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至誠一貫

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第一部
第四章 ~魏郡太守篇~
  四十二 ~偽物~

 私が魏郡に来てから、早いもので数ヵ月が過ぎようとしていた。
 郡の経営も軌道に乗り、郭図らの悪しき時代の慣習もほぼ、一掃されたようだ。
 様子を窺いながらも、隙あらば、と不穏な動きを見せる豪族共もいたが、此方が隙を見せぬ上、庶人が治政を受け入れている現状、逆らっても無益、と悟ったのだろう。
 近頃は、郡や県の統治に協力を申し出てくるようになっていた。
 県令らも、権限と責任を一定の比率で与えた結果、自ら考え、行動する事が殆どになってきた。
 結果、行政の意思決定が迅速になり、庶人らの声がより届きやすくなったと聞く。
 無論、人の欲望は無限、全てを満たす事など叶う訳もないが、納得させる事なら不可能ではない。
 私自身も、一日中机と向き合う生活からは、多少だが解放されて始めてきた。

「時に疾風(徐晃)。袁紹の動きはどうか?」
「はい。頻りに都との間に使者が往来しているのは確認しています。ただ、勃海郡から動く気配は今のところ、全くありませぬ」
 ふむ。
 何かを企んでいる事だけは確か、か……。
「権力志向の強い御方です。州牧の座を手にする為に、どんな手を打ってくるか」
「だよねぇ。あの悪趣味な鎧の通り、金だけは持ってるし」
「それにしても、あの袁紹さんをここまで動かす策士、一体誰なのでしょうねー?」
 風の申す通り、この動きには影で糸を引く者がいるのは間違いない。
 だが、その正体が依然として掴めぬ。
「方々、手は尽くしているのですが……」
 疾風の歯切れも悪い。
「しかし、疾風ほどの手練れが探れぬというのも妙な話ですな、主」
「うむ。……ならば、直接当たってみるか」
「お兄ちゃん、どうするのだ?」
「向こうは、州牧の座を狙っている。もし仮に思惑通りに事が運べば、我らにも手を伸ばしてくるに相違あるまい。それであれば、先手を打って様子を探りに参るのだ」
「しかし、殿。洛陽でも、袁紹殿は殿に危害を加えようとしたとか。危険では?」
「そうです。彩(張コウ)の申す通り、敵情偵察なら、我らが行います」
「いや、虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。それに、今の私は正式な魏郡太守。洛陽の時とは立場が違う」
「……決心は、固いようですね。それならばまず、使者を出して反応を見るべきかと」
「使者か。それは良いが、誰が参るのだ?」
 私は、皆を見渡す。
「よし。使者は嵐(沮授)、それに星が同行せよ」
「え、おいらかい?」
「そうだ。この中で最も冀州の事情に精通し、かつ機転が利くとなればお前以外におるまい」
「いや、それを言われるとなぁ……」
「大丈夫。嵐ならば上手くやれるって」
「元皓(田豊)も心配だろうが、二人とも、という訳には参らぬぞ?」
「え、ええっ! た、太守様」
「ちょ、ちょっと旦那! どうしてそこで、元皓が出てくるのさ」
 真っ赤になって慌てる二人。
「ふふ、冀州の二賢も、ご主人様にあっては形無しだな」
 愛紗の言葉にもあったが、今やこの二人、冀州では知らぬ者がない程の有名人でもある。
 その息の合いようは、他の追随を許さぬ程だ。
 ……相思相愛なのだから、当然とも言えるが、な。
「星も良いな? お前も機転が利く、何か起これば、その時は己の判断で動け」
「はっ!」
「ったく、旦那も人が悪いぜ。すっかり退路を断っちまうんだもんなぁ」
「そう申すな。私とて、お前が適任と思えばこそだ」
「ハァ。わかったよ、その役目、引き受けた」
 私は、大きく頷く。
「では、ご苦労だが明日、出立で良いな?」
「へいへい」
「御意!」


