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無印編
第十四話
ケンジくんから殴られて、一夜明けた朝、僕は、昨夜の行動を後悔していた。
「……どうしよう? これ」
鏡で見る自分の顔。そこにははっきりと殴られた箇所が分かるように青黒く痣になって、唇の端が血が固まったようにかさぶたになっており、赤黒くなっていた。
この怪我で、転んだというような言い訳は効果がないだろう。帰ってきたときは血も止まっていたし、押さえたら痛い、という感覚だったので、放っておいたのだが、まさかここまでになろうとは予想もできなかった。
このまま学校に行けば目立つこと請け合いだが、休むという選択肢もない。
はぁ、仕方ない。ガーゼでも張っていくことにしよう。
目立つことは避けられないだろうが、それでもこの青い頬と赤黒い口の端を晒していくよりも大分マシだろう。そう願いたい。
とりあえず、学校へはそう対処することにして、口の端がしみるのを我慢しながら、顔を洗い、母さんによって朝食が用意されているリビングへと向かう。
「おはよう」
おそらく、どこの家でも変わらないであろう朝の挨拶を口にしながら、リビングへと入ると、親父は、新聞を読んでおり、母さんは、毎朝見ているワイドショーを見ながら食パンをかじっていた。
我が家のルールとして、食パンは自分で焼くことがルールだ。故に親父は新聞を読みながら食パンは食べていない。
「あら、ショウちゃん、やっぱり青くなっちゃったわね」
「ふ~む、やはりすぐに冷やさないと効果がなかったか」
昨日、帰ってきてすぐに手当てしてくれたのは意外なことに親父だった。どうやら、こういう知識もあるらしい。僕が殴られたときのことを正直に言うと、笑いながら、「災難だったな。まあ、そういう時は吹っ飛ばされたほうが痛くないぞ」と助言まで貰う始末。
そういわれても、前のときも今回のときも喧嘩に巻き込まれることなんて滅多になかったのだから喧嘩のやり方なんて知らない。踏ん張ってしまったのは、反射的に身体が強張ってしまったからだ。親父の言葉を聞いて素直に飛ばされていたほうがよかったかも、と思ってしまった。
「とりあえず、朝食を食べなさい。手当てはそれからで良いだろう」
どうやら、親父は僕と同じ結論に達したらしい。自分で手当てするのも大変だと思っていた次第だ。手当てをしてくれるというのなら有り難い限りである。
とりあえず、言われたとおり、朝食を食べることにしよう。
………昨夜の晩御飯と同じく、朝食は口の端がしみて食べにくいことこの上なかった。
◇ ◇ ◇
やはり口元にガーゼという格好は、かなり目立つのだろう。学校に行く最中から教室に着くまで目に付く知り合いにとにかく声を掛けられた。
僕は、サッカーなどでグラウンドの使用権の折半にいくためか、男の子に限って言えば、上級生にも顔見知りは多い。そのため、同級生からだけではなく先輩に当たる人たちからも「どうしたんだよ?」と聞かれることが多かった。
しかしながら、ケンジくんのことやここで話して尾びれ背びれがついて学校中を巡ることを考えると簡単に口を開けることではなく、「昨日、ちょっと喧嘩しまして」としか答えられなかった。
血の気の多い先輩などには「俺が敵をとってやろうか?」と半笑いで言われたが、丁重にお断りすることにした。そんなこんなで、ようやく教室にたどり着いた頃には、後残り5分ほどで始業のチャイムがなろうか、という時間になってしまった。
もっとも、これは怪我の手当てなどをしていて、遅れたこともあるのだが。
「おはよう」
がらっ、と挨拶をしながらドアを開くと、いつもより多くの人間が教室にいるようなきがした。それもそうだろう。僕が来る時間はいつもよりも遅いのだから。
