占術師速水丈太郎 横須賀の海にて
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第五章
第五章
紫の世界の他は夜の闇に沈んだ艦が並んでいるだけであった。遠くに横須賀の夜の光が見えるがそれ以外は何もない。ただ波の音が聞こえるだけであった。速水は今その中で魔性の住人を探していた。
「!?」
何やら霧があった。そしてそれはユラユラと動いている。まるで生き物の様に。
「あれか」
彼はそこに何かを見た。すぐにカード達に隠れる様に指示を出し自らも立ち上がった。そしてコートを羽織って艦首に向かうのであった。
艦首に行くとそこには霧がいた。ゆらゆらと生き物の様に動く様はタロットカードが見せてくれたものと同じであった。
「そこにいたのか」
「気付いたようだな」
霧は声を発した。そして彼に声をかけてきた。
「気付かない筈がないだろう?」
速水は不敵な笑みを浮かべてこう述べた。
「これだけ怪しげなことをされていてはな」
「だからこの艦に呼ばれたのか」
「ああ」
彼は答えた。
「占い師の速水丈太郎という。覚えておいてくれ」
「占い師か」
霧はそれを聞いてふと呟く様に声を出した。
「見たところ占い師ではない様だが」
「勿論只の占い師ではないさ」
速水は言葉を返した。
「退魔師でもある。覚えておいてくれ」
「退魔師か」
霧はそれを聞いて面白そうに声をあげた。
「また性懲りもなく」
「性懲りもなく、か」
速水はその言葉に反応した。
「ということは以前にも私の同業者と会ったことがあるな」
「その通り」
霧はまた答えた。
「過去何度もな。私を消そうとやって来た」
「ほう」
「だが全て返り討ちにしてやったのだ。所詮生きた者に私を退けることはできぬ」
「生きた者か」
彼はここにも反応を示した。
「また妙なことを言うな」
「何、それは生きた者の主観に過ぎない」
霧はこう言葉を返した。素っ気無い態度であった。
「生きた者には生きた者の世界がある」
「そして死んだ者にも」
「そういうことだ。では私の正体がわかったな」
「ああ。貴殿は死霊だ」
速水は言った。
「船に取り憑く死霊だ。違うか」
「如何にも」
答えながらその身体を実体化させていく。
「私は海に生きていた。そして死んでからも」
「海にいるというわけだな」
実体化というよりは人間であった時の姿をとったと言うべきであろうか。そこには十七世紀頃の西欧の服を着た蒼ざめた顔の男が立っていた。濃い髭を生やしその目は青い。だがその髭にも目にも生気らしきものは見られない。動きもせず、ただそこにあるだけである。色の薄い唇も開きはしない。まるで絵の様に。
服は黒いマントに上着、そして薄茶色のズボンと焦茶のブーツであった。上着の白いカラーが目立っていた。だがよく見ればそのカラーも所々汚れていてしかも破れている部分すらあった。
「その通り。何百年もな」
「船を転々として彷徨っていたのか」
「そうだ」
死霊は答えた。
「海から離れられぬのならば。船にいればいい」
そしてこう言う。
「永遠にな。そして私は海の男であり続けるのだ」
「迷惑な話だ」
速水はそれを聞いてこう述べた。その右目で死霊を見据えている。
「生きている者にとっては。ここは生きている者の世界なのだから」
「死んでいる者には用はないと言いたいのだな」
「その通りだ。そのせいで生きている者が迷惑を被る」
「そんなことは私の知ったことではない」
死霊は言い返した。
「私がここにいる為に。少し命等を拝借させてもらっているだけだからな」
「命をか」
「そうだ」
「だからあの客船で船員達の体調がおかしくなったのだな」
「あの客船はよかった」
死霊は全く表情を変えずに述べた。ただ声だけが笑っていた。
「糧が多かった。おかげでこうして力を取り戻すことができた」
そう言いながら右腕を掲げる。するとその手に青白い炎が宿った。
「行くぞ。降りかかる火の粉は払う」
「生憎私は火の粉ではない」
速水はこう答えながら身構える。その周りをタロットカードが舞う。
「退魔師だ。さっきも言ったな」
「一度聞いたことは忘れない主義だ」
死霊はまた言葉を返す。
「そして私に害を加える者は」
言いながら腕を振り下ろす。
「我等の世界に来てもらう」
