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真・恋姫†無双~現代若人の歩み、佇み~

作者:Duegion
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第三章:蒼天は黄巾を平らげること その2



「最近さぁ・・・風当たりが強いんだ」
「ええ。知っています。何でも、愛の告白とやらをやらかしたとか」
「・・・いいよなぁ、お前は。誰からも無視されないままなんて。俺なんて、ついこの前詩花に、『はい、これ今日の御昼ね』って言われたきりずっと会話してないんだぜ・・・?信じられるかよ、あれで俺の相棒だったんだぞ?」
「文句を言わないで手綱をちゃんと握って下さい。愛馬にまでやきもちを焼かれたら、本当に救われませんよ?」
「・・・お前は救ってくれないのかよ」
「身内には甘くないので、私」

 長社で得た大勝利の後、曹操・皇甫嵩・朱儁の連合軍は汝南へと行軍をしてはや一月を過ぎんとしていた。
 仁ノ助は藍色の外套をはためかせながら新たな愛馬を駆って進んでいる。愛馬の名は吉野。彼が日本にいたころに幾月か滞在していた場所よりとったものだ。前の駄馬と比べればこれはまさに良馬の中の良馬だ。仁ノ助の親愛に満ちた行動もあって、浅い日にちで人馬一体となるに足りた。主以上の我慢強さと精強さを持つ彼はまさに仁ノ助のもう一つの魂となったのだ。
 仁ノ助は吉野の上より後方を振り返って自分に付き従う凡そ二百の騎兵を見る。先の戦いの活躍の後に、曹操は彼を二百の騎馬隊長に封じ、自軍の戦線構築を一部任せるに足りると公言した。彼の戦振りを見た夏候惇と夏候淵、そして曹仁は異議を唱えなかったが、軍師である荀イクは怨嗟の目を向けてきながら反対の意を奏上した。

「客将である彼の身には過ぎたることであり、軍の連帯感を緩める危険があります。即刻この浮気性の精液達磨を排除するべきです」

 私怨が篭った言いぐさであったが、自軍出身でもない彼を重用するという事は信賞必罰の『賞』の重みを失しるが如き決断であり、兵達の忠誠心を揺るがす行為であると彼女は忠言したのだ。なるほど、軍師の立場から見れば確かにその通りであった。
 しかし曹操はこの意見を十分に聴いた上で言った。

「斯くの如き戦振りをする者は我が軍には少なく、また兵達に自分の活躍次第では出世・褒美もあり得ると思わせることも大事。これらの益は賞の重みを失しる可能性を上回るものであり、よって彼を登用する」

 荀彧はこれを聴いて苦虫を噛んだ顔をしながら渋々承諾した。しかし曹操が言葉の終わりに照れたような熱っぽい瞳を彼に注いだのを見て、彼女は一気に憤慨し、同じく憤慨した夏候惇や錘琳と共同戦線を張って彼にリンチを行い、荒々しい歓迎を施したのであった。このようにして仁ノ助は客将という立場から、正式に曹操軍の一将軍となったのであった。そのための痛手はかなりのものであったが。
 また同時に曹操は、賊との戦で活躍した者達を賞賛し、特別優れたものに対しては一部兵を任せる立場に置いた。錘琳は先の戦で賊十余人を討ったことを考慮し、目出度くも夏候淵将軍の副官という立場を奉じられた。彼女は尊敬する将軍の傍に置かれることを喜びつつも、一方で狙った獲物を見る目でじろりと猫耳軍師を見ていた。そういう方面での情熱は失われないのが逞しいものであった。

「・・・草の報告によれば、西華にて黄巾賊がさらに集結しているとのこと。数はどのほどまでに膨れ上がるでしょうか?」

 思慮に耽っていた仁ノ助を隣で馬を進める青年が尋ねた。頭に黒の鉢巻を巻いており、歩みと共に鉢巻の紐がふらふら揺れる。偶然にも仁ノ助と同じ色の外套を着ているが、得物はさすがに違う。彼の得物は大きな蛮刀であった。
 この青年の名は曹洪といい、先の戦いにおいて詩花と同じく軍功を挙げて特別な立場を与えられた者の一人である。その軍功は首級の数二十余であり、曹操軍の新兵の中では傑出したものだ。実力もまた軍功に恥じないものがあり、長社にて仁ノ助と模擬試合を行った結果、七戦して三勝四敗。惜しくも仁ノ助に敗れてしまったが、その実力はほとんど拮抗しているともいえた。それ故に仁ノ助は彼の力を疑う余地も無かった。

