ドン=カルロ
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第四幕その一
第四幕その一
第四幕 牢獄
新教徒達の処刑から数日経った。カルロは幽閉されたままである。処断はまだ下されてはいなかった。
宮殿の一室。ここは王の部屋である。
「朝がやって来たか」
椅子に座り書類に目を通していた王は窓の向こうが完全に白くなったのを見て呟いた。
「では蝋燭を消さなくてはな」
彼は自分の息で蝋燭を消した。
「朝が来るのは早い。わしはまた眠り損ねたのか」
彼は国内の全てのことに目を通していた。そしてその為には眠ることさえ忘れることがあった。
「だが今は眠りたい」
彼は疲れた顔で呟いた。
「王たる者に安息の日がないことはわかっている」
その声も憔悴しきっていた。
「だが合間で得られないとはどういうことなのだ」
彼は椅子から立ち上がり窓の向こうに鳴く小鳥達を見て恨めしそうに呟いた。
「小鳥でさえ愛を楽しんでいる。だがわしは」
彼は自分のベッドを見た。
「誰もいない。わしは愛というものを忘れてしまった」
彼は幼くして母を亡くした。そして二度結婚したがどれも妻は先に死んでいる。
「わしと結ばれた者はわしより先に旅立ってしまう。あのメアリーですら愛そうとしたのにわしより先に行ってしまった」
二度目の結婚のことを振り返る。
「あの者はわしを愛してはいない。心を閉ざしたままだ」
エリザベッタの顔を脳裏に浮かぶ。
「フランスの暗い森からこの太陽と共にあるスペインに来てもその顔は暗いままだ。そうとも、あの者が愛しているのはわしではないからな」
彼は再び椅子に座った。
「わしは愛を忘れたまま安らかな眠りにも着けぬ。この世に最後の審判が下るその日まで」
彼は壁にかけてある十字架に目をやった。
「神よ、何故このような苦しみをお与えになるのです。私は何時自分のマントに身を包んで安らかに眠れるのでしょうか。私は王といっても他の者と何ら変わるところはないのです」
憔悴しきったその声も次第に弱くなっていく。
「安らかに眠りたい。愛を思い出して」
そして彼はまどろみはじめた。
少しして小姓が部屋の扉を叩く音がした。
「ムッ」
彼はその音に気付き目を醒ました。
「入れ」
「はい」
小姓が入って来た。
「朝の用意ができました」
「わかった、すぐ行こう」
彼は部屋を出た。そして簡素な朝食を終えると王の間に入った。
「今日は大審問官が来られるのだったな」
王は側に控える大臣の一人に対して問うた。
「はい。もうそろそろ来られる頃だと思います」
彼は答えた。大審問官とはこのスペインの異端審問の最高責任者でありローマ法皇直属である。枢機卿に匹敵する権限を持っていた。
「そうか」
彼はそれを聞くと頷いた。やがて小姓が部屋に入ってきた。
「大審問官が来られました」
「お通ししろ」
暫くして白い法衣に身を包んだ小さな男がやって来た。左右を修道僧達に支えられている。
「わしは今何処にいるのだ?」
その白い法衣の男は言った。しわがれた老人の声であった。
「陛下の御前です」
僧侶の一人が答えた。大審問官は齢九十を越える。年老いて目は見えなくなっていたがその脳はまだ生きていた。
「そうか」
彼はそれを聞くと頷いた。そして顔を上げた。
皺だらけの顔であった。若い頃は美男子であったかも知れないが最早老いに支配された顔であった。だが独特の何とも言えぬ険しさが漂っている。それは宗教家というより罪人を裁く酷吏のものであった。
「よくぞ来られました」
王は彼に対し言葉をかけた。
「陛下ですな」
審問官はそれを聞き言った。
「はい。貴方のお知恵を授かりたくお呼びしました」
「左様で」
王はそこで周りに控える大臣や小姓、僧侶達に目をやった。
「下がっておれ」
そしてその場を下がるように命じた。皆それに従い去っていった。
「で、何についてご相談されるのですかな」
審問官は王に対し尋ねた。
「我が子カルロのことですが」
王は彼のことを話し始めた。
「フランドルの者達の肩をもつようになったのです。何処で入れ知恵をされたのかわかりませんが」
「ほう」
「そして先日私の前で剣を抜きました」
「それについてですな」
「はい」
王は答えた。
「決まっておりますな、その処罰は」
彼はゆっくりと言葉を出した。
「王子はあのフランドルの者と結託し王の前で剣を抜いた。これは悪魔に心を奪われているのです」
「まさか」
彼とて悪魔を否定するわけではない。だが大審問官が自らの望まないことを考えていることをそこから悟ったのである。
「その様な者に対する処罰は一つしかありますまい」
「しかしそれは・・・・・・」
王はそれに対して口篭もった。
「父が子を殺すということになります。それは大罪です」
「陛下」
大審問官は冷たい声で言った。
「神は主を犠牲になされました」
「しかし・・・・・・」
「それが世の摂理です」
「世の摂理・・・・・・」
それは恐怖などではない、彼はそう考えている。だが大審問官は違っていた。
「正しき信仰こそが全てです」
「正しき信仰・・・・・・」
「そうです。陛下もそれはご存知の筈」
「確かに」
王は自分がこの男に逆らえないということをその時身に滲みて感じた。審問官はそれを悟っているのかいないのか言葉を続けた。
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