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至誠一貫

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第一部
第四章 ~魏郡太守篇~
  四十七 ~愛刀~

「お父様……」
「……まさか、こうなるとは、な」
 執務室に出向いた私は、昨夜の影響を厭という程見せつけられた。
 殆どの者は重度の二日酔いで部屋から出てこられず、愛里(徐庶)は後片付けで疲弊して寝込んでいる始末。
 嵐(沮授)と元皓(田豊)は……どうやら、ただならぬ事になっているようだ。
 ……二人は、ひとまずそっとしておくに限るな。
 馬に蹴られるような真似は、それこそ無粋というもの。
 ともあれ、元気なのは恋とねね、鈴々のみという有様だ。
 恋とねねは魏郡とはそもそも関わりがなく、鈴々は警邏に出した。
 ……つまり、此処には誰もおらぬという状態だ。
「あの……。私、お手伝いしますから」
 月はそう言うが、私は頭を振る。
「いや、如何に我が娘とは申せ、そのような真似はさせられぬ」
「ですが、それでは」
「今日は政務どころではあるまい。どのみち、愛里や元皓らが出仕出来ぬのであれば、どうにもならぬ」
 私も、決して怠けるつもりはない。
 ただ、事実、各々に役目を割り当てた事が、こんな形で裏目に出るとは予想外であった。
 詳細がわからぬのに、個々に口を挟む訳にもいかぬし、指示が違えばその部署全てが混乱する。
 指示を仰ぎにやって来ていた文官に、
「急ぎ、落款が必要な物は全て持って参れ。それ以外の物は明日以降で良い」
 そう伝えると、彼らは慌てて飛び出していき、該当する書簡を運んできた。
 それなりに山積みになる書簡。
「これで全部だな?」
「はっ」
 数にすれば、さほどではない。
「月、暫し待て。片付けてしまうとする」
「え? これを全て、ですか?」
 眼を丸くする月。
「そうだ。四半刻程あれば良い」
「は、はい。ではお待ちします」
 確かに、それなりの量ではある。
 だが、この程度で音を上げていては、愛里の溜め息が癖になるであろうな。
 そんな他愛もない事を考えながら、最初の書簡を手に取った。


 四半刻後。
 予告通り、書簡は全て片付いていた。
「お父様……凄いですね。私ならとても無理です」
「それは謙遜であろう? 詠も、月の政務は的確で速い、と褒めているようだが」
「詠ちゃんが優しいだけですよ」
「それが謙遜と申すのだ。……さて、後は明日で良いな?」
「は、はっ!」
 緊張気味の文官。
 その肩を軽く叩いてから、私は月の手を取る。
「さて、出かけるとするか」

「お父様、本当に宜しいのですか?」
 城下に出てから、何度となく月は同じ台詞を繰り返している。
「良いと申しているであろう?」
「ですが、お父様は……」
「かねてより、ギョウを見たいと申していたであろう? お前も長居は叶わぬ身、ならば今日しかあるまい」
「……はい」
「政務ならば、明日片付ければよいだけの事。少なくとも、その程度で全てが停滞するような組織ではない。気にするな」
「わかりました。お父様が、そこまで仰るなら」
 月はそう言って微笑んだ。
「……月。その顔で言っても、あまり説得力はないぞ?」
「え? へ、へう~」
 ……素直なのは良いが、あまりにも顔に出過ぎだな。
 この性格が、魑魅魍魎どもに利用されぬ事を願うばかりだ。
「それより、お父様。何方かに案内していただければ、私一人でも廻れますが……」
「私が、お前と共に歩きたいのだ。それに、城下の事は存じておる。心配は無用だ」
「……お忙しいのに、いいんでしょうか。私一人の為に」
「良い。骨肉相食む時代に、娘を大切にしたいと願う父が、一人ぐらいいても良かろう?」
「……はい、お父様」
 我ながら、親馬鹿なのやも、と思う事もあるが。
 ……気にしたら負けだな。