僕が挨拶しながら入ってきたこともあるだろう。一瞬、教室にいる全員の目が僕へと集中した。これはいつものことだ。不意に音がして、自分が知っている音であれば、思わず反射として顔を向けてしまう。普通、それは一瞬だが、今日は違った。全員の顔が僕のほうを向いて固定されてしまっていた。
「え、あれ? どうかした?」
「ショウくん、ガーゼどうしたの?」
僕の混乱に答えてくれるようにクラスメイトの一人が僕の頬を指しながら怪訝な表情で僕に聞いてきた。
「ああ、これは―――」
よもや殴られたなどと正直に答えて事を大きくしたくなかった僕は、適当にごまかせるようにちょっとね、と答えて終わらせようとしたのだが、僕が答えるよりも先に口を挟んできたクラスメイトがいた。
「ショウくん、昨日、ケンジのヤツに殴られてたけど、大丈夫っ!?」
ごまかす前に真実を別の口から語られてしまった。
もし、僕が誤魔化すことができれば何も問題はなかったはずなのに………。
子どもゆえの無邪気さがなんとも物悲しかった。
さて、僕が先に口を出せなかった事実は少し拙い気がしたが、それらはすでに後の祭りだ。それよりも、クラスメイトの子の発言をなんとか誤魔化さないといけない。現に今もクラスメイトの子の発言を聞いて、クラスがざわめいている。
「ちょっと話を―――」
「ショウっ! ケンジってヤツに殴られたの!?」
「アリサちゃんっ!!」
今日はなんとも話を遮られる日である。
話を遮ってきたのは、今度は金髪をなびかせて自分の席から駆け出してきたアリサちゃんである。その後ろからは、アリサちゃん
が飛び出したのを必死に止めようとするすずかちゃんだった。
「はぁ、そうだよ」
さすがにここで違うと否定しても無駄だろう。真実はもう他の口から零れてしまっている。一度こぼれた言葉は、拾いなおすことは出来ない。ならば、認めるほかないのである。
だが、ここで簡単に認めたのは、失敗だったのかもしれない。
僕が話を肯定した瞬間、アリサちゃんは踵を返して、教室から飛び出そうとしていた。
拙い、と反射的に悟って手が伸ばせたのは幸いだっただろうか。アリサちゃんの手を掴めなかったら、彼女は隣のクラスに駆け込んでいただろう。
「なによっ!!」
きっ、と僕をにらんでくるアリサちゃん。彼女が激昂している理由は僕が殴られたからなのだろう。それ自体は大変ありがたいことなのだが、このまま見過ごして、彼女を第二学級に突撃させるわけにはいかない。
このまま、アリサちゃんを行かせると、僕とケンジくんだけの問題だったはずなのに、彼女まで入ってきてしまう。それは、さらに問題を大きくするだけだ。僕としては、これ以上事を大きくするのは勘弁願いたい。事が大きくなればなるほど、事態を収束させるために払う犠牲は大きくなるのだから。
今ならば、僕とケンジくんの個人的な喧嘩ということが事が片付くのだから。
だから、僕はアリサちゃんを引きとめた。
「どこにいくの?」
「決まってるじゃないっ! そのケンジってヤツのところよっ!!」
どうやら、相当頭に血が上っているようだ。アリサちゃんの中でケンジ君に文句を言いに行くことはすでに決定事項らしい。いや、この気迫から考えれば、四の五の言わずに手が出てしまう可能性もある。
「ダメだよ。これは、僕とケンジくんの問題なんだから」
「あんたの問題なら、あたしの問題よっ! ここで動かなかったら親友として廃るわ」
なんと男前の返事なのだろうか。もしも、アリサちゃんが男の子なら、実に人情に厚い男の子として、女の子にモテモテだっただろうに。いや、中学生になれば、アリサちゃんたちは女子中学校に行くはずだから、その手の子たちにはモテモテかもしれない。
さて、そんな数年後のことはどうでもいいのだ。