 夕刻。
 私は愛里(徐庶)と元皓を伴い、城下に出た。
「人の往来が、随分増えましたね」
「商店の数も、僕が官吏になった時と比べて、倍近くになりましたしね」
 内政に携わってきた二人に取って、感慨深いものがあるのだろう。
「ところで、歳三さん。わたし達に見せたい物って、何ですか?」
「そうそう。僕も、最前から気になっているんですけど」
「うむ。もう見えてくる頃だが……む?」
 目指す場所に着くと、そこは人だかりが出来ていた。
「うわぁ。何でしょうか、これは?」
「行列が凄い事になっていますよ」
 二人は、目が点になっている。
 この先にある店から、列が続いているようだ。
 人波をかき分け、進んでいくと、列の先頭が見えた。
「あれが、今日の目的の店だ」
「ふえっ?」
「太守様。まさか、これに並ぶと仰るんじゃないでしょうね?」
「そのつもりはない。……だが、これ程までとは想定外であったな」
 店に入ると、
「お客様。誠に恐れ入りますが、列にお並びいただきたいのですが」
 若い奉公人が、私に話しかけてきた。
「主人は在宅か?」
「お約束で?」
「いや。だが、在宅しているのであろう?」
 奉公人は、ジロジロと私を上から下まで見る。
「恐れ入りますが、主は只今商いで外出しておりまして」
 私も含め、皆華美な服装は好まぬ上、公用でもないので地味な装いである。
 どうやら、それを見て侮られたようだ。
「……そうか。私の顔を知らぬ、と申すのだな?」
「存じ上げませんな」
「な、何て失礼な! この方は」
 愛里が、ムッとした顔で文句を言おうとする。
「止せ、愛里。躾のなっておらぬ輩に、言葉は通じまい」
 途端に、奉公人の表情が変わった。
「おい。どうかしたのか?」
「いや、この方々が旦那様に会わせろと。大方、強請たかりの類でしょう」
「なら、叩き出すまでだ。先生方、出番ですよ」
 その声を合図に、奥から数人の大男がのそり、と姿を見せた。
「何か用か?」
「強請の手合いみたいなので。叩き出してしまって下さいませ」
「良かろう」
 ジロリ、と男達は私を睨み付ける。
「フン、優男が。少し、痛い目に遭わせてやる」
「言葉が通じぬ獣が、まだいたとはな。店の中では狭いだろう、外へ出よ」
「ほざけ!」
 男の一人が、いきり立って剣を抜いた。
「愛里。この手合いなら、お前で十分だろう。相手をしてやるが良い」
「えっ? でも……愛里さんでは」
 そうか、元皓は知らぬのだな。
「大丈夫ですよ、元皓さん。歳三さん、小刀をお借りできますか?」
「うむ」
 堀川国広を鞘ごと、愛里に手渡した。
「ありがとうございます」
「おいおい、こんな嬢ちゃんが相手かい? 優男さんよ」
 下卑じみた笑いをする三人。
 愛里は国広を抜き、構える。
「よく見ると、なかなか可愛らしい嬢ちゃんだな。後で可愛がってやるか」
「お断りですね。お顔も、心も腐りきってる人は、嫌いですから」
「何をこのガキ!」
 剣を抜いた男が、愛里に向けてそれを力任せに振り下ろす。
 さっと躱した愛里、峰に返した国広で、強かに男の小手を打った。
「ぐぁっ!」
 たまらず、男は剣を取り落とす。
 すかさず、愛里がその懐に飛び込み、柄を鳩尾に叩き込んだ。
「ぐへっ!」
 よろめいた男は、腹を押さえながらその場に倒れ込む。
「……す、凄い……」
「元皓。愛里は頭脳明晰だが、撃剣の遣い手でもある。覚えておくが良い」
「は、はぁ……」
「このガキ! ぶっ殺す!」
 残った二人が、顔を真っ赤にして得物を手にした。
 一人は槍、もう一人は斧か。
「二人がかりとは、卑怯だな」
「やかましい! 腰抜けはすっこんでろ!」
「愛里。やれるか?」
 男の言葉を無視して、愛里に問うた。
「二人同時は厳しいですね。一人ずつなら問題ありません」
「……よし」
 兼定を抜き、斧を手にした三人の兄貴分らしき男に、相対した。
「なんだ? やろうってのか?」
「やれるものならやってみるがいい」
「何を。……う」
 斧を構えた男だが、私を見て動きが止まる。
 抑えていた殺気を解き放っただけだが、それを見てもう一人の男の顔も、驚愕に変わった。
「な……」
「あなたの相手はこっちですよ。やあっ!」
 その隙に、愛里が斬りかかる。
 慌てて槍を繰り出したが、愛里は慌てず、その穂先をバッサリと斬った。
 そのまま飛び上がると、男の肩を強かに打ちのめす。
「うぎゃっ!」
 肩を押さえ、転げ回る男。
 恐らくは、肩の骨が砕けたことだろう。
