~烈戦記~
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第八話 ~初陣~
『豪帯!!』
夕暮れに照らされた砂塵、乾いた空気。
青々とした木々が左右に生い茂るものの人々の行列からはどんよりとした雰囲気が漂っている。
そんな中で一際目立つ程の張りを持った声が僕の名を呼ぶ。
『荀山はまだか!』
これで何度目になるのだろうか。
彼洋班は関を出てからというもの度々に同じ質問を短い間隔で聞いてくる。
そして僕もまた、億劫な気持ちを抑えて同じ答えを口に出す。
『荀山はまだです』
『さっきから貴様は同じ事しか言ってねえじゃねえか!え!?』
そりゃそうだ。
最後に質問された時の場所は後ろを振り返れば見えるか見えないかの位置にあるのだ。
それでは僕も同じ答えを返さざるおえない。
『…今日中に着く事はないと思います』
耐え兼ねて僕は洋班も凱雲から聞いたであろう事実を言ってみる。
『そんな事聞いてねえよ!あとどれくらいあるんだ!』
『…今でまだ半分はあるかと』
『は!?お前どれだけ移動したのかわかってんのか!?半分なわけあるか!!』
本当に勘弁してほしい。
関を出る前に一応荀山の記してある地図を父さんからもらったが、それ以前に仮にもこの地の官士なら荀山のだいたいの位置くらい知っておいて欲しいものだ。
僕も人の事は言えないが、荀山の名前くらいは知っていた。
…まぁ、そのおかげで幸か不幸かか僕らは荀山の麓を目指す事になったのだが。
…荀山の麓の村では今何をしている頃なのだろうか。
日ももう落ちるからきっと食事をとっている頃か。
まさか翌日には兵の一団が現れるなんて知りもせずに…。
心が痛む。
凱雲に必要だからと言われ、父さんは泣いていた。
多くを救う為の犠牲だと。
そして僕が地図を貰った時父さんに"お前は戦闘が始まったら帰ってこい"と。
きっと村を兵団が襲う所を見せたくないのだろう。
僕だって見たくない。
…でも本当にそれでいいのだろうか。
無実の人々が殺されるのを知っててそれを見逃す事。
手綱を持つ腕に力が篭る。
いいわけがない。
でもだからってどうすればいい?
本当は違うんだって叫びたい。
でも僕が叫けべば叫ぶ程周りが不幸になるだけで何も変わらない。
僕には今の現状を変える力なんてない。
父さんが泣きながら決断した事だ。
僕に何かできるわけが無いんだ。
僕は何度めかになる自問自答にまた終止符をうった。
『聞いてんのか!!』
ガツッ
『ウッ!』
後頭部に鈍い痛みが走る。
何がおこった。
いつの間にか隣まで迫っていた声の方を向く。
だが、目の前は黒い何かに覆われた。
ガッ
『うぁ!』
自分の顔面に強い痛みを感じると共に僕は勢いで馬から落ちた。
だが、今ので何と無く洋班に何かで殴られたのはわかった。
僕は血のでる鼻を抑えながら洋班の方を向いた。
すると洋班は自分の馬から降りてこちらに向かってきていた。
手には柄に収まったままの剣が握られていた。
きっとこれで殴られたんだろう。
何故か僕は迫り来る洋班に恐怖を感じるどころか頭の中で冷静に状況分析をしていた。
洋班が目の前に来て胸ぐらを掴む。
『てめぇ、俺に向かって無視とはいい度胸じゃねえか』
『…すみません』
『あん!?』
しまった。
関を出てからは洋班に気を使う意味でできるだけ丁寧な敬語を使うようにしていたが、急な事で油断していたのか不貞腐れてしまった。
その感情の籠らない返事をされて腹をたてたのか、洋班はまた手に持った柄入りの剣を振り上げる。
…当たり前か。
僕は潔く殴られる準備をした。
ドカッ
『グッ』
今度は頭に強い痛みを感じ、そのまま地面に突っ伏した。
頭が冷やっとするのを感じた。
痛みを堪えながら殴られた場所を触ってみる。
するとそれと同時にツーっと顔に何かが垂れて来た。
そこで何と無く今どうなってるのかが予想できた。
一応違和感のある頭を触った手を見てみる。
すると手には赤い血がべったりとついていた。
だが、まじまじと見ている暇を洋班は与えてくれなかった。
突っ伏したままの僕の首元を横から片手で洋班が引っ張りあげようとする。
だが、完全に脱力した僕の体を片手では持ち上げられないと知るともう片方の手から剣を離し、両手で襟元を掴みあげた。
『おいおい、この程度でへばんじゃねえよ。なあ?』
駄目だ。
頭から血が出てる事を確認した瞬間、何もかもがどうでもよくなった。
ただただ頭に浮かぶのは次頭に強い衝撃を受けたら自分の頭はどうなってしまうのか。