「推測に過ぎないが、先に戦に敗れた者も合流しているとすると、だいたい十五万といったところかな?あくまで予測だけどさ」
「やはり数だけは一人前ということですか」

 敗れ続けになっているとはいえ戦力の確保には困らぬ賊軍。張角による太平道術の信奉者と生活の糧を求める民草と、そして下卑た賊による連合軍とはよくいったもので、合わせて十万にも満たないこちらから見ればその数だけは羨ましいものがあった。

「ですが脱走者や離反者にも困らないだろうな。彼らの求める物はすなわち『生活の安寧』。それが黄巾で実現できぬならば自らの傷の浅いうちに逃げるのも当然だ。うちらの勝利は揺るぎないものだろう」

 行軍中に早馬より聞き及んだことであるが、荊州南陽郡の賊軍の将である張曼成が南陽太守の攻撃により討伐されたそうだ。すぐに別の将である趙弘が擁立されて宛という地方に篭城したらしいが、遠からず多くのものが脱走、もしくは官軍に降伏をすることであろう。西華での戦いはいわばそれを確定するための一戦といえる。

「まぁ、華琳様の戦術が発揮されれば負けるなんてありえないな。たとえ相手が自軍の二倍以上の数であったとしてもだ」
「全くもって同感ですね。欠伸をする余裕はありませんが、切り落とす首の数はきちんと数えられるでしょう」

 まだ見ぬ新たな戦が迫っているのにも拘らず二人は至極冷静でいた。よほどの自信があるのか、はたまた敵が予想以上に脆弱である事に安心しているのか。どちらにとっても彼らのどっしりとした態度に部下たちは何の負の心を抱いていない。上司が安定して構えていれば部下も安心できるということである。
 黄巾の乱は今、折り返し地点を過ぎようとしていた。




ーーーその夜ーーー



 今日の行軍を終えて、皇甫嵩らが主軸となる官軍は陣を築いて、荒涼とした大地を枕として眠りに就こうとしていた。篝火の明りと月の光が陣営を照らしており、夕餉を終えた者達の多くが天幕へと戻っていたようだ。歩哨が欠伸をかみ殺しながら何時くるともしれぬ盗賊を警戒し、暗がりの中からぬらりと現れた隊長に驚くと取り繕うように苦笑を漏らした。気を抜きがちな部下を、隊長はまるで仕事をしない夫を見る妻のような目で睨んでいた。
 果てしない叱咤と言い訳の攻防はさておいて、仁ノ助は既に日課となりつつある、就寝前の剣の素振りに取り組んでいた。盗賊と交戦しなかったとはいえ一度も剣を振らないままでは腕が衰えるだけであり、兵を率いる立場となったからにはその怠惰は許されないものであった。数を数えたりはせずに、一振りを丁寧に、そして力強く振るっていく。技を究めるというよりかは精神(こころ)を正すといった方がよいものであった。
 孔子曰く、というよりも孔子の言葉を(そら)んじた夏候惇曰く、『君子は言に(とつ)にして、行に(びん)ならんと欲す』。彼女がそのような大層な言葉を知っているだけでも驚きに値したが、而して言いたい事は理解出来た。うじうじとするよりも行動に移して結果を出せ、と言いたいのだろう。死線を共に潜り晴れて仲間となった以降の彼女は、無遠慮に、そして思いやりを込めて助言をしてくれる。仁ノ助はそれを有難く思い、鍛錬の心の支えとしているのであった。

「なかなか張り切っているようだな、青年」

 ふと、背中の方から声を掛けられる。赤い衣服を着た妖艶な女性が立っていた。その顔は長社に居た頃に、朱儁の兵が鍛錬をしていた際に知った顔であり、そして彼女は紛れもない勇将であるとも仁ノ助は知っていた。

