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銀河日記

作者:SOLDIER
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病室にて

オーディン郊外にある帝国軍病院の一室で、二人の男女がベッドの上で空を仰いでいた。だが、空は見えない。彼らに見えるのはベージュ色に塗られた天井だけである。
部屋に入ったアルブレヒトは内部の光景を目にすると、言葉もなく茫然と立ちつくした。
先ほどケルトリング侯爵邸で伯父から報告を受け、病院に向かおうとすると、ベアトリクスが家にある地上車(ラント・カー)を回してくれた御蔭で、直ぐに病院に到着する事が出来た。地上車の主である彼女も一緒についてきた。二人は病室へと走り込んだ。

そこにいるのは息も絶え絶えなアルベルトとマリアの姿だった。何故こんなにも疲労しているのか。アルブレヒトにはまるで分からなかった。朝、家族三人でテーブルを囲んで食事をした時はあんなにも元気そうであったではないか、それが何故こんなことに・・。

二人が寝込むベッドの傍にある椅子に座っている伯父の表情の暗さが、容体の深刻さを物語っているように見えた。信じたくなかった。それは伯父も同じだった。
「すまない、アル。どうやら、私達は長生きできそうにはない」
アルベルトが、後悔の音色を含んだ声で、病室へと入ってきた息子の名前を呼んだ。
“アル”。父アルベルトと息子アルブレヒト、二人の名前の混同を防ぐため、アルブレヒトを両親はそう呼ぶことにしていた。隣にいる夫の言葉にマリアも弱弱しく頷いた。
「父上、母上、嘘をおっしゃらないで下さい。朝食の折、あんなにもお元気であったではありませんか」
アルブレヒトはすぐにそう言い返す。信じたくないという確かな、否定し難い響きが混じっていた。

「仕方ない、これが私の寿命なのだろう」
アルベルトは、どこか儚げな頬笑みを浮かべた。その顔を見て、アルブレヒトは何も言い返せなくなった。父は諦めているのではない。だが、どこか分かっているような表情だった。
「アル。貴方にはまだ会っていない親戚がいるのよ。きっと、良い友達になれると思うわ」
マリアは息子の顔を見て微笑んだ。何故そうも笑えるのだと、アルブレヒトは不思議で仕方無かった。もっと生きたいと、死にたくないと、言葉が駄目でも、表情でも、仕草でも、何でもいいから表して欲しかった。過去のような偽りなど、彼の中にはなかった。

「それは、遺言ですか。母上」
アルブレヒトは小さく、俯いてそう言った。
「そうね、遺言かしらね。」
「・・何故、こうも死が近いというのに、御二人は笑えるのですか」
どこか納得したような母の答えを聞くと、アルブレヒトは俯いたまま言った。
「大切な人と同じ時に、一緒にヴァルハラへと登れるのよ。幸せですもの」
「・・たった一人の息子を置き去りにしても、ですか」
「違うよ」
息子の言葉をアルベルトが直ぐに否定した。

アルブレヒトは、父のその言葉が剣となって自分の胸を貫いたように感じた。その途端に眼頭が熱くなり、涙が溢れてきた。顔は俯いたままだった。上げることなど彼には出来なかった。
「お前の事は兄上に任せる。お前はしっかりした子だ。私達なしでも、きっとやって行ける」
「私を、伯父上に・・?」
「ああ、先程承諾した。私がお前の後見人になる。若しくはお前を私の養子として迎え入れる」
父の言葉にアルブレヒトが目線を向けると、伯父は頷いてそう言った。

「兄上、愛する者を得るのも人生の幸福ですが、今、もう一つの幸福を感じた様な気がします。」
「なんだ、それは」
伯父がかすれるような声で尋ねる。
「子供を託せる様な家族を持つ事ですよ、兄上」
アルベルトは兄に向って穏やかな表情で微笑んだ。その後、伯父は夜風に当たってくると言い、二十分ほど部屋を留守にした。

「マリア様、アルベルト様」
「お久しぶりですね、ベアトリクス様。大きくなられた。益々御母様に似られた」
ベアトリクスがベッドに近づくとアルベルトは懐かしむような笑みを浮かべた。彼女の鳶色の目には、すでに微かな大きさの涙が浮かんでいた。アルブレヒトの背中が、初めて会ったよりも小さく、悲しげに思えたからだ。その光景が彼女の涙腺を押し潰した。
マリアが招くような動作で、ベアトリクスを近づけた。
「息子を、よろしくお願いします」
短い囁きだった。だが、それが死にゆく母が残される子供を案じた言葉であるのは、彼女にも理解できた。彼女は、それを経験していた。彼女は瞳に涙を溜めたまま小さく頷いた。

その短いやり取りを、アルブレヒトは知らない。余りにも小さく、彼の意識がそこまで意識が回らなかったからだ。

食事を取るため、二人は食堂に向かった。味は勿論、何を食べたかさえも、アルブレヒトは覚えていなかった。苦々しさと悲しみ、無力感のサンドウィッチを食べているようにしか思えなかった。

彼は、両親の病室に戻るまでの廊下で赤い髪を持つ二人の主治医に出会うと彼の部屋に招かれ、病状の説明を受けた。

彼とは幼少時にアルブレヒトが風邪を引いた際、世話になったので面識があった。そしてこの医師フランツ・フォン・ゼッレ軍医少佐はアルベルトの中等学校以来の親友だったのである。