また、今頭はひんやりとした感覚があるが、表面の頭皮が傷ついただけなのか、それともどこか割れてしまったのか。
そんな事が頭をぐるぐるしていた。
『おい!聞いてんのか!』
洋班が拳を振り上げる。
あ、駄目かもしれない。
そう思った僕はその拳を虚ろな目で見ていた。
『…』
『…っち』
だが、洋班は拳を崩し僕を地面に放り出した。
投げ出された体を反射で腕が地面を捉えて支える。
『ウグッ…!』
だが、その反動が伝わり何とも言えない鈍い痛みが頭に広がる。
頭がさらにひやりとして気持ち悪くなる。
…これは本当にまずい怪我をしたのかな。
そんな事をふと思った。
『洋班様、もうよろしいのですか?』
『ふんっ。すぐへばりやがってつまらねえ…。まだ親父の方が殴りがいがあるのによ』
何かよくわからないがよかった。
今の状況で殴られでもしたら本当にどうなってたかわからない。
僕はふと安堵した。
『洋班様』
『あん?なんだ黄盛』
『もう日も落ちる頃に御座います。ここらで野営の準備をしませんか?』
『…ふん。すぐに準備をしろ』
『ははっ!』
すると黄盛は兵士達に向き直る。
『おい兵士共!!野営の準備に取りかかれ!!』
するとやっとかと言わんばかりにみな重い足を必死に動かしながら動き始める。
だが、その間誰も僕を見ない。
多分、何か手を貸せば自分達にも被害がくるのがわかっているのだろう。
みんな僕の周りを避けていく。
…こっちの方が気が楽でいいのかな。
『おい』
後ろから洋班の声がした。
僕は何も考えずにそちらの方を振り返る。
だが、その直後頭全体に激痛が走り僕は気を失った。
あぁ…なんて酷い世の中なんだ。
今偶然見てしまったが、頭から血を流してフラフラになっていた小僧の頭に向かって洋班様が最後の一撃と言わんばかりに柄入りの剣を振り払われた。
…何もそこまでしなくても。
『ふんっ』
洋班様は満足そうにその場を離れていった。
…小僧は突っ伏したまま全然動かない。
『…おい。あんま見てると目つけられるぞ』
一緒に幕を張っていた向かいの兵士に声をかけられる。
『しかし、あんまりじゃないか?…あの小僧、多分20もいってないんじゃないか』
『ならお前が代わりになるか?』
『い、いや、何もそこまで』
『ならあまり関わらん方がええ』
『…』
確かにそうだ。
ワシらにできる事なんて何もありゃしない。
それに、人に同情してやれる余裕なんてワシらには無いんじゃ。
…許せ、小僧。
だが、ふと関での出来事を思い出す。
確かあの小僧の親のおかげで他はともかくワシはうまい水にありつけた。
それがどれだけうまかった事か…。
また小僧に目をやる。
一向に動く気配が無い。
…死んだのかの。
だが。
『…なぁ、どのみちあんな場所に寝転がられては邪魔じゃないか?』
『いい加減にせい!そんなに痛い目みたいなら一人でやれ!』
向かいの兵士に響かない声の大きさで怒鳴られた。
…最後に気をつかってくれたのか。
じゃがすまんな。
恩を受けて何もしないのは後味が悪いんじゃ。
…それにワシの故郷にはあれと近い歳の息子がおるんじゃ。
『…水、もらったか?』
『あぁ、もらったさ。だがワシは戦場以外で死にとうない』
『そうか…うまかったな』
『…あぁ』
そう言うとワシは人目を気にしながら小僧の方に向かった。
『…本当に馬鹿ばかりじゃ』
ワシが怒鳴った兵士が小僧に向かったのに気付いた兵士達はぞろぞろと小僧に集まり始める。
人数はそれ程多くは無いが、みな関での水に恩を感じているんじゃろう。
だが、あれではあまりにも目立つではないか。
だからワシらは官士になれずに兵士のままなんじゃ。
…本当に馬鹿ばかりじゃ。
『…世話が焼けるの。おい!そこのお主ら!』
『…ん?なんじゃ?』
ワシは周りにいた兵士達に声をかける。
『ちょっとあっち側から先にテントを張らんか?』
『…あの小僧か?』
『何を心配しておる!ワシらは幕を張るだけじゃないか!』
『そ、そうじゃよな?』
『よし!ワシらも手伝おう!』
皆洋班様達にあの集団が見えないように幕を張るのに賛同してくる。
…やはり恩とは重いものじゃな。
何故か体は疲れているのにも関わらず清々しい気持ちが体をよぎった。
夕陽に照らされ、白馬に跨りながら一人で敵を凪ぎ続けた武者がいた。
彼は逃げ惑う残党には目もくれず、ただ僕達に向かって"遅くなってすまない"と声をかけてくれた。
そして彼は言った。
"だが、もう心配はいらない"
"この地はこの鮮武がいただいた"
と。
僕は感極まって聞いてみた。
"僕らはもう苦しまなくていいの?"
