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真・恋姫†無双~現代若人の歩み、佇み~

作者:Duegion
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第三章:蒼天は黄巾を平らげること その1



火の手が僅かに燻る大地には、濃厚な鉄の臭いが混じっている。血液に含まれる鉄分と金属が熱して溶けた臭いだ。その上を興奮冷めやらぬ格好で闊歩し堂々と城に入る者達。戦場の後始末が無事終了し、後は城内の整備だけとなっているため、その顔には幾分かの安堵が漂っていた。
 
「・・・これで長社は安全を取り戻したな。本当に良い時に来てくれた。感謝するぞ。騎都尉、曹操殿」

 城内の、領主らが常は政談をする広い部屋にて、無精ひげが生えた顔を朗らかにさせて皇甫嵩が目前で礼をする曹操を讃える。自らの策が大きく成り、加えて曹操による追撃でさらなる犠牲を賊軍は強いられた。報告によれば葬った死体の数はゆうに数万を超えているという。しかもそれらの大部分は賊のものであったという。
 こうと決まれば最早乱の趨勢は決したも同然であった。後は勢いのままに駆逐するのみである。

「いえ、我が軍は皇甫嵩将軍と朱儁将軍の計に乗じたまでです。この戦の大功はお二人にこそございます」

 漢王朝最期の名将とまでされた皇甫嵩に対しては、いかに傲岸な曹操といえども素直に敬意を表していた。結果論となってしまうが、此度の戦場における本当の功労者は、長社を守り抜いた二人であると確信していたからだ。

「謙遜するな。賊軍の将軍たる波才を討ったのは卿の将であろう、我々の兵共が皆彼を讃えているぞ。敵将を討ち果たした勇猛な将であるとな」
「恐縮です」

 朱儁の言葉は確かにその通りである。仁ノ助は見事に波才を討って戦の第一勲を獲得しており、長社の兵卒達から侮られる事も無くなっていた。客将の身でありながらこれほどの活躍をした者は中原広しといえどもそうはいないだろう。曹操は思わぬ拾い物をしたことに中々の喜びを感じていた。この時点で、彼女は仁ノ助を手放す選択肢を抹消していたといっていい。仁ノ助の過労生活が決定した瞬間であった。
 一方で朱儁も、長社において中々の拾いものをしており、活躍は注目されなかったが先の乱戦で充分にそれを活用したのである。その者とは、呉郡・富春の生まれである孫堅文台という者で、後の『呉』の基礎を作り上げた英傑である。朱儁はこの優秀な手駒を遊ばせる気は毛頭なく、今後も活用していく方針でいた。

「して曹操よ、貴様はこれから何処へ向かう?俺たちはこれから汝南へ向かうが」

 正史においては、汝南から頴川(えいせん)にかけての黄巾賊は皇甫嵩と朱儁旗下の軍隊により壊滅する。両将軍・両軍隊共に量も質も充実しており、賊軍相手に遅れをとることはないであろう。
 二人の勇将に向かって曹操は己の意思を伝えた。

「我が軍はこれより黄巾賊追討にうつり、豫州平定を目指し、西華へと進軍する予定であります」

 史実では曹操の活躍はこれ以降なく、後に功績によって済南の相となり平穏な統治を実現することとなるが、この世界ではさらなる追討を行うつもりであるらしい。
 これには大きな理由がある。現在の時点で、豫州刺史である王允(おういん)が幕僚らを率いて賊軍を打ち負かしており、それに追われた形となって西華には敵軍が集結している。そしてその敵将、彭脱(きだつ)を討ってしまえば、その時点で豫州には表立った賊軍が全滅する事となり、州の平定が成ってしまうのだ。賊軍の残党は決して少なくは無い数であったが、戦術と天を見誤らなければ現存兵力でも制圧可能な状態であると判断できた。よって曹操は、賊軍討伐と自軍勢力の拡大を狙える同時に狙える、一石二鳥の機会を得て、追討を決断していた。
 西華は長社の南南西にあり、皇甫嵩らの進行ルートと被っている。まだまだ三者の仲は続いていくらしい。

「ふむ、ならば道中までは一緒だな。しばらくよろしく頼むぞ」
「はっ、私にお任せあれ」

 自信満々といった風に若き覇王が朱儁の言葉に頭を垂れた。口元には彼らには見えないように野心の笑みを浮かべており、まさしく乱世の梟雄と評されるにふさわしいものであった。