 目抜通りを、手を繋いで歩く。
「賑やかですね、此処は」
「うむ。……私が来た当初からは、想像もつかぬ」
「前の郡太守は、私欲ばかりな方だったとか。お父様や皆さんが苦労された結果でしょうね、行き交う人々の顔に、笑顔があります」
「一部の者だけがこの世の春を謳歌するのは、裏を返せばそれだけ哀しむ者、苦しむ者がいるという事だ。この光景、当たり前と思うぐらいでなければいかぬ」
「お父様の理想、素敵です。私も、いつかこんな世が来ると信じて、頑張ろうと思います」
 肩に力が入り過ぎ……そんな印象を受ける。
「月、気負い過ぎは良くない。特にお前は真っ直ぐに過ぎる」
「そうでしょうか?」
「そうだ。……月、知っておるか。清き水は確かに美しいが、魚は濁った水でなければ棲めぬのだ」
「何故ですか?」
「魚も、他の生物を食さねばならぬ。そして、それらの生物もまた、更に小さき生物を食す。その為には、水が濁る、つまり様々な生物が棲息出来る環境が必要、という訳だ」
「……お父様は、不思議な御方ですね。御自身では武人と仰られるのに、治世の妙も心得ておいでです」
 月は、眩しそうに私を見た。
「全て、先人の為した事を存じているまでだ。独自の考えではない」
 例えるなら田沼意次公と、松平定信公。
 いずれも老中として幕政改革に当たったが、その手法も思想もまるで異なっていた。
 このように、先人には学ぶべき事も多い。
「それは、私達も同じですよ。学問も米麦の育て方も、みんな昔の人が残した、為した事に学んでいる訳ですし。でも、学ぶだけなら、機会さえあれば誰にでも出来る事。そこからの取捨選択は、個々の才能と努力になると思います」
「その通りだ。だが、我が本分は武。それは今更変えようがあるまい」
「…………」
「ならば、月のような、戦を望まぬ者らが中心になる世を創るため、礎となるだけの事だ」
「お父様……。そのような悲しい事を仰らないで下さい。お父様は平和な世にも立派に生きられます。いいえ、生きて下さい」
 真剣な眼差しの月。
「心配致すな。むざむざとお前達を遺して逝くつもりはない」
「きっと、ですよ?約束しましたからね?」
「……わかった」
 ふっ、これでは、やすやすと斃れる訳にはいかぬな。

 商家が立ち並ぶ一角。
 その中に、行列が続く店があった。
「お父様、これは何の行列でしょうか?」
「ふむ。見た方が早かろう」
 月の手を引いて、店の入口へ。
「お客様、困ります。皆さんお並びでして」
 若い奉公人が私を呼び止めようとする。
 と、横から初老の男が慌ててそれを止めた。
「これ、この御方はよいのだ。それより旦那様をお呼びしなさい」
「は、はいっ!」
 若者は、慌ただしく店に駆け込んでいく。
「申し訳ありません、太守様」
「気にせずとも良い。主人は息災か?」
「はい、それはもう」
 番頭らしき男は、愛想笑いを浮かべる。
「おや、此方は?」
「我が娘だ」
「これはこれは。いつも、お父上には御世話になっております」
「は、はぁ……」
 月が反応に困っていると、主人がやって来た。
「ご無沙汰しておりましたな、土方様。……そして、董卓様」
「あなたは……」
「はい」
 店の主人、張世平は笑みを浮かべながら、頭を下げた。