すると彼は答えた。
"あぁ"
"俺がこの大陸を平和にしてやる"
と。
あれ?
『おぉ!豪帯様!!』
僕が目を覚ますと隣には凱雲がいた。
『よかった…よかった…ッ!』
そう言うと凱雲は目に涙を浮かべていた。
え?
凱雲って泣くの?
凱雲が泣くのを初めて見た。
いやいや、そんな事より。
『僕はどうしてここに?』
『グズっ…はっ。どうやらここの兵士達が豪帯様を手当してここまで運んでくれたようです』
僕は頭の怪我について思い出す。
そしてふと頭に手をやる。
ズキッ
『いた…ッ!』
『豪帯様、まだ傷が開いて間も無いようです。…どうか安静に』
『…うん』
なんとなく直前までの事を色々思い出す。
多分最後に気を失った時は殴られたのだろう。
その時の激痛とも鈍痛ともとれない痛みを思い出す。
『ウブッ…!』
『豪帯様!?』
不意に吐きそうになる。
あの気持ち悪い感覚を思い出すのはやめよう。
『だ、大丈夫!心配無いから!』
『…』
心配そうに凱雲がこちらを見てくる。
もう心配はかけれない。
『そういえば凱雲、いつ着いたの?』
『…ついさっきで御座います』
凱雲の言葉に違和感を感じる。
『外に出てみていい?』
『いけません』
きっぱりと断られる。
当たり前か。
頭に怪我を負った人間に外を歩かせるなんて凱雲なら許さない。
だが、ふと凱雲の後ろの垂れ幕から薄い光が射し込んでいるのが見えた。
…もう朝方か。
『凱雲、いつからここに?』
『?ですからついさっき着いてそのまま』
『いつからいるの?』
『…』
やっぱり嘘か。
凱雲の事だから着いてからずっと僕に付きっきりだったのだろう。
『凱雲、僕はもう大丈夫だから凱雲も寝なよ』
『いえ、私は大丈夫で御座います』
『駄目だよ。昨日の夜からずっと父さんの仕事とかしてて寝てないでしょ?』
『…いえ、本当に私は』
『凱雲』
『…』
凱雲の名を押し込むように呼ぶ。
凱雲をこのままほっとけば無理ばかりしてしまいかねない。
だから倒れる前に休んで欲しい。
もう、僕の周りで誰かが倒れるのは見たくない。
『ね?』
『…』
すると凱雲はまた俯いてしまった。
何故こうも頑なに寝るのを嫌がるのかわからない。
すると、凱雲の目からまた涙が零れた。
え、なんで!?