ーーー長社の城壁の一角にてーーー



「・・・聞いた?」
「何が」
「これから官軍・・・御仲間の奴等なんだけど、南に行くんだってさ」
「へぇー・・・じゃぁ俺等も行くのかなー」
「そうじゃないの?賊軍がまだまだいっぱいいるみたいだから」
「それは大変だなぁ・・・」

 気の抜けた炭酸ジュースのような感じである。弛み切った様子で城壁に寝転がるのは、先の戦いで勲功第一と皇甫嵩より評された仁ノ助であった。死中を掻き分けて敵軍の大将を討った功績は大きく、皇甫嵩自らが彼に褒美として一振りの剣を与えていた。ただ、自らの得物がある仁ノ助にとっては無用な長物でしかなく、今は城の自室に放置されたままであった。アレが陽の光を浴びためにはクレイモアがぽっきりと使い物にならなくなる必要があったが、その傾向も予兆も感じられないのが現実であった。
 彼の隣に座る曹仁は、同じく弛んだ様子であったが、幾分かは仁ノ助よりも引き締まっているようにも見えた。自分より駄目な人間が傍に居れば、何故か自分の方が確りとしていなければならないという義務感が呼び起こされてしまう。彼はそんな不可思議な人間性の犠牲者であったのだ。

「少しはやる気を出そうよ、『勲功第一』さん。お前を遊ばせる余裕は無いんだよ。働いてくれないと俺達も苦労するんだって」
「でもさぁ、曹仁。俺って本当に役に立つのか?文官なみにテキパキと仕事熟せないし、武将というにはあまり武芸には恵まれていないし。今俺がやっている事なんて、兵の練度が仕上がっているか調べて、ついでに街の警邏をするだけだぞ?皆みたいに大した活躍なんてしてないぜ?」
「その『平凡さ』は、ウチらには貴重なんだよね。なんでもかんでも人並みにやれるっていう能力が。・・・仁さん。夏候惇将軍みたいに武を振るってみたい?俺は嫌だ」
「俺も絶対イヤだ。いらない注意を惹きつけていらない恨みを買いそうだよな、あれ。そんなんだったら地味に堅実に生きていたいね。誰かさんを見倣って」
「一体誰の事を言っているんだか。まぁ、気持ちは分からないでもないよ?俺がお前の立場だったら、きっとそうしているかもな。客将なんて危うい立場、軽く小突かれるだけでぶっ飛びそうだから。お前の相方もきっとお前と同じように思ってるでしょ」
「どうかなぁ。あれは結構派手好きな感じがするんだけど・・・」

 どうにも仁ノ助の胸中では、錘琳という人物は何かをやらかさずにはいられない人間という印象が強かった。女性的な魅力ーーーたとえば健康的で意外にも起伏に富んだ体躯とかーーーも勿論あるのだが、普段の生活ぶりを見るにそれを感じるのは稀であったのだ。
 ついでに自分のかしがましい女性の仲間達を思い出すと、仁ノ助はある共通項に気付いてしまった。

「どうしてウチの軍にはキワモノばかりいるんだろうな。普通の人なんて全くいないぞ。一番マシなのが夏候淵将軍って、おかしいだろ」
「姉さんの色眼鏡に適った結果でしょ?」
「お前、色眼鏡とか・・・危ない発言だな。荀イクに聞かれたら折檻どころじゃすまないぞ。クビチョンパだ、物理的に」
「そうだよな。荀イクだけじゃなく、惇姉あたりもやってきそうだよな。こう、後ろからいきなり現れて有無を言わさずに七星飢狼をーーー」

 続きを言わんとした時、いきなり後ろから強烈な気配が接近するのを感じて二人は飛び起きた。直後、二人の身体が置かれていた場所を一振りの大剣が切裂いた。見事に粉砕された城壁を見て衛兵がいやそうに顔を歪める。
 事もなげに大剣を担ぎながらそれを行った人物、夏候惇は厳しい視線を注いできて、「こうやって欲しかったのか、うつけ者共」と吐き捨てるように言ってのけた。

『いいえ、滅相もありません。今日もお美しいですね、夏候惇将軍』
「ったく、柄にもない事を言いおって。その腑抜けた態度を正すのに私の剣を使わねばならぬとは、何とも情けない話だ。本当なら貴様らのとろけた頭から剣で裁断してやりたい所だが」
「怖い事言ってるけど、ちょっと照れてるよね」「うん。惇姉はああいう顔が可愛いんだよ」
「兎も角!華琳様が御呼びだ。馬鹿者め。さっさと来い」

