少女1人>リリカルマジカル
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第六話 幼児期⑥
「お兄ちゃん、これは?」
「あぁ、これの読み方は『ち』だ。チェストー! とかで使うだろ」
「ちぇすとー!」
「ちぇすとー!」
妹とポーズを決めた後、また椅子に座りました。リビングのテーブルの上に広がるのは、ノートや筆記用具、それと絵本や教科書である。今日はお勉強タイムの日です。
読み方を覚えたら、次は書く練習になる。妹は左手でしっかり鉛筆を持ち、文字を書き写している。俺も一緒に書き写しながら、間違いがないかどうか確認する。しかし左利きってなんかかっこよく感じるな。俺も周りも右利きが多かったからかねー。
「雨やまないねー」
「仕方ない、こういう日もあるさ。勉強飽きたか?」
「ううん。お勉強楽しいよ! だって見て見てお兄ちゃん、私『ありしあ』って書けるようになったんだよ!」
「お、うまくなったな。4歳でそれだけ書けるなんて、すごいじゃないか」
「そうかな、えへへ」
頬を赤く染めながら、嬉しそうに照れる妹。妹の字を見ながら、俺は本心で称賛する。さすがはあの母さんの娘ってことなんだろうか。スポンジのようにどんどん吸収していってくれる。アリシア自身が学ぶことに積極的なのもあるだろうけど。
俺はよくメモ帳に文字を書いていたり、絵本を読んであげている。妹はその様子を見て、自分も出来るようになりたいと思ったらしい。ちなみに、もしものためにメモ帳の大半は日本語で書いてはいるけど。
俺も特に不都合はないし、今はいないがコーラルと一緒にミッドチルダの言語を教えている。……そろそろ迎えに行ってあげるかな、うん。
ミッドチルダの言葉は、どちらかというと地球の英語に似ているのは助かった。確かレイハさんもバルさんも英語でしゃべっていたし、そこはアニメの影響なのかもしれない。ただ文字はアルファベットではなく、独自の文字であったため最初は混乱した。今は慣れたが、俺もこの勉強の時間に文字の復習をしている。
妹はふと、窓に目を向ける。俺も妹の行動につられて、同じように景色に目を向ける。空は曇り、大粒の雨が降り注いでいる。そこから先に見えるのは、母さんが働いている魔力駆動炉。空高くそびえるそれは、まるで塔のようだった。
全ての元凶。自然と眉を顰めてしまっていたが、俺は眉間をぐりぐりと指で押す。癖になったらやだし。妹は駆動炉を真っ直ぐに見つめていた。
「お母さん、今日も遅くなるんだよね…」
「そうだな。晩御飯、オムライスを置いておくからってさ」
「……また、『おかえり』って言えない」
「……うん」
最近また母さんのスケジュールが厳しくなった。今まで夕方には帰ってこれた母さんの帰宅時間は、少しずつだが不定期になってきている。こんな労働基準法無視しまくりな労働時間は、地球なら即訴えられるレベルだぞ。
それでも訴えられないのは、それだけ上層部のやつらが狡猾だからだ。この次元世界で警察の役割を果たしてくれているのは時空管理局だ。しかし管理局はミッドだけでなく、管理世界全域を護っている。原作でも家のテレビでも言っていたが、人材不足に尽きる。世界規模の警備を複数だ、当然と言えば当然か。
故に証拠もなく人材を動かせないのだ。さらに最悪なことに、一部の管理局の局員も通じている可能性が高い。
中央技術開発局は管理局にもいくらか関わりがある場所だ。だから今までに局員が何度か視察に訪れているはずなのだが、一向に改善される気配がない。開発局の上層部にとって都合が悪い情報を隠蔽し、管理局に報告しているとしか考えられない、と俺は思っている。
本当にやってらんない。まじめに働いている管理局員さんと開発チームのみんなにまじで謝れや。
と、思考がちょっと暴走ぎみになっていたので冷静になったほうがいいな。同僚さんみたいにいろんな意味で暴走したらまずいし。……不思議だ、同僚さん思い浮かべたらすげぇ冷静になれたよ。
うん、まずは俺に出来ることを一歩ずつやっていくしかないな。ちりも積もれば山となるでしょ。だからまずは、俺がすべきことをしていこう。
「だけど妹よ、夜更かしして待つのは駄目だぞ。母さんもっと心配かけさせちゃうからな」
「……はい」
ふむ…。
「アリシア」
「え、ふえっ。お、お兄ちゃん?」
俺の言葉に小さな返事を返した妹に、俺は手を伸ばす。俺の方に振り向いたアリシアの頭を、ポンポンと軽く叩いた。困惑した顔の妹に、俺は笑顔で紙と鉛筆をズイッと見せつけた。