『申し訳御座いません…私の到着がもっと早ければ…ッ』
あ、そういう事か。
『私に力さえあればこんな事にはならなかった…ッ!豪帯様を守るお役目を頂きながらなんと不甲斐ない!なんと不甲斐ない…ッ!』
つまり凱雲は僕が殴られて倒れた事に責任を感じているのか。
…だったら尚更その張り詰めた気を休ませてあげたい。
それにこの怪我だって元わと言えば僕がぼーっとしてた事が原因だ。
凱雲が責任に感じる事は無い。
『本当に申し訳ありませんでした!!』
『…凱雲、顔上げて』
『…合わせる顔が御座いませんッ』
『命令だよ』
『…ッ』
『…顔上げて』
『…』
凱雲が顔を上げた。
彼の顔は自分への怒りのあまり紅潮し険しくなっていて、ゴツゴツした顔の溝を伝うように涙が流れていた。
つくづくこんな凱雲を見たのは初めてだ。
でも、だからこそその涙は僕には重く感じた。
これが男が流す涙なんだと思った。
これじゃあ僕が流す涙なんてちっぽけなんだな。
そう思ったらなんだか恥ずかしくなってきた。
僕は凱雲の顔を上げさせたはいいが、その後どうするかは考えておらず、ただ笑ってみせた。
『凱雲、ありがと』
『ッ!』
その後凱雲は声を押し殺しながらも泣き続けた。
そして朝はやってきた。
『出発するぞ!準備をしろ!』
黄盛の野太い声が朝方の空に響いた。
僕らは起きていたからいいようなものを、あれでは兵士達は寝覚めが悪いだろう。
そんな事を思いながら僕は寝台に立ててあった鉄鞭を手にした。
『豪帯様、その必要はありません』
既に泣き止んだ凱雲に止められる。
結局凱雲は寝てはいないが、これから先鋒部隊が出発した後に夜間の物資運搬の役目を終えた後続部隊の兵士達に充分な睡眠を与える為にここに残るそうだ。
多分その時に自分も寝るのだろう。
『凱雲、僕怪我はしてるけど道案内しなきゃ』
『豪帯様がする必要はありません。こちらで代わりを用意します。ですので豪帯様は後続部隊と一緒に』
『いや、でも洋班は多分許さないよ?』
『その時は私が交渉しましょう』
これはいけない流れだ。
多分凱雲の事だ。
何をしてでも僕を道案内から外そうとするだろう。
でもそうなればまた洋班を怒らせかねない。
…それにあちら側には凱雲より強い黄盛がいる。
いざとなったら凱雲は何も出来ずに斬られてしまいかねない。
それだけは嫌だ。
『凱雲。行かせて』
『駄目です』
面倒くさいな。
『ねぇ、これは僕が父さんから頼まれた関に来てからの数少ない仕事の一つなんだよ?その仕事を僕から取るの?』
『豪帯様をこれ以上危険な目には合わせられません。現に今こうして命の危険にさらされたではありませんか』
『これは…』
言葉が詰まる。
確かに次に先鋒部隊に従軍したらそれこそまた大怪我を負うかもしれない。
『お願いです。従軍はおやめください』
凱雲が頭を下げてくる。
それ程までに僕の事を心配してくれている。
それは凄く嬉しくもあり、本当に従軍をやめてもいいとさえ思えた。
だが。
『…凱雲は13年前にあの村で起きた事覚えてる?』
『…えぇ』
『僕さ、あの時からずっと夢みてる事があってさ』
『…』
『でもそれを叶える為には力が必要でさ。だから僕はずっと関で父さんの仕事を手伝えるのを心待ちにしてたんだ』
『…』
『だからさ。僕はここで任された仕事を投げ出したく無いんだ』
『しかし、それで死んでしまえば元も子も…』
『それは違うと思う』
『…と言いますと?』
『だって、この国の為に色々な人達が命をかけてきたでしょ?だったら僕達の世代が命を惜しんで何もしないじゃ命を落としていった人達に申し訳ないよ』
『今ある平和の中で命を捨てるのでは平和を求めた意味がありません』
『多くの命で創り上げられた平和はきっと命を掛けて守るに値するんじゃないかな』
『…』
『…まぁ、今は世の中の平和どころか自分の親すら幸せにできないんだけどね』
そう言って笑ってみせる。
凱雲は複雑そうな表情を見せた。
『…だからこそ、これくらいはやりきりたいんだ』
『…そうですか』
そう言うと凱雲は立ち上がった。
不満はまだあれど、どうやらわかってくれたようだ。
『御無理はなさらぬよう』
『わかってる』
それだけ交わすと凱雲は天幕を出て行った。
『ふぁ…ねみい…』
黄盛に起こされて目蓋を開けたはいいが、なかなか早朝はきついもんだ。
だが、今日は待ちに待った賊退治だ。
俺は腰から剣を抜き取る。
『へへ、やっとこいつが試せるぜ』
親父には経験だの名声だの言われてここまで来たが、そんなのはどうだっていい。
俺はこの名剣で人が切れればそれでいい。
この輝く刀身が人の命を殺める瞬間が堪らなく待ち遠しい。
『はっ!!』
ヒュッ
剣を降り下ろせば風を切る音がする。
その音色が心地よかった。
『へへへっ…ん?』
遠くからこちらへ向かって来る見覚えのある巨大な人影が見えた。
あれは…凱雲だ。
表情は影になって見えないが、あの図々しい程威厳を放つ歩き方は紛れもない奴だ。
何度見ても忌々しい奴だ。
…だが、この一件さえ終われば州都に戻って真っ先に奴をこの国から追い出してやる。
精々今の内に粋がっているんだな。
俺は口元を歪ませるのを必死に堪えながら凱雲の横を通り過ぎようとする。
…が、突然目の前を丸太のような腕が遮る。
こいつ…。
『おい、なんのつも…』
凱雲の顔を覗きむ。
『ッ!?』
一瞬で背筋が凍った。
荒い鼻息を立てながら顔面は紅潮で赤黒く、眉間は深く皺が寄り、顔の至る所が歪み、ギョロリとした目が此方を視線で射殺さんとばかりに捉えていた。
その顔はまさに鬼のようだった。
『う、うわぁ!!』
思わず大声を上げて尻餅をつく。
『な、な、な、なんだ!!』
『…』
『なんなんだよ!!』
それしか言えなかった。
今にもとって食わんとばかりなその異様な雰囲気に相手が人間である事すら忘れていた。
尻餅をついて怯えていると、凱雲はのそりとこちらへ身体を寄せてきた。
喰われる。
そう感じた瞬間身体は固まり言葉が出なくなった。
だが、目だけは離す事ができなかった。
そしてとうとう鬼の顔がすぐ目の前まできた。
『あ…あぁ…』
情けない声が空いた口から漏れた。
見開かれた目からは涙が自然と溢れていた。
『小僧…ッ!』
『ひっ!?』
今まで聞いた事も無いようなドスの聞いた声で声を掛けられた。
もう駄目だ!