 ずけずけとした荒い足取りで夏候惇は去っていく。まるで嵐のような存在である。足下に転がっていた城壁の破片を蹴飛ばしながら、仁ノ助は何でもないように呟いた。

「はぁ・・・酒飲みたい」
「ん?仁さんって酒好きなの?」
「飲めない事も無いが、割と酔っ払う方。でもたまに無性に飲みたくなる。そんな感じだな」
「分かるわ、それ。俺も時折なんの衝動か分からないけど、酒樽ごと一気に煽りたくなるんだ。馬鹿になりたくなるんだよな!」
「そうそう、浮世のくだらないことを忘れてさ。酒を一気にぐびっと仰いで、下着を頭に被ってヘーコラサッサって踊りたくなるんだわ」
「ならねぇよ、あほかお前」「は?なんで素のテンションでそう返すの?」

 両者はそれまでの仲の良さとは反対に急に険悪となり、今にも胸ぐらを掴み合うような恐ろしい顔付となる。互いに対抗するように睨みを飛ばしていたが、二人の顔の間をひゅんと駆け抜けた一矢の矢に驚き、それが飛んできた方向を見遣った。夏候惇を傍に置きながら、冷静沈着なる妹の夏候淵が此方を呆れた様子で見返していた。
 ついで聞こえてくる『さっさと来い、馬鹿共!!』という姉の叫びに、二人は示し合わせたかのように肩を竦め合う。

「・・・姉妹揃って怖いよね」「ほんとほんと」

 名前に『仁』を持つ二人は、手段こそ凶悪であるが心根はとても優しい姉妹に応えるべく、急ぎ足で階段を降りていく。城壁に残された衛兵は人影が消えたのを見計らって、疲れるやら呆れるやらでごっちゃとなった気持ちを溜息にして現した。彼にとっては曹操軍の将軍達は皆共通の評価が下るべきであった。『天下一のお騒がせ集団である』と。



ーーー城内の一室にてーーー



 昼餉から一時間は早い時間帯に、曹操軍の諸将はつつがなくーーー仁ノ助と曹仁は若干遅刻してしまったがーーーその場所に集合した。数人の客人を迎える程度の大きさしかない一室であるが、長居を予定していない彼らの主にとってはそれ以上を望む理由も無ければ、それを欲する欲望も無かった。そこで自らの責任を果たして自らの命令を下せれば充分であったのだ。
 将の何たるかを誰よりも心得ている敬愛すべき主、乱世の奸雄たるべき道を邁進しつつある曹孟徳は、いかにも威厳たっぷりな様子で皆を見詰めていた。話していくにつれて彼女のきつい視線が端に立っている仁ノ助と曹仁に固定された。

「揃ったわね。これより、今後の活動方針についての会議を行います。決して聞き漏らさないように。特にそこの馬鹿二人は!」
「・・・え?俺も入ってんの?」「仁さん、一人だけ抜けようたってそうはいかんぜ。馬鹿二人、『仁』同士、いつまでも仲良くしような」
「あんた達、華琳様の御言葉をちゃんと聞いてるの!?その精子で腐った身体に思いっきり剣を突きさすわよ、夏候惇将軍が!!」『はっ!申し訳ありません!』
「・・・なんで私が悪者にされているんだ」「姉者、何を言っても無駄だと思うから、その落ち込んだ表情を直してほしい。可愛いけれど」
「本当、うちの軍議って混沌としているよねー、アハハハッ!」

 高らかな詩花の声が空々しく響く。曹操は突発した光景に頭痛を覚えそうになる。自覚の足りぬ者達を指摘だけでどうしてこうなったのだろうか。何か状況を混沌とさせる要素があったのだろうか。きっと新しい仲間を迎えるために皆が馬鹿を演じているだけなのだろうと、優しき曹操はそう解釈して場が鎮まるのを待った。
 やがて主の冷めた視線に気づいて荀イクが慌てたように背筋を正し、それにつられて夏候姉妹、曹仁の順に己を引き締めた。最後まで浮かれていた詩花は、仁ノ助に頭を掴まれて『ぎぎぎ』とアイアンクローをやられて漸く落ち着いた。静寂の中、曹操の特徴である綺麗なツインドリルの髪型は、なぜか疲れたように垂れていた。