そしてその手に宿る炎を宿った。そしてそれで速水を襲う。
速水は左に動いた。そしてそれで炎をかわす。
「速いな」
「生憎場慣れしているので」
軽口を叩いた。
「この程度ではね」
「そうか。ならばやり方を変えよう」
死霊はそう言うと腕の動きを止めた。
「実体的な攻撃が無駄ならば他に方法がある」
「むっ」
それまで微動だにしなかった死霊の青い目が動いた。そして速水を見据えてきた。
「来い」
そして速水に対して言った。
「私の側へ。そして我等の仲間となるのだ」
「我等の仲間に」
「そうだ。そして永遠に生きる者の世界と別れるのだ」
「生きる者の世界と」
速水の右眼から光がなくなった。そしてフラフラと死霊の方へ歩いていく。
「さあ、もうすぐだ」
死霊はまたしても言った。
「死せる者の世界まで」
確かにもうすぐであった。速水は死霊のすぐ側にまで来ていた。あと一歩で死霊の手が届く範囲にまで達する、そうしたところにまで来ていた。
だがそれは全てまやかしであった。速水は急に上に跳んだ。
「むっ!?」
「生憎私はまだこちらの世界に未練があってね」
右目で死霊を見据えていた。見ればその目には光が戻っていた。
「そうおいそれとそちらの世界に行くわけにはいかないのだ」
「私の術が効かなかったのか」
「言った筈だ、私は退魔師だと」
彼は死霊を見下ろしながら言う。
「そちらの術には抵抗があってね」
「面白いな、それは」
死霊はそれを聞いて笑った。
「ではそれをもっと見せてもらおうか」
「無論そのつもりさ」
彼は空中で姿勢を整えながら言う。
「そしてあちらの世界に帰ってもらおう」
「帰るつもりがないと言ったら?」
「貴殿に拒否権はない」
彼はなおも言い返す。
「ここは生きる者の世界なのだから。死せる者の世界ではない」
「ではやってみるがいい、私を送り返すことを」
「言われずとも」
身体の周りのタロットカードの動きが速くなった。
「見せてやる、速水丈太郎の術を」
「それで私を送り返せるのなら名」
タロットカードが舞い降りた。そして死霊に襲い掛かる。
「フン、何かと思えばジプシーのカードか」
彼はそのカードが何かを知っていた。
「この国でも使っていたのだな、祖国だけでなく」
どうやら彼はジプシーもタロットも知っているようである。
「日本ではタロットもよく使われる」
速水は彼に対して言う。その間にカードは一直線に死霊に襲い掛かる。
「ジプシーでなくともな。誰でも使うことができるのだよ」
「霊感を持っていればか」
「そうだ」
彼は答えた。
「それはいいことだ。ポルトガルではそうではなかった」
「ポルトガルでは」
「あの時の我が国は教会があまりにも強くてね」
唇を開くことも動かすこともなく述べる。ただ目だけが動いていた。だがその目はあくまでカードに向けられている。彼は速水すら見てはいなかった。だがそれでも彼の姿も見えているようであった。おそらく目では見てはいないのだろう。
「占いは法度だったのか」
「そんな時代からいたのか」
「そうだ。あの時はよかった」
彼は言った。
「海へ行けば何でもあったのだ。栄誉も富も何もかもな」
大航海時代である。富を求めて港を後にした者達はそこから多くのものを手に入れた。胡椒に金、そして宝を。またあらたな大地を。大航海時代は野望の時代でもあった。
彼もまたその中にいたのだ。そして野望と栄光、そしてそれに従う富を求めていた。だがそれは大きなリスクを伴っていたのであった。
「生憎それに失敗してしまってな」
「そうか」
速水は彼がどうして死者の世界の住人となってしまったのかこの時わかった。
彼はおそらく航海中に海の中に沈んでしまったのだ。そして死んだ。だが海のことを忘れられず今もこうして生者の世界にその心を置いてしまっている。死者の世界にいながらその心を生者の世界に置く死霊となってしまったのだ。
「そして今こうしてここにいる」
「海を求めてか」
「ただ海が好きなだけではないがな」
「野望をまだ追っているのか」
「違う」
彼はそれは否定した。
「私は気付いたのだ。野望よりも海が好きなのだと」
「そうか」
速水はそれ自体はいいと思った。
「海に永遠にいたい程だ」
「それで生きている者に迷惑がかかってもか」
「生きている者のことは知らぬ」