そう思った。
『次に豪帯様に手を出してみろ…ッ!例え首一つになろうと貴様の首をねじ切ってやる…ッ!』
『ひぃ…ッ!ひぃ…ッ!』
『『わかったか!!!!』』
鬼の咆哮が空を駆けた。
『ひゃぁ、ひゃあいぃぃ!!』
そしてか細い声が空を舞った。
それから鬼はゆらりと俺から離れていった。
そしてその後異様な咆哮に呼び寄せられた黄盛が来たが俺は当分立つ事も喋る事もできなくなっていた。
『…よ、洋様?お気分はいかがですか?』
『最悪に決まってんだろ!!』
ドカッ
『あだっ!』
『二度とふざけた事ぬかすなよ!?いいか!!』
『は、はいっ!!』
くそくそくそッ!!
胸くそわりいったらありゃしねえ!!
なんだ奴は?!
こっちには黄盛がいるんだぞ!?
斬られるのが怖く無いのか!?
俺は出発してからというものずっとこの調子で荒れていた。
ふと前を行く豪帯に目を向ける。
『ッ!』
『…あ?』
豪帯と目が合う。
だが、それに気付いた豪帯は慌てて目を背けた。
多分俺が怒鳴り散らしているのが気になったのだろう。
…だが、それすら今は腹立たしく感じる。
元々は貴様らの凱雲のせいでこんな胸くそ悪い思いをしてるんだ。
これが豪統なら真っ先に殴り倒してやるところだが…。
『…』
『…』
『…ふん』
あの程度の事で頭に包帯を巻いているような雑魚に構う事はない。
そうだとも。
この判断は決して奴は関係ない。
あくまで俺の気紛れだ。
『黄盛!』
『は、はい!』
『…賊を見つけたら容赦無く殺せ。いいな?』
『わ、わかっております!手など抜きません!』
そうさ。
いざとなれば黄盛がいるんだ。
凱雲ごとき恐ろしくもないわ。
『…ふん』
『…おい。着いたのか?』
『…』
『あの山が荀山のようですな』
嘘だ。
僕は地図を見直した。
『…なら、あれが賊の根城なのか?』
『…だとは思いますが。』
だが、地図では確かにここが荀山の麓だと記されていた。
僕はそれに驚愕のあまり言葉が漏れた。
『…あれが…賊の根城?』
僕の目の前に広がっていた光景は根城というには余りにもお粗末で、そしてのどかな村だった。
一応防衛目的とされているであろう木で出来た柵と門は見えるが、その柵の外には綺麗に整備された農地が広がり、そこには農夫達がせっせと昼の耕しに精を出していた。
そしてその間を縫って駆けるように子供達が走り回っている。
さらに門には見張りが見えるものの明らかに此方を目視しているはずであるのにも関わらずその役目は機能しておらず、門は開け放たれていた。
…話では聞いていたが、これを賊の根城などとは言えないだろう。
なんてのどかな村なのだろうか。
『まぁいい。さっさと潰すぞ』
『『え?』』
洋班の言葉に不意をつかれたのか僕と黄盛の疑問の声が被さった。
なんだって?