「おかえりは言えないかもしれないけど、伝えることは出来るぞ」
「え?」
「2人で『おかえり』のお手紙を書こうぜ。母さんに勉強の成果を見てもらえるし、心配もかけさせないうえに、俺たちの気持ちを伝えられるだろ?」
「あ……、うん。うん!」
まさに一石三鳥。俺と紙を交互に見ていた妹は、俺の言葉の意味を理解し、何度もうなずく。その顔はさっきまでの気持ちを押しこめるようなものではなく、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「せっかくなら絵も入れるか。アリシア、色鉛筆取って来てくれるか」
「わかった! お兄ちゃんは何を描くの?」
「えーと、似顔絵とかかな」
「あ、私もお母さんのにがおえ描きたい!」
「んー、じゃあそっちはアリシアにまかせるわ。俺はそのまわりに…大量のか○ぱらさんでも描いとくか」
「おぉー!」
うん、やっぱりアリシアは笑っている顔が一番だよな。
******
「そんな……待って下さい! これ以上スケジュールを切り詰めるだなんて!」
次元航行エネルギー駆動炉『ヒュードラ』。その開発局の一室に3人の人間がいた。
1人は焦燥を隠すこともなく、相手側の提案に反発する女性――プレシア・テスタロッサ。ヒュードラの設計主任である彼女は、納得がいかないと声を張り上げた。
「なにか不服かね、テスタロッサ主任。これは上層部全員の意見だ。ヒュードラの完成を急がせる必要がある」
だが、相手の男性はそれに一切感情を向けることもなく、淡々と告げる。彼はプレシアに目を向けることもなく、自身の手元にある書類を眺めている。言葉と態度から明らかな拒絶がうかがえた。
「……ッ! 不服とか、そういう問題ではありません。今でさえ駆動炉の設計を急がせているんです。これ以上の負荷は、安全設計に不備を起こしてしまいます」
「ずいぶん弱気ですね。大魔導師とまで言われ、その若さで中央開発局の局長を任されているお方が」
もう1人傍らで佇んでいた男性が嘲笑する。プレシアは一瞬その男性に視線を寄こしたが、すぐに外した。彼女の表情には何もうつさない。冷静さを失えば、相手の思うつぼだと理解しているからだ。
「私は主任として、1人の開発者として進言しているだけです。駆動炉の要であるエネルギーを安定させるためには、数年は確実にかかります。それを2年以内で完成させろなど、不可能です」
断言する。プレシアがこの開発に携わるようになって1年。いくら考えても完成など夢のまた夢だ。ただでさえ、今の現状だけでもギリギリだというのに。彼女は静かに拳を握りしめる。
すべてはプレシアが、アレクトロ社の次元航行エネルギー駆動炉『ヒュードラ』の設計主任に抜擢されたことが始まりだった。
この開発にはもともと前任者が存在していた。だが、かなりの不祥事と問題を起こしたことで職を追われ、その後釜として引き継がされたのがプレシアたちだった。現上層部のメンバーは前任者が開発をしていた頃からおり、しかも引き継ぎ用のデータにはかなりの穴があった。
その穴を埋めるための研究と膨大な事務処理、そして上層部の勝手な都合で決められていくスケジュール。何人もの研究者が体調を崩し、上層部のやり方に嫌気が差しやめていった。さらに残った者たちで抜けたメンバー分の事後処理を行い、開発する必要がある。
そんな状況下で、さらに時間を切り詰めるなど正気の沙汰ではない。駆動炉の安全性の面からみても危険すぎる。それにも関わらず、上層部は効率を重視し、圧力をかけてくる。
「君の意見など聞いていない。時間は有限だ。こんなところで喚いている暇があるのなら、至急仕事に戻りなさい」
「ですから」
「そういえばあなたには2人もお子さんがいましたか。大変ですね。しかしヒュードラはこの世界のためになる有用な技術です。そんなことのために使える時間があるのなら、問題はありませんでしょう」
そんなこと。プレシアは男の言葉に激昂しそうになる自身を抑える。唇を噛みしめ耐えなければ、今にもその残念な髪をツルペタになるまで黒焦げにしそうだった。そよ風ですらなびくような髪ばかりの上層部。もう抜いたらどうだろう、と何回思ったことか。
プレシアの視線が自身の頭に向いていることに気付き、2人は咄嗟に身構える。さっきまで書類にしか目を向けていなかった男も、微妙に額に汗を浮かび上がらせている。そこまで大事か。
さすがにこれは地雷だったかと気づき、男は咳払いをして場の空気を元に戻す。大魔導師にキレられるのはごめんらしい。