確かに、アリサちゃんが僕のことを『親友』だと言いきってくれたことも、僕が殴られたことに激昂してくれたことも確かに嬉しい。だが、今は押さえてもらわないと後々困ることになる。先ほども言ったようにこの手の問題はことが大きくなればなるほどに収束させることが困難なのだ。今は、僕だけが殴られたという一方的な暴力が残っているから、まだ事態は実に簡単だが、これにアリサちゃんが加わると大変だ。僕はケンジくんに暴力を振るわれ、ケンジくんはアリサちゃんに暴力を振るわれ、アリサちゃんと僕は親友という三角関係ができるのだから。
一般的に社会では、如何様な理由があろうとも暴力は悪という認識である。つまり、ケンジくんとアリサちゃんは悪くなり、僕はアリサちゃんの親友である以上、殴られただけの被害者にはなりえない。
つまり、落としどころが見つからないのである。だから、できれば、今日にでもケンジくんと話して、この話の落としどころを決めようと思っていただけに、アリサちゃんが介入することだけは避けなければ。
もっとも、朝の時間に関してだけなら、何とかなりそうだ。
今も尚、隣のクラスに向けて突撃しようとしているアリサちゃんを引きとめながら、周囲に響く朝礼のチャイムを聞いて僕は安堵の息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「それで、その怪我の原因を教えてもらうか」
朝のホームルームの後、僕は担任の先生から呼び出しを受けていた。
普通の呼び出しなら放課後の場合が多いのだが、今日は、ホームルームが終わった直後だ。1時間目まで5分程度しかない休み時間の間に僕を呼び出した。いや、もしかしたら、1時間目まで食い込んでも構わないと思っているのかもしれない。
「こうやって呼び出すってことは知ってるんじゃないですか?」
もし、先生が何も知らないとすれば、「ああ、怪我をしたのか」と思われるだけで終わっていたはずだ。だが、こうしてわざわざ呼び出したということは見過ごせない何かを知ってしまったからだろう。
では、その『見過ごせない何か』とは何か。つまり、僕がこの怪我を負ってしまった原因だ。
「さて、どうだろうな。どちらにしても、本人の口から聞くまで確証は取れないものでね」
僕の問いに先生は、実に真面目な表情をしていた。怪我の原因を知っているなら納得だ。
これは、誤魔化せないな、と思った僕は、正直に話すことにした。
「―――というわけで、今朝見たらこの様ですよ」
僕は、ぴりっ、とガーゼを止めていたテープを外して、青黒くなっているであろう頬を見せた。
そのときの先生の表情は、眉をピクンを動かす程度のもので、あまり衝撃を受けていないようにも見える。
「なるほどなぁ」
先生は、厄介なことになった、とばかりにはぁ、とため息を吐く。
「とりあえず、事態は把握した。それで、解決できそうか?」
「ケンジくんのことでしたら、少し話せば分かってくれると思いますよ」
そう、何も僕は喧嘩したいわけではない。ただ、グラウンドを下級生たちと一緒に使って欲しいと思っているだけだ。それは、僕からしてみれば、極当たり前のことで、昨日は、ケンジくんが頭に血が上っている様子で今、何を言っても通じないと思って追いかけなかっただけなのだ。だから、冷めている今日話せばきっと分かってくれるはずである。
だが、僕の予想に反して、先生ははぁ、とため息を吐いていた。
「蔵元、お前の言うことは確かに正論だ。私のような教師から見れば優等生みたいな回答だ。百点満点だよ。こうするべきだのべき論で言えばな。大人なら熟考ぐらいはするかもしれないが、相手は小学生だ。べき論では、通じないことも……いや、それ以上にその正しすぎる正論が逆に相手を怒らせることがあることを肝に銘じておくことだな」
先生からの忠告だった。
なるほど、そんなことはまったく考えたことがなかった。僕はできるだけ正しいことをやってきたつもりだった。誰かにとっての最善になるように頑張ってきたつもりだった。だが、それが逆に怒らせることになるとは。
