故郷は青き星
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第三話
「まったく、どいつもこいつも油断して墜とされやがって。そりゃあ墜とされても死なないけど機体はゲームと違ってデータじゃないんだよ」
エルシャン・トリマは艦隊司令としての激務の上に、連盟と地球との橋渡しという仕事を抱え、多忙な毎日に疲れ果てていた。彼はゲームのキャラクターでも、運営会社のスタッフが中の人を演じているわけでもなく本物の異星人にして心は日本人の転生者である。
つまりプレイキャラクター名、柴田浩二こと芝山浩がゲームだと思っているのは本物の宇宙戦争であった。
彼がエルシャン・トリマとしてこの世に生を享けたのは今から17年前。連盟共通の宇宙暦で5123年。彼の生まれたフルント星のフルント暦では3687年。(実際はそれぞれの1年の長さが違うので、連盟共通の宇宙暦に関しては15年前。フルント暦の1年は地球の379日と半日弱なので同じく17年前になるが、計算が面倒なので特別な場合を除き、連盟共通の宇宙暦は使用せず、フルント暦の1年は地球の1年と同じように扱います)
そして西暦では2013年。彼の前世である田沢真治の死んだ年。死んだ日。死んだ時とちょうど同じくして、彼は異星で新たな生を享けたのだった。
エルシャンとして生まれて初めて意識を取り戻した時、彼は混乱した。突然目の前の交差点で交通事故が起こり、大型トラックに横から衝突されたこれまた大型のSUVが自分めがけて突っ込んできて避ける間もなく衝突し背後の壁との間に挟まれた。死ぬまでに残された僅かな時間に見たのは完全に潰された胸から下……そして自分の死を確信して意識を失ったはずだった。
生まれた直後に意識を取り戻した彼は、フラッシュバックする事故の恐怖。そして死んだはずの自分が何故か意識を持っている不安から呼吸困難に陥り、危うく第二の人生を早々に終わらせるところだった。
次に彼がはっきりと意識を取り戻すまでに数日の時が過ぎており、既に瞼が開きぼんやりとした世界が目の前に広がっていた。
これまでの間にも何度か意識が戻ることはあったが、まるで夢の中に居るかのような意識の中で、彼は自分が死んだという事実は受け入れざるを得ず。今の状態を、あの世に居るのか新たに生まれ変わったのかもしれないと考え始めていたが、今までは瞼も開かず耳もはっきりと聞こえない状態だったため、自分の置かれた状況というのが全く分からなかった。
「エルシャン! 私のエルシャン! 目を覚ましてくれたのね」
そう呼びかける女性の声だがエルシャンには何の事か分からない。言葉が通じない日本語ではないようだった。
ただ連呼された『エルシャン』という単語が自分を指しているのではないかと推測する。しかし未だはっきりとは聞き取れない彼の耳には『えーしゃん』としか聞こえていなかった。
取り合えず、こんなに一生懸命呼びかけてくる相手に答えたいという持ち前のサービス精神から『えーしゃん』と返事しようと意を決し声を出してみる。しかし口から出たのは「えぇぇあ」だった。
その結果に落ち込むと同時に、生まれ変わったのかもしれないと疑いが彼の中で確信に変わりつつあった。
「エルシャン。ママに返事をしてくれたの?!」
生まれたその日に、謎の呼吸困難から意識不明状態に陥った息子から一週間も片時も離れずに看病を続けてきた彼の母はユーシンは、自分の呼びかけに返事をしたその声に狂喜した。
「エルシャン。良かった。本当に良かった。良かったよぅエルシャン」
泣きながら息子を抱きかかえると、医者を呼ぶのも忘れてそのまま抱きしめ続ける。
そんな彼女の様子にエルシャンは、自分は彼女の子供として生まれ変わったんだろうなと実感したのだった。相変わらず何を言ってるかは理解できなかったが……
それから時は流れた。
授乳時に、母の大きな胸に抱かれ、口元に寄せられた白く柔らかな乳房の頂点にある朱鷺色の乳首から甘い匂いがすると、照れる──彼の前世である田沢真治の享年30。むき出しの女性の胸に何も感じないほど枯れる年齢ではなかった──がそれを実感する暇もなく、身体が自分の意思とは関係なく勝手に動き、その先端を口にくわえてしまったことに驚いたり、吸うと入ってくる温くて薄くて微妙な癖のある母乳が何故かものすごく旨く感じられて、満腹になるまで吸うのを止められなかったことに驚いた。
