魔王の友を持つ魔王
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§26 料理店での遭遇者
「……うっぷ」
普段なら少しずつ飲むものであるのだが、衆目を集めてしまった以上この場にはいられない。一気飲みして外に出たのだが、甘すぎるものを一気飲みしたせいで、胃が焼けるようだ。正直辛い。飲んですぐにバスに乗ったこともあり、降りるころには黎斗の顔は土気色になっていた。バスの中でリバースしなかった自分を褒めてあげたいと切実に思う。
「何バカみたいなことやってるんですか、マスター」
心底呆れた、という表情をエルがしているであろうことは声だけで容易に読みとれる。御尤もです。
「ホントだよれーとさん、体調大丈夫? それすっごく甘いけど。ホントにコーヒーなの?」
「恵那さん、マスターに気遣いは無用です。勝手に頼んで自爆してマスターにはいい薬でしょう」
辛辣な言葉をぶつけながらも、手を引いて誘導してくれるエルのあとをついていく。周囲からの嫉妬の視線が非常に鬱陶しいが今は手を引いてもらうしかない訳で。治癒能力をこんなことで使うのは馬鹿馬鹿しいし、使ったら何かに負けた気がする。女の子の前でトイレに駆け込むのもイヤだ。なけなしのプライドを振り絞る。だが、振り絞ったところで現状の格好悪さは変わらない。
「まったく、こんな情けない神ご……、須佐之男命様の眷属なんていませんよ」
神殺し、と言おうとしたエルは恵那が居ることを思い出し、すぐに言い直す。彼女は未だ、黎斗が太古より生きる神殺しであるという事実を知らない。時々、エルは何故彼女に話さないのか疑問に思う。
護堂には既に神殺しであることは話してある。とすれば遅かれ早かれ彼の周囲の女性たちも己が主が神殺しであることを知るところとなるだろう。おまけに先日までエリカと裕理を縛っていたは黎斗の権能による思考操作の影響は既にない。「黎斗は神殺しと無関係である」という思考の呪縛は。通常の洗脳とは異なる持続型の記憶改竄。これにより二人は黎斗は神殺しと関係あるのではないか、ということすら考えられない状況になっていた。これを解除したのは彼女たちが護堂から真相を聞いたときに、矛盾する二つの事柄を受け入れようとして精神が耐え切れなくなり崩壊が起こるのを防ぐため。
「ぶっちゃけ時間の問題だと思うのですが」
そして思考操作を解除した以上エリカならば自力で真実に辿り着きかねない。露見は時間の問題だ。結果として護堂、エリカ、裕理、リリアナとここまでバレるのだから恵那一人くらい増えたところで構わない気がする。というか、身近な人に黙っているのが申し訳ない。
(……もっともマスターが隠されるのでしたら、私に拒否権などないのですけどね)
思考に沈んだのはほんの僅か。すぐに意識は現実に戻る。
「あ、ここのお店? ……って、幹彦さん?」
店の前まで来たところで、恵那が道路の反対側に目を移す。視線の先には自販機と、身なりの整った青年が一人。
「ミッキさん……?」
「恵那さん、お知り合いですか?」
依然として無様な黎斗に変わり、エルが恵那に問いかける。
「うん。四家の一角、九法塚家の跡継ぎで幹彦さん、っていうんだ。四家の跡継ぎの中では一番マトモないい人だよー」
「……ご自分がマトモじゃないと自覚なさっていらっしゃるのですね」
エルと恵那の会話に他に人がいることに気付いたのか、青年が黎斗の方へ向かってくる。
「やあ、恵那さん久しぶり。こちらのお二人は? ……特に君、なんか顔色悪いけど、大丈夫?」
「……だ、大丈夫です」
初対面の人に心配される黎斗。そこまで今の顔色は悪いのか自問する。
「マスターは自爆しただけです。貴方が九法塚の次期党首様ですか。お初にお目にかかります。こちらで情けない表情をしているのが須佐之男命様の眷属、水羽黎斗です。私は黎斗の使い魔でエルと申します。以後お見知りおきを。……我が主がこのようなみっともない姿で申し訳ありませんがなにとぞご容赦を」
四家? 四つの家ってなんだろう? 黎斗の頭を”?”マークが走り抜ける。
「あー、頭が回らない……」
これではまるで二日酔いだ。やせ我慢をこれ以上してもおそらく碌な結果になりはしない。というか、恥が増えるだけになりそうな気がする。潔く諦めて治癒の術でも使おうか。
「ちょいまち……」
一端決断すれば後は早い。少名毘古那神の力を用いて作成した、体調回復用の水を入れたペットボトルをラッパ飲み。なんとなく持ってきていたのだが、まさか本当に使うことになるとは。備えあれば何とやら、だ。もきゅもきゅと、力の抜ける音が数秒聞こえみるみる間に黎斗の表情に生気が戻ってくる。
「……あーあ、大分マシになったわ。二人ともお騒がせしました」
「失礼ながら。貴方様があの?」
「あのって?」
「これは失礼いたしました。ご老公の眷属にして懐刀と噂の黎斗様ですか?」
様をつけられた。なんでだろう。黎斗としてはそんな偉い人種になった記憶はないのだけれど。
「あー…… そういえばれーとさんは古老の一人なんだっけ」
普段が普段だから忘れてたよ、と笑う恵那を見て氷解する疑問。古老はこの青年の所属する組織の上層部だったか。
「黎斗でいいですよ。多分年下ですし。スサノ……御老公様の眷属をしている以外は普通の人間ですので」
「九法塚様、我が主は今でこそ眷属ですが平民出身で表舞台に出ていなかったので敬意を受けることに慣れておりません。色々思うところはおありでしょうが一般人と同じように接してくださいますようお願いします」
