至誠一貫
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第二部
第二章 ~対連合軍~
百三 ~重なる気持ち~
前書き
ちょっと短め。
あと、少しだけですがR-15要素ありです。
「歳三様。起きて下さい」
「……む?」
私とした事が、揺り起こされるまで目が覚めぬとは。
これでは、刺客狙われたら一巻の終わりだな。
いかぬな、こんな事では示しがつくまい。
「ふふ、お疲れでしたか?」
紫苑は早くに目覚めたのであろう、朝の身だしなみは終えているようだ。
「どうやらそうらしい。私も若くないという事であろう」
「あら、あれだけ激しく愛していただけるのですもの。ご謙遜にしか聞こえませんわ」
少し恥じらう紫苑を見るなど、なかなかに珍しいやも知れぬ。
「さ、朝食が冷めてしまいますわ。顔を洗って下さいませ」
「……うむ」
何やら、妙な感じだ。
だが、身体を交えた以上は相応の責任も負う事になる。
……皆に、きちんと説明せねばな。
「土方様!」
緊迫した様子の兵が、部屋へとやって来た。
「何事か?」
「はっ! 昨夜、夜陰に紛れて不審な船団が黄河を上流へ向かったとの知らせが入りました!」
「して、行方は追ったのであろうな?」
「それが……。不意の事で船を出すのに手間取り、見失ったとの事です」
「……わかった。皆を至急集めよ」
「ははっ!」
兵は一礼し、駆け去っていく。
「歳三様」
「ああ。十中八九、雪蓮らであろう。……済まぬが、朝食は後だ」
「はい」
紫苑は、顔を引き締めて頷いた。。
「申し訳ありません。監視の目をかい潜られるとは……一生の不覚です」
悔しげな疾風(徐晃)。
「仕方ないですよー。敵の方が一枚上手だったという事ですからね」
「風さんの言う通りです。疾風さん、過ぎた事を悔いるのは後にしましょう」
「……はっ」
疾風の事だ、月に言われるまでもなく気持ちを切り替えるであろうが。
「ところで風。先に報告する事があるな?」
「やっぱりお見通しでしたかー。お兄さんには敵わないのですよ」
「ふっ、それに気付かぬ程まだ府抜けてはおらぬつもりだが?」
「ならいいんですけどねー」
意味ありげに、私と紫苑を見る風。
隠すつもりもないが、やはり既に見抜かれているようだな。
紫苑も気づいたのであろう、微かに苦笑している。
「霞ちゃんと朱里ちゃんには潼関に、閃嘩(華雄)ちゃんと鈴々ちゃん、それに雛里ちゃんには函谷関へ急行して貰ったのですよ」
「ほう。霞はともかく、閃嘩がよく洛陽を離れる事を承知したな?」
「そこは、風の手腕の見せ所というものですよ」
さしずめ、月を説得したのであろうが……手段はともあれ、急ぎ派遣した事自体は間違ってはおらぬ。
卓上に広げた地図を見ると、ちょうど二つの要塞は洛陽と長安の間に位置している事がわかる。
我が軍は連合軍に比べて劣勢、となれば兵を配置する地点も自ずと限られてくる。
長安からの襲撃については、風の調べで攻め込んでくるだけの兵も将もおらず、可能性が皆無に近いという結論が出ていた。
つまり、この二つの要塞は全くと言っても過言ではない程備えがない。
無論、此度のように水軍を動かして急襲する事も可能ではある。
……が。
函谷関は洛陽を西から守る為の関であり、潼関に至っては要衝ではあっても関としての防御力は然したる事もないと聞く。
攻め落とせたとしても、守りきるのは容易ではない。
あの周瑜が、その程度の事を知らぬ筈がない。
風が執った処置はあくまでも万が一に備えたもの。
「狙いは、長安か?」
「恐らくな、白蓮」
白蓮のみならず、軍議には紅葉(程普)と菫(韓当)も加わっていた。
埋伏の毒などと器用な事が出来る奴ではないし、信ずるに値するからこそ受け入れたのだ。
他の皆も、誰一人疑いの目を向けるような事はせぬ。
それを確かめると、二人も真名を預けてくれた。
「だけどさ、土方の旦那。天子さまは敵にとっちゃ味方じゃないのか? そこに攻め込んでどうする気なんだ?」
「菫! お屋形に、なんて口の利き方を!」
「いーじゃんか、紅葉。土方の旦那も、構わないんだろ?」
「……好きに致せ。その程度で目くじらを立てるつもりはない」
「ほーら。な?」
「……全く」
まるで、斗誌と猪々子を見ているようだな。
「ふむ。天子さまに、我らが手出しせぬように……という事か?」
