ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド 後編
過ぎ去った時間、消え去った影
前書き
どうも、Cor Leonisです。今回はかなり早めの更新をすることができました。次話もこの勢いでいきたいですね!(フラグ
さて、今話より物語は後編に入っていきます。分量的には圧倒的に後編のほうが多くなるかと思いますが、お付き合い頂ければ幸いです。
では、どうぞ。
――ひらり。
光のない夜の世界を、ひとひらの雪が舞った。昇ったために凍りつき、集ったが故に重くなり。そして、遂に雲にまで見放された憐れな氷の結晶たちが、同じく空を追われた同胞を捜し求め、地面へと堕ちてゆく。まるで、傷を舐め合うか弱い仔犬たちのように。
――はらり。
俄かに駆けた一陣の風が、吹き抜けざまに周囲の雪を巻き上げた。音もなく、温度もなく、ただ無機質に走り続ける空虚な空気の塊は、舞い上がる雪の欠片などには目もくれず、何処にあるのかも分からない光を目指して駆け続ける。
冷たい夜の世界に凍える自分を温めてくれる、たった一粒の光を求めて……。
悲鳴のような破砕音を断末魔に残し、緑の鱗に身を包んだレベル54亜人型モンスター、《リザードマン・ファイター》はその筋骨隆々とした体躯を闇夜に散らした。仲間がやられたことに驚いたのか、数メートル後方のリザードマン二体の手に握られている薄汚れたカトラスが、ほんの一瞬だけ引き攣ったように動きを止める。
マサキはその僅かな隙に、迷うことなく飛び込んだ。上体を低く倒し、ほぼ全てのポイントをつぎ込んだ敏捷値を総動員して足元に積もった雪を蹴り飛ばす。リザードマンが苦し紛れに放った《リベーザ》がマサキの攻撃を阻もうと肉薄する。
しかし、その刃がマサキを捉えようとした瞬間、その体が静止した。いや、実際には止まっていないものの、スローモーションかと疑ってしまうほどにまで緩められたスピードに、最後の砦であったはずの《リベーザ》はあっけなくタイミングをずらされ、虚空を斬る。途端、再び最高速まで加速したマサキが無防備な鱗を両断しつつ斬り抜ける。振り返ってトカゲの硬直が解けていないと見るや、反転して再び切り抜け。
《疾風》と大差ない速度で移動し、なおかつ自由に緩急をつけることが可能な風刀スキル五蓮撃技《雪風》の全段を体で受けきったトカゲは、反撃すらままならずに緑色の体を塵と変えた。
「ぐるああぁぁぁっ!!」
残された一体がマサキに向かって半ばやけくそにも思える突撃を敢行した。が、とっくに硬直から開放されたマサキは難なくカトラスをかわし、目にも留まらぬ速さで蒼風を一閃。《刃風》――発動中の移動可能距離は一、二歩程度だが、その分攻撃速度に凄まじい補正がかかる風刀スキル三連撃技――が撒き散らした光の滓が消える頃には、トカゲの全身も同じように、この世界から姿を消していた。
「…………ふう」
周囲に他の敵影がないことを《索敵》スキルで確認したマサキは、蒼風を鞘にしまいつつ一息。戦闘による風と音が鎮まり、舞い上げられた雪が再びしんしんと降り積もりだす。
不意に手の甲を伝った冷感にマサキが視線を下げると、一粒の雪の結晶が肌の上で踊っていた。穢れを知らない純白の花は、降り立った肌を恨むように崩れ、物理法則のみに従った無味乾燥な球の液体に形を変えて指先へと滑っていく。例え再び凍ったとしても、もう二度と花を咲かせることはできないだろう。土にまみれた醜い氷となって、いつ訪れるかも分からない春を待ち続ける他にない。
まだ自分の体に雪を融かせるだけの温度があったことが可笑しくて、マサキは力なく嗤った。握手を交わした相手が驚かないようにと自身が残した最低限の思いやりなのか、自分が生きていることを誰かに示したいという、独りよがりの想いなのか。もう、握手を交わす相手も、自分の生を感じてくれる存在も、消え去ってしまったというのに。
……いや。自分は信じたいのだ。もう一度握手を交わしてくれる存在を。そして、自分以外の存在を願う、自分自身を。
「……行くか」
誰に聞かせるでもなく、マサキは呟いた。根付いてたった一年足らずにも関わらず未だに抜け切らない過去の癖に、乾いた口から苦笑が漏れる。