「アルブレヒト、アルベルトは遺伝子の病だ。何らかの外部影響が遺伝子に作用して発作が起こり、著しい衰弱を招いたのだろう。これまでは表に出ることはなかったんだが、その原因が分からない。母上は末期の癌だ。彼女の気が付かないうちに進行していたようだ」
「・・直す術はないのですか。フランツさん」
アルブレヒトの言葉にゼッレは黙り込み、唇を噛みながら言った。
「・・残念だが治療方法が存在しない。仮に研究するにしても公には研究はできない。“劣悪遺伝子排除法”に該当する・・・」
会話に登場した単語に二人は黙り込んだ。

“劣悪遺伝子排除法”。帝国歴九年に銀河帝国ゴールデンバウム王朝の開祖ルドルフ大帝が制定した法律。障害者や精神異常者、貧困者、遺伝病患者など、社会的弱者の一掃をはかる法律だった。“ダゴン星域会戦”の後始末にも登場してくる軍人出身の司法尚書“弾劾者ミュンツァー”などで知られる、かの晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世の治世下においていくら有名無実化された法律であるとはいえ、今もその名は社会、思想、政策などをはじめとした銀河帝国の様々な側面、要素の後ろに暗い影として存在しつつある。遺伝子病の根絶や克服の為の治療や研究などの医学的行為も遺伝子病患者自体が“劣悪遺伝子の所有者”と認識されこの法律が適応されてしまうので、したくとも出来ないのであった。
“劣悪遺伝子排除法”はそれまで行われてきた弱者救済政策自体を否定する法ものであり、成立以後、帝国では多くの境遇の人々が間接的にその法によって冥界の門を潜らされることになった。この法律が、ルドルフの遺伝子妄信、狂信、血統崇拝という帝国創設期に際に抱かれた信念を顕著に表す法律であるのは言うまでもない事実である

「そうですか・・」
「すまない。アルブレヒト」
ゼッレはそう言って頭を下げた。親友とその愛する女性、そして二人の息子を救えない無力感が彼の胸を占めた。
「いいんです、貴方が謝らないで下さい、フランツさん。貴方が悪いのではないのですから」
アルブレヒトは弱弱しく首を横に振ってそう答えると、何も言わずに部屋を出て言った。

それから二時間後、帝国歴470年12月24日、帝国標準時22時56分。マリア・フォン・デューラーの時が止まった。享年33歳。そして、12分後の23時08分、アルベルト・フォン・デューラーも愛する女性の後を追いヴァルハラへと旅立った。享年34歳。

ベッドで眠る夫婦の傍には、一人の少年、一人の医師、一人の少女、一人の軍人が沈黙を肩に背負いながら佇んでいた。病室の中には、言いようのない沈黙が鎮座した。誰も言葉を発せない。口に鍵をかけられたようだった。
二度と覚めぬ眠りの中にいる二人の寝顔は穏やかだった。残された息子を兄、義兄に託し、ヴァルハラへと登って行った。
ベアトリクスとゼッレは目に涙を浮かべていた。伯父も俯き、前を向こうとはしない。時折、小さく肩が小刻みに震えている。
アルブレヒトは俯き、拳を握りしめていた。奥歯を噛みしめ、涙をこらえていた。
彼の胸には、悲しみとは別の感情の炎が存在していた。握りしめた拳が小さく鈍い音を立てる。炎は燃え上がり、やがて彼の胸を覆い尽くした。

「何が、何が“全人類の繁栄の為”だ。何が“神聖なる義務だ”・・!!」
絞り出す様な激怒を含んだ声がその沈黙を破った。拳が、肩が震えていた。
「“弱き事が許し難い罪”?ならばおまえはそんなにも強いのか。神の如く?おまえの血は、それを受け継ぐ者はそんなにも強く、選ばれた存在だとでも言うのか?」
誰もその問いに応えない。尋ねている相手が誰なのか、問うているものが何なのかは皆、薄々分かっていた。その怒りの矛先も、その憎悪の銃口が向かう物も。

「何が“宇宙の摂理は弱肉強食、適者生存、優勝劣敗”だ。同じではないか・・!!」
「止めろ、止めるんだ、アルブレヒト。それ以上言えば不敬罪になる。此処には憲兵隊も詰めている」
その先に続く言葉がわかったのか、伯父が止めるように言うと、アルブレヒトは言葉を紡ぐのを止めた。握りしめられた伯父の武骨な手は、冷たい汗で濡れていた。

「・・・伯父上、一つ決めた事があります。私の後見人になって戴きたい。私はデューラー家を継ぎます。お願いします」
「…わかった」
アルブレヒトが頭を下げると、伯父は承諾した。一瞬、弟の方をチラリと見た。

その姿は、士官学校に、軍に入ることを決めた弟の姿と同じように見えた。
「ミュッケンベルガー准将閣下。有難うございます」
頭を上げ、アルブレヒトはそう言った。続柄ではなく、帝国軍内の階級で呼んだ。
そのことに、彼——グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー——はこの甥の将来を少しだけ垣間見たような気がした。



 
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