| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

後日談 今日は


帝国暦 489年 2月 27日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲)   ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン



「なあ、ベルゲングリューン、司令長官は“今日は”と言われたんだ、“今日は”とな」
「そうか」

俺が答えるとビューローは“そうだ”と言ってグラスのワインをぐっと呷った。そしてフーッと息を吐く。酒臭い息だな、かなり酔っているのが分かる。

「その後、ヴァレンシュタイン司令長官は“何でもありません”と言ったんだ」
「そうか」
もう三回目だ。ビューローは大分酔っている。そろそろ引き揚げるとするか、明日も仕事なのだ、深酒は良くない。

「ビューロー、そろそろ帰るか」
「いや、もう少し、もう少し付き合ってくれ、あと一杯だ、な、あと一杯」
「……」

完全な酔っぱらいだ。……仕方無いな、もう少し付き合うか。ワインボトルを持ってビューローのグラスに注いだ。二本目だ、いつもより一本多い。これで最後にしなければ……。

「これが最後だぞ」
「うむ、これが最後だ」
いかん、呂律が怪しくなっている。いや、そう聞こえただけかもしれん……。しかしビューローは酷く酔っている。よっぽど今日は辛かったらしい。

「卿は良いよな、良い上官を持って……。いや、俺はミッターマイヤー提督が悪い上官だと言っているわけじゃないんだ。そういうつもりは全くない!」
「……」
これは二回目だ……、しゃっくりをした……。

「故意に忘れたわけじゃないし、直ぐに研修の申請書を作ってくれたんだからな」
「当然だろう。ミッターマイヤー提督はそんな酷い事をする方じゃない」
「そうだ、そんな方じゃない。それに戦場での指揮は的確だ。まだお若いが間違いなく名将だと俺は思っている」

ビューローが力強く頷いている。気持ちは分かる、だがな、ビューロー、空になったワインの瓶を握りしめながら力説するのは止めろ。その内振り回し始めるぞ、危ないだろう……。口に出して注意した方が良いかな……。

ビューローの言うとおり、ミッターマイヤー提督は名将と言って良い。俺の上官であるロイエンタール提督とは親友なのだが二人の性格は大分違う。ミッターマイヤー提督は天然だがロイエンタール提督は怜悧。よく気が合うなと思う事がしばしばある。

今回の研修の申請書の一件もいかにもロイエンタール提督とミッターマイヤー提督らしい出来事だ。ミッターマイヤー提督はロイエンタール提督に“どうして自分に一言言ってくれなかったんだ”と抗議していたがロイエンタール提督は“当たり前の事で卿に教える事でもないと思った”と平然としたものだった。

もっともミッターマイヤー提督が引き上げた後で苦笑していたから内心では困った奴、とでも思ったのかもしれない。とにかくクールだ。ロイエンタール提督のクールな所は何処となくヴァレンシュタイン司令長官に似ているような気もする。

「でもなあ、ベルゲングリューン。ミッターマイヤー提督はこう言われるのだ、“やっぱり司令長官は卿の事を気にしているのだな、羨ましい事だ”と……、何処が羨ましいのだ? 俺は少しも喜べん、卿なら喜べるか?」
「いいや、俺が卿の立場でも喜べんな」

五年半前、第359遊撃部隊に三人の少佐が居た。ヴァレンシュタイン少佐、ビューロー少佐、そして俺ベルゲングリューン少佐……。ヴァレンシュタイン少佐はミュッケンベルガー元帥、エーレンベルク元帥の秘蔵っ子だった。

俺達はそんなヴァレンシュタイン少佐に反感を持った。能力が有る事は分かったが彼を受け入れる事が出来なかったのだ。変に話しかけて取り入ろうとしているんじゃないかと思われても詰まらんし、司令長官から元帥達に妙な士官が居ると言われるのも御免だった。俺達は碌に話すこともなく過ごした。当然ヴァレンシュタイン少佐も俺達に良い感情は持たなかっただろう。

そして今、ヴァレンシュタイン少佐は宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン元帥になり、俺とビューローは正規艦隊の司令部幕僚を務めている。俺はロイエンタール提督、ビューローはミッターマイヤー提督。しかもヴァレンシュタイン司令長官の抜擢によって幕僚になった……。

出世コースなんだよな、どう見ても俺とビューローは出世コースを歩いているとしか思えない。しかし俺達はそれを素直に喜べずにいる。ヴァレンシュタイン司令長官は俺達を嫌っているはずだ。それなのに旗下の正規艦隊の司令部幕僚に抜擢した……。どういう訳だろう、本当に何の意味もないのだろうか……。

「ベルゲングリューン、ヴァレンシュタイン司令長官はな、難しい顔をして書類を見ていたのだ」
ビューロー、お前の方が難しい顔をしているぞ。

「うむ、偉くなるにつれて抱える問題も大きくなるのさ。おかしな話ではないぞ」
出来るだけ気楽に言ったつもりだったがビューローの表情は変わらなかった。

「しかしな、俺が申請書を持って行くと直ぐにサインをしてくれたのだ」
卿、俺の話を聞いているか?
「なるほど、司令長官はサインをしたのだな」
「そうだ、そして“今日は”と言われたんだ」
……四回目だ。

「その後、“何でもありません”と言ったんだよな」
俺が先回りして言うとビューローはちょっと傷ついたような表情をした。いかんな、ビューローを傷つけてしまったか……。しかし、そろそろ切り上げないと……。

「そうだ、“何でもありません”と言ったんだ。本当は何を言いたかったんだと思う?」
俺に聞くな、分かるわけがないだろう。それにビューロー、そんな縋る様な目をするんじゃない。近所で飼っているポメラニアンを思い出すじゃないか。