「俺なりの嗜みだ。使えぬ者は殺されるだけ。俺はそうなりたくない」
「私も同じだ。戦場で勇壮に戦い、その果てに骸を晒すのは武人としての誉れだ。だがそれが自らが弱かったからという理由によるものでは納得しきれん。せめて最後までは自らの強さを信じていたいからな。・・・そなたの場合、何か大きな覚悟があって鍛錬していると見える。守りたいものでもあるのか?」
「・・・仲間と主、そして自分自身だ。何よりも代えがたい存在である彼ら。そして彼らと喜びを共にできる自分自身。どっちも大切だ。だから俺はどっちも見殺しにしないために、こうして夜遅くまで頑張っているんだよ。まっ、若いやつの馬鹿な努力と嗤ってくれ、孫文台さん」
「・・・まさか。人の覚悟を笑うほど、私は落ちぶれた存在ではないよ。辰野仁ノ助くん?」
「くん付けされる歳じゃないっての!」

 そう、仁ノ助が言葉を返す相手というのは江東の虎、一説によれば春秋時代の兵家・孫武の子孫であると称されている、孫堅であった。史実では勇壮な将軍と称され、演義では虎のごとき躰とも言われるくらいの偉丈夫であるとされていた。しかし有名武将が軒並み生まれながらの性転換を果たしているこの世界では、その定めによるものか、孫堅は美しい女性へと変貌を遂げていた。
 月光に照らされる燃えるような赤く長い髪は錘琳にそっくりであるが、妙齢の女性特有のえも言われぬ艶やかな雰囲気は、内心に秘めた情熱を予感させるものであり、錘琳ならばあの余裕ぶりを出すには後数年は掛かるだろうと感じた。南方の呉郡富春県出身のためか、日本でいう九州美人のように顔立ちは濃く、あたかも外国人と面しているような気持ちとなる。挑発的な視線は豊満な躰に相応しいもので、腰に手を当てて此方を観察してくる様はとても絵になっており、スリットの入った衣服から覗く太腿には色っぽさが感じられた。
 聞いた話によれば、孫堅は末娘である孫尚香を出産した数年後、伴侶である夫を流行病で失くしてしまい、それ以来このような大胆な恰好をするようになったそうだ。亡き夫への貞淑さを貫くための自分に課した試練であるという噂もあれば、所構わず男を食うための誘いの衣装であるともされた。仁ノ助が抱いた印象は後者の方であり、彼女の妖艶な雰囲気に思わず喉をごくりと言わせたくなってしまった。『彼女を抱けばどんなに気持ちの良い事か』。思わずそんな考えが過ぎってしまった。
 「いかんいかん」と、仁ノ助は気を取り戻す。女性的な部分を何時までも見るのは不躾である。なるべく相手の顔を見るようにして彼は問う。敬語を使わないのは、ただの雰囲気作りのためだ。

「もう寝る時間だってのに酔狂なもんだな。月を見に来たんなら、天幕の外で大丈夫だったんじゃないか?こんなに明るんだからな」
「衛兵がうるさくてかなわん。あんなに口喧しくせんでいいと言っているのだが、誰の教育か、何かと気苦労を掛けてくれるのだ。有難いのだが過剰でもある。それに、夕刻の鍛錬を覗いてな、興味もわいたのだ」
「・・・御人が悪い。あれを見ていたのか」
「ああ。宙を吹っ飛ぶ様はなかなかに面白かったぞ」

 ーーーそこは見逃してくれよ。

 仁ノ助は思わず唇をぎゅっと引き締めてしまった。夕餉の後に交わされた自分と夏候惇の模擬試合の様子を見られてしまったらしい。
 孫堅は僅かに表情を引き締めて感想を述べた。

