ドン=カルロ
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第二幕その五
第二幕その五
(私が欲しいのはそれではないわ。私が欲しいのは・・・・・・)
そこでカルロの顔が思い浮かぶ。だがそれは心の中で打ち消した。
(いけない、もう忘れなくては)
すっと目を閉じた。そしてすぐに再び目を開けた。
「どうなされました?」
公女はそれに何かを感じた。そしてエリザベッタに対して問うた。
「いえ、何も」
彼女は平静を装い答えた。だが公女はそこに何かを感じていた。ロドリーゴがその場にやって来た。
「陛下、これはご機嫌うるわしゅう」
彼はエリザベッタの前に来ると片膝を折った。エリザベッタは彼の前に右手を差し出した。
「有り難き幸せ」
そして手の甲に接吻をすることを許した。それから彼を立たせる。
「陛下にお渡ししたいものがあります」
彼は立ち上がると彼女に対して言った。
「それは何でしょうか?」
「これです」
懐から何か取り出した。それは一通の手紙であった。そこには王冠と百合の紋章がある。彼女の家であるヴァロア家の紋章だ。
「是非お読み下さい」
「はい、わざわざ有り難うございます」
エリザベッタは礼を言うとその手紙の封を切った。そして手紙を読みはじめた。
「そういえばフランスでは今何が行なわれているのですか?」
公女がロドリーゴに対して問うた。
「今は宮廷で開かれる槍試合のことで話題がもちきりらしいですよ」
ロドリーゴは親切な物腰で答えた。
「まあ、あの国らしいですね」
公女はそれを聞いて微笑んで答えた。当時のフランスは文化的にはまだ進んでいるとは言えなかった。実際はブルボン朝の時代になっても王が決闘で人を殺すこともあったし衛生観念なども無かった。ベルサイユ宮殿の庭やカーテンの隅は汚物で満ちていた。この時代は言うまでもない。食事は手掴みであったし服装も洗練されているとは言い難かった。むしろイタリアの諸都市の方が余程洗練されていた。
「何でも陛下も出場されるそうですね。今はそれが話題の的となっておりますよ」
「陛下ご自身がですか!?」
「はい」
なおこの王はエリザベッタの父である。フランス王アンリ二世。彼はこの試合で命を落とすことになる。
「これは素晴らしいことですわね。フランス王といえば大変な偉丈夫だとか」
「はい。どの者も陛下の見事な槍裁きを見たいと言っているようですよ」
この試合で彼は命を落とす。そして息子が後を継ぎ彼の妻であったカトリーヌ=ド=メディチが後見人となる。彼女はイタリアの富豪メディチ家の出身であるが当時においても歴史においても評判は芳しくはない。当時メディチが様々な権謀術数を駆使していたことは広く知られていたし彼女自身も黒ミサを行なっただの政敵を暗殺しようとしただの女官達を使って情報を集めているだの良くない噂で満ちていた。そして後にフランスの新教徒達を虐殺している。歴史に名高い『サン=バルテルミーの虐殺』である。これは宗教よりも政争であったがこれにより多くのフランスの新教徒、ユグノーが殺された。パリは彼等の血と屍骸に覆われた。そのことから彼女の悪名は今にまで伝わっている。
そうしたフランスであったがここに一人の美女がいた。ディアヌ=ド=ポワティエである。彼女はその老け込まない美貌で何と二十歳年下の国王アンリ二世を虜にしてしまっていた。彼は七歳の時に彼女を見て一目で心を奪われそして死ぬまで彼女のことのみを考えていたのだ。それ程までに美しい女性であるから当時でもフランス以外の国においても評判の美女であった。彼女はフランスの宮廷の女性の代名詞とも言える存在であった。
「ところでお話は変わりますけれど」
「はい」
ロドリーゴはエボリの話に合わせた。
「パリのルーブルでの夜会はそれはそれは素晴らしいものだとか」
「はい、あの方もおられますし」
彼はふとそのディアヌ=ド=ポワティエの話題を出した。
「あの方は肖像画でしか知らないのですが」
公女はエリザベッタをチラリと見て言った。
「まるで女神のようだとか」
実際に彼女は月の女神とも称えられていた。
「はい、私も一度お会いしたことがありますが」
ロドリーゴは答えた。
「本当にお美しい方ですよ」
「それはそれは私もそのようになれたらいいのですが」
「御心配なく。貴女はあの方よりも美しいですよ」
「まあ、そんなご冗談を」
二人はこうして他愛もない話をしている。エリザベッタはその間に手紙を開いていた。
「これは」
それは父王からの手紙ではなかった。王冠と百合の紋章はダミーであったのだ。
「・・・・・・・・・」
それはスペインの言葉であった。
『親愛なる貴女へ』
それはカルロからの手紙であった。
「どういうこと・・・・・・」
どうやらロドリーゴは彼にこの手紙を渡してくれるよう頼まれたようだ。
しかし彼は自分とカルロの間にあるこの気持ちを知らないようだ。何故なら今彼女を見向きもしないからだ。どうやら本当にヴァロア家からの手紙だと思っているらしい。如何に心を割った友でも語れはしないことなのだから。
『私は貴女にお伝えしたいことがあります』
だが彼女はその揺れ動く気持ちを抑えた。そして平静を装い手紙を読んでいった。
『ポーザ侯爵ですが』
ロドリーゴのことである。彼等の関係は彼女も知っている。
『いざという時は彼を頼りにして下さい。彼は必ずや私達の助けとなるでしょう』
どうやら彼はいずれ自分達のことを彼に打ち明けるつもりのようだ。
(だけどそれは・・・・・・)
大変危険なことにもなりかねない。彼女はロドリーゴに目をやった。
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