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至誠一貫

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第一部
第四章 ~魏郡太守篇~
  三十六 ~将星、集う~

「始まったか」
「はい」
 田豊の策通り、愛紗は敵を上手く引きつけているようだ。
「密集していた賊軍が、徐々に乱れ始めましたね」
 双眼鏡を覗き込みながら、田豊が言った。
「今のところ、順調なようだな」
「ええ、関羽様の指揮ぶりは見事だと思います。後は、張飛様を突入させる機ですね」
「うむ。鈴々の事だ、一度突入を始めたら火の玉の如き勢いとなるであろう」
「…………」
 ふと、田豊が私の顔を見ている事に気付いた。
「如何致した。私の顔に何かついているか?」
「い、いいえ。……太守様は、どんな方なんだろうな、と思いまして」
「どういう意味だ?」
「はい。関羽様、張飛様だけじゃなく、郭嘉様や程立様、それに趙雲様、徐晃様。皆さん、超一流の将や軍師ばかりですよね」
「そうだ。まだまだ経験の浅いところもあるが、素質で行けば皆、大陸屈指と言っても過言ではあるまい」
「……そんな方々から、信頼され慕われている太守様が、不思議な方だと思いまして。あ、太守様ご自身がとても優秀な御方なのは当然ですが」
「人の縁、としか言いようがない。私は幸い、昔から仲間には恵まれる方でな」
「なら、太守様には人徳があるのでしょう。人の上に立つには、大切な要素です」
「徳かどうかはともかく、仲間も兵も民も、大切に思うならば態度と行動で示す事だ。厳しさだけでは、人はついて来ぬ」
 私なりの、自戒を込めたつもりだ。
 ……それが、どう現れているのか、それはまだわからぬがな。
「ご立派です。……あ」
 不意に声を上げる田豊。
「どうした?」
「見て下さい、敵陣形が崩れ始めています」
 双眼鏡を受け取り、敵陣を見る。
 撹乱が功を奏したのか、密集していた賊軍は、確かに散らばり始めていた。
「張飛様に、合図を送って下さい」
「応っ!」
 頷いた兵士が、大きく旗を左右に振り始めた。
 兵を伏せていた鈴々が、文字通り火の玉の勢いで突撃を開始。
 敵陣に、更なる乱れが見られた。
 あの調子であれば、田豊の策通りに、鈴々は合流を果たせるであろう。
「では、太守様。我々も動きます」
「うむ」
 ジャーン、と銅鑼が鳴り響く。
 同時に、周囲の野山のあちこちで、いろいろな旗が揚げられた。
 さて、賊軍はどう動くか。
 ……恐らくは、田豊の見る通りに、事態は推移するであろうな。


