向へ自然と足が向いていた。この屋敷に子供が、それも赤子が入るのは酷く珍しかった。
辿りついた先はメイドたちの詰所だ。扉の前には何人かのメイドが集まり、そのうちの一人が足に抱きつく二人の赤子に困惑した表情をしていた。恐らくそのメイドが子の母親なのだろう。
赤子と言っても既に自分の両足で立てるらしい。赤みがかった茶髪の男児と、明るい栗色の髪の女児。ともに瞳に涙を浮かべていた。つい先程まで泣いていたのだ。
メイドの一人が自分たちの主の姿に気づく。他の者も慌てた様子で頭を下げる。
「申し訳ありません。この者が子を……」
「新入りか」
そのメイドの顔は記憶の中にはなかった。
「はい。先日既にお目通りさせましたが、十日ほど前に入ったばかりでしてこの様な不始末を。強く言って聞かせます」
その言葉に思い出す。確か前いた都市から何らかの事情で出ることになり、連れ合いは既に亡くしたと説明されていた。興味の範疇外だった故に今の今まで忘れていた。
そのメイドの境遇や処罰になど興味はない。特に何もいう気は起きず黙ってその子供二人を見る。女児は母親の方から顔を向けなかったが、視線を返すように茶髪の男児がリンテンスの方を見た。涙を湛え辛そうに歪んでいたその瞳は次第に大きく開き、笑顔になった。
それはひどく不思議な光景だった。自分自身無愛想だと自覚しているこの顔のどこに子を喜ばせる要素があるというのか。だが不思議な光景は更に続き、それは己の身に衝撃を与えた。
男児はタバコを挟むリンテンスの手を指差したかと思うとそれを動かし、壁や天井へと縦横無尽にゆっくりと動かし始めたのだ。次第にその意味を理解し、気づけば開いた口から煙草が床に落ちていた。
「見えて、いるのか」
酷く小さく、常人に聞こえるはずのない呟き。それがはっきりと聞こえたと言わんばかりに男児は再度笑顔を浮かべた。
「やめて、やめなさいレイフォン」
子の母親が必死の形相で指を伸ばしたままの男児の手を叩き落す。主に対する無礼だと思ったのだろう。ただでさえつい先程まで周りにいる女中たちから責められていたのだヒステリックにもなる。この都市で部外者の女中の立場からすれば追い出されるのは死活問題だろう。整った端正な顔に浮かんだやつれが、その苦労を忍ばせた。
今すぐにでもこの場を去ろうとメイドは子供二人を抱える。だが、そうされるわけにはいかなった。
「待て。その子供を見せろ」
ビクリとメイドの背が震える。不始末をしたと、そう思ったのだろう。だが逆らうわけにも行かずゆっくりと子供二人をこちらへ見せる。
恐怖が張り付いたそのメイドには目もくれず腕を上げ男児の方に指を向け静止させる。一体何をしているのはメイドたちには理解出来ずその指を見つめる。だがその男児だけは顔を動かし視線を周囲に飛ばせ、そして楽しげな笑顔を浮かべた。
(やはり、見えている)
確かな確信が胸の内に宿った。
男児の視線が伸ばされた指に戻ると同時、己の腕の前の空間に異常があらわれていく。メイドたちが驚愕の瞳で観るさなか、映像をコマ送りする様に空中に円錐形をした物体が現れる。それは千差万別に形を変え、そして直ぐさま空気に溶けるように消えていく。
「鋼糸……」
メイドの一人が呟く。
それは目に見えないほどの細さをした糸だ。この都市の者なら知らぬ者はいない。何故ならそれはこの屋敷の主が使う、己が使う武器だから。
鍛え上げた腕が錆びるのを嫌い、鍛錬のつもりで屋敷中にその鋼糸は張り巡らされていた。それは人の声や歩の振動を拾い使い手に情報を齎していた。この鋼糸に気づくものは、誰一人いなかった。
それを、この赤子が、
「確かに認識し、目で追っている。武芸者だな。それも特上の」
その言葉の意味を、先程までの高度の意味を理解したメイドたちの驚愕の視線が男児を貫く。その瞳にあるのは驚愕と、畏怖と、賞賛といったところだろうか。何せ有能な武芸者はひどく貴重だ。それも、この都市随一の存在に特上と言われるほどならば。
だが、そんなメイド達の考えなどどうでもよかった。もっと見せろと、そう言うかの如くつまらなそうな表情を浮かべる赤子を前に己の内に熱が宿ったのと感じていた。
どこまで、見せられる。
どこまで、理解できる。
どこまで、扱える。