「思うにな、仁ノ助。お前は体幹がしっかりしていないのだ。剣筋は我流と評するに値してもいい程に研鑽されているし、滲むような努力を重ねているのが理解出来た。だが守勢に変わった途端、相手の勢いに飲まれて振り回されていたぞ。刃の逃し方だけは巧かったがな」
「・・・経験によるものさ。今まではずっと、勝つか逃げるかの二択しかなかったから。誰かと長時間戦って、しかもずっと守勢に回るってのはどうも性に合わないんだ。いや、単純に実力不足なのかもしれないけど」
「お前の場合は後者の度合いが強い。これは私見だが、断言できる事だ。お前はもっと様々な事を経験するべきだ。そして仮にも一軍の将ならば、どっしりと構えていろ。それだけで大分肝の据わり方が変わってくる。況や、闘争の心構えをや」
「そして兵達の信頼も厚くなる、か。貴重の意見に心より感謝する、孫堅殿。自分からでは気付いでも、心より実感できない事かもしれなかった。あなたの言葉を切欠として、これからも成長していこう」
「うむ。お前はまだ若い。自分の可能性に気付けることはそれだけで儲けものだ。立派に成長して、守りたいものを守ると良い。それが一番だ」

 言葉少なであったが、重みのある言葉であった。下手に難解な文句を使われるよりも説得力を感じさせて、仁ノ助は確りと頷いてそれを頭の引き出しに仕舞い込んだ。直ぐにでも取り出せるような場所に仕舞ったのがミソである。
 仁ノ助は一つ思案する。思えば孫堅と言葉をこのように交わしたのは初めてであった。で、あるならば、この幸運に浴しても縁起が悪くなる筈もないだろう。

「孫堅殿。こうして会えたのも何かの縁だ。差し出がましいかもしれないが、もし良ければ、あなたの武を見せてもらってもいいだろうか?素振りか・・・あるいは演武という形で」
「ん?演武と来たか。別に構わんが、お前の得物と私の得物は大分違うぞ。参考になるのか?」
「勿論そうなるさ。あなたの方が武に精通しているのだから。だが本音を言ってしまえば、参考になるかどうかは重要じゃない。ただあなたをもっと知りたいだけなんだ。こんな奇特な機会、そう滅多に巡ってくるものじゃ無い。だから目一杯、この幸運を甘受しないといけないかなって、思ってね」
「機を見るに敏な男よ。そのうえ素直ときたか。よかろう、一つ見せてやる故、その大剣を貸してくれぬか?」

 差し出される彼女の腕の逞しさーーー裾の合間からアスリート並みに引き締まった腕が見受けられたーーーに面喰いながら、仁ノ助は己の大剣を渡す。中原のものにしては珍しい両刃のそれをまじまじと見た後、孫堅は軽く上段から振る。ぶおんと空気が切り裂かれて平穏な陣営に似つかわしい音をくり出した。
 孫堅は一度剣を見遣ると、ぎゅっと握り直して演武を披露していく。中原の世間には片刃の剣が主流であるため、ふつう舞いは軸足を中心として円を描くように行われるものだが、仁ノ助の剣はその重たさと異質な刃の広がりから、演武は直線的な動作に終始していた。それでも江東の虎によるためか迫力が凄まじく、突きは虚空に漂う人魂を刺すかのように鋭く、袈裟懸けはまるで虎が爪を振るわんが如きものだ。左・右・左と上段斬りを浴びせ、軸足を中心として身体を回転させてさらに上段斬りを放つ。切っ先は地面に当たる寸前で止まったが、勢いによって地面から土が払われていた。
 演武はさらに二分ほど続き、仁ノ助は刃の閃きに目を奪われたままであった。自分が扱うのとではまた別の輝きがそこに見えたのだ。魔性の光、ともいうべきか。背筋がびびと震えて両肩が自然と近づき合うようなーーーしかもはっきりと浮かぶ月と星光を背景として(あたか)も虞美人草よりも尚綺麗だと思える美しさが存在したーーー魅惑的な華麗さであったが、薔薇のように危険を秘めているようにも感じた。
 「なかなかの業物だな。どなたが鍛えたのだ?」と、演武を終わらせて汗一つ掻いていない孫堅は問う。その真剣な目を見るに、彼女は大剣が孕むものについて何かを感じていた。