もっとも彼女の2人の子どもは、上層部にとって大魔導師の枷になってくれているのは事実である。駆動炉の完成まではプレシア・テスタロッサは必要な人材だ。故に彼女がこの開発に携わった時から、その子どもを脅しの材料にと上層部は考えていた。
もちろん実際に手を出す気はない。なぜなら、彼女は自身の家に自ら結界を張っているため侵入もできないからだ。だが、言葉に示唆するようなニュアンスを含ませれば、それだけで大魔導師は沈黙した。それだけ子どもたちを危険な目に合わせる可能性を捨てられなかったのだ。
「とにかくこれは決定事項だ。それでも上に逆らいますか?」
「……いえ、わかりました。しかしこれ以上開発者を使い潰すような扱いは、開発の妨げになると思いますよ」
プレシアは失意を目に浮かばせる。過去に何度も取り次いできたが、返された返事はすべて拒否だった。主任としての立場、母親としての立場。本部の一室から外に目を向けると、そこには雨風が吹き荒れている。その奥には子どもたちが待つ寮が見えた。
すぐそばにいるのに、子どもたちに会えないことが、寂しい思いをさせてしまう現状が、彼女を苦しめていた。
彼女は一礼すると、本部の部屋から退出する。少しでも仕事を進ませる必要がある。1人廊下を無言で進みながら、プレシアは現状を憂うことしかできなかった。
「ところで、開発が終われば管理部門に転属したいと言っていましたが、よろしいのですか? 主任である彼女はこちらの情報をある程度知られていますが」
「いくら大魔導師と言えど、組織に刃向うことはできまい。時間も伝手もなく、なによりも証拠がない。書類の隠蔽は問題ないのだろう?」
「はい。万が一事故や不具合が起こっても、開発チームや我々に反抗的な者達の仕業に仕立て上げられます。裁判になってもこちら側に抱き込んでいますからね」
「ふん。それに金でもやればいくらでも事は足りるだろう」
「えぇ。まったくもって」
******
「ただいま」
深夜を少し過ぎた頃、プレシアは家に帰宅する。リビングの電気も消えており、雨も止んでいるため静寂だけがそこにあった。
『おかえりなさい、お母さん!』
『おかえり、母さん。お仕事お疲れ様』
今までなら子どもたちの元気な声が聞こえていた。時々廊下を走ってお出迎えに来るアリシアに、走ったらこけちゃうわよ、と注意しながらもぎゅっと抱きしめていた。それを微笑ましそうに見ながら、アルヴィンが私の荷物を部屋まで運んでくれていた。
しかし、これからそんな時間がもっと減っていく。プレシアは重い足取りでリビングに向かい、明かりをつける。台所には今日の晩御飯のお皿がきれいに並べられており、子どもたちがちゃんと食事をとったことがわかった。
「あら?」
荷物を置こうとテーブルに視線をやると、出掛けた時には何もなかったテーブルの上に、1枚の画用紙が置いてあった。プレシアは子どもたちが片付け忘れたのかと思いながら、紙を覗きこんだ。
彼女はそこに書かれていた内容に最初は呆けてしまった。短い文とおそらく黒髪の女の人の絵と妙にリアルな茶色い動物が大量に描きこまれている画用紙。正直かなりシュールすぎる。
それでもプレシアは理解していくにつれ、その瞳に涙が溢れていた。口元を手で覆いながら、何度もその文に目を通した。
『おかえり』
『むりしないでね』
『ごはんおいしかった』
『いつもありがとう』
彼女は嗚咽を漏らさないように、静かに涙を流し続けた。
******
「母さん、やっぱり遅いな」
アリシアも寝ちゃったし、今がチャンスかね。時刻は23時で、子どもならもうとっくに寝ている時間だ。俺も気を抜いたら寝ちゃいそうだけど、頬をパチンッと1回叩き覚醒する。
俺に出来ることをすると決めた。正直俺はそこまで頭がいいわけでもないし、すごい特技があるわけでもない。変なところで特徴はあるとか、頭がぶっ飛んでいるとか、失礼なことを言われたことはあるけど。
それでも、精一杯頑張ろう。このまま流されるだけなんてごめんだ。俺は目を閉じてイメージする。向かうはヒュードラの開発局のとある一室。ずいぶん前に1度訪れたことのある場所であり、俺が仕掛けを行った場所だ。
「よっと」
俺は真夜中の本部の部屋に転移した。視界は真っ暗で歩くことも困難だ。明かりを付けるわけにもいかないが、そこは別に問題ない。俺の目的は『お迎え』なんだから。
「おーい、コーラルいるかー?」
『……ますたー。遅すぎますよ』