「主。お待たせ致しましたな」
 数日後。
 輜重隊と、五千の兵を率いた星が到着。
「ご苦労だった。
「どうやら、今のところ順調と見ましたが?」
「うむ。この田豊が、見事な采配を見せているからな」
「い、いえ。僕はただ、太守様からいただいた、失敗を恐れずに動け……それを、実践しているだけです」
「はっはっは、それをさらりと口にするあたり、お前もなかなかの胆力だぞ?
 照れたのか、真っ赤になって俯く田豊。
「主。そう言えば、袁紹軍が既に、冀州に入っていると聞き及びましたが」
「耳が早いな、その通りだ」
「いえ、出がけに疾風より聞かされまして。詳細は調査の上、判明次第知らせる、との事でした」
「ふう、僕が心配するだけ無駄でしたね。やっぱり、皆さん凄いです」
 苦笑する田豊。
「各々がなすべき事をする、それで良い。今のお前はこの軍の采配を預けている、それに専念せよ」
「は、はい!」
「では主。兵の様子を見て参ります」
「うむ」
 星が出ていくと、入れ違いに兵が入ってきた。
「申し上げます」
「何事か?」
「はっ。韓馥様より、伝令が到着しました」
「わかった、通せ」
「ははっ」
 田豊は、何やら頷いている。
「これも、お前の策だな?」
「いえ、僕じゃありません。恐らくは、沮授の策です」
「ふむ。どうも、お前は沮授と親しいようだが、知己か?」
「知己というよりも、腐れ縁ですね」
 と、笑う田豊。
「幼馴染みなんですよ、沮授は。もっとも、あいつは僕よりも要領がいいから、韓馥様のところで出世していますけど」
「ふむ。参謀兼軍司令官、と申したな?」
「ええ。僕はこの通りひ弱ですけど、沮授は頭が切れるだけじゃなく、前線に出て兵を動かすだけの度胸の良さがありますから」
 いくら親しき間柄とは申せ、この田豊がここまで評するのだ。
 間違いなく、優秀な人材なのだろう。
「しかし、先の黄巾党討伐の際は、姿を見なかったが」
「そうでしょうね。風邪をこじらせて寝込んでいた筈ですから」
「……そういう事か。それで、張コウ殿が、補佐を兼ねていた訳だな」
「張コウ様も、ただの猪武者じゃありませんしね」
 そんな会話を交わしていると、件の伝令が連れられてきた。
「ギョウ軍太守、土方様でございますな?」
「如何にも」
「韓馥軍参謀、沮授よりの言伝です。失礼ながら、口頭にて申し上げます」
「うむ」
 書簡にしなかったのは、万が一賊軍の手に落ちる事を恐れての処置だろう。
 すると、伝令は複数放たれている、そう見て良い。
 手慣れた者でなければ、この配慮は思いつかぬであろう。
「田豊殿よりの手筈通り、準備が整いました。今夜、払暁を持って賊軍に奇襲攻撃を加えます。呼応をお願い致します、との事です」
「田豊、相違ないか?」
「はい。沮授ですが、了承の合図についても伝わっていますね?」
「その点もぬかりはありません」
「わかりました。では、ご苦労様でした。下がってお休み下さい」
「ありがとうございます。では、御免」
 使者が下がると、
「太守様。勝手に話を進めてしまい、申し訳ありません」
 田豊が、頭を下げた。
「采配は預けた、と申したであろう? 必要とあらば、人手は使って構わん」
「ありがとうございます。では、早速」
 足取りも軽やかに、何処かへと駆けていく。
「ふむ。なかなか、堂に入っているではありませぬか」
「ああ。あの者には、間違いなく才能がある。足りぬのは経験と実績だ」
「ふふ、主。これであの古狸共を黙らせる事が出来ますな?」
 星は、どこか愉快そうに言った。
「無論、それもある。だが、私は田豊そのものに期待しているのだ」
「主の事です、確証があっての事なのでしょう。尤も、私もあの者は見所がある、そう思いますが」
「ああ。星も、可能な限り力になってやってくれ」
「御意」


 払暁。
 手筈通りに、韓馥軍が賊軍に奇襲を敢行した。
 我が軍も、呼応して星と愛紗が敵陣を引き裂いていく。
「はい、はい、はいっ!」
「でぇぇぇぇぃ!」
 みるみるうちに、二人を中心に屍の山が築かれ出した。
 こうなれば、一騎当千の猛将がいる軍は、圧倒的有利だ。
 やがて、
「敵の首領、討ち取ったぞ!」
 乱戦の中から、そう誰かが叫んだ。
 策ではなく、どうやら本当に討ち取られたらしい。
 乱戦の中で流れ矢が当たったというのだから、わからぬものだ。
 賊の大半はそのまま、戦場から脱出して行った。
 無論、逃さじとばかりに韓馥軍が追撃したようだが、殿を務めた一隊が巧みにそれを躱した、との事。
「賊にも、なかなかの人物がいると見えるな」
「恐らくは、張燕という者かと。討ち取られた首領の張牛角よりも腕が立ち、統率に優れているとの事です」
 と、田豊。
「これで、韓馥軍は危機を脱した。無理に追撃する必要はあるまい」
「はい、僕も賛成です。窮鼠猫を噛むの例え通り、無為に被害を受けるだけかと」
 そう言いながら、田豊は兼定を両手で掲げるように差し出した。
「戦は終わりでしょう。これは、お返し致します」
「うむ。見事な采配であった」
「いえ。……本当に、ありがとうございます。太守様」
 慇懃に、頭を下げる田豊。
「礼を言われる程の事はない。お前を信じたからこそ、采配を任せたのだ」
「いえ、それもあるのですが」
「……? 他にもまだあるのか?」
「はい。僕に、指揮を任せていただく証として、その剣を託して下さいました」
「…………」
「趙雲様が教えて下さいました。太守様に取って、その剣は魂そのものなのですよね?」
「……そうだ。剣、いや刀は武士(もののふ)の魂だ」
「……はい」
「それに、この兼定は、長きに渡り、私と苦楽を共にしてきた。いわば、我が分身。そんな代物なのだ」
 戦場で、兼定を伴わぬ……確かに、此度は異例ではあった。
「だから、改めてお礼を申し上げたいんです。……太守様、改めて、僕をあなた様の麾下にお加え下さい」
「わかった。私の方こそ、頼りにさせて貰う」
「ありがとうございます!」
 そんな様を、愛紗も、星も、そして鈴々も。
 無論、他の兵士も含めて、微笑ましく見ている。