「それはどうかしら、愛紗ちゃん。私達がその気になれば、とうの昔に長安を押さえることは可能だったのよ?」
「その通りだ。だが、歳三殿も月殿にも、微塵もそのようなお気持ちはなかった」
疾風の言葉に、皆が頷く。
「名目上はそうかも知れませんけどねー。若しくは、陛下から何かしらの勅令をいただくという事か」
「勅令、ですか……。ですが、これ以上何が必要なのでしょう?」
月が首を傾げる。
偽物と露見はしているが、それでも我らの討伐令は未だ取り消された訳ではない。
今の朝廷に、重ねて我らを糾弾する術はない筈だ。
「いずれわかる事だ。……だが、それが判明するまで構えて手は出すな」
「いいのか?」
呆れたように、白蓮が言う。
「うむ。雪蓮らの言葉、信じても良かろう」
「はい。私もお父様に賛成です」
「……ならいいけど。しかし、歳三も月も、一度信じた相手は疑わないんだな」
この乱世、迂闊に相手を信用するのが危険だとは承知の上だ。
だが、誤っていれば風が、禀が、皆が正そうとする筈。
逆もまた然り、それが我らなのだから。
「疾風、風。動きは逐一知らせよ」
「はっ!」
「御意ー」
……さて、この場におらぬ者に声をかけてくるとするか。
城壁の上に、ぼんやりと座り込む人影。
私が近づいても、気にした様子もない。
「詠」
「……何か用?」
言葉にも、力がなかった。
「少し、良いか?」
「……駄目と言っても無駄なんでしょう? 好きにすれば?」
「わかった」
兼定を腰から外し、隣に座る。
「軍議の場に来なかったな」
「…………」
黙りか。
ならば、勝手に喋らせて貰うとしよう。
「昨夜、月が我が胸で涙を見せた。知っているな?」
詠は、小さく頷いた。
「普段、決して泣き言は口にせぬ月がああまで思いを吐露するとは思わなんだ。父として、娘にそこまでの思いをさせた事は痛恨の極みだ」
「……歳三だけのせいじゃないわ。僕が、無力だから」
「月はそのような事は一言も口にせぬぞ?」
「だってあの娘は、優しいから。自分を責める事はあっても、決して他人を責めたりしないじゃない」
「……うむ」
「僕だって、それぐらいわかっているわ。……いいえ、わかっているつもり」
ふう、と詠は息を吐く。
「でも、月があそこまで思い詰めているとは思いも寄らなかった。いつも傍にいたのに、気づかないなんてね」
「…………」
「そりゃそうよね。白兎(董旻)の事もあったし、ああまで一方的に悪者扱いされて心が折れない方がどうかしているもの」
「詠……」
「そう思わせない強さを持っているのも確かだけどね。……でも、アンタと一緒にいられるようになって、堪えていたものが一気に溢れ出たのよ?」
そして、詠は自嘲気味に笑う。
「全く、道化もいいところよね。月の事を何よりも知っている、理解しているつもりだったのに」
「それはその通りであろう」
「じゃあ、どうして職を辞するなんて大事な事、僕に打ち明けてくれなかったの?」
「わからぬか?」
「ええ、わからないわよ。いえ、わかりたくないわ!」
詠は立ち上がり、叫んだ。
「だって、歳三はいれば僕はもう何も出来ないじゃない! 月を、月を……ううっ」
「詠」
「ぐすっ……えっ?」
その小さな身体を、そっと抱いてやる。
「何もかも抱え込もうとするな。お前は、十二分によくやっている」
「……な、慰めなんて……要らないわよ」
「慰めと思うか?」
「そ、それは……ひっく」
眼鏡を外し、詠はごしごしと目元を擦る。
「完璧な人間などおらぬ。私も月も、お前もだ」
「……ぐすっ」
「良いか? 私は確かに月の父。……だが、一番の親友はお前しかおらぬ」
「で、でも……家族と他人は違うじゃない……」
「その通りだ。だが、家族がいれば他人は要らぬなどと、誰が申したのだ?」
詠は、涙に濡れた顔を上げた。
「お前が家族にと望むのならば、それも良かろう。本当に、詠がそれで良いのならばだが、な」
「歳三……」
「時間はあるのだ、ゆるりと考えるが良い。ただ、一つだけ申しておく」
手ぬぐいで、そっと目元を拭ってやる。
「月が、詠を必要とせぬなどと、二度と口にするな。月が悲しむだけだ」
「……わかったわ」
幾らか、気は晴れたようだな。
少なくとも、口調からはもう棘が消えていた。
その夜。
「さて、皆さん集まったようですねー」
私の部屋に、風、疾風、愛紗、そして紫苑が顔を揃えていた。
「禀や彩(張コウ)らは、改めて話すとして」