錆びていくだけだと、そう思っていた。磨き上げたこの腕を、一度として使えぬと。この高みを存分に見せられるものなど、理解できる者など望めるのかと。
だがもしも伝えられるのなら。この積み上げた日々が無駄でなかったならば。――この子に、鋼糸を教えられるのならば、埋まるやもしれん。
この、空虚が。
手慰みになればいいと、本来の目的とは別の代替の思い。だがそれは確かな熱だった。
己が確かなやる気を持てる、己が技に意義を見いだせる目標。
それが今、確かに己の胸にあった。
困惑した表情を浮かべたメイドが一人、傍に寄って小声で言う。
「あの、どういたしましょうか。ご不満なら追い出しますが……」
傍から見たら苛立っているように見えたらしい。こんな時、荒くれに見える見てくれが少し煩わしく感じてしまう。
だが、追い出されてしまっては酷く不都合だ。
「命令だ。そいつを追い出すことを禁ずる。その子供に技を教えたくなった」
明確な意思で己が出した、初めての能動的な命令。再度驚愕しているメイド達を気にも介さず、子を抱くメイドのもとへ歩みを進める。
教える、と言ったが親の了承は必要だろう。もっとも、断られたとしても己の特権を使いある程度手を回すつもりではあるが。
「その子を弟子にしたい。現状のまま職も保証しよう。構わないか?」
「え、ええ。リンテンス様なら、断る理由はありません」
「そうか。なら、明日また連れて来てくれ。……そう言えば名前を聞いていなかった」
「メイファー・シュタットと申します。この子がレイフォンで、こっちの女の子がリーリン・シュタットです」
メイドの名前まで聞いたつもりはなかった。だがそもそもメイドの名を覚えていなかったので別に問題はない。
それよりも気になったことがあった。
「男の方はシュタットではないのか?」
「ああ、いえその、そういうわけでは……」
どういったものかとメイドは言葉を濁す。だが黙って続きを待っているとメイドは続きを話し始めた。
「正確には、私の子供ではないのです。前の都市を出る時、火事に巻き込まれました。その時リーリンの横に何故かいたのがレイフォンで、親も見つからずこのままでは焼け死んでしまうと一緒に……そのまますぐ、都市を出たもので……リーリンはレイフォンに懐いていますし、見捨てるわけにも行かず私の子として育てようと。ですから名前が、その」
「そうか。立派な話だ」
色々と複雑な事情があるらしい。だが、呼ぶ名があればそれだけで十分だ。細かい事情はどうでもいい。
もしかしたら本当の親が探している可能性もあるが、今更というものだ。焼け死んでいたよりはマシだろう。気にしてどうにかなるものではないならば忘れた方がいい。
明日来る時間を告げ、メイド達に背を向ける。途中、落とした煙草を鋼糸で細切れにして部屋へと戻る。
戻る途中、廊下で立ち止まりガラスの向こうの世界を覗き込む。来る時あった空虚はさほど感じていなかった。窓の向こうに、瞳に映るのは荒野ではなくガラスに写りこんだ己の顔だ。遠くではなく近くに映ったそれは、いつもと同じはずなのにどこか楽しげな表所を浮かべているように思えた。
どうやら己はまだ、この都市を出ずに済むらしい。
胸に宿った熱への期待を抱き、部屋へと向かっていく。
まず何をするか。何を教えるか。どこから教えられるのか。あの年頃に、どこまでなら教えていいのか。
初めて、明日が早く来ることを願った。
後書き
リンテンスさんの子育て?物語。
メイファー・シュタットがもしも死なずに逃げ延びてリンテンスと会っていたらという妄想。リンテンスがグレンダンに来たのが十七年前なので帳尻合わせに出発を遅らせました。
一歳くらいの子供に何を教えられるのかは不明。多分リンテンスさん慣れないテンションの上昇に混乱してる。なので子育てがメインになって行きそうなリンテンスさん。ダメなおっさん化しそう。
最初は女中って書いてました。けどメイドの方が語感がよかったし浪曼もあった。
でっかい屋敷で家族は多分別居。都市の権力者。綺麗なメイドさんいっぱい。子種狙い。
リンテンスさんエロゲー主人公が似合ってるんじゃないですかね。顔も不良っぽいし怖いですし天職ですぜゲヘヘ。
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