ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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ALO編
episode6 決戦、空飛ぶ狩人
『それにしても、思ったより早かったですね』
「…あ゛ー、結構急いだんだよ……」
《天牛車》の上で、俺は大の字に転がって大きく息をしていた。この世界では数値的な疲労は見えないが、それでもわんさか湧き出るMob共を紙一重でかわしつつ全力疾走を続ければ、体は疲れずとも脳味噌が結構なレベルで疲れる。なにせ俺が《天牛車》に追いついた時は既に猫妖精領を過ぎて音楽妖精領に入っていたのだ。
それにしても、こうも疲れていると、こうして牛車の上で寝られるのは正直有難い。横を飛ぶブロッサムのメッセージウィンドウにも、寝たまま応える。位置的には土妖精領に差しかかろうというところだが、俺は追いついてから殆どこの寝心地のいい布天井から体を起していない。
運搬用アイテム、《天牛車》。
SAOの世界にも《馬車》、《牛車》といった大容量のアイテム運搬用動物は存在していた。この《天牛車》は実にALOらしいそれらの上位置換であり、荷車を引く勇壮な牛達の足に美しい光の毛並みがたなびいており、なんと空中を駆けることが出来るのだ。その速さはプレイヤーの飛行には到底及ばない速度だが、それでもかなりの長時間飛行できることで、今回のような長時間の旅であれば効率面ではこちらに軍配が上がる。
時刻は、既に深夜をとうに回っていた。
追いついてすぐに一度ログアウトして速攻で自宅に帰ったため、俺の接続ハードはアミュスフィアに変わっている。体の動きは若干心もとないが、それは言っても仕方あるまい。まさか一晩ネカフェに泊って、翌朝牡丹さんに(ないとは思うが)失踪扱いされる……というのもぞっとするしな。
まあ、今のところ行軍は順調と言わざるを得ない。
その最大の功労者を上げるならば、間違いなく彼女だろう。
『それにしても、見事なものですね。《魔譜演奏》だということを忘れてしまう美しさです』
「ホントに、な……。練習したら出来るようになるもんなんかね、アレ」
荷車の上から、下に揺れるショッキングピンクの髪を見つめる。
牛車の御者用の席に座って演奏を続ける、モモカ。今演奏してる曲は、《日陰者の小夜曲》。プレイヤー相手にこそ効果のない(音楽が聞こえるので当然だ)ものの、Mobに対しては高い隠蔽効果を持つ上に移動中にも使用可能、更には範囲全体を隠すことができる優れモノだ。これのおかげで、ここまで俺達が襲われた回数はまだ数えるほど。本当に楽させてもらっている……のだが。
俺は一応これでも学習する人間だ。
ついさっきのミスを、油断を、忘れてはいない。
だから。
「……モモカ。すぐにログアウトしろ。ブロッサム、《天牛車》を地面に卸してくれ」
隙なく続けていた、既にマスターの《索敵》が、敵の接近を素早く知らせてくれた。
◆
「えっ!? で、でも、その、」
「モモカ。時間が無い。今ならまだログアウトして隠れれば何とかなるだろ」
ネットゲームの世界では常識だが、この世界でもログアウトは特定条件下でなければ一瞬では不可能なように設定されている。簡単に出来ては逃げるために即落ちというのが出来てしまうため、一定時間はアバターが残ったままの『待機状態』となるのだ。だが、それでもその「待機状態」も、場合によっては間に合わなくもない。俺の無駄に広い索敵範囲でほんのわずかに感じられるほどの距離、そして敵がこちらが気づいていないと考えて慎重な接近を期している今なら、まだ可能性はある。
だが、モモカの目は戸惑ったような、思いつめたような瞳のまま、手を動かそうとはしない。
(ちっ……)
モモカも、初心者というわけではない。俺の説明が分からなかったわけではないだろう。この状況下での迅速性の大切さを理解して、それでもなお動こうとしないということは―――彼女に必要だったのは、説明ではなく。
「……モモカ。一緒に来てくれて、良かった。ここからは俺がやる。これは、俺の問題なんだ」
ゆっくりと、そしてはっきりと『説得』する。
