ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド編
経験は毒針に
「――行くぞ!」
先ほどの演説よりもやや緊張感をまとった声を上げながら、ディアベルが目の前に立ちはだかる巨大な二枚扉を押した。内部の空間との境界は、油を差していない機械のような音を出しながら、ゆっくりと、重そうに開かれ、四十六人の全メンバーが、事前に決められた順番通りに隊列を組んで侵入していく。
――広い。
メンバーの中で最後に部屋に入ったマサキの第一感想はそれだった。重厚な扉の向こう側に広がっていたのは、左右が約二十メートル、奥行き約百メートルの長方形の空間で、マサキの予想よりもかなり広かった。これでは、もし万が一のことが起こった場合でも、撤退は難しいかもしれない。
マサキが眉間に皺を寄せて考えていると、それまで真っ暗だった部屋の両横に設置されたたいまつが、唐突に燃え上がった。オレンジ色の光がゆらゆらと揺らめきつつ、部屋全体を染めていく。やがて部屋の反対側に巨大な玉座とそれに腰掛けたシルエットが浮かび上がり――。
巨大な鬨の声と共に、パーティーメンバーが走り出し、マサキもトウマ、キリトと目配せをすると、互いに頷きあって近くに出現した《ルインコボルト・センチネル》に向かう。
先陣を切ったのはキリトだった。相手がこちらを向く前に一気に飛び出し、即座にターゲットを取る。そのまま間合いを詰めたところでセンチネルがハルバードを振り下ろすが、キリトは冷静に、流石の反応を見せ、《スラント》で振り下ろされた戦斧を跳ね上げた。同時にスイッチを宣言し、軽やかに飛びずさる。そしてそこへ、フーデッドケープの細剣使い、アスナが飛び込んだ。
華麗。その一言に尽きる戦い方だった。このパーティーの中で、マサキは脳内で唯一の不安材料として彼女を挙げていたのだが、どうやらそれは杞憂だったらしい。彼女が繰り出すのは細剣カテゴリで最も基本的な技である《リニアー》のみではあったが、その熟練度が凄まじい。マサキも、何も知らない状況で無意識に《ソードスキルのブースト》というシステム外スキルを扱い、今では速度を約二倍、時間で言えば約半分まで短縮できるようになったが、彼女のそれも、マサキに勝るとも劣らない。それどころか、総合的なスピードで言えば彼女の方が勝っている。尤もこれは、マサキの得物が曲刀なのに対して、彼女は細剣を愛用しているためであるが、その凄さの度合いが変わることはない。実際、マサキの見立てでは、彼女の速度は元βテスターであるキリトさえも凌駕しているのだ。
アスナが神速の《リニアー》を放ち終えると、今度はトウマがスイッチで前に出た。ディレイから回復したセンチネルが再び振り回す戦斧を完璧な動作でパリィしつつ、隙を窺う。この世界での戦闘に一番特化したキリトのような戦い方でも、圧倒的なセンスを武器に立ち回るマサキやアスナのような戦い方でもない、無理をせず、まずは防御に徹し、そして現れた隙を逃すことなく仕留める、堅実な戦い方。昨日新しく買ったばかりの両手剣も、まるで長い間扱ってきたかのように使いこなせていて、見ていて安心感すら覚える。
「スイッチ!」
数回目の打ち合いの後、センチネルの戦斧が高々と跳ね上がり、トウマがスッと引き下がった。マサキは即座にトウマとアイコンタクトを交わし、交代して前衛に入ると同時に《リーバー》を繰り出した。未だ高空に打ち上げられている戦斧には目もくれず、ただ弱点である喉元に赤い光をまとった刃を突き立てる。
正確に弱点を貫いた攻撃は、先ほどのアスナの攻撃によって既に半分を割り込んでいたHPを、余すことなく削りきった。
防御に慣れているキリトと防御が得意なトウマが隙を作り、速度に優れ、センチネルの弱点を突きやすいマサキとアスナがダメージディーラーの役割を担う。事前に四人で話し合っていた作戦が、しっかりと機能していた。
「GJ」
「そっちも」