「詩花と旅を始めた町で、そこの鍛冶屋の人が俺にくれたんだ。その人自身が鍛えたかどうかは、分からないけどさ」
「大事にしろよ。これには人の執念が篭っている。その鍛冶屋はよほどこれに思い入れを抱いていたようだ。振る度に伝わってくるぞ」
「・・・何がだ」
「人の役に立ちたい、というものなら微笑ましかっただろうが、もっと恐ろしいものだ。『何時の日か、目にものを言わせてやる』。『雑草と踏み躙られる思いをとくと知るべし』。嗚呼、まるで下剋上の魂だ。中原の貧しき民の思いがこいつに篭っている。これは名づけるならば・・・いや、名づけるのもおこがましい。これはただ、人の恨みを込めただけの剣なのだからな」
「たかが十か二十、剣を振っただけなのに、そこまでの事が分かるのか?」
「まぁ、な。私の剣、南海覇王も、なかなかの業物だからな。伝わってくるものが似ているためかもしれん・・・おっと、今のは朱儁殿には内密に頼むぞ。娘や部下を残して反逆罪で処刑されたくはないからな」
「分かっているって。俺はそこまで口の軽い男じゃないよ」

 孫堅より剣を受け取った。重さ自体は変化が無い筈なのに、どういう訳か威圧感のようなものが感じられた。それは覇者の威光を彷彿とさせるような、凡百を惹きつけるような印象を覚えるものであったが、不思議と仁ノ助は魔性の光に魅入られる事は無かった。

「お前なら大丈夫かもしれんが、決してこいつに全てを委ねるような真似をするなよ。自分自身を破滅させるぞ」
「・・・忠言に感謝する。だが一つ聞きたい。どうして俺なら大丈夫と言えるんだ?」
「んー・・・これは私の口から言うには恥ずかしいな。自分で悟ってくれると有難い」

 そう言葉を濁した孫堅は、空漠とした大地を見遣るように外へと顔を向けている。仁ノ助は彼女の和らいだ横顔を見て、それが嘗て彼が日本の故郷で、母親が父親を見る時の視線にそっくりなものであると悟った。息子を見る時のものとは違った、確たる男女関係を秘めたような柔らかな表情であった。

「・・・孫堅殿は、俺を通じて誰かを見ていたな。山勘で言ってしまうのもアレだが・・・それはあなたが好きだった人だ。違うか?」
「・・・勘が良いな、その通りだ」
「何となく分かるんだよな。昔は分からなかったけど、この年まで成長すると分かる事もあるって、最近ようやく気付いたんだ。何時までも鈍感気取ってられないって事かな。例えば、誰かの『好き好きこっち見て』、みたいな視線とかなら、大体分かっちゃうんだよ」
「それではまるで、私の眼つきが若い恋人のそれであったから気付く事ができた、と言っているようなものではないか」
「事実、そうだったよ。孫堅殿のはそうだったし、それが出来る分、あなたはとても幸せな人生を送って来たんだなぁって思うよ。俺は今まで、割とそういう体験には恵まれなかったんだよな。特定の女性と仲良くなるなんて。ほら、こんな御時勢だし」
「御時勢?お前の場合は違うように思える。その手の体験から逃げていたのではないか?失うのが余りに恐ろしすぎるから」
「・・・勘が良いな」「ああ、やり返してやった」

 くすりと笑みをかわしあう両者。仁ノ助は気付いただろうか。自分が思っている以上に鈍感であった事に。孫堅が自分を見詰める視線が、彼女が夫を見るであろう深い安らぎと、まるで昔日の思い出を想うような寂しさを同居させていた事に。

「今日は話せて良かったよ。色々な事に気付かされた。・・・冷え込んできたし、そろそろ戻るとするよ」
「私はもう少し月を見ていよう・・・今日は中々に壮麗な輝きだからな」
「分かった。では、孫堅殿。お休み」「ああ、お休み」

 仁ノ助は大剣をひょいと背負うと、切っ先を月に向かってぶらぶらと揺らしながら天幕へと戻っていく。川に釣りに向かうような気楽なものを背負った背中に、孫堅は悟られぬように微笑みを零す。