 不意に、陣の外が騒がしくなった。
「何事か?」
「はっ、見て参ります」
 一人の兵が飛び出していき、すぐに戻ってきた。
「申し上げます。韓馥軍の張コウ将軍と、沮授殿がおいでになりました」
「ふむ。韓馥殿も一緒か?」
「いえ、お二人だけのようですが」
「わかった。ともかく、ここにお通しせよ」
「ははっ!」
 すぐさま、慌ただしく二人が入ってきた。
 久々に見る彩だが、何やら血相を変えているようだ。
 その異様な様に、皆の顔に緊張が走った。
「歳三殿!」
「おお、彩殿。ご無沙汰でござるな」
「いや、こちらこそ」
 そして、隣にいる少女。
 ややつり上がった眼に、短めの髪。
 服装も身軽さを重視したもので、活発そうな印象を受ける。
「ギョウ軍の太守さんは、アンタかい?」
「うむ。私が土方だ」
「おいら、沮授ってんだ。元皓が世話になってるみたいだな?」
「こ、こら! (らん)! 太守様に何と言う口の利き方だ」
「あ~、おいらがいっつもこの調子だって、知ってるだろ?」
 田豊が窘めても、沮授は平然としている。
 確かに礼儀知らずではあるが、捌けた口調に、一切の悪意が感じられぬ。
 咎め立てするよりも、まずは話を聞くとするか。
「田豊、よい。それより、火急の用件と見たが、何か?」
「あ、そうそう。彩さん、おいらが話していいか?」
「任せる。説明は、お前の方が上手だろう」
「じゃ、任された。土方さん、うちの昼行灯と面識あるんだってな?」
 ……随分と、己の主人に対する言葉としては、辛辣だな。
「些かだが。韓馥殿が如何した?」
「それが、おいらと彩さんが追撃をかけている間なんだけど……」
 沮授は、大きく溜息をついてから、
「昼行灯の本陣に、一時黒山賊が迫ったんだ。結構な勢いだったらしいけどさ」
「…………」
「それで、あの昼行灯。よりによって、我先にと逃げだしやがったんだ」
「何だと……?」
「うわ~、情けないのだ」
 愛紗と鈴々のみならず、その場にいた皆が、呆れた様子だ。
「まぁ、異変に気付いてすぐに駆け戻ったから、総崩れにはならなかったんだけどさ。でも、昼行灯は行方知れずって訳」
「そこで、恥を忍んで参った次第、という訳だ」
 屈辱よりも、韓馥に対しての怒りが抑えきれないのだろう。
 彩の言葉が、震えていた。
「頼む、土方さん。あんな昼行灯でも、配下としては放っておく訳にもいかないんだ。探すのを手伝ってくれ!」
「…………」
 場に、微妙な空気が漂う。
「太守様、僕からもお願いします。……でもね、嵐」
 田豊は、いつになく厳しい声を出す。
「な、何だよ?」
「太守様はお許しになったけど、やっぱり僕はそれじゃ駄目だと思う。人様に物事を頼むんだ、言い方があるんじゃないか?」
 沮授は怯んだように、言葉に詰まる。
「嵐、この少年の言う通りだ。やはり、頼み事をする以上、礼を尽くすべきだ」
「彩さんまで。……わ、わかったよ」
 沮授と彩は、私の前に跪いた。
「……土方様。改めて、お願い申し上げます。我が主、韓馥捜索に、お力添え願いたく。何卒」
「私からも、改めてお頼み申す。歳三殿、我々にご助力賜りたい」
 その言葉に、今し方まで険悪な雰囲気だった愛紗が、少し表情を和らげた。
「やれば出来るではないか。そのままの物言いであれば、例えご主人様がどう仰せだろうと、断固として反対するつもりだった」
 やはり、愛紗が釘を刺したか。
 如何に悪意がなかろうとも、流石に礼を欠いたままでは示しがつかぬからな。
「さて、主。如何なさいます?」
「後は、お兄ちゃん次第なのだ」
「……ふむ。反対の者は?」
 皆、否はないようだな。
「では、両軍で韓馥殿捜索を行う。田豊、沮授。二人で協力し、手筈を整えよ」
「御意です!」
「了解だ、じゃなくて、です」
 それにしても、仮にも刺史が我先に敵前逃亡の上、行方知れずとは、な。
 無事であったとしても、罪は免れまいな。