――明日、何もかもがはっきりすれば、この癖もこの入れ物を見限って出て行くだろうか。そんな、答えの出ない思考を巡らせながら振り返ろうとした、まさにその瞬間。
「あの……」
指先から零れ落ちた水滴のように澄んだソプラノが、静寂に慣れきったマサキの鼓膜を揺らした。その刺激にハッとしつつ、蒼風の鞘に手をかけながら振り返る。
「ご、ごめんなさい! 驚かせるつもりはなかったんです!」
その言葉にマサキが蒼風から手を離すと、声の主はニコリと微笑んだ。
――辺りに舞う雪のように白い肌と、ポニーテールに結わえられた濡れ羽色の髪。均整の取れた愛らしい顔には同色の瞳が輝き、純白のミニスカートからは繊細な二本の脚が伸びる。雪白の肌は太股丈の黒いニーソックスに覆われているが、女性的な肌のハリと柔らかさまでは隠せていない。
彼女はもう一度、天使のように微笑むと――彼女の二つ名にも納得である――、胸元を覆うチェストプレートに手を当て、たおやかな声を響かせた。
「えーっと……こうしてお話するのは初めてですね。初めまして。『穹色の風』さん」
「こちらこそ。『モノクロームの天使』様」
――“穹色の風”。彼女の口から発せられたその一単語に、マサキの眉がピクリと反応した。若干視線に睨みの成分を加えてみるものの、相手は整った顔を苦笑の形に歪めるのみ。
「そんな大層な名前で呼ばないでくださいよ。名前負けしすぎて恥ずかしいんですから。……あ、そういえば、わたしまだ名乗ってなかったですね。……改めて、初めまして。エミといいます」
「……マサキ」
マサキは視線の意味がエミと名乗った少女に伝わらないことを悟ると、ふっと目を背けて名乗り返した。最近は意味を誤解して覚える者も増えている。本当の意味を知っているのは、下手をすれば“彼ら”のみではないだろうか。全く、皮肉なことだ。
「えっと、見た目年も近そうだし、『マサキ君』って呼んでもいい?」
「……お好きなように」
「ありがと。……そっか、マサキ君って言うのかぁ……ふふっ、今までボス攻略で何度も顔を合わせていたのに、名前を知るのは初めてだなんて。なんだか可笑しいね」
くすくすと笑うエミに対し、マサキは視線で会話の意思がないことを訴えるが、マサキの内心などは気にも留めていないのか、それともあの彼女のことだ、「自分と喋ることで憂鬱な気分を少しでも晴らしてもらえたら」などといった忌々しい親切心が働いているのか。エミは楽しそうに笑いながら舌を動かし続ける。
「でも、最初にマサキ君を見たときは驚いたなぁ……。だって、そんな格好で戦う人がいるなんて、思いもしなかったから。……あ、その服が変ってわけじゃないよ? すっごく似合ってるし」
「……それはどうも」
気だるげに答えながら、マサキは自分の服装に目を落とした。
仄かに青みがかった地に同系色のグラフチェックが入ったYシャツと、黒のスラックス。……そして、視界に映る二枚のレンズに、そこから両脇へ伸びるフレーム。夏のビジネスマンめいた様相は、この世界ではもちろん希少、というか浮いているものではあるが、その分少しだけ、向こう側の世界にいた時の心情を再現してくれる。心が感じる寒さを麻痺させるにはちょうどいい。
「――そういえば、マサキ君。明日のクリスマスボス戦には参加しないの?」
こちらの興味を引こうとしているのか、まるで敵陣地にあるマシンガンのように切れ目なく喋り続けるエミ。マサキは最初無視していたが、彼女の話がその話題に入った時、ハーフリムの眼鏡の奥から覗く切れ長の瞳がエミをその視界に捉えた。ようやく話に食いついたからか、エミは顔に浮かべる笑顔に安堵の色を滲ませて、尚も喋る。
「各層のNPCが最近になって一斉に言い出したんだけどね。明日の夜十二時ちょうどに、どこかのモミの木の下に《背教者ニコラス》っていう怪物が出現するんだって。で、それを倒すと背中の袋に詰まってる財宝を全部もらえるみたい。……確か、まだメンバーを募集してた合同パーティがいくつかあったから、そこに行けば参加できると思うよ? なんだったら、わたしが紹介しようか?」
「……いや、いい。俺も暇じゃない」