キリトの労いに対してアスナは短い言葉で、マサキはサムズアップで答えると、主戦場であるA~D、F隊と《イルファング・ザ・コボルトロード》との対決に目を向けた。彼らのHPはいずれも安全域であるグリーンに染まっており、時々攻撃を受けたプレイヤーのHPがイエローゾーンに達することはあるが、POTローテーションも安定していて、今のところ問題は全くない。
マサキがそう考えたところで、ディアベル達のC隊が、イルファングの一本目のHPゲージを削り取った。途端に周囲のプレイヤーから歓声が上がり、否応なく士気を高める。マサキはトウマたちと合流し、新しく出現したセンチネルに向かって駆け出した。
この“ソードアート・オンライン”がデスゲームと化してから最初のボス攻略は、順調すぎるほど良好な状態で推移していた。三本あったHPゲージは既に二本が削り取られ、残りは二本。そしてそのうちの一本は残量が半分まで減っている。このままいけば、間違いなく一人の犠牲者も出さずに勝利を収めることが出来るだろう。取り巻きであるセンチネルの駆除も、あぶれ班であるマサキたち四人の奮戦によって滞りなく進んでいる。撃破数ではマサキたち四人がG隊六人を上回り、E隊をイルファングへの支援に回す余裕すらできたほどだ。
「ハアッ!!」
ここでアスナが何度目かの《リニアー》を撃ち、彼女の前方にいたセンチネルのHPゲージががくっと削り取られた。そのダメージによって更なるディレイがセンチネルに課され、動きを止める。マサキはチャンスと判断して一気に距離を詰め、《リーバー》でセンチネルを貫き、青のガラス片へと変えた。
耳をつんざく甲高い破砕音を聞きながら、マサキは周囲を見回した。これで三回目に出現したセンチネルは全滅、ラストの出現まではまだ少し時間がありそうだ。そう考え、マサキはトウマ、アスナと合流し、そしてここで、キリトがいないことに気付く。
マサキがもう一度ぐるりと辺りを見回すと、三人から少し離れたところにその姿が確認できた。が、キリトは何やらキバオウと話し込んでいる。
――汚い立ち回り、LA。
キリトとキバオウの談話を発見したマサキは咄嗟にキバオウの唇を読み、いくつかの単語を聞き取ることに成功するが、何の話かまでは聞き取れた部分が少なすぎて判断がつかない。横からトウマとアスナが、向こうに行くべきかと視線で問いかけてきて、マサキは無言のまま目を閉じ、ゆっくりと首を横に振って答えた。
その後、ラストのセンチネルが出現したと同時に、キリトはこちらへ合流した。アスナが先ほどの会話の内容を質問するが、キリトは静かに首を横に振るのみ。
とりあえずは自分たちの役割を遂行しようということにして、最も近くにいた一体に刃を向けて走り出そうとしたところで――、
キリトが不意に立ち止まった。線の細い顔には明らかな動揺と困惑が滲み、両目は視界内で起きた事象の情報を少しでも多く捉えようとするかのように見開かれている。マサキが顔を動かすと、なぜかトウマも同じリアクション。不審に思ったマサキが彼らの視線を追いかけると、そこにあったのは今までと同じイルファング対メイン部隊の主戦場だった。
――いや、違う。
マサキの脳は超人的な記憶力を以って数分前までの画像と今の画像とを照らし合わせ、相違点を洗い出した。即ち、ボスの持っている武器である。先ほどボスの残HPゲージが一本のみになり、その結果、ボスが暴走状態に突入。攻撃パターンに変化が生じたためだ。
しかしそれが何なのか、マサキは分からなかった。元々、ボスのHPゲージが残り一本になった時、イルファングの武器はそれまでの無骨な骨斧から湾刀へと変化することは“アルゴの攻略本”にも記載されており、その事実は彼らも知っているはずだ。だが、二人の驚きようは明らかに常軌を逸脱している。マサキはもう一度、探るような視線をイルファングに向けた。
(……やはり他に以前との変化はない。二人の思い過ごしか? だが、あの顔はどうもおかしい。何かありそうだが……)
その時、マサキの脳裏で、チリッとスパークが弾けた。今まで感じていた違和感が徐々に形になって浮上してくる。マサキはさらに目を凝らして二人の驚愕の原因を探ていき――、ある一点で目が留まった。
(――いや、待てよ? あの武器は……!)