「・・・皆が気を取り戻すまでに一分掛かったわ」
(校長先生!)
「・・・まぁそれはいいとして、軍議に入ります。先ずは今後の予定について言っておくわ。これは決定事項だから、心して聞きなさい。
 わが軍はこれより豫州平定を第一目標として、皇甫嵩・朱儁両軍と連合して南方にある街、西華に向かいます。かの地には黄巾党の残党がいるけれど、数を集めただけの烏合の衆というのには変わりがない。これを撃破して、豫州を平定すれば我々は天下を得るための大きな前進をする事となる。軍事行動の詳細については後ほど桂花が伝えるわ。
 仮にこの時点で叛乱が鎮圧されていない場合、第二目標の遂行に取り掛かります。それは黄巾党の本拠地である広宗を制圧する事よ。つい昨日飛んできた早馬によれば、既に現地付近では袁紹、そして公孫讃の連合軍が賊軍と交戦しているらしいわ。本拠地に篭るだけあって賊軍の数もかなりのもので、攻防は一進一退の様相を呈しているそうよ。消耗戦にもつれ込む前にケリを付ける必要がある。我々は最善の時を見計らって横合いから思い切り殴り付けて、戦場の均衡は一気に官軍へと傾けさせる。その一手で、天下の趨勢は我々のものとなるに違いない。
 以上よ、質問は?」

 真っ先に手を挙げたのは夏候惇だ。話の途中からうずうずとした様子であり、戦意を抑えきれないとばかりに言葉は熱を帯びていた。

「西華への進軍はどのようにされるのですか?」
「わが軍は先の活躍の功から、官軍の最前線を担当する事になったわ。春蘭、秋蘭。あなた達が先陣を切るのよ。その武を存分に振るいなさい」
「はっ!我が大剣によって、輝かしき武勲を捧げて見せましょうぞ!」
「私も姉者に後れを取る事無く、肩を並べて進撃いたします。どうぞ、その智謀と戦術で、我等を御導き下さい」

 曹操軍の二本の柱たる夏候姉妹はかくの如く忠義を露わとし、曹操は鷹揚に頷いた。次に発言したのは曹仁であった。

「なぁ、姉さん」「姉さんはやめなさい、曹仁。あなたは一軍の将なのよ」
「・・・曹操様、敵軍の数はどのくらいですか?」
「西華にいるだけで、恐らく十万程度でしょう。長社から逃げてきた者達を含めたら更に増えるでしょうけど、それでも誤差の範囲内ね」
「そんで、味方が散々に負かされたって事が分かっちまう訳ですか」
「その通りよ。士気が最初から低い敵を打ち砕く。簡単な話。たとえ此方の連合軍が総勢五万前後としても、練度の差が戦術の実行に如実に現れるわ。軽くもんでやればすぐに戦線は崩壊するでしょう」

 彼は納得したように何度か小さく頷いて一歩下がる。策謀を考えたであろう荀イクは最初から疑問など抱いていないようであった。曹操は一度錘琳を見たが、意味の分からぬ難問を突き付けられた学問所の書生のような顔をしているのを、あえて無視せざるを得なかった。

「他には無い?」
「・・・あります」

 最後の発言者は仁ノ助であった。彼は思っていた当然ともいうべき質問を繰り出す。

「なぜ、一度南を制圧してから北の広宗へと向かうのですか?初めから本拠地の方に向かえば賊軍は早い状態で壊滅すると思うのですが」
「それについては私が答えます」「っ、頼みます、荀イク殿」

 曹操の代弁者たる荀イクは、一瞬たじろいだように頬をひくつかせ、すぐに平静を取り戻す。

「・・・態々畏まらなくてもいいわ、気持ち悪いから。それで理由というのは簡単よ。信用ができないの」
「出来ないって何がだよ・・・まさか。皇甫嵩将軍と朱儁将軍の事か?冗談は止めてくれ。あの方々は漢王朝の中でも屈指の勇将だぞ?彼らの戦術を見ていたなら分かる筈。賊軍に後れを取るような人達では無い」
「信用できないのは其方ではないわ。あの方々の腕は私も十分に認めているわ。問題は、『広宗での戦闘が拮抗している』という話の方よ」
「・・・ますます分かりかねる。どういう事だ?」