『お前ら!これより荀山に住み着く賊を根だやす!いいか!』
兵士の中からも困惑のざわめきがおこる。
僕も自分の耳を疑った。
『なんだ貴様ら!これから賊退治だぞ!気を引き締めろ!』
『よ、洋班様?』
『なんだ黄盛!?』
黄盛が洋班に声をかける。
そうだ、流石に目の前の村は襲えないだろう。
そう思っていた分、黄盛が少し頼もしく思えた。
『我々は本当にあの村を襲うのでございますか?』
『あ?』
ガツッ
『あだ!?』
急に洋班が黄盛の顔面に拳を叩き込む。
その一連の流れに僕はついていけずに固まった。
『な、何をなさいますか!?』
『てめぇが武官のくせに腑抜けてるから兵士も腑抜けになるんだろうが!腰いれろ!』
『は、はい!』
黄盛がすぐ折れてしまって、完全に村に攻め込む流れになった。
『ま、待ってください!』
『今度はなんだ!?』
僕はその流れを察してすかさず声をあげる。
『今目の前に見える村はどう見たって賊ではございません!現に門番がいながら正面の門は開け放たれているではありませんか!』
『…てめぇ、まだ自分の立場がわからねえのか』
『…ッ』
洋班が僕に馬を歩かせる。
殴られる。
そう思った瞬間、あの痛みが頭を過ぎり背中が凍った。
その間に洋班が馬を寄せてくる。
まずい。
僕は目を瞑った。
『…父さんがどうなってもいいのか?』
『…ッ』
だが予想とは裏腹に殴られる事は無く、変わりに耳元で囁かれる。
僕は一瞬殴られなかった事に安堵したが、すぐに言葉の意味を理解し絶望した。
『…ふんっ』
洋班が馬を返して兵士達の方へ向き直る。
『…待って』
『あ?』
だが、僕はやりきれない気持ちを抑えられず、最後に洋班の良心にかけて足掻いてみる。
『…子供だっているんだよ?』
『賊の子なんぞ知るか』
だが、返ってきた言葉は残酷な言葉だった。
…駄目なのか。
『お前ら!もう一度言う!これより荀山に住み着く賊を撃つ!従わねば死だ!いいか!』
『『おおー!』』
『よし、この洋班に続け!行くぞ!』
『『おおー!』』
洋班が僕の隣を駆けて行った。
そして次に隣を駆けて行ったのは
…。
『洋班様に続け!』
黄盛だった。
そして…。
オーッ!
ドドドドッ
それは無数の顔も知らない兵士達だった。
僕はその人の流れの中でただ一人その場で動きを止めていた。
皆僕を避けて走って行く。
僕はふと顔を上げてみる。
…だが目が合うものは無く、見る顔は全てやり切れない表情を浮かべていた。
『…なんで』
そんな言葉が漏れた。
みんな思っている事は同じだ。
この戦に何の意味があるのか。
この蹂躙劇に何の意味を見つけれるのか。
…無意味だ。
ただ上の人間の自己満足だ。
その為の戦。
そしてその自己満足を満たす為に自分達は目の前の平和な日常を踏み躙らねばならないのだ。
それがわかっていて…。
それをこれだけの人間がわかっていてどうして…。
彼らは人殺しをしに走るのか。
…簡単な事だ。
みんな自分の身が可愛いいんだ。
だからわかってはいても声があげられない。
上げても同調する人間がいなければ無意味だから。
そして同調すれば自分も巻き添えなのがわかっているから。
顔も知らない赤の他人の為に命は張れないんだ。
『…ふざけるなよ』
それが何もわからない子供でも。
『ふざけるなよ!!』
僕は耐え切れずに叫んだ。
だが、その声は2000の雑踏によって掻き消された。
村の兵士達が此方の異様な雰囲気に気付いたのか門に集まり始める。
…だがもう遅い。
ついにこの時が来た。
俺は走らせていた馬の上で期待と興奮によって張り裂けんばかりの胸の鼓動に苦しめられていた。
やっとこの名剣で人を割く瞬間が来た。
もう誰にも邪魔されない。
今だけは好きなだけ同じ人を斬る事ができる。
『…ふへ、ふへへへ』
自分でも気持ち悪くなるような笑が口元から零れる。
だが、そんな体裁なんてどうだっていい。
今は後少し先にある村の門が待ち遠しくて仕方がない。
門が近付くにつれて胸の動機が早まるのが自分でもわかった。
…あと少し。
…あと少し。
そしてその瞬間は訪れた。
門が目近に迫った所で衛兵の姿が確認できた。
今正に門を閉じようという所か。
だが、それが運の尽きだ。
俺の名剣の初めての獲物は今この瞬間に決まった。
閉まり掛けの門に素早く潜り込み、呆気にとらわれた衛兵を間合いに捉えた。
『我が名は洋班なりぃぃ!』
そして俺は剣を振り下ろした。
誰かの叫んだ声が聞こえた気がした。
僕は兵士達の波が去った後、ただ一人陵陽関を目指していた。
父さんから戦闘が始まったら戻ってこいと言われた。
だが、それ以前に僕はあの村で起きている惨劇を見守る事しかできないのに耐えられる自信がなかった。
『仕方無いんだ…どうしよも無いんだ…』
僕はずっと下を向きながらそんな事を呟いていた。
後ろは振り返らないようにしていた。
何故ならあののどかな景色が蹂躙されている風景を見てしまったらその景色を一緒忘れられない気がするからだ。
だがその意識すら今の聞こえる筈の無い叫び声に揺らいだ。
…本当に僕はこのまま関に戻ってもいいのか?