僕も6年程度、彼らと一緒に遊んで、時に叱りながら過ごしてきたわけだが、目の前の先生は、教師として児童と接しているのだ。
僕以上に僕らのことを知っているだろう。
だから、僕は、先生の忠告を心にとどめておこうと思った。
◇ ◇ ◇
昼休み、僕は中庭を歩いて目的の『彼』を探していた。
今日の昼食は、母親から作ってもらったものをいつもサッカーをやっている面々と共に食べ、その後は、サッカーに興じることにした。昨日の今日だから、やはり僕も加わる必要があると思ったからだ。だが、その心配は無用のようだった。後からやってきた低学年の子供たちも昨日までのように仲間はずれにすることはなかったのだから。
さらに、昨日ケンジくん側についた4人も気まずそうにやってきた。だが、途中で怖気づいたように足を止め、こちらを見てくるだけだ。おそらく僕たちと同じくサッカーに興じてるクラスメイトたちの中には気づいた子もいるだろう。だが、彼らは彼らを見てみぬ振りをした。
昨日のことが尾を引いていることは明白だった。おそらく、昨日の最後の試合のメンバー構成のときに敵と味方ではっきりと線を引いてしまったのが拙かったようだ。つまり、クラスメイトたちにとって彼らは敵なのだ。だから、気づいても声をかけない。声を掛ける理由がないと思っているのだろう。
しかしながら、それでは僕たちもケンジくんたちと変わらない。この場は決して、敵と味方に分けて対立する場所ではない。サッカーで楽しく遊ぶだけの場所なのだから、むしろそういう諍いは排除すべきだ。
だから、僕は彼らに声を掛けた。
結局、彼らもサッカーで遊びたいのだが、4人ではどうしようもなくて、途方にくれていたようだ。
だから、僕は彼らに一緒にサッカーやりたいならどう? と誘った。彼らは僕にそういわれると思っていなかったのか、一瞬きょとんとした表情を浮かべると、どうやって仲間に入れてもらおうと曇らせていた顔を笑みに晴らせていた。
しかしながら、昨日ケンジくん側に回った彼らが僕を仲介したとしても、僕たち側の仲間に入れてくれ、と言っても無理な話だ。僕はいいだろうが、他の面々が許してくれないだろう。だから、僕は彼らに昨日までの下級生を仲間はずれにしていたことを謝ることで、他の面々を納得させた。
他の面々も彼らが「ごめんなさい」と謝ると案外、簡単に過去のことは水に流してくれた。子供なだけにごめんなさいの一言で片がついてしまうのかもしれない。これが、高校生や大人になるとそうもいかないのだが。
さて、ここでようやく僕が中庭にいる理由になる。あと一人、サッカーのためにグラウンドに出てこなかったケンジくんを探しにきたのだ。彼とて、いつまでも僕たちと仲違いするつもりはないだろう。彼が好きなサッカーは一人でできるものではないのだから。
仮に4年生になって士郎さんの翠屋JFCに入部したとしても、僕側についたクラスメイトたちの何人かも入ることを考えれば、彼らとチームプレイはこのまま放っておけば難しい問題になるだろう。この手の問題は長引けば長引くほど厄介なものである。
なにより、僕は先生に解決できるといってしまったのだ。もしも、今日の放課後までに解決できなければ、おそらく両方ともの呼び出しだろう。そこでケンジくんが暴力を振るったことを先生から叱られ、僕に謝ることになるだろう。それはおそらく間違いないと思う。
だが、先生から強要された謝罪に意味はないだろう。その場では取り繕えるかもしれないが、本人が謝る気持ちがなければ意味がない。むしろ、先生という強者による強要では、僕に対する憎悪が増える可能性だって考えられる。そうなると早期解決はきっと不可能になってしまう。
だから、僕は昼休みという時間に話をするためにケンジくんを探していた。