 中原の鬼才たる軍師の言葉を呑み込めず仁ノ助は首を捻る。もっと周りに気を配っていれば、彼と同じように曹仁や夏候惇が訝しげに眉を顰めているのが分かったであろう。同時に、それまでの顔付とは一変した錘琳の様子も。彼女はいち早く事の本質に気付いたようであり、曹操を鋭く見遣った。

「もしや・・・華琳様は・・・」

 そう呟いた彼女を見て、曹操は満足げに小さく笑みを零す。所作一つをとっても覇王に相応しき堂々たるものであった。

「詩花。あなたの予想は正しいわ。私は広宗での戦闘は拮抗していないと思っている。いや、そもそも本格的な戦闘すらまだ行われていないと思っているわ」
「・・・どういう事です?」
「新参者であるあなた達は知らなくて当然だけれど、私は旗揚げと同時に各地に『草』を派遣しているの。情報がより早く正確に獲得できるようにね。そして先日、その一人が官軍の早馬より早く、私の下に文を届けてきてくれたわ。それにはこう書かれてあった。『広宗の守りは厚く、趨勢に影響及ぼすに至らず。また冀州の袁本初、幽州の公孫讃と接触せり』と」
「・・・今一分からないのですが」
「ったく、これだから精液達磨は・・・」

 荀イクは我慢できないとばかりに会話に入ってくる。出番を奪われたように少し傷つく可憐な主を他所に、彼女は捲し立てた。

「いいかしら?もし早馬の話が本当だとしたら、私達が北に行くまでには戦況なんてすぐにひっくり返るわよ。袁紹と、公孫讃の方にね。
 袁本初というのは、4代にわたって三公を輩出した名門の生まれ。華琳様に敵うなんて夢にも思ってないけど、その辺の雑多な軍師よりかは軍略に精通しているわ。そして公孫讃は勇猛果敢な騎馬隊、白馬義従を従えており、幽州の太守である彼女が軍略を知らない筈が無い。例え数の利で押されていようとも、二人が協力すれば黄巾賊の有利なんてすぐに覆るわ。
 早馬の言葉は覚えているかしら?『既に現地付近では袁紹、そして公孫讃の連合軍が賊軍と交戦している』。でも私達の草はそのような事を伝えていないわね。この意味が分かる?『官軍と碌に戦っていない賊軍本体と正面衝突する』という意味が」
「・・・なるほど、理解がいった」
「おい、何を言っているんだお前は。私にも分かるように説明しろ」
「早馬は嘘の報告を齎して、俺達をはめようとした」
「なんだとっ!?今すぐそいつをここに引き立てろ!!私が粛清してやるっ!!」「時に落ち着け姉者。そうすぐかっかするといつか胃が・・・」

 つまる所、荀イクの話はこうやって結論付ける事が出来る。『うちの情報の方が正しいんだ。態と偽の情報を掴ませるなんてどういう了見なんだ』。
 仮に早馬に従って広宗に向かえばーーー曹操軍単独だろうがそうでなかろうが関係ないがーーー、まだ小競り合い程度しかやっていない、戦力を温存している賊軍とぶつかる事になるのだ。その数は荀イクの表情の厳しさを見るに、西華の何倍もの数であろうと予測できる。凡そ、数十万の敵である。そんなのに立ち向かってまともな勝利を得られ、ましてや生存できる可能性があるだろうか?・・・もしかしなくても夏候惇ならば『是』と答えるだろう。だが仁ノ助にはそうとは考えられない。この世は物量による戦争こそが至上であるのだから。
 疑惑は疑惑を呼び、仁ノ助は次の疑問にぶつかった。どうして早馬は、すぐに考えればわかってしまうような情報を流す必要があったのだろうか。「なぜこんな嘘を」。そんな彼の言葉に応えたのは、出番を回復せんとする曹操であった。