そして赤ん坊生活を続けている内に『赤ちゃんプレイは有りだな』と変な性癖に目覚めてみたりと様々な経験を積んだのだった。
最初は母親や、存在感の薄い父親の容姿から、エルシャンは自分が生まれたのはファンタジーな世界だと思っていた。
自分に寄せる両親らしき人たちの顔がファンタジーモノのゲームに登場する、所謂獣人と呼ばれるキャラクターに酷似していたためだった。
だが日が経ち次第にはっきりと見えてくる視界の中、病室の様子を見てそうではないどころか、前世の地球よりはるかに進んだ文明社会に自分が触れている事に気付かされる。
『ファンタジーじゃなくSFかよ!』口が利けたならそう叫びたいエルシャンであった。
やがて1歳になり、日常会話程度の語彙──ただし、きちんと発音は出来ない。種族的特徴で声帯の発達が遅く辛うじて言葉らしきものを発するのは2歳を過ぎが頃になる──を身につけたエルシャンは貪欲にこの世界を知ろうと努力するようになる。
そのきっかけは、ふと目にしたテレビ──結局、文明が進んでもスイッチを入れるだけで無料で情報や娯楽を垂れ流すテレビという存在は滅びる事は無かったようだ──に、この星が属する銀河のディスク面を上からの角度で写した銀河とその周辺のCGが映されていた。
それがエルシャンには、前世の天の川銀河に見えて仕方なく、彼は自分が今居るこの世界が前世の世界と繋がっているのではないか、そんな思いに囚われていた。
彼の記憶の中の天の川銀河の特徴的なオリオン腕の位置。天の川銀河の伴銀河である大マゼラン・小マゼラン雲の位置。そして離れたアンドロメダ銀河の位置が一致していた。
無論とても薄い根拠だった。もしこの宇宙のどこかに地球が存在するとしても、地球から観測可能な範囲に1700億個以上の銀河が有ると言われている。その程度の特徴なら偶然の一致は幾らでもありえるだろう。
更には彼が地球人として死んだ時とフルント人として生まれ変わった時に、数万年程度のならともかく数千万年単位の大きな隔たりがあれば位置関係など全く変わってしまう──天の川銀河において恒星系は、バルジや渦状腕の外縁部などに位置するものを除けば、ほぼ210 - 240km/sで、銀河中心部を中心とした公転軌道を巡り、太陽系は約2億2500万から2億5000万年で天の川銀河を1周する。また大小マゼラン雲のような伴銀河も天の川銀河を中心とした公転軌道を巡る──ために根拠と呼ぶにもおこがましい状況だった。
それでもエルシャンは、その考えに縋りたかった。30年間も田沢真治として生きて来たのだ、たった一度の事故で命のみならず、家族や友人を奪われて簡単に諦められるものではなかった。もう田沢真治として彼らの元へ戻る事は出来ない。今の姿で彼らと会いたいとも思わない。だが、せめて彼らが同じ宇宙に生きていることを実感したい。そう思うのも仕方の無いことだった。たとえ彼に妻や恋人が居なかったとしても……
しかし子供のエルシャンが触れられる情報など限られた極僅かなもので、情報収集は遅々として進まなかった。
それでも様々な情報に触れる事が出来て、フルント星の文明が地球より遙かに進んでいる事を知った。何せ進みすぎていて地球の技術の進歩の延長線上にあるかどうかすら彼には判断がつかなかった。
再び時は流れて、本人の努力もあって2歳になる頃にはテレビの報道番組──情報端末を使用させて欲しいという彼の懇願は未だ受け入れられてはいなかった──の内容も問題なく理解できる語彙を身につける事が出来て、自分を取り巻く世界の状況が次第に分かってきた。
自分や家族が住む星が、恒星イルヌの第2惑星でフルントと呼ばれていて、自分達が対外的にはフルント人と呼ばれていること。そして地球人も人種や民族に分かれていたように
自分達がシルバ族と呼ばれる種族であること。基本的にフルント人は純血主義で他の種族と血が混じる事を嫌い。混じった者は雑種として低く扱う習慣があること。
そして大事なことは、フルント星を含めてこの銀河の星間文明国家が、【敵性体】と呼ばれる侵略者と500年間もの長い戦争状態にあり、シルバ族を含めてフルント人は高いパイロット適正を持ち、男女を問わず成人フルント人の多くが軍人として戦争に参加していると言う事実だった