「そう……分かった。あんまり無理強いすることでもないしね。……あ、そうだ」
マサキが断ると、エミは残念そうに頷き、なにやらウインドウを操作し始めた。僅かの沈黙が流れた後、マサキの眼前に紫のフォントが浮かぶ。彼女――エミからのフレンド申請だ。
訝しむマサキに、エミはまた柔らかい笑顔を向ける。
「もし気が変わったら、わたしに言って? 紹介くらいだったら、いつでもできるから。……やっぱり、こういうお祭りは皆でやった方が楽しいしね」
「……祭りだって……?」
理知的なハーフリムの向こう側でマサキの瞳が細まり、笑いながら話すエミを睥睨した。抑揚のなかった声に、隠し切れなかった感情が滲む。
「あ、えっと……何か気に障ったのなら……」
「ふざけるな……!」
わけが分からずに怯えた表情で数歩後ずさるエミの謝罪を、マサキは溢れ出した感情で遮った。沸き立つ情動の渦が身体中を駆け巡り、それを押さえ込もうとする腕と奥歯がギリギリと震える。突然の変化に驚くエミは、取り繕うための言葉を探して視線を泳がせる。
居心地の悪い沈黙が二人の間に横たわる中、マサキはエミを睨んでいた目線を側めると、落ち着きを取り戻したように見える声色で言葉を発した。
「……遊びじゃないんだよ。少なくとも、俺の目の前で半死半生の猫が入った箱が開けられる、明日までは」
降り積もる雪に溶け込んだマサキの声が、周囲の雪と同じ冷たさを持って響いた。マサキの瞳が何かの余韻を探すように伏せられる。そして、転移結晶を取り出しながらエミに背を向けた後、彼女の前にフレンド拒否のウインドウが瞬いた。
「……フレンドは取ってない。悪いが、他を当たってくれ。……転移、ウィダーヘーレン」
それだけを言い残し、マサキの身体は青白い光と共に消え去った。後に残されたエミは、消えゆく残光と雪に埋もれていく足跡とを、ただ呆然と眺めていたのだった。
漂白された視界が開けると、そう広くないレンガ造りの道の端に、今もなお降り続ける雪が掻き分けられていた。その雪の山を更に挟んで、十軒程度の家が立ち並ぶ。
第二十四層の西端に位置している圏外村《ウィダーヘーレン》。十数軒程度のレンガ造りの家が集まった集落を、そこそこ広い針葉樹林が囲んでいる。主街区からの距離も遠く、近くに何らかのスポットがあるわけでもないため、誰にも見向きもされていない。
マサキは中心街(とは言っても、民家と最低限のアイテムショップがほんの十軒程度集まっているだけだが)を抜けると、村の端、針葉樹林の脇に忘れられたようにぽつりと建っている、一軒の家へと向かった。
ギシギシと心許ない音を立てる木の扉を開けて中に入ると、白を基調に誂えられたリビングが姿を現す。生活感のない部屋の奥には暖炉が設置されているが、使われた形跡はない。
マサキはソファーに腰掛けることも、寝室へと通じる部屋のドアを開けることもなく、部屋の隅に置かれた木製の棚へ向かった。そこで消耗した回復アイテム類を補充すると、装備の確認をして再び立ち上がり、棚の上の小さな写真立てに目を向けた。ライトブラウンの髪と爽やかな顔立ちを楽しそうに歪ませた少年と、理知的な顔で控えめでぎこちない、しかし心からの笑顔をこちらに向ける少年が互いに肩を組んでいる。
「……明日、ようやく全てが解る。……最後に残った予兆が、二回目もそのまま箱の中に残っていてくれることを願うよ……」
マサキは小さく呟くと、壁の時計に一瞬だけ目をやり、外へと向かった。
現在時刻は午後七時。……夜は、まだ始まったばかりだ。
後書き
さて、いかがでしたでしょうか? 恐らく???な読者様が多いかとは思いますが、その謎が一体どのように紐解かれていくのか。ご期待ください。
また、只今より《風刀》スキルのOSSを募集したいと思います。かなり解りにくいスキルですので、あまりイメージはしにくいかと思いますが……是非考えていただければと思います。その過程で解らないことがありましたら、感想欄にてお伝え頂ければ、できる限り答えていきますので。
ご意見、ご感想など、お待ちしております。
では。
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