暗い部屋の隅で、緑に点滅する光が現れる。光はふよふよと浮かび上がり、俺に向かって移動して来た。わかってるけど、怖ッ! もっと元気よく飛んでこいよ。
「なんか幽霊みたいだぞ」
『ますたーが……ますたーが全然僕のこと迎えに来てくれないからじゃないですか! 身体があったら本気で泣いてますよ!?』
「あ、あはははは。つい」
『ついじゃないですよ! どうせ僕のことなんて忘れてたのでしょ!? なんで僕のますたーはこんなんなのですかぁーー!?』
「こんなん言うなや」
いやぁ、相変わらずだった。あと今真夜中だからね。もうちょっと声のトーン落とそうぜ、コーラル。というかほんとに若干涙声になっていませんか。お前インテリジェントデバイスだよな。
「それより……ばっちり撮れてる?」
『……はいはい撮れていますよ。もうこれ以上ないぐらいにばっちりです』
コーラルの報告に俺は思わず顔をほころばせた。
俺は昔からリリカル物語を読んでいて、インテリジェントデバイスについてある考えを浮かべたことがあった。見た目は小さな宝石で、映像記録も取れて、さらに自律行動も取れる。そう、これはもう……最高の盗聴器だろうと! さすがにコーラルには直に言わないけどね。
「でもさすがコーラル。お前にまかせて正解だった」
『ますたーぐらいですよ、デバイスの映像記録をこんなことに使うの。それに大変だったのですよ。見つからないように必死に隠れたり、掃除機に吸いこまれそうになったり、……ソウジキコワイ』
「えっと、うん。まじごめん。掃除機怖かったな」
デバイスを慰めるマスター。いいのか、これで。というかコーラルの奴、『隠密スキル』まで身につけていそうだ。本当にいいのか、これで。
あれからコーラルを連れて、家の寝室に転移した。時刻はそろそろ0時をまわりそうだった。収穫はあったし、明日も早いからもう寝ないとな。
『ますたー、記録はどうするのですか?』
「うーん、使わないならそれが一番なんだけど……もしもの時に使えればな」
『わかりました。あ、帰ってきたみたいですよ』
「え、まじ?」
コーラルは感知に関しては非常に優秀だ。機械の力と俺の魔力を使って、常にサーチしてくれているからだ。放浪によく出掛ける俺たちのために組み込まれたシステムであり、俺も信頼している。
それに、耳かきやはさみが行方不明になった時とかめっちゃ大活躍! 僕ってデバイスですよね…ダウジングじゃないですよね……、と哀愁漂う時がたまにあるらしいが。
とりあえず、俺は寝室からリビングの様子をこっそりうかがうことにした。アリシアと一緒に書いた手紙。母さんは喜んでくれるだろうか、喜んでくれたらいいな。そんな風に思いながら、覗いた俺の目に映ったのは、涙を流す母さんの姿だった。
「ううん。お母さんこそ…ありがとう。……本当に、ありがとう」
小さくかすれた声。今にも消えてしまいそうなぐらいに呟かれた言葉は、はっきりと俺の耳に入った。
母さんが泣いている姿なんて、初めて見た。母さんはいつも笑いかけてくれた。どんなに仕事が忙しくても、どんなにつらい時でも、俺たちの前では決して泣いてる姿を見せなかったから。
もちろん俺だって、それが全てとは思っていなかった。俺たちに見せない顔があるのは当然だってわかってはいた。それでも、こうやって母さんの泣き顔を、辛い表情を見てしまうと…込み上げてくるものがある。
俺では母さんの涙を拭いてあげることはできない。今俺が行っても、母さんに無理をさせてしまうだけだから。心配させてしまうだけだから。俺が母さんの息子だから、母さんは今の自分を見られたくないはずだ。
『……ますたー』
「大丈夫。寝ようか、コーラル」
俺は音をたてないように扉を閉める。母さんに溜まっているものが少しでも流れて欲しい。今は泣かせてあげるべきだと思った。それしか、今の俺にはできないから。
「なんで俺、子どもなんだろ。なんで母さんの涙を止められるような、力がないんだろう」
『それは…』
「悪い、なんでもない。コーラルもお疲れ様、ありがとう」
『いえ、ますたーも無理をしては駄目ですよ。…絶対に』
「はは、うん。わかったよ。おやすみ、コーラル」
『おやすみなさい、ますたー』
俺はベッドに身体を倒し、目を閉じた。
俺にとってプレシア・テスタロッサは、物語の登場人物でも、他人でもない。大切な、大切な母親。失いたくない俺の守りたい人。
こんなにも俺たちのことを愛してくれているんだって、その思いがひしひしと感じられた。
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