「・・・後ろ姿も似ているな。あいつに。まったく、世の中は本当に分からないな」

 足取り軽く消えんとした仁ノ助であったが、小石に躓いたのかたたらを踏んでしまい、足が絡まって前方に転がってしまう。孫堅は堪らず噴き出してしまい、彼の名誉のために顔をひょいと背けた。震える肩を見られはするだろうが、それもこれも面白いほどに夫に似た、どこか気の抜けた所がある彼の性質のせいであった。
 月光は美しく空と、大地を照らす。虫の囀りが寝息を誘い、そのうちに人気は静まり返り、篝火がばちばちと弾ける音だけが響いていく。 



ーーー翌日、南宗の大広場にてーーー



「みんなぁぁ!ちゃーんと楽しんでいるぅっ!?」
『ほわアアアアアアああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!』

 相も変わらずの気勢、いや奇声を上げて狂喜乱舞する彼らを見て苦笑いが出てしまう。敬愛する女性達がいわゆる可憐さの象徴のように彼らの心には映っているのだろうが、だからといってこんな形でそれを現さなくてもいいだろうに。広宋は今日もいつも通りの日々を送っているようだ。
 『しかし』、と黒ずくめの服装をした男は思案する。日に日に切迫する戦況が彼の耳に及んでいるほど、黄巾賊を囲む情勢は悪い一途を辿るばかりであった。

 宛城に篭城した趙弘はよく持ちこたえて士気を維持しているが、それを崩すように官軍が攻勢を掛けている。豫州・潁川の自軍が壊滅するのは目に見えていた。どの道、彼らは玉砕か降伏のどちらかを迫られるだろう。
 また自分達が居る広宋にも官軍が集結しつつあるが、噂によるとその指揮官の一人である盧植は、洛陽から派遣された小黄門・左豐(さほう)に賄賂を贈らなかったために讒言を受けて左遷され、新たに中郎将である董卓があとを継いだらしく、しかし一度戦って敗北を喫した後は軍の陣地を遠くに置いてこちらを監視するに留まっている。一体やつは何のために遥々洛陽から出向いてきたのか。
 今は新たに合流してきた公孫讃軍と袁紹軍が中心と成り、こちらを攻めている。それでも数の有利が覆る事はありえないが、しかし武将と兵の質で敵軍側が圧倒的に有利なのは明白であった。豫州・潁川平定後、官軍の援軍が向かってきたら、そのときで終わりだと男は確信していた。

 今、喜びをもって舞台を踊り歌う三人の少女らを盛り上げている彼らも、少なくともその半数は大地へと還る事だろう。それを知らぬが仏と騒ぐ彼らは見るに耐えず、男は市内へと足を運んでいった。
 賊軍が跋扈するこの場所は彼らの本拠地であるがためにある程度の治安維持、またの名を武力統制が行き届いているのか、身内限定で安全な場所となっている。元々農民上がりのものが多いためか農具や食料品を扱った店が立ち並んでおり、いずれはそれも尽きる物と知りつつも売りさばく彼らを見て、何も出来ない自分に男は罪悪感が抱いた。彼らより立場が上であるにも拘らず、なぜ軍事的行動を縮小していくようにしか働きかけられないのか。
 遠くから聞こえてくる歌声と歓声が、やけにやかましく聞こえてしまう。あんな風に馬鹿になれたら、どんなに幸せな事だろう。

「そこの若いの、止まってくれんか」

 ぞわりと、耳元に入ってくる皺がれた声。男は顔を向けた。
 ぼろぼろの白い服を来た爺が路地に腰掛けている。手に持った琴は年代物であろうか、艶やかな光沢を放っていた。見事に蓄えた口ひげを撫でながら爺は再度言う。