 剣術は力ではない、その事をまざまざと見せつけられ、残る一人は唖然としている。
「さて、残るは貴様だけだな」
「お、お、おのれっ!」
 自棄になり、斧を振り回す男。
 周囲で固唾を呑んでいた野次馬が、その剣幕に慌てて散っていく。
 ……取り押さえる前に、怪我人をだしは意味がないな。
 そう思った私の眼に、店頭に置かれた袋が目に入る。
「あ、ああっ! 何をなさる!」
 慌てて止めに入る奉公人を振り払い、袋を男に投げつけた。
 男が振り回す斧に引っかかり、袋が裂け、中身が飛び散る。
「な、何だこれは! め、目がぁ!」
「愛里。今だ」
「は、はい!」
 気を取り直した愛里の一撃で、最後の男も崩れ落ちた。
「あ、あああ……」
 先ほどの奉公人共は、顔面蒼白になって後ずさりする。
「さて……。商家にこのような無法者を雇い入れるなど、ちと無法が過ぎるな。元皓、この場合の処分は?」
「え? あ、は、はい。狼藉を働いた者は死罪、教唆は鞭打ち百回の上追放……ですね」
 その時、店から恰幅の良い男が出てきた。
「なんやなんや。店の軒先で何を騒いではりますのや?」
「あ、旦那さん。実はこの男が、言いがかりをつけてきまして」
「何やて?……あ、あんさんは」
 店の主人は、私を指さしながら、震えている。
「貴様が、ここの責任者らしいな。この者が、私を強請たかりと決めつけ、無法を働いてくれたのだがな」
「ほ、ほんまでっか?……あ、あんさん方、な、なんちゅう事してくれるんや!」
 そう言いながら、店の主人は、奉公人を殴りつけた。
「な、何するんですか、旦那!」
「ど阿呆! この方はな、この郡の太守様や!」
「え、ええっ? し、しかし、太守様なら、もっと見栄えのするお召し物では?」
「とにかく、あんさんは馘首や! 今すぐ出て行きなはれ!」
 そして、ペコペコと頭を下げる。
「申し訳おへん。この者、ギョウに来たばっかなんですわ。太守様にえらいご無礼働いてしもうて」
 そんな主人を、私は冷ややかに見据える。
「主人。謝罪は、それだけか?」
「ちゃ、ちゃいまっせ! せや、金子でよろしゅうおまっか? それとも、とびきりのええ女で?」
「…………」
 傍らの二人からも、怒りの気配が漂ってきた。
 だが、糺すべきはこの態度ではない。
 私は、店頭の袋を掴み、中身を手のひらに開けた。
「主人。これは、貴様の商品か?」
「へへ、勿論だす。それ、『石田散薬』言いますねん、打ち身や切り傷に、よう効きまっせ」
 その粉をひとつまみ、口に含んだ。
 そして、すぐさま吐き出す。
「これが、石田散薬だと?」
「へ、へえ? 商いの許可は得てまっせ? わてら、疚しい事は」
「黙れ! 偽物を売っておいて、よくもぬけぬけと」
 私の剣幕に、主人はたじたじとなる。
「そもそも貴様。この製法をどこで学んだ?」
「こ、これはわてが独自に研究したもんで」
 私は兼定を、主人の喉元に突きつけた。
「な、何しはりますねん?」
「それ以上偽りを重ねるなら、その首、永遠に胴と別れる事になるが?」
「い、いくら太守様かて、やり過ぎちゃいまっか!」
「まだしらを切るか。偽物という根拠、それは私自身が証人だ」
「は、はは、太守様。なかなか、面白うおますな。あ、こうしまひょ。太守様に、売上の三割、差し上げますわ。悪い話やおまへんでっしゃろ?」
 ……如何に私でも、我慢の限度という物がある。
 衆目がなければ、確実に斬り捨てているところだが……。
 と、その時。
「どけどけ! 何事か?」
 兵の一団が現れた。
 今日の警備担当のようだ。
「おお、土方様。如何なさいました?」
「……この者らを、即刻引っ立てよ。牢にぶち込んでおけ」
「罪状は何でしょうか?」
 兵士は、落ち着いて確認する。
 それを見て、私もどうにか、怒りを抑え込んだ。
「偽物販売による不当な荒稼ぎ、乱暴狼藉にその教唆、まずは以上だ。後は取り調べれば良い」
「ははっ!」
 兵士らは、手際よく連行していく。
 だが、店主は納得がいかないのか、抗議の声を上げる。
「ま、待っておくんなはれ! 偽物販売やなんて、言い掛かりでおます!」
「まだ言うか!」
 思わず、私は一喝してしまう。
 それに怯んだのか、店主は漸く、大人しくなった。
「石田散薬は、我が生家に伝わる秘伝薬。その製法を知るのは、この大陸では張世平のみの筈だ。大方、張世平の成功を見て、本人の許しも得ずに粗悪品を模倣したのであろうが。違うか?」
「んな、アホな……」
 私が決めつけると、店主はガクリ、と項垂れた。
「連れていけ」
「はっ!」