「……そういうことなら仰せの通りにさせていただきましょう」
黎斗の言葉に異論がありそうだった幹彦も、エルの補足でとりあえず納得してくれたらしい。
「それにしても驚きま……驚いたよ。”人間辞めました”だの”神に最も近い存在”なんて仰々しい通り名を持つお方だからもっと恐ろしい人だと思っていたよ。マフィアみたいな」
「神様と互角に戦うマフィアって怖すぎですよ…… そんなのが居たら安心して街を歩けないじゃないですか」
「ん?」
サラリとエルが流すから、黎斗は最初、自分の耳がおかしいのかと思った。
「それはそうだけど。でもまつろわぬ神の自由奔放ぶりはよくわかっているからね。 神に最も近いってフレーズから神の横暴に比類する、と考えればそう思ってもしょうがないだろ? おっと、今の発言は無かったことに」
「ふふっ、そう言われると確かにそうですね……これは盲点でした」
「いやいやいやいや!! アンタらナニを話してんの!? エルもなんでみょうちくりんな名前はスルーすんの!?」
聞き間違いではないことが判明してしまった。なんだこれは。しかもこのキツネ様、ドサクサに紛れて神と戦えることを暴露してくださった。幹彦がサラッと流してくれたが、食いつかれたらこやつはどうする気だったのか小一時間問い詰めたい。
「え? マスターの名前ですか?」
そんな黎斗の苦慮にも気づかずに、何を今更、といった風なエルが語る。これがドヤ顔というやつなのか。
「権能を使っていない、という前提条件がありますが六人目の神殺しの魔王、”剣の王”サルバトーレ・ドニ卿と互角。古老となっていた”元まつろわぬ神”三柱より須佐之男命様の救援が来るまで逃げ延びる。しかもよりにもよって幽世で。トドメは”叢雲”の化身に大打撃を与え七人目の神殺しの魔王、草薙護堂様の援護に成功。これだけやったにも関わらず「元一般人で今眷属です♪ ちょっと運が良かったダケだよ、てへっ★」なんて言って通じると思ってるんですか。聖騎士と呼ばれる方々ですらこんな芸当は無理だと思いますよ」
「…………」
ごめん思ってた、なんてそんな思いはエルにバッサリと切って捨てられた。
「思ってたんですね……」
エルのため息に首を竦めることで返答する。しかしここで今までに自身がやらかした事が公式でどんな風に扱われているのか確認できた。それは収穫だったというべきなのだろう。今になるまで確認することを忘れていたのだから、本当にどうしようもない。
「って、幹彦さんどうしたの? こんなところに一人で。忙しいんじゃない?」
そういえば、と前置きをして華麗に話題をぶった切る恵那。話の流れがよろしくないので黎斗としては万々歳である。幹彦に問いかける彼女に彼は疲れた表情を向けた。
「今帰りなんだよ……」
何があったのかはわからないがどんよりとした空気が見えるようだ。どこか苦労性のニオイがする。
「店の前でぐだっててもしょうがない。とりあえず入りましょ。九法塚さんもどうですか?」
「僕は……いや、じゃあご一緒させてもらおうか」
断ろうとした青年だが何かを考え直したように頷いた。こちらへ向けた意味ありげな視線といい厄介事の気配が漂う。
「……じゃあ、入りますか」
何が飛び出すかはわからないが酷い案件が出てくることは無いだろう、と楽観視した黎斗は料理を注文するころにはすっかりこの事を忘れていた。
———時刻は若干、前後する。
「……一足遅かったようですね」
幽世で呟いたのは一人の乙女。無念そうな声音と、硬い表情。彼女にはわかる。この近辺で激戦があったことが。上手く修復して誤魔化したようだが、それでも彼女の目を欺くことなど、出来はしない。一通り周囲を見渡した後、そのまま彼女は歩きはじめた。その足取りに、迷いはない。
「……ここで残滓が途絶えている。現世に戻った? いや、それにしては消え方がおかしい。唐突過ぎる。現世に戻る呪法の痕跡もない。突如気配が現れた事といい、痕跡を隠蔽する能力でも?」
難しい顔をして思考に耽る彼女は発見がもう少し早ければ、と後悔した。もう少し早ければ、あるいは会えたかもしれなかったのに。東京で神力を感じたからと、その近辺のみを探索していたのが裏目にでたか。
「ですが、これでようやく見つからなかった理由がわかりました」
限りなくゼロに近い気配を察知し周囲の状況を調べ上げる。全ては求敗の極地にまで至った彼女の執念の賜物だ。本来、手段を選ばなければ捜索は容易だっただろう。既に見つけていたかもしれない。しかし、彼女の矜持が、舎弟達を総動員して”彼”を探すことを許さない。これは彼女が独力で見つけることに意味があるのだ。有象無象を使うことなど、天が許したとしても己が許すわけにはいかない。それでは「自分一人では見つけることが出来なかった」と”彼”に伝えるも同然の行いではないか。それは挑む前に敗北しているも同義であると、彼女は思う。
「まもなく、ですね」
思い返すは彼女が幼い頃の、遥かな記憶。
「必ず――」
着実に絞り込めている、その確信と共に彼女はこの場から現世に戻る。いつものように分身では無く彼女自身が来ている、という異常事態。———それは、これが彼女にとって重要事態である、ということを示していることに他ならない。
「次こそは、必ず」
その呟きは、風の中に消えていく……
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