彼はそれは無視した。
「私は死んでいる。ならば生きている者のことはどうでもよい。違うか」
「それはエゴイズムというものだ」
速水はそれを否定した。
「貴殿がここに留まればそれだけで多くの者に危害が及ぶ。それでもよいのだな」
「構わぬ」
彼は言い切った。
「私が海にさえいられればな」
「わかった。では話はいい」
速水も話を打ち切った。
「闇に帰れ」
その声と共にカードが死霊に突き刺さった。だがそれは死霊の身体を通り抜けてしまった。
「ムッ!?」
「霊体も傷つけられるカードか」
着地した速水の後ろから声がした。
「よいものを持っている。どうやらこれまでの退魔師とは少し違うようだ」
そう言いながら速水の首に手を伸ばしてくる。
「グッ」
そして掴んだ。まるで氷の様に冷たい感触が彼の首を覆った。
「だがこうしてしまえばカードも使うことはできない。違うか」
彼は問うた。
「所詮生者が私を倒すことはできぬ。このまま我等が世界に引き摺り込んでくれようぞ」
「カードを使うことはできないか」
速水は喉を締められながらもまだ声を出してきた。
「違うとてもいうのか」
「そうさ、違う」
彼は余裕のある声でこう返した。
「私のカードは特別でね。私の意志で自由に動く」
「何っ」
「監察が足りなかったな。今のカードの動きを見て気付かなかったか」
ニヤリと笑って言う。そして消えた。
「!?」
「そして私の術はカードだけではない」
その氷の様な手から離れた。そして死霊の前に姿を現わした。まるで影の様に。
「こうした術も使える」
「攻めるのも守るのもできるというわけだな」
「そうだ。もっともこれだけではないがな」
右目で死霊を見据えながら言う。
「行くぞ。覚悟はいいな」
「それは本来私の言葉だがいい。ではどうするのだ」
「こうする。今度はどうだ」
またカードを飛ばしてきた。今度は二手である。
「どちらにしろ同じこと」
消えた。それでカードをかわした。
「この程度か」
何処からか声が聞こえてきた。また姿を消したようである。
「さて」
しかしその言葉にはとぼけてきた。
「私とて同じことを二回する程芸がないわけではない」
「負け惜しみにしか聞こえぬが」
「その証拠にカードの数を見てみることだ」
「カードを」
「そうだ。タロットの大アルカナは二十二枚」
これは決められた数である。これより多いことも少ないこともない。これはトランプと同じである。
「だが私が投げたカードは二十枚」
「二十枚」
「そう。そして残る二枚のカードは」
左手をさっと前に出す。
「ここにある。そして・・・・・・」
右目が横に動いた。
「そこだっ」
右にカードを投げた。その先に何がいるのかわかったうえで投げていた。
「グハッ」
声がした。そして死霊がその姿を現わした。彼の胸に皇帝と女帝のカードが突き刺さっていた。
「やはりそこだったか」
「わかっていたのか」
「声と気配でわかった」
彼は答えた。
「霊感でな」
「そういうことか」
死霊は相変わらず表情のない、仮面の様な顔でその言葉に応えた。
「侮ったか、またしても」
「さて、ここで決着をつけるか」
「生憎だが今は私は倒せぬぞ」
「どういうことだ」
「あれを見よ」
彼はこう言って上を指差した。そこには月が出ていた。おぼろな黄色い光を放っている。それは十日月であった。
「月か」
「私は満月の時以外にはあちらの世界に完全に帰ることはできぬぞ。今ここでは決して帰ることはない」
「呪いか」
「そうだ」
彼は答えた。
「死霊となり生きる者の生気をはじめて吸った時にな。同時に受けてしまったのだ」
掟を犯せばそれだけで報いがある。彼の呪いはそれであったのだ。
「私を倒したいのなら満月の時に来るがいい」
彼は言った。
「その時に。また会おう」
そう言い終えると姿を消した。そして彼はそのまま姿も気配も消し去ってしまったのであった。
「消えたか」
速水はそれを見届けて一言呟いた。
「とりあえずは満月まで待つか」
腕を一振りあげるとカードが舞う。そしてその手の中に収まるのであった。
こうしてこの夜の戦いは終わった。彼は朝になると艦長に対して夜のことを話した。
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