「堂々と、太守様のお膝元で偽物を売るとは……」
「呆れて物も言えませんね。……あ、これお返しします」
 愛里はそう言って、国広を捧げる。
「見事な腕だ。流石であった」
「い、いえ……」
 恥じらいがあるのか、愛里は頬を染めた。
「元皓。愛里の事、お前に説明する間がなかった。許せ」
「いえ、それは構いません。それにしても愛里さん、強いですね」
 だが、愛里は頭を振るばかり。
「わたしの剣は、本当の強さはありません。戦場では愛紗さんや彩さん達にはまず敵いませんし、一対一なら……」
 と、愛里は私を見て、
「歳三さんには絶対に勝てません。あの殺気を見ただけでも、良くわかりました」
「……いや。愛里はそれで良い。此度はお前の腕前を確かめたかったが故に、敢えて私は手を出さなかった。だが、お前の本分は文官、剣を振るわずとも良い」
「……はい」
 愛里と元皓が、頷いた。

「あの……太守様」
 列に並んでいたらしき老爺が、おずおずと話しかけてきた。
「何か?」
「真の石田散薬、太守様が発案されたとは、真の事ですかの?」
「正確には生家の秘伝だが、事実だ。あのような事で、偽りは申さぬ」
 すると、老爺は、土下座を始めた。
「何の真似か。私は、土下座される謂れはない、止せ」
「いいえ。太守様、是非とも、本物の石田散薬、この爺にお分け下さいませ」
「…………」
「実は、酷い神経痛に悩まされていましてな。医師にも見放され、藁にもすがる思いでこの薬を、と。何卒、この通りですじゃ」
 すると、
「俺もどうかお願いします! 母が、捻挫が治らず難渋していまして」
「私も、この子の骨折に効く薬が必要なんです」
 ……列に並んでいた皆が、口々に訴えてきた。
 その全員が、真剣そのものだ。
「元皓、愛里。張世平という商人を、至急探し出してくれ。大陸の何処かにいる筈だ」
「ええっ? 太守様、大陸全部と言われましても……」
「……あの。とっても広い上に、名前と職業だけでは難しいかと」
 元皓と愛里が、盛大に溜息をつく。
「月、白蓮、華琳、睡蓮、それに何進殿にも頼めば良い。書状は認める。この者らが、我が生家の秘伝薬を頼りにするならば、それは無に出来ぬ」
「ですが、それでも今日明日に、とは行きませんよ? どうするのですか?」
「……やむを得まい。私が処方する」

 張世平が、ギョウに姿を見せたのは、それより二月後の事である。
 その間、私は政務の傍ら、ひたすら石田散薬の処方に追われる羽目になった。
 ……その分、魏郡のみならず、冀州全土から多大な感謝を受ける事にもなったが。 
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