モモカとブロッサムには、今俺が急ぐ理由を何一つ話していない。「《竜鎧》を取りに行く」と言っただけで、世界樹攻略のことも、キリトのことも、SAOのことも……勿論、「彼女」のことも。そんな俺になぜここまでついてきてくれるのかと聞いたら、モモカは「だって仲間ですから」と言って笑ってくれた。
そんな彼女を、これ以上俺のわがままに巻き込むわけにはいかない。ましてや。
「俺のわがままのせいで、モモカの楽器を落とすなんて、絶対に駄目だ」
「っ、で、でも……」
「速く! もう時間が無い!」
「っ……」
強く、その肩を掴んで言う。モモカの分厚い丸眼鏡の奥の目が、儚く、寂しげに揺れる。そこに見てとれる感情が、俺には分かる。頼られない、頼ってもらえないことへの、悲しみ。自分と相手の間にあった壁を、乗り越えられなかったことを痛感する無力感。だが、それを拭ってやるわけには、いかない。
かつてそうしたために。
そうしてしまったがために、巻き込んだ人を、俺は知っているから。
あれを、もう二度と繰り返したくない。
モモカの手が、如実に躊躇うように揺れながら、ウィンドウを操作する。
伝わったのか……納得してくれたのかどうかはわからんが、とにかくログアウトしてくれるようだ。
「……モモカ。ありがとう。《風の啼く岬》での歌、俺は一生忘れないよ」
「っっ!!!」
最後の一言にモモカの顔が泣きそうに歪んで……そのまま牛車の中に入って待機姿勢を取った。ログアウトした証拠だ。後はこの《天牛車》を、彼女が完全にログアウトするまで守りきればいい。……恐らくこの大群相手に俺一人では、勝ち目はないだろう。
《索敵》で分かる敵の数は、なんと三十に届こうかという数だった。獲物を待ち受けるかのように半円形に広がっていたその陣形から考えて、間違いなくPKギルド。その半円は既にその端を閉じて、俺達を包囲しつつある。
《天牛車》の御者をモモカから代わっていたブロッサムは俺がこれからすることを良く分かってくれているようで、《天牛車》は深い針葉樹林の前に降り立ち、そのまま中へと入っていく。さすがノーム領、この雪原は真っ直ぐで細長い針葉樹林が多くて助かるぜ。
そこまでの操作を見届けて、ブロッサムにも声をかける。
「……ブロッサムも、すぐに落ちてくれ。いいな?」
『いやです』
「……オイ」
が、返答は予想外のものだった。
……テメー、俺とモモカのやりとり見てんだろうが。
イライラといいかえそうと俺が口を開く前に、ブロッサムが素早くウィンドウを俺に突き付ける。
『私の最終セーブポイントは鍛冶妖精領です。このまま死んで領地に「死に戻り」すれば今より早く辿り着くことが出来ます。寧ろ今は好機です。高価なアイテムを多数持つ、貴方が先にログアウトするべきかと存じ上げます』
「……ブロッサムのアイテムも、手作りの作品が多いだろ。いらないなんてふざけたこと言うなよ」
『確かに自分で言うのは憚られますが、私の持つ製作アイテムも安価な素材では作れない高級品です。ですがそれを加味したとしても、今のこの行進とどちらが大切かという問題です。私はこちらの方が重要だと考えています。もし私が死に戻りしても、それはそれで目的は果たされます』
打ち込まれるウィンドウに、ぐ、と言葉が詰まる。細い切れ長の目が、「これ以上の反論は認めません」とばかりに更に細められる。確かに今の行軍は、領主達の行軍との兼ね合いを考えれば、できる限り早いほうが望ましい。少なくとも、彼らがアルンに到着して戦端を開く前に、《竜鎧》を届けなくてはいけない。にしても、俺一切それ説明していないはずなんだが、なぜそれを知っている。
いい反論もなく、しかし頷くわけにもいかず、睨み合う。勿論、俺は落ちる気はない。
そして。
「……待った。もう手遅れだな」
『の、様ですね。既に敵の羽音が聞こえます。この羽音は、ノームとケットシー、ということは』
「ああ」
時間切れの合図が、とうとう二人の耳に響いた。二種類多数の羽音は、間違いないだろう、ここら一帯を縄張りにする、PK集団、『空飛ぶ狩人』。
プーカ狩りを主に活動している……実に一ヶ月近くぶりに顔を合わせる、俺の仇敵だった。
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