「ご主人様。我らが何を言いたいか、当然おわかりでしょうな?」
紫苑を覗く三人が、私に詰め寄る。
「……無論だ。言い訳はせぬ」
「紫苑も紫苑だ。歳三殿と我らの取り決め、知らぬ訳ではなかろう?」
疾風に、紫苑は頷き返した。
「ええ」
「ならば、何故抜け駆けのような真似をしたのでしょうかー。事と次第によっては、許さないのです」
「……我らは、ご主人様のお身体を気遣って自制していたのだ。それに、今がどのような事態が、わからぬお前でもなかろう?」
「勿論よ、愛紗ちゃん」
「止せ。紫苑には何の落ち度もない」
「それは違いますわ。歳三様を誘ったのは、私の方ですから」
「……だが、手を出したのは事実だ」
「お待ちなされ、二人とも」
互いに譲らぬ私と紫苑の間に、疾風が割って入る。
「どちらに責があるかなど、この際どうでも良い事です。互いの合意があっての事でしょうから」
「疾風ちゃんの言う通りですよ」
「兎に角、事の子細をお聞かせ願いたい」
「……相わかった」
月の、思いも寄らぬ激白。
父としての至らなさを痛感した事。
全てを、包み隠さず話す事とした。
疚しい事は何もないのだ。
そして、紫苑もまた全てを語った。
予てから、私に思いを寄せていた事。
昨夜の出来事で、それが堰を切った事。
皆を出し抜くつもりもなく、私が拒めば引き下がるつもりであった事。
半刻は過ぎたであろうか、漸く私と紫苑は語り終えた。
「むー」
「うむむ……」
「むう……」
三人は、腕組みをして考え込んでいる。
「紫苑。ご主人様との事、決して一時の過ちではない……それに相違ないのだな?」
「勿論よ。確かに私は璃々という娘がいる母親だけど、同時に女でもあるの。歳三様を慕う資格はある筈よ」
「お兄さんも、紫苑ちゃんに勢いだけで手を出したのではない、そう誓えますねー?」
「うむ」
「……ならば、此度だけは許しましょう。禀らにも、理解を得るよう努力される事が前提条件ですが」
紫苑が、ホッとしたように胸を撫で下ろした。
「ありがとう、疾風ちゃん」
「その代わり、先ほど申した事が偽りであったなら……。いくら紫苑でも、斬る!」
「ええ、そうなっても恨みはしないわ。私も武人の端くれですもの」
「えーとですね、もう一つ条件があるのですよ」
「何かしら、風ちゃん?」
「璃々ちゃんの事ですけどー。お兄さんを、どう呼ばせるおつもりですかー?」
風の言葉に、私も思考を巡らせる。
紫苑とはただならぬ仲にはなったが、所帯を持った訳ではない。
幼子に何かを強いる訳にはいかぬが、然りとて月以外の者から父と呼ばれるのには抵抗がある。
「今まで通りですわ。……ただ」
「ただ、何だ?」
紫苑は、私を見据えて、
「あの子はまだ小さいですから。……歳三様を、父親のように見てしまうかも知れません。口には出さずとも」
「……ふむ」
「その時は、黙って許してあげて欲しいのです。そうならないようには言って聞かせますが」
「……わかった」
そして。
「ご主人様……相変わらず、逞しいお身体ですね」
愛紗が、私の胸板を撫でる。
「もう、怪我の具合も良さそうですな。安堵しました」
疾風が、肩に頭を載せる。
「お兄さんは、何も変わりませんねー。安心したのですよ」
風が、そう言いながら唇を重ねてくる。
……必然のように、三人と臥所を共にする事となった。
拒否権などあろう筈もなく。
「このような戦乱の世、早く終わらせたいものです」
「……うむ。それは皆の願いだが……何故、それを今口にするのだ?」
私の問いかけに、愛紗は顔を赤くしながら、
「璃々のように、私も子を持ってみたくなりました。……無論、ご主人様のお子を」
その豊満な胸を、私に押しつけながら。
「愛紗、それは私とて変わらんぞ。ふふ、歳三殿のお子ならば、さぞかし強者でしょうな」
負けじと、疾風も私の腕に胸を押しつける。
「むー。風だってお兄さんの子なら欲しいのですよ。賢い子に育ててみせますよー」
空いた腕に、しがみつく風。
我が子か……いずれ、そのような日が来るであろうか。
つくづく家庭には縁のなかった私だ、想像もつかぬな。
「では、もう一度愛して下さいませ」
「愛紗。次は私の番だぞ」
「いえいえ、風だってまだまだお兄さんを感じたいのですよ」
どうやら、長い夜になりそうだ。
……明日に差し支えなければ良いが。
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