「……阿呆が」
「……愚かな。醜態を晒したまま、逝くとはな」
 変わり果てた韓馥が見つかったのは、凡そ半日が過ぎた頃。
 刺史の身分相応に、身なりに気を使っていたのが災いしたのであろう。
 斬殺された上に、衣装は剥ぎ取られ、下帯一枚の姿で、荒野に打ち捨てられていた。
 下手人は、まず見つかるまい。
 亡骸を、このままにはしておけぬ。
 輜重隊の空いた荷車で、韓馥の居城へと運ぶしかあるまい。

 亡骸を遺族に引き渡し、都に報告の使者を出した後、ひとまず皆でギョウへと戻った。
「兵は沙汰があるまで、この魏郡にて預かる。……お前達はどうする?」
 黒山賊の事で、後始末も含めて皆、飛び回っている。
 ……だが、私はどうしても、彩と沮授を放っておく気にはなれぬ。
 二人には、身の振り方について、好きにさせるつもりでいた。
 仮に敵に回せば厄介な相手になるであろうが、まだ若い二人を束縛するような真似は好まぬ。
「もし、仕官を望む先があるなら、其処に向かうが良い。路銀は用意させよう」
 その言葉に、彩が顔を上げた。
「歳三殿。一つ、お聞かせ願いたい」
「何だ?」
「……歳三殿の許には、優れた将や軍師が集まっている。その絆の強さは、私も何度となく見せて貰っている」
 沮授も顔を上げ、彩の言葉に聞き入っている。
「何故、そのような関係を築く事が可能なのか。私は、それが知りたい」
「……そうだな。特別な事はない、ただ、私と皆は、主従の関係とは思っておらぬ。寧ろ、仲間と言う方が正しいな」
「仲間? しかし……」
「無論、上下の関係が皆無、とは申さぬ。だが、少なくとも、私は仲間と思う者達との間に、壁を作るつもりはない。想いが同じ者同士、として」
「想い……」
 彩は、そのまま黙ってしまう。
「……土方さん。元皓から聞いたけど、この魏郡で苦しむ民を救うつもりなんだろう?」
 沮授が、いつもの口調で問いかけてきた。
「そうだ」
「じゃあ、他の民はどうだっていいのか? 隣の幽州や青州にだって飢える民は大勢いる。いや、大陸中至る所に、だ」
「誰が、そのような事を申した?」
「なら、出世を遂げて、高官になるつもりかい?」
「そのつもりもない。沮授、人には分、というものがある。それを超える事など、それは神の所業ではないのか?」
「…………」
「ならば、己の力が及ぶ限り、最善を尽くす。それで、一人でも多くの民が救われるのであれば、私はそうすべきと考える」
「……そっか。アンタって、強いんだな」
 そう言った沮授の顔は、晴れやかになっていた。
「おいらの真名、アンタに預ける。この嵐に、アンタの手伝いをさせて欲しい」
「私の仲間になる……そうだな?」
「ああ。えっと、土方さん……じゃ何だか他人行儀だな。どう呼べばいい?」
「皆、好きに呼んでいる。どうでも構わぬ」
「じゃあ、旦那で。改めて宜しく、旦那」
 ……好きに、とは申したが。
 まぁ、良かろう。
「歳三殿。……私も、宜しいか?」
 彩が、私の前で跪く。
「無論だ。私で良ければ、だが」
「いや、今の私には、歳三殿と共に歩むのが最善、そう思っただけだ。……改めて、宜しくお願い申す」
「いいだろう」
「忝い。では、私は今後、殿と呼ばせていただく」

 よもや、二人揃って、とは思わなんだが。
 ……両者とも、優れた人材だ。
 これに驕る事なく、私もより励まねばなるまいな。 
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