「・・・経験からくる憶測になるけれど、おそらく早馬には裏がいるわ。陰謀を張り巡らす蛇のような輩がね。そして『その者』は官軍の勝利を確信していて、その上で更なる安全を図るために、大陸の状況を盤石なものにしたいのでしょう。来るべき乱世に向けての準備を整えているのでしょうね」
「・・・華琳様。それって『群雄割拠の乱世』、っていうやつですか?いつか仁ノ助が言っていた・・・」
「へぇ。詩花、それに仁ノ助も、なかなか頭が回るじゃない。そう・・・おそらく、いや確実にそうね。『その者』はその乱世の到来を予見して、全てが自分達に都合のいい方向に運ばれるべく手を回した心算でしょうね。方々に諸将が軍旗を掲げ、剣戟を交えて憎悪を向けあう。その時代を生き残るために必要なのは、自分自身、そして家族すら利用しきる狡猾さ。そして誰よりも多くの人間を支配できる権力よ。そう、誰よりも多く・・・」
「読めてきました。詰まる所こうですか?『そいつら』は早い段階で俺達を黄巾党の本体とぶつけて、御互いを噛み付かせようとしたと。そんで戦況がうまいこと拮抗したら、美味しい所だけを持っていって、朝廷から高い位を頂いて、誰よりも前に立たんとしたと」
「私の想像と一緒よ、仁ノ助。まぁ、仮に手を回さなくても、あの忌々しい宦官共なら簡単に官位など授けるでしょうね。それにぶら下がる責任など知らないで・・・。それで、あなたは事の理由を推量した上で、何を想うのかしら?これを考え出した黒幕に対して」
「・・・凄く馬鹿らしいですね。迂遠過ぎます。今は皆が一致団結して事に当たるべき時代でしょう?結末が見えたからって身内で争い始めるのは気が早いだけではなく、誠実さに欠けます。もしそれがただの想像でしかなかったと分かっても、虚偽の報せを届けたのは事実。しかもどのような意図によるものかも分からない。不愉快ですね」

 吐き捨てるような忌憚のない物言いに曹操は噴き出し、俄に驚いたように荀イクが目を遣った。主がこのように隙を作るのはそうそう無い光景であったのだ。
 口元に悠然とした笑みを浮かべながら視線が集まるのを待った後、曹操は泰然自若とした様子で語っていく。世界の定めを受け入れるような冷徹さを秘めながらも、真に迫るような確信に満ちた口調は、仁ノ助の心から決して消えないであろう存在感のあるものであった。

「どのような理由で彼らが私達を貶めようとしたのかは分からない。しかし、今やる事には変わりは無いわ。目の前に立ち塞がる障壁を、一つずつ、着実に破壊していき、そしてその初め一歩として長社の街並みを整備していく。決して高望みはしてはいけない。
 皆、思い出しなさい。我等は黄巾党の反旗が上げるのと同時に『曹』の旗を掲げた、歴史の浅い一集団。戦場を移るにつれて練度は増していくけれど、その数は決して多い方では無い。私の兵だけで何人いるか知っているかしら?のべ、六千五百人よ。これは輜重や伝令部隊も込みでの数よ。対して皇甫嵩将軍の軍は、二万五千。朱儁将軍の軍は戦闘員だけで約二万。この兵数は私達に現実を突き付けているわ。『実力以上の奇跡は、決して起こりえない』と」

 長きに渡って彼女を支えてきたであろう、夏候姉妹は特に感慨に耽るように表情を引き締めた。曹操の静かな独白は続き、室内には彼女の言葉以外の雑音は全て排除されていた。

「中原の大地に賊の魔の手が蔓延り、無垢な民草をなぶり、希望の花を摘み取っているのをみすみすと見逃すは辛い事よ。この手が届くのならば私は全ての危険を刈り取ってやりたいわ。けれど私の手は自分が望む以上に伸びたりはしないし、頑強なものでもない。横から剣を下ろされれば、馬の足のように切り落とされる脆いものよ。だからこそ無理は出来ない。
 私にはやるべき事がある。この天下に、何時の日か覇道による新しい世界を築いて、民達が笑みを交しあう真の平和を取り戻さなければならない。そのためには、こんな所で大切な腕を失う訳にはいかないの。たとえ民草が傷ついて大地に還っていこうとも、苦渋の涙を呑み込んで、私は彼らを見捨てなければならない。耐え続けなければならない。どんなに犠牲が強いられようとも、最後まで私が生き残っていなければ、この大陸は決して救われないのだからッ!!
 ・・・これから起きる不幸は、全て私の不徳と、力無さが招く結果よ。もし責めるというのなら、私からは何も言う資格は無いわ。好きに言いなさい。『あなたの下に従うのはもう御免だ』と。私は止めないわ」