「ぬし、中々に懊悩しているようだな。若いのに随分と皺が多いようだ。・・・なるほど、あれを見て悩んでいたのか?」

 男が来た方角へと目をやって、にたりと爺はにやける。老人が見遣った先には喚き散らして奇声をあげる群集ではなく、可憐な三人姉妹がいる事を悟って男は警戒する。
 
 ーーー見事な洞察力だ。一体何者なんだ。何にせよ、この者を見過ごすことが出来ない。見過ごしては彼女等が危うくなる。

 男は腰に刺した刀の柄へ、気づかれぬように手を滑らせた。

「若いの。おぬしにはまだまだ言ってやりたい事があるのだが、ここではどうも人が多いのォ・・・」

 老人はそのやつれた見た目とは対照的に、すっと立ち上がって路地の奥へと歩んでいく。人目の付かぬ場所であるそこは、立ち並んだ家屋によって完全に日光が遮られていた。

(付いて来い、ということか)

 男は柄に手をやったまま老人の後を追うように歩んでいく。入っていくと肉の腐臭が漂ってくるのがはっきりしてきた。食糧事情をめぐった問題が顕在化してきており、これを扱った一種の賭博も行われているとも聞いている。その成れの果てが、彼の足元に無様に転がる骸骨なのであろうか。

「こっちじゃ、若いの。右側の小屋じゃ」

 彼の思考に老人の声が飛び込む。小さく開けられた木の扉から老人が顔を出してこちらを呼んでいた。目立たぬ所に設置された扉は周囲の風景に溶け込んでおり、入口が分かり難い仕組みとなっていた。このような所にて話がしたいとは、この老人もお尋ね者と言う所なのだろうか。
 取っ手が無いそれを押すと、ぎぎぎと軋む音を立てながら開いていく。日の光を受けた部屋は埃が宙を舞っているのが分かり、さながら一種の隠れ家のように感じられる。男は刀を腰から抜くと、左手で柄を掴んで壁に背を預けた。目の前で悠然と座り込む老人は琴を地において手の中にあるサイコロを弄っている。

「はてさて、どう語ってよいものやら」
「戯言で戯れるほど暇は無い。さっさと用件を言わぬと斬るぞ。」

 男の半ば本気の脅しを受けた老人は、珂珂と声を出して笑う。

「うむうむ、若人はジジイと違って血が滾っているかのォ。ならその滾りを後ろの阿呆へと向けてくれんか?」

 彼の問いかけに半瞬理解が遅れるが、後ろから唐突に襲ってくる殺意を感じ、身を反転させて神速の如く居合い抜きを見舞った。切り抜けられた刀は彼が背を預けた壁を深く切り裂く。その壁の向こう側から、肉が裂けて血が噴き出す音がし、次いで地面にどさりと倒れる音がした。
 肉を両断した刃には、不思議なことに返り血がこびり付いていない。それを許さぬほどの技量の持ち主なのだろう、男は険しい表情をしたまままだ気配を探っていた。

(・・・これしきの草に気付かぬとは不覚であった。だがこの老人はそれに気付いて、尚且つ赤の他人である俺に教えてくれた。争い事を齎しにきたわけではないようだな)

 気配が無い事を悟ると、男は軽く刃を払って鞘に収め、老人の話に傾注する準備を整えた。これからが本番という風に老人は口を吊り上げて、単刀直入に尋ねた。

「あの者達・・・数え役満シスターズとかいったか、それを慕う『ふぁん』の中にはとある事情を知る者達が少なくなる一方だという。それは、シスターズの長女である張角はただの『あいどる』であり、黄巾党の反乱とは無関係というものだ。なぜかわかるか?」

 いきなり事の核心をつく問いに驚きを抱く。だがそれを表に出す事無く、男は淡々と応えた。

「そもそもの軍の設立と関係している『太平要術の書』を手に入れたのは張三姉妹ではなく、実際には長女と同名である、張角という老人だという事。その老人を殺して書を奪ったのが、張三姉妹を我らの棟梁と仕立て上げたのが、彼女らと共に挙兵した、大洪・楊鳳・白爵の三人である事。
 この二つの事実を鑑みるにだ、その老人共は古参の者達であるシスターズの『ふぁん』という存在を目障りと思い、彼らを始末していっているのだろう。なぜなら彼らは新たに軍に加入する者達にこう告げているからだ。『太平要術の書を手にしたのは張三姉妹であり、彼女等こそが黄巾党の首魁である』と。実際に支配している自分達の存在がバレてはやり辛くなるのだろう」
「うむ、正解だ。さすがは最古参の『ふぁん』なだけある」
「・・・よく知っているな、爺」