湾刀と称するにはあまりにも薄い刀身を持ち、その刀身から放たれている光は、間違いなく鍛え上げられた鋼鉄のみが持つものだ。つまりあの武器は湾刀などではなく――、
「刀……?」
ここで突如、マサキが発した疑問を遮って放たれたキリトの絶叫が、広いボス部屋に響き渡った。
「だ……だめだ、下がれ!! 全力で後ろに跳べーーッ!!」
キリトが言うが早いか、イルファングの巨躯が地を揺るがして跳躍した。そのまま空中で体を捻って溜めた力を、着地と同時に一気に解放する。それと同時に出現した真っ赤なライトエフェクトは、見る者に鮮血を連想させた。
その瞬間、マサキには全員の時間が止まったように思えた。攻撃を受けたC隊のプレイヤーたちの頭上には一時的行動不能状態を示す黄色い光が取り巻き、その他のプレイヤーたちも、今起きたことを理解できず、ただ自らの処理能力を超えた情報の前に立ち尽くしている。
やがて、プレイヤーたちよりも一足先にイルファングが長めの硬直から回復した。それにつられてようやくキリトの瞳に光が戻り、同時にエギル以下B隊の面々が援護に走る。
しかし、そんな彼らを嘲笑うが如く、イルファングは手に持った刀――形状からして「野太刀」だろうか――を振り上げた。運悪く餌食となって高々と舞い上がったのは、ここまで部隊を牽引してきたリーダー、ディアベルだった。
自分の体が空中にあることを悟ったディアベルは、必死に反撃のソードスキルを繰り出そうとポーズをとる。が、その体勢はあまりにも不安定で、システムがアシストを開始することはなかった。まるで今から喰らう獲物に対して舌なめずりをするように、イルファングが獰猛な笑みをその顔に刻み、数瞬遅れて再びその手に握られている野太刀を光がまとい、ディアベルの仮想体を切り裂いた。
「チッ……!!」
ここでリーダーを失えば部隊は大混乱に陥り、更なる脱落者が出るだろう。そしてそうなれば、もう二度とボス攻略部隊が編成されることもなくなり、この城からの正攻法での脱出が不可能になってしまう。そう考えたマサキは、ラストの突きが炸裂したのと同時に走り出した。吹っ飛ばされたディアベルの初速、高度、位置から落下点を即座に割り出し、プロ野球選手並みの見事なスライディングキャッチで飛来する騎士の体を受け止める。そしてポーチから取り出したポーションを口内に注ぎ込むが、真っ赤に染まったHPゲージの減少は止まらない。センチネルの処理をアスナとトウマに任せ、キリトを呼ぶ。ディアベルは、虚ろな目でキリトが走り寄って来るのを確認すると、二人だけに聞こえる、掠れた声で言った。
「……後は頼む、キリトさん。ボスを、倒」
耳障りな破砕音と共にその姿を四散させた青髪の騎士が、その言葉を言い終えることはなかった。
後書き
最近少し短めの話が続いてしまっていますね。あまり一話が長いよりはいいかと思って細かめに区切っているのですが、いかがでしょうか?
もっと長いほうがいい! という方、おられましたらお手数ですが作者までお願いいたします。
他にも、ご意見、ご感想などございましたらお気軽にお書きください。
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