しかし、母に連れられて外出する機会などに眺める街の様子は、とても長い戦争が続いて居るようには見えず平和で豊かだった。何よりも子供の数が多く、公園などで多くの子供達が遊ぶ姿は、少子化が進んでいた日本では余り見ることの出来ない様子だった。
「ママ。僕達の星って戦争してるんだよね?」
エルシャンはたゆまぬ努力によって同じ年頃の子供達よりもかなり早く明瞭な発声能力を手に入れて、良く喋る子供になった。
また喋る際には、赤ちゃんプレイを既に優秀な成績で卒業し幼児プレイの達人への道を歩み始めていたので、ママだの僕だのという言葉を可愛らしく口にする事に抵抗を覚えるような感情は微塵も残っていなかった。
「そうよ。エルシャンは本当に物知りね」
そう言って、母ユーシンはエルシャンを、笑顔で抱き上げて頬擦りをする。
出産直後の呼吸困難から意識不明が一週間も続いた一件は、彼女を息子を溺愛する親馬鹿への道を歩かせていた。割れ鍋に綴じ蓋。そんな言葉が似合う親子であった。
「でも街は平和だよ」
「そうね~この星は平和よ。ママが生まれた時からずっとね」
エルシャンには母が何を言ってるのか理解できなかった。テレビニュースから得た情報を彼なりに統合した知識では、戦争は500年前から続いていて。イルヌ星系政府が連盟に加盟し戦争に参戦してからでも既に300年以上が経過している。
戦況は連盟にとって有利ではなく、常に防衛線を後退させられ続けている状況のはずだった。
「元々この星は、今のように豊かでも無ければ平和な社会……場所でもなかったの。たった一つしかないこの星の中でも異なる種族同士でいがみ合い、時には戦争でお互いに血を流していたのよ」
ニュースで聞いた事の無い。連盟加盟以前のこの星の歴史にエルシャンは驚く。
「びっくりした? でも本当のことなの。連盟の調停を受けて私達ははじめてシルバ族とかアルキタ族とかエルゾ族とかの種族を乗り越えてフルント人になれたの……えっとやっぱり難しいかな?」
「大丈夫だよママ。僕、ちゃんと分かるよ」
エルシャンにはむしろ、そのような気遣いや時折、子供向けな言葉を選ぶ母がもどかしかったが、そんな彼の可愛らしい言葉と仕草に何かスイッチの入ってしまった母によって話は大きく脱線するのであった。
「もう駄目。エルシャン可愛い! エルシャン天才! エルシャン最高!!」
彼の両脇から腕を差し入れて背中に回し、一気に抱き上げぎゅっと強く抱きしめながら激しく頬ずりし続ける。エルシャンが開放されるまでには暫く掛かることになった。
「うう、ベタベタする」
ハグから更に感極まった母に顔中ペロペロの嘗め回されてしまい、顔を覆う和毛──にこげ、フルント人が生まれて一ヶ月ほどで全身に生えるとても柔らかな体毛。4・5歳ほどで全て抜け落ちるが、その後も頭部・耳・首元・背中・腕・脚・尾には和毛とは別のより硬い体毛が生え変わる──がよだれでベトベトになったルシャンは涙目で、彼女に抗議の視線を向ける。
「ごめんなさいね。ママ、エルシャンが可愛すぎてちょっと自分を見失っちゃったわ」
エルシャンは母の過剰なスキンシップの中で唯一、この顔舐めが苦手だった。フルント人全体として普通──犬だけに──なスキンシップの一つなのだが、彼の人格のほとんどを形成している地球人、田沢真治である部分にとってそれに対する抵抗感を失うのは難しかった。
「でも戦争だから人が沢山死ぬんでしょう」
落ち着きを取り戻した母に──まだ、くるんと綺麗に巻いた尻尾が左右に振れている──エルシャンは脱線した話を元に戻すように話を切り出した。
「ママが生まれるずっと前には、この戦争で沢山の人が死んだって聞いてるけど……余り人が死んだって話は聞いたことが無いわ。ああでも10年以上前にペルセウス腕の……確かラナクダ星系に突出した【敵性体】の部隊が侵入してきて、避難の遅れた多くの住民が犠牲になって、100年来の大惨事として大きなニュースになったわ。あれは本当に痛ましい事件だったわ……」
母はあえて詳しい犠牲者の数には触れなかったが、一星系の避難の話であり莫大な数の犠牲者が出たことはエルシャンにも察しはついた。だが戦争中なのに人が死んだという話を余り聞かないとはどういうことか?