僕が今やっている事はなんだ?
僕はまたも無意味だとわかっていながらこの現場に自問自答を繰り返す。
…どうしよもない事。
だから僕に罪はない。
そう言って僕は現実から目を背けているんじゃないのか?
今僕が見ていない所で人が殺されている。
でも、そんな事を言えばこの大陸でどれだけの人間が殺されているかわかったもんじゃない。
…だから逃げるのか?
僕の知ってる所で人が殺されているのに。
僕が止められずに蹂躙されているあの村から。
僕の頭の中では"よせ""やめておけ"と誰ともわからない声で呟かれた。
だが、僕はそれでも村の方を振り返った。
村があった所からは黒煙が幾つか上がっているのが見えた。
もう、今戻っても遅いだろう。
頭の中で人々が蹂躙される光景が次々と浮かんでくる。
…だが、それでも僕は戻る事を選んだ。
僕が止められなかった責任を自分の目に焼き付けようと。
『…なんだこれ』
だが、そんなちっぽけな正義感では到底受け止めきれないような光景が村では広がっていた。
見渡せば家屋からは黒煙が上がり、火を吹き出していた。
そしてその家から逃げ出そうとしたであろう人の死体、勇敢にも戦おうとしたであろう人のズタズタな死体、今殺されたであろう死体、悶絶した表情の死体、壁に追い詰められた死体、ピクピクと痙攣する死体…集められて殺されたであろう子供達の死体。
そして僕の馬の下には赤ん坊を抱えた女の人が転がっていた。
…そして赤ん坊ごと貫いたであろう母親の身体の位置からドス黒い血が溢れていた。
『ウグッ!?』
そのあまりの生々しさに吐き気が込み上げてきた。
堪らず吐こうとしたが、目の前の死体に嘔吐物がかからないように精一杯身体を捻った。
『ウッゲェェェッ!!』
嘔吐物が馬の上から放たれてその勢いでビチャビチャと音を立てながら当たりを汚した。
馬は驚いたのかいななりを上げ、それをよけるように暴れだす。
僕はその急な馬の動きに振り落とされそうになるが、、意識が離れそうになるのを必死に耐えて静止させる。
『…はぁ…はぁ…』
なんとか落とされはしなかったものの、気持ち悪さに合わせて身体に重たい倦怠感を感じる。
そして目には苦しさで涙が溢れていたが、それによってボヤけた視界の中で色々な言葉が頭を巡った。
"僕が止めれなかったから"
"この人達はついさっきまで生きていた"
"子供まで死んだ"
『ちくしょう…ッ!どうして僕は…ッ!』
後悔が後から後から湧いてくる。
どうにもならなかったのは事実だった。
でも、それでも僕には何かできたんじゃないか。
何かを失えばこれだけの人間の命を守れたんじゃないか。
そんな気がしてならなかった。
『…ちく…しょう…ッ』
僕は馬の上でうなだれていた。
『なんだ、来てたのか』
『ッ!!』
声のする方を振り向く。
そしてその声の主は紛れもない洋班だった。
彼の顔は満足と言わんばかりに清々しい表情を浮かべていた。
そしてその手には血のりでべっとりとした剣が握られていた。
『俺はてっきり怖気ずいて関に…』
『うわぁぁぁぁぁぁ!!』
『ッ!?』
気付いたら鉄鞭を鞘から引き抜き洋班に襲いかかっていた。
『洋班ッ!!貴様ッ!!』
『おぃ!なんだ急にッ!?やめろッ!』
僕は無我夢中で洋班へ鉄鞭を振り回した。
洋班は突然の事にわけもわからないといった感じで僕の鉄鞭から逃げていた。
『ふざけんな!!おぃ!?誰かこいつを止めろ!!』
『あぁぁぁぁぁぁ!!』
『うぐッ!!』
『よ、よし!抑えたぞ!』
『離せぇぇ!!』
『暴れるな!』
僕は一通り洋班を馬で追い散らした後、集まった兵士達によって地面に押さえつけられていた。
『はぁ…はぁ…ッちくしょうッ!なんなんだ!』
洋班は息を上げながら守られるように兵士達に囲まれていた。
『洋班!!洋班!!』
僕は頭を地面に押さえつけられながらも洋班を睨む。
『…てめぇ、気でも狂ったか』
『洋班様、彼奴をどうしますか?』