彼の姿は、中庭にあった。手に持ったサッカーボールをぽんぽんと校舎の壁に向かって一人で蹴っていた。上手いことに、蹴ったボールは壁に跳ね返りながらもしっかりとケンジくんの足元に戻ってきていた。
だが、彼のボール捌きを見ているだけで昼休みが終わってしまっては元も子もない。
「ケンジくん」
僕は一歩踏み出して、ボールを蹴っているケンジくんに声を掛けた。
ケンジくんは僕に気づいているのか、気づいていないのか、ボールから視線を外さない。だが、僕が声を掛けた後、跳ね返ってきたボールを蹴り上げて、手におさめるとようやく視線をこちらに向けてきた。
「なんだよ」
不機嫌ということを押さえようともせず憮然とした態度で僕に返答するケンジくん。
彼の心情も理解できる。昨日殴った人間が、躊躇もなく声をかけてきたのだから。何かあるんじゃないか、と疑ってかかるのは当然だ。
「どうして、仲間外しなんてしたの?」
いきなり切り込んでみた。僕にはケンジくんがどうして仲間は外しなんて真似をしたのか理解できなかった。
少なくとも2年生の頃は1年生や3年生の先輩たちと一緒にサッカーで遊んでいたはずだ。つまり、クラスメイト以外ともサッカーで遊ぶことを彼は許容していたはずだ。だが、3年生になってこの様変わり。僕には理解できなかった。だから、問う。
ケンジくんからしばらく答えがなかった。だが、何かを思ったのか口を開いてくれた。
「お前に関係ないだろ」
「いや、あるよ。僕はそのせいで殴られたんだから」
僕はことさらにガーゼの部分を強調して見せた。
それが、彼の反感を買ってしまったのか、ちっと小さく舌打ちをして、ようやく答えてくれた。
「むかついたんだよ。あいつら小さいし、下手だし、遅いし」
それは下級生の子たちだろうか。だが、それは当たり前だ。つい最近まで幼稚園に通っていた子達と僕たちを比べるにはあまりに無謀。下手なのは当然だ。むしろ、彼らは僕たちと遊んでいく上でだんだん上手になっていくのではないだろうか。ケンジくんだってその中の一人だったはずだ。
「ああ、そうだよ。お前の言うことはいちいちむかつくな」
僕がその旨を伝えると、なぜかケンジくんは激昂してしまった。今にも僕に掴みかかってきそうだ。
ああ、これが先生の言っていたことか、とせっかく先生に忠告されたのに無駄にしてしまったな、と思った。
「僕のことは置いといて……楽しくないでしょう? 一人でボール蹴っても」
ポツンとボールに視線を落とすケンジくん。
もしも、僕が先輩から話を聞かなければ、僕が介入しなければ、きっと今日もケンジくんはこんなところで一人でボールなんて蹴らずにクラスメイトたちとサッカーに興じていたことだろう。
それを僕が台無しにした。ケンジくんは、今は一人だ。自分を慰めるようにサッカーボールを蹴っているが、何の解決にもならない。
ケンジくんからの返答はない。つまり、沈黙が肯定を意味していた。
「きっと、下級生の子たちも同じ思いをしたんだろうね」
スポーツは基本的に多人数が集まらないと面白くないゲームだ。5人対5人のフットサルといわれるゲームもあるが、面白さは、多人数のそれには及ばない。
「だからさ、こんなところで一人でボールを蹴ってないで、一緒にサッカーしようよ」
僕の誘いにケンジくんは無言。何かを考えているのかもしれない。だから、僕は何も言わずにケンジくんが何かを言うのを待っていた。
どれほどの時間を待っただろうか。だが、そんな長い時間ではなかったように思える。ようやく彼は口を開いた。
「でも、どうやって入れてもらうんだよ。昨日の今日だぞ」
なるほど、確かに昨日は敵対した僕たちだ。いきなり一緒にサッカーをやろうといわれても困惑するだろう。
だが、解決策がないわけではない。この答えを導き出したケンジくんなら難しい話ではないだろう。