「どうして戦争なのに人が死なないの?」
「昔と違って今の戦争はね。人が誰も乗ってない兵器が戦うのよ」
そう来たか!エルシャンは思わず叫びそうなった。無人兵器の大部隊が宇宙空間で戦いを繰り広げる。SFである。ついにSF的な展開がやって来た!と小さな巻き尾が解けてピンと天を指すほどテンションが上がる。そんな息子の様子に再び母の理性が崩壊したのは言うまでも無かった。
その後、理性を取り戻した母から聞きだした情報によると、実際の戦闘で死者が出ないのは、そもそも戦場には人間が同調した擬体しか存在せず、フルント人パイロットもフルント星にいながら、遙か数千光年──時にはそれ以上離れた戦場で戦っているので、実際の戦闘で人が死ぬと言うことは無いとのことだった。
その説明の中の数千光年以上離れた場所と、ほぼラグタイムが無しに通信を可能とする技術──FTLC(超光速通信:Faster Than Light Communication)これはフルント星の技術でなければ、この銀河の技術でもなく、銀河系外より伝えられた技術とされる。1万光年をほぼラグタイム無しに情報伝達を可能とする──に対して興奮したため、再び顔中を母の唾液まみれにすることとなったエルシャンは、これからは詳しいことは父から聞こうと心に誓った。
再び時は流れ、エルシャンは6歳になっていた。
誕生日にようやく制限付きながらも情報端末が与えられて、暇を見つけては情報集めに没頭するエルシャンに、両親は心配な様子では有ったが、3年前に誕生した弟。そして去年誕生した双子の妹達に手が掛かっているため、彼は比較的自由に振舞うことが許されて居ると思っていた。
「あれだけ賢い子だ。普通の子供のように振舞えとは言えないよ」
「そうね。エルシャンは特別な子よ。自分で自分の道を選んで進んで行くわ……もっとママを頼ってくれれば良いのに」
そんな両親の思惑には気付かないままに。
「う~ん、光の速さは約秒速30万kmで、地球7週半の30万kmに200kmとちょっと足りないってざっくり憶えてるけど、まあ桁が大きいからそんなに正確な数字じゃなくても、誤差は丸まるから……でも語呂でも覚えたはずなんだよ……30万kmから200km引くと299800だけど+αがあるから29979までは多分確定で、これから連想される語呂は、肉、肉食う……いや、憎く……憎く泣く(29979)確かこれだな……んで、何か女の情念のようなものを感じる数字だったから、女か……女子や(おなご:0758)だったけ……違うな、単に女じゃなく大奥(0009)か、ちょっと違うな、でもそんな陰湿な女の戦いみたいなイメージなんだよ……」
「にいちゃー、にいちゃー」
この星で使われている単位をメートル法に換算するために、地球だろうがフルント星だろうが共通である光の速さを利用することを思いついたエルシャンが、必死に光速が秒速にして何mだったかを思い出そうとしていると、エルシャンが座っているカウチソファの下から助けてといわんばかりに3歳になった弟のウークが自分を呼んでいる。
「ん? どうした」
ソファの下を覗き込むと、必死に這い上がろうともがく弟の可愛い姿があり、まるで毛玉が動いているような微笑ましさに思わず頬が緩むのを抑えられない。
はっきり言って、エルシャンはこの可愛い生き物に夢中だった。
「うぇいきたいのちいちゃーだっこ」
両手を自分の方に広げて差し出す姿、にいちゃーがちいちゃーに成ってしまった事さえ愛らしく感じられて仕方ない。母があれほど自分を溺愛した気持ちが今なら理解できる。もしかして自分の弟は宇宙で一番可愛いのかもしれない?と本気で思う。
本当に彼は母親と似たもの親子であった。
一旦ソファーを降りて、弟を抱き上げてソファに胡坐をかいて座り膝の上に弟を乗せる。
「何して遊ぶ?」
エルシャンがそう尋ねると、弟は首をゆっくり横に振って「おねむぅ~」と応えて、彼の膝の上で身体を丸くして横になると間もなく安心した穏やかな表情で眠りに落ちた。
「…………」
小さな寝息を立てながら眠る弟の暖かい体温を感じつつエルシャンは思考入力で情報端末を立ち上げて巨大匿名掲示板サイトに繋ぐと、
【兄弟】俺の3歳の弟が宇宙で一番可愛い気がするんだけど【愛】
1 neme: 兄道一直線 date: 5128/S2-08(W1) 12:57:16 ID:asdfghjk
俺の弟マジ天使。ありえないくらい可愛いくて鼻血モノだ。静まれ静まれ俺の尻尾。もう激しく振れ過ぎて尻尾が千切れ飛びそうです。
こんな新しいスレッドを立ててしまった。
勿論、即座に糞スレ認定され、スレ立て3分後に削除依頼まで出される始末だがエルシャンはまるで後悔していない。何故ならあの時のどうしようもない程の胸の高まりを何とかする方法が他に無かったのだから。
ちなみに、エルシャンが1光秒の語呂が「憎くなく女御や(299792458m)」だと思い出すことが出来たのは2日後のことだった。
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