「さあ、よく分からん」
「お前なんか大っ嫌いだ、顔も見たくない……。そう言いたかったのかな?」
「それは無いだろう」
本当は卿がそう思っているんじゃないか……。

「気分が良くない? 笑わせてもらった? かな……。直属の司令官にも忘れられている哀れな奴……。笑えるよな?」
「そんな事は無い、笑えないさ」
俺が否定するとビューローは生真面目な表情で頷いた。

「そうだよな、笑えないよな」
「……ビューロー」
「大爆笑してしまうもんな、大笑いだ」
そう言うとビューローは大声で笑い出した。いかん、ビューローはかなり自虐的になっている。

「そんな事は無いだろう、考え過ぎだ」
敢えて軽い調子で言ってみたが、ビューローには通じない。笑いを収めると目を据えて問いかけてきた。
「じゃあ、厄日か?」
「それも考え過ぎだ」
「……」

ビューローが唸り声をあげてグラスを睨んでいる。今度はブルドックだな……。
「なあ、ビューロー」
「うむ」
「俺達はちゃんと昇進しているし何処かに左遷されたわけでもない、そうだよな」
俺の言葉にビューローはちょっと間をおいてから頷いた。

「何か他の連中と比べてあからさまに差別されたわけでもない、そうだろう」
「うむ」
「俺達は公平に扱われていると思う。そんなに心配する事は無いんじゃないか」

ビューローは小首を傾げて考えこんでいる。まあ考え込むのも無理もないな、俺も納得していると言うよりはそう思いたがっている部分が強いのだ。司令長官を畏れるのは俺やビューローだけではない。若くして高い階級に有る人間の中にはヴァレンシュタイン司令長官を畏れる者が少なくない。

軍人としての資質に対してだけではなく自分以上に昇進の早い司令長官に不可思議なものを感じるのだろう。自分に自信が有る者ほどそういう傾向が有る。

司令長官の傍近くに居るワルトハイム達もその点では変わらない。普段側に居るからか彼らは司令長官の事を良く知っている。彼らは司令長官を尊敬しているし敬愛してもいるのだがその彼らでも時折畏れを抱くようだ……。

「……そうかもしれん、確かに差別はされていないだろう。……しかし俺達は疎まれているんじゃないかな」
いかんな、また元に戻った。

「バイエルラインだって補給基地には飛ばされなかったし、旧ローエングラム伯の艦隊も新たにシュトックハウゼン提督を司令官に迎えている、艦隊は解体されなかった」
「……」

バイエルラインはともかく旧ローエングラム伯の艦隊が解体されなかった事は皆が驚いた。司令官が反逆者として処断されたのだ。本来なら麾下の高級士官達は何らかの処分を受けてもおかしくは無かったと思う。俺だけでは無い、皆がそう思っていたはずだ。

例え処分が無くとも多少ポストで割を食ってもおかしくは無かった。実際に艦隊は正規艦隊からは外れる事になった。しかし全員昇進したし異動も無かった。司令長官は艦隊には全く手をつけなかったのだ。

今では新司令官としてシュトックハウゼン上級大将が司令官となりいずれはイゼルローン要塞を攻略する事になるらしい。司令長官配下の艦隊としての扱いは全く変わっていない……。

「司令長官は鷹揚な方でそんな根に持つ方ではないのかもしれんぞ。俺達が感じ過ぎなだけなのかもしれん」
「そう思うか」
だからな、ビューロー。その縋る様な目は止めろ。つい頭を撫でたくなるじゃないか。

「少なくとも司令長官は公平な方だし陰険な方でもない。悪い方じゃないだろう」
「……そうだな」
「そうさ、俺達にとってはそれで十分じゃないか」
「……そうだな」
ビューローが幾分困惑した様な表情で頷いた……。

これで一ヶ月位は持つかな。来月の末ぐらいにはまた酒を飲みながら愚痴を零すだろう。今度はどっちかな、最近はビューローが多いから今度は俺かもしれん……。それにしてもあの時の第359遊撃部隊がいまだに祟るとは……、人間どんなところで躓くか分からんな。

五年半前、帝国を揺るがした事件が発生した。サイオキシン麻薬事件だ。一年間、軍が外征を取り止めるほどの大事件だった。軍の一部に辺境の基地でサイオキシン麻薬を密造。軍、そして民間に流す事で利益を上げていた連中が居た。

サイオキシン麻薬が非常に危険な事は皆が分かっていた。警察はサイオキシン麻薬の撲滅に力を入れていたが結果を出せずにいた。当然だろう、事が事だ、誰も軍人がそんな事をしているとは思っていなかったのだ。サイオキシン麻薬の被害は確実に帝国を蝕んでいた。

その事件の摘発のきっかけを作ったのがヴァレンシュタイン大尉だった。大尉は少佐に昇進しそれ以後エーレンベルク、ミュッケンベルガー両元帥の信任を得ることになった。苦い思い出だな、あの頃の事は……。

気が付けばビューローがテーブルに突っ伏していた。
「おい、ビューロー、寝るな、寝るんじゃない」
「……お許しを、お許しを……」
ビューローは突っ伏したまま誰かに謝っている。どんな夢を見ているのかと思うと溜息が出た。また俺がこいつを背負って帰るのか……。酔っ払いって重いんだよな……。

二人で司令長官に謝ってしまおうか。しかし、俺達の気の所為だったらそれこそ笑い話だろう。いや、笑い話なら良い。司令長官に軽蔑されたら……。

“卿らは私の事をそんなつまらない人間だと思っていたのですか”

冷たい視線で見据えられる光景が目に浮かぶ。はーっ、厄介な人だ。怖いし嫌われてるかもしれないから近づきたくは無いんだが、軽蔑はされたくない、どうしたもんだろう……。

もう一度あのころに戻れたら……。



 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