 自らからの支配下からの解放、放逐を赦して曹操は瞼を閉じた。一分の猶予をもって彼女は再び目を開けた。覚悟を決めたであろう臣下達は身じろぎもせずそこに立っていた。仁ノ助も、自らの覚悟が本物であるかどうかに不安を覚えつつも、その場に残ってしまった。目前の少女を見捨てるほど彼は冷酷な人間では無かったのだ。
 皆の忠義に感謝しつつもーーーその一方で、滅私奉公の精神を貫く皆に一縷の罪悪感を抱いていたーーー、それを面に出す事無く曹操は告げた。

「あなた方に命じます。『決して戦死してはならない。決して私の傍から離れてはならない。決して、民を裏切るような真似をしてはならない』。これに誓えるというのなら、あなたの決意を掲げなさい」

 それは一軍の長としての言葉というよりも、曹孟徳個人としての嘆願であるように聞こえた。強気な言葉の裏に、少女らしい寂しさを窺わせるものであり、仁ノ助は心をじんと打たれるものを感じた。
 命令に最初に反応したのは、やはりというべきか、夏候姉妹であった。彼女等はその場に恭しく跪いた。

「誓います。私は常に華琳様の下にあります。この命と七星飢狼が齎すすべての勝利を、ただ貴方のためだけに捧げます。だから、どうか御自身を責めるような事を仰らないで下さい。私達は華琳様の優しさと強さを心より信じているのですから」
「私も誓います。姉者と共に戦場を駆けて、誰よりも多くの敵を仕留めてみせましょう。弓にかけて、あなたを御守りいたします。どうか不安を覚えた時は、私共を頼って下さい。お力になります」
「・・・ありがとう。春蘭、秋蘭」

 曹操の言葉に、二人は更に深く頭を下げた。次に跪いたのは荀イクと、少し照れくさそうな曹仁であった。

「華琳様。どうぞ私の智謀をお使いください。あなたが命じるままに、私は全てを欺いて見せましょう。あなたを害する敵は全て廃滅する事を、天地神明に誓ってお約束します」
「曹操様・・・いや、姉さん。俺は旗揚げの時に誓った筈だ。『父に出来なかった事は全部俺がやる』と。だから二度重ねて誓う事は出来ないが、これだけは言える。俺はあなたは裏切らないよ、決して」
「・・・ありがとう、桂花、曹仁」「よせやい、照れるって・・・」

 そう言いながらも忠義を露わとする事に、曹仁は満更でもない様子であった。
 史実通り、三人の武将と一人の軍師は自らを捧げる事を誓った。ではこの世界のイレギュラーたるこの者はどうであろうか。仁ノ助は、何時の間にか隣に立っていた詩花の、『もう決まっているんでしょう』という諭すような笑みを見て、ゆっくりと跪いた。詩花も同じような恰好となりながら、己の所信を述べる。

「何て言ったらいいか分からないけど・・・でももし言うのなら・・・私、皆と一緒にいたい。皆のいつもの雰囲気が好きだし、料理だって美味しい。あっ、食べ過ぎはさすがに良くないけど、でもみなと一緒に愉しめるならどれだけでも食べれた。あんなに美味しい料理はなかったなぁ・・・。だから、一緒にいたい」
「・・・食べる事ばっかりじゃない。あなたらしいというかなんというか・・・でも、ありがとう、詩花。あなたのような人に好かれて、私も幸せ者ね」
「いえいえ、どういたしましてー」
「お前って結構不遜だよなぁ・・・主に向かってその態度はないだろう」
「あんたはどうなのよ、仁ノ助。あんたこそ偉い人間には尊大な性格じゃない。そんな奴がどんな言葉を言うのか、私、気になるなぁ?」
「俺?俺はなぁ・・・」

 逡巡しながら言葉を選んでいると、『早くしろ』といわんばかりに皆が様子を窺ってくるのが気配で分かる。また、曹操も毅然とした態度を崩していないが、どこか不安げに瞳を揺らしているのが分かってしまった。
 自分の至らなさに恥じ入りながら、仁ノ助はもしものために取っておいた最高の言葉を述べた。一気に雰囲気が一新された彼に、皆が驚いたように耳を(そばだ)てて聞き入った。

「華琳様。今、私のもつすべてを、些細なものかもしれませんが、それらを全てあなたに捧げます。その上で誓います。あなたが憎むべき敵を憎み、あなたが守るべきものを守り、あなたが愛すべきものを愛します。あなたと共にこの中原を生きていけるのなら、私はこの上ない喜びを胸に抱けるでしょう。たとえ敵があなたを欺こうと、朝廷があなたと見捨てようと、私はあなたの傍に居続けます。それがこの世界に生きると決めた、私の覚悟の現れなのですから。
 ・・・華琳様。貴方を永久に慕い、愛する事をお誓いします」
『なっ!?』『えっ?』『愛し・・・!?』