『あ?』
兵士達の後ろからでかい図体がヌッと出て来た。
黄盛だ。
『もしお望みとあらば私めが彼奴の首をはねますが』
『クッ…!』
黄盛の手にする薙刀が目に入る。
彼の薙刀にも血のりが滴っていた。
そして僕は自分の首がそれによってはねられるのを想像して背筋が凍った。
『洋班様、どうなさ…』
『ふんッ!』
ボガッ
『いだぁッ!?』
だが、またしても急に黄盛の顔に洋班の拳が突き刺さった。
『貴様ッ!俺が追われてる間どこにいた!?貴様の役目は俺の護衛だろうがッ!』
『す、すみません!』
『この役立たずが!』
『すみません!』
洋班は兵士達が呆然とする中で仕切りに黄盛に怒鳴り散らした。
黄盛はいつの間にか馬を降りて洋班の馬の前で頭を地面にすりつけていた。
『はぁ…はぁ…』
『すみません!すみません!』
『…こいつに手は出すな』
『すみま…え?』
『いいから手は出すな!!わかったか!!』
『は、はいぃぃ!』
怒鳴り散らして息を荒げていた洋班の口から驚くべき言葉が出た。
兵士に押さえられてやっと冷静さを取り戻したが、僕は洋班に対して相当な事をしでかしている。
てっきり蹴るなり殴るなりしてくるものだと思っていた。
最悪斬首もありえた。
だが、そんな僕に対して手を出すなと命令が出た。
僕は呆気にとらわれた。
『…ふん』
そして洋班はこの場を離れようとする。
『あ、あの…』
『洋班!』
『あ?』
僕を押さえる兵士がどうすればいいか分からずに指示を仰ごうとしたが、それより先に声を張り上げた。
洋班が面倒臭そうな横目で見下ろしてくる。
『…可哀相だと思わないのかよ』
『あ?なんだって?』
『こんだけの人間を殺しておいて平気なのかよ!?』
それを実行した張本人に向かってその言葉を投げつける。
返ってくる言葉なんてなんとなくわかっていた。
だが、それでも叫ばずにはいられなかった。
『賊を成敗したんだ。何を気にする事がある』
『クッ…!』
僕は悔しさのあまり地面に顔を擦り付けた。
言っても無駄。
この男にはここに横たわる人達なんてどうという事は無い存在なんだ。
同じ人間…そんな事さえ彼の中には無いんだ。
『ちくしょう…ッ』
結局止める事なんてできなかったんだ。
彼に目をつけられた時点で彼らの命運は決まっていた。
なんて言ったって彼は偉いんだ。
そして僕らの関には彼を止めれるだけの立場の人間がいないんだ。
『ちくしょう…ッ!』
『…ふん』
洋班は兵士達の中に姿を消していった。
『お、お前ら!関へ戻る準備をしておけ!』
そしてそれを追うように黄盛がついていった。
『こ、こいつどうする?』
『どうするって言われても…』
『はなせよッ!』
『あっ!』
僕を押さる兵士達から腕を振りほどく。
『…くそ…くそぉ…ッ』
『…なぁ坊主』
地面に伏して涙を流す僕に兵士の一人が声をかけてくる。
『気持ちはわからん事は無い。だが、悪い事は言わん。深く考えるな』
『…ッ』
兵士達は皆その場から散り散りになる。
"そんなんだから"
兵士の好意の言葉にそんな言葉が頭を駆け巡った。
僕はそのから暫く立ち上がる事ができなかった。
こうして僕の初陣は終わった。
後書き
どうも、語部館ですb
だいぶ更新日が遅くなりましてすみません。
そしてやっと出てきた戦闘シーンもこれまた呆気なく終わってしまって・・・。
先日知人から「これは内政モノ?」と聞かれてしまい、見てくださる人たちも多分そういうシーンも期待してるんだろうなとは思いつつも、できるだけ生生しくというか主人公を中心に思惑や環境、状況を書きたくて。
どうかお付き合いお願いしますb
また、用語や地名、人名につきましては切のいいところでまとめを乗せようと思っていますb
もしわからないモノがありましたら是非感想やコメントとしていただけたら幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
ページ上へ戻る