「簡単だよ。一言でいいんだから」
―――ごめんなさい。
謝るときに使う言葉。おそらく、これだけで事態は解決するはずだ。
結果だけを言うなら、僕たちは昼休み一杯、グラウンドを駆け回り、ボールを追い回したのだった。
◇ ◇ ◇
放課後、先生にケンジくんとの結末を話し、いつものように今は廊下でなのはちゃんを待っていた。
第二学級の担任先生が出てきた直後に後を追ってきたかのように飛び出してくるなのはちゃん。
「ショウくん、お待たせっ!!」
昨日はぐっすり休めたのだろう。一昨日見たような青白い顔ではなく、安心できるような笑みを浮かべ、元気一杯に見えた。
「いや、そんなに待っていないよ」
僕は、なのはちゃんの様子に安堵しながら、いつものように答える。いつもなら、それじゃ、行こうか、と下足場に向かうのだが、なのはちゃんの視線が僕から外れていなかった。いや、正確にいうと僕のある一点を凝視していた。
その視線の先を追ってみると、僕のガーゼに視線が向けられていることに気づく。
「ショウくん、そのガーゼ、どうしたの?」
先ほどまで浮かべていた笑みが消えて、心配そうに聞いてくるなのはちゃん。
「ああ、えっと、ちょっとね」
流石に殴られた跡だとはいえなかった。
「ちょっと?」
だが、なのはちゃんは僕の曖昧な答えでは見逃してくれないみたいだった。追求するような声で僕に再度問いかけてくる。お茶を濁そうとしても無駄なようだ。はっきりといわなければ、なのはちゃんは納得しないだろう。僕はお手上げだといった感じで、観念して正直に話すことにした。
「昨日、ちょっと喧嘩になっちゃって、殴られたんだよ」
できるだけ大げさにならないように軽く笑いながら言ったのだが、僕が事実を口に出した直後、なのはちゃんの表情が無表情に変わっていた。
「だれと?」
「え?」
「だれと喧嘩したの?」
それは、なのはちゃんが僕に見せる初めての感情だっただろう。おそらく、その中身は怒りだと思う。アリサちゃんが烈火のごとく怒り狂うのだとしたら、なのはちゃんは真逆、その怒りを胸のうちに収めて、表面上は穏やかな水面のように無表情になっている。
どちらが恐ろしいという話ではない。強いて言うなら両者とも危ういというべきだろう。このまま正直にケンジくんの名前を出せば、朝のアリサちゃんのようにケンジくんに喧嘩を売りに行くことは間違いないように思えた。
僕は慌てて先ほどの発言を取り繕う。
「大丈夫だよ。もう、お互い解決したし、謝ってもらったし、もう大丈夫だから」
昼休みが終わった後、ケンジくんが僕の隣に立つと、ぼそりと悪かったな、と告げてくれたのだ。僕としては、皆に謝罪した時点で僕の謝罪に関しても終わっていると思っていたので、それで手打ちとなっている。当然、先生にもそれで報告している。
だから、ここでなのはちゃんに波風を立たせるわけには行かないのだ。
少しの間、なのはちゃんは無言だった。何かを考え込んでいるようにも見えるが、やがて、顔を上げると彼女の顔は無表情ではなく、最初の笑みを浮かべていた。
「うん、ショウくんがそう言うなら」
よかった、どうやら彼女は納得してくれたようだった。
もし、あのままだったら、本当にどうなったか分からない。今回はなのはちゃんの物分りのよさに助けられた形だ。
「よかった。それじゃ、今日も頑張っていこうか」
「うんっ!」
僕たちは、外へと駆け出す。未だ見つからない残り16個のジュエルシードを捜し求めて。
後書き
正直、今回は、アリサの「親友の廃るわっ!」となのはの「ショウくんがそう言うなら」を言わせたかっただけです。
今回も裏はあります。次回は、ようやくあの子が登場の回です。
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