 皆が動揺する。仁ノ助も動揺する。一瞬訪れかけた沈黙が気まずく思えてしまい、次の瞬間には先の言葉が出てしまっていた。嘘を言ったつもりはない。つい口に出てしまっただけなのだ。・・・心の端ではそのように考えている証左なのだろう。
 誓いの客体である曹操の反応は激しかった。言葉を理解すると同時に、威厳や寂しさといったものがぶっ飛び、湯を沸かすやかんのような勢いで顔を真っ赤に染めていた。厳粛な雰囲気の中で言われただけに、その手の直球の愛の言葉がクリティカルヒットしてしまったようだ。いかに英雄とも油断する時はするのだなと思うが、それはそうとして、曹操のたじろぎ方は面白いものがあった。魚のようにぱくぱくと口を動かして、声にならぬ喘ぎを漏らしながらも、必死に解答せんとしている。その可憐さは至極眼福であった。『もうちょい免疫持とうぜ』という突っ込みを入れる気もなくすほど、曹操は可愛いと確信できた。

「えっ・・・あ、あの、その・・・私、こういうの言われた事が無いから、何て返したらいいか分からないけれど・・・宜しくお願い、し・・・きゅぅ」

 最後の言葉すら可愛い。仁ノ助がにやにやと頬を緩める中、曹操は恥ずかしさやら何やらで気をやられ、椅子にふんぞり返るように倒れてしまった。途端に喧騒が巻き起こる。

「か、華琳様!!どうかお気を確かに!だ、誰か、救護兵をっ!」
「貴様っ、仁ノ助ぇぇっ!!よくも、あ、あんなこっ恥ずかしい事を言いおったな!聞いててなんか脂汗がしたぞ!!というより、何で私より先に愛の誓いを言うんだ!!」
「あれ、やっぱりそうだった?自分でも途中から『俺変な事言ってるな』って気がしたんだよ。でも途中で止めるのもあれだから、最後まで言っちゃってさ・・・いやぁ、華琳様は本当に可愛いな!」
「ああっ、最高に可愛かった・・・鼻血が漏れそうだったぞ・・・よくやった、仁ノ助!!」
「何を言っているんだ、姉者!追求すべきはそこではないぞ。仁ノ助殿、『言っちゃってさ』ではない!!華琳様にあのような恥を掻かせて何様だと思っているのだ!!」
「でも可愛かったでしょ?」「ああ、もうどうにかなりそうだったな・・・いやそうではない!兎に角今日は我慢ならん!このまま練兵場に連行させてもらう!貴様の腐った性根をみっちり叩きなさねばならんからな・・・。姉者、手伝ってくれ」
「勿論だ!しっかりと教育してやらんとな・・・ふふ、感謝ついでに私の必殺奥義を見舞ってやろう」

 ドナドナとばかりに仁ノ助は両手を引っ張られて連行される。荀イクは救護を続けながらも、救護兵に主の不憫な姿を見せるのも忍びないと考えたのか、『うへへ』と何かを零しながら主を寝室に運んでいく。
 残された曹仁は、どいつもこいつも碌なもんがいないという揺るぎない確信を得ていた。一体お前等はどこまで姉に心酔するのだと、彼は心底突っ込みたい気分であった。

「いやぁ、最後に凄い爆弾発言落としていったね、あいつ。さすがは馬鹿なだけあるわ。おっかないねぇー」
「・・・いつか殺す。必ず殺す」
「うは、こいつもおっかねぇ・・・」

 隣に跪いたままの女性の背中が、まるで地獄からの怨嗟を思わせるような薄暗いものに気付いて、曹仁は危機意識のままに部屋から撤退する。誰も居なくなった室内で、錘琳は鉄のような無表情で、しかし瞳には爛々とした怒りと嫉妬の炎を燃やしており、窓から練兵場の方を見る。早々とそこへ連れ出された相方が、七星飢狼に振り回されては強弓に狙い撃ちされるのを見て、錘琳は漸く溜飲が下がるのを感じた。

 かくして曹操軍の諸将らは一致団結してーーー薄汚い欲望が絡んではいたがーーー、来るべき乱世に向けての決意を固めるに至ったのであった。


 
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