 三国志演義においては、張角は薪拾いの最中に南華仙人という人物より書を授かっている。その中には風雨を操り病を治す方法が記されており、彼はこれを使って太平道の始祖となる。やがて彼は腐りきった漢王朝に業を煮やして反旗を翻す。その彼の挙兵に合わせて兵を起こしたのが大洪・楊鳳・白爵という高齢の老人達であった。
 彼らは張角が持つ書には不老不死を実現する文書が記されていると考え、張角と同名の少女が、現代で言うところのアイドル活動を行っているのを聞き及び、老人である張角を謀殺して書を奪うと少女らを巧みに自分達の側に取り込んだのだ。そして書を使って賊軍の意識から老人の存在を消して、変わりに彼女らを『太平要術の書』でもって世を正す張三姉妹として、賊軍を率いる清涼なる者であると認識させた。瑞々しい彼女らはその活動と容姿も相まって賊軍のイコンとなるに至り、一層の団結力を得るまでになった。
 しかし書による洗脳を免れた者達、つまり姉妹の活動初期から彼女らを支える者達も存在しており、彼らは老人らの残虐非道さと狡猾さにうんざりしていた。彼らは賊軍内における反抗勢力となり、一部の過激派は綿密なクーデター計画を策謀する事態へと発展した。それらは早い段階で露見してしまったが、快く思わぬ三人の謀人はこれらを消さんと自らの暗部を派遣しており、賊軍内部では暗殺が蔓延しているのが常であった。つい先日も、男の友人が暗殺の餌食となったばかりであった。彼は男とは違い、武芸に秀でていないのが死因となったようなものであった。

「かかかかっ!当然だ。私は大陸一の占い師だ。私が覗けぬ者は何一つない。女子の恋心を除けばな」

 喉の奥を震わせて老人は笑う。髭面に寄せられる皺一つ一つに隠しきれない邪気が漂っていた。

「では、さらに問おうぞ、若人。ぬしは修羅羅刹となってでもあの者達を助けたいかァ?あの純真無垢な夢見る『あいどる』達を」

 その問いに、男の冷淡な顔立ちを際立たせるように目を細めた。幾秒か間を置いた後、男は答える。

「既に羅刹となった身だ。修羅が付こうが関係ない。俺は彼女等を守り通す。それが俺の、『ふぁん』としての務めでもある」
「・・・そうくると思ったわ」

 老人は愉快そうに膝を叩く。瞳の好奇心を一気に邪気に変えて光らせる老人は、幾分低められた声で言う。

「私はこの世の移り変わりを見てみたいと思っておる。そのためにはあのような邪道の老人共など、さっさと消えてほしいと思っておる。ゆえに私はそなたの力となろうぞ。私を味方とすれば、世の動向は思うが儘に分かるだろう。どうだ、そなたの理想のために、私を使ってみないか?」
「・・・いいだろう。今は一人でも多くの仲間が欲しい所だ。暗殺者の居場所を知らせてくれた恩義もある。老人よ、あなたと手を結ぼうぞ」
「そうこなくてはな。私は大陸一の占い師、管輅じゃ。ぬしの名は?」
「・・・丁儀だ。字は正礼」
「よかろう丁儀、我らはこれより一蓮托生の身ぞ」

 立ち上がった管輅は丁儀に近付いて肩をぽんと叩く。それを意に介せず、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。

「・・・俺の昔馴染みで、信頼できる者が官軍に居る。何らかの形で計画に巻き込めば、無理にでも協力を得られることができるかもしれない」

 丁儀は、笑みを深めた老人に遠慮がちに小さな声で言う。敵方の名を出された管輅はさも愉快だといわんばかりに目を吊り上げた。

「・・・名は?」
「・・・辰野仁ノ助。無二の親友だ」


 
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