 店の奥に通され、茶菓を出される。
「董卓様がお立ち寄りとは存じませんで。ご挨拶にも伺わずに申し訳ございません」
「いえ、私は……」
 月はチラ、と私を見る。
「お前も既に存じているであろうが、月は洛陽に向かう道中でな。此処には立ち寄ったまでだ」
「左様でございますか」
 張世平は頷く。
「石田散薬の方はどうか? 評判は上々と見たが」
「はっはっは、あの通りでございますよ、土方様。蘇双の日本酒と合わせ、効果は抜群と評判でして」
 我が生家の秘伝薬、それが世の為人の為になっているのであれば、何も言う事はない。
「つきましては土方様。御礼を差し上げたいと存じますが」
「礼だと? だが、お前からは以前に」
「はい、確かに資金や糧秣をご用立てしました。ですが、それは同時に、あなた様への投資でもあった訳です」
「投資か」
「そうです。我々商人は、物を売り買いするばかりでは、稼ぎは大きくなりません。そこで、投資をする訳です」
「……だが、お前が稼いだのは、私の武功によるものではあるまい?」
「直接的にはそうでしょうな。ですが、石田散薬は、効き目がいくら優れていても、土方様のお名前がなければ、此処まで売れる事はなかった事も事実ですな」
「…………」
「ですが、土方様は私の見込んだ通り、大陸中に噂されるまでのご活躍をなされました。無位無冠だったあなた様が、今ではこのようにご立派な郡太守。それ故、ご伝授戴いた石田散薬も、人々にあっという間に受け入れられた次第なのです」
 結局は、知名度が物を言う、という事か。
 池田屋での働きがあればこそ、新撰組も、世間にその名を知られるようになった。
 ……無闇に目立つ必要はなかろうが、私の働きがこのような形で功を奏すとは、な。
「ですから、私の行った投資が、このように利を生んだ訳です。となれば、土方様には借りはありますが、もはや貸しはございませぬ。御礼を差し上げるのは当然でございましょう」
「……わかった、そこまで申すならば。ただし、今はまだ、無用に願おう」
「と、仰いますと?」
「理由は二つある。第一は、要らぬ疑念を抱かれぬようにする為だ」
「疑念、ですか」
 隣で話を聞いていた月が、首を傾げる。
「そうだ。確かに石田散薬は、私の名によって売れたのであろう。だが、その元締めである張世平から金を貰った事が公になれば、世間はどう見る?」
「……(まいない)、そう勘ぐられますね」
「その通りだ。無論、私にも張世平にもそのようなつもりがなくとも、だ。私一人が悪く言われるのは構わぬが、それで皆に迷惑がかかる事、散薬の印象まで悪くする事は避けねばならぬ」
「……仰るとおりでしょうな。手前とした事が、迂闊でした」
 頭を下げる張世平。
「今一つだが……月」
「はい」
「張世平には、話しておきたいのだ。良いな?」
「……わかりました。お父様にお任せします」
 どのみち、いずれは明らかにする事ではあるが、今はまだ秘事。
 だが、この者には話しておかねばなるまい。
「張世平、その前に一つ、確かめたい」
「何なりと」
「商人は信用が第一と聞く。無用な口外はせぬ、そう誓えるか?」
 私の言葉に、張世平は居住まいを正す。
「仰せのままに。手前にも、商人としての誇りがございますからな」
「いいだろう。……私はこの月と、正式に親子の縁を結ぶ事と相成った」
「土方様と、董卓様が?」
「そうだ」
 と、張世平はふう、と息を吐く。
「……土方様。思いきった事をなさいますな」
「さて、どういう意味かな?」
「お惚けなさいますな。少府と申せば朝廷の高官ですぞ。そのような方のお父君ともなれば、土方様御自身にも箔がつくどころではありますまい」
「確かに、絶好の機会、とは申さぬ。だが、この機を逃せば、月の父を名乗る事は永遠に適わぬものとなろう」
「どういう事にございますかな?」
「お前も存じているであろうが、陛下のお加減が優れぬとの事だ。そして、皇位継承者は未だ、明確にされておらぬ」
「そう、聞いております」
「その最中、月が赴けば宦官と外戚の争いに巻き込まれるは必定。……成り行き次第では、血で血を洗う事にもなりかねぬ」
「でしょうな。確かに、土方様と董卓様、お二人にとってはまたとない好機かと。……ですが、同時に危険なご判断、とも言えますな」
 ジッと、張世平は私を見る。
「そもそも、そのご決断。土方様御自身には、何の得がありましょうか?」
「……損得勘定、か」
「手前は商人ですからな。失礼ではございますが、董卓様と共に土方様まで巻き添えになる……その恐れが多分にありますな」
「そうだ。私と月がただ思いつきで動き、手をこまねいているならば、な」
「……なるほど。何やら、思案がおありのご様子。いや、手前の危惧など、ただの取り越し苦労のようですな」
 どうやら、得心がいったようだな。
 私も、多くは語るつもりなどない。
「では、土方様。手前の御礼、受けていただける事は確か、ですな?」
「好意を無にするつもりはない。ただし、今は受け取る訳には参らぬ。今は、だがな」
「わかりました。では、その日まで、手前がお預かりするという事で」
 と、何かを思い出したかのように、張世平は手を打った。
「そうそう。土方様、刀剣にはお詳しいですかな?」
「些かなら」
「そうですか。実は、ひょんな事で手に入れた剣がございましてな。土方様に是非、見ていただきたいのですが」
「良かろう」
「では、暫しお待ちを」

 奥に入った張世平は、二振りの剣を手にしていた。
 ……日本刀のような、いや、日本刀そのものではないか。
「これにございますよ」
 受け取った私は、長刀を鞘から抜いた。
 ……まさか、これは。
 刃文といい、造り込みといい……あり得ぬ。
「張世平」
「はい」
「これを、何処で手にした?」
「商いで、立ち寄った市に売られていたものです。錆が酷いので捨て値でしたが、何故か心惹かれまして」
「お父様? どうなさったのです?」
 月が、不思議そうに私を見る。
「……私は、夢でも見ているのであろうか」
 そう呟き、兼定を抜いた。
 我が愛刀、和泉守兼定。
 ……いや、正しくはこれは『会津兼定』。
 無論、業物である事は今更疑わぬ。
 だが、この一見、錆だらけの刀……これは紛れもなく、二代目兼定。
 探し求めて、ついに手にする事の適わなかった、『之定』……信じられぬ。
 もしや、と思い、もう一振りも抜いてみた。
 ……やはり、な。
 贋作ではない、真の堀川国広まで揃うとは。
 しかも、『本作長義』の銘……尾張公拝刀の、『山姥切』。
 冗談としても、笑い飛ばせぬ組み合わせだ。
「土方様。どうやらその剣は、あなた様のお手元にあるべきのようですな」
「……何故、そう思う?」
「はっはっは。普段何事にも冷静な土方様が、そこまで動揺なされるとはよくよくの事。それに、手前は商人、刀剣は持っていても宝の持ち腐れにございますよ」
「では、この二振り……私に?」
「はい、どうぞお持ち下さい」
「忝い。この通りだ」
 私は、思わず頭を下げた。
 その手が、震えるのを止める術もなく。
 その様を見て、月は暫し、呆気に取られていたようだ。

 張世平のところを辞し、城下一と呼ばれる刀鍛冶を訪ねた。
「これを頼む。研ぎ料は言い値で良い」
「太守様、本気ですかい?」
 老いた刀鍛冶は、目を見開く。
「その代わり、お前の全身全霊を込めて、研いで貰いたい。良いな?」
「……わかりやした。ただし、お代は見ていただいてからで結構」
「ほう?」
 刀鍛冶は、不敵に笑うと、
「太守様ほどの御方がそこまで言われるのなら、天下無双の業物と見やしたぜ。わっしも、職人としての意地がある。任せておくんなさい」
「わかった。では、終えたら城に知らせよ」
「へい!」


 そして、二日後。
 件の刀鍛冶から、兼定と国広を受け取った。
 ……全てが、別次元だな。
 軽く、何度か振ってみる。
 長年の友のように、しっくりと手に馴染む。
「見事だ。約定通り、研ぎ料は望む額を申すが良い」
「いえ、お代は結構。その代わり、あっしから頼みがありやす」
 と、老鍛冶は眼を光らせた。
「申してみよ」
「へい。その剣、今後も必ず、あっしに研がせていただきたいんで。……それだけの業物、他の奴に任せる訳にはいかないんでさぁ」
「……良かろう。私もお前の腕、確と見させて貰った。お前になら、託せる」
「ありがてぇ。へへっ」
 私は、武人。
 刀を手放す事は、生涯あるまい。
 ……まさしく、真の友を得た気分だな。 
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