真・恋姫†無双~現代若人の歩み、佇み~
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第二章:空に手を伸ばすこと その参
整然とした軍隊は総勢ゆうに数千はいっていようか、自軍の軍規の厳しさを表しているかのように無駄な動きを一切しない。行軍を一時止めて休息をとっている最中でも、輜重|《しじゅう》部隊、つまり補給部隊を中心に軍隊が生き物のように蠢いているのが見える。こういうのはどういう目的で動いているんだっけ、大学で教わった知識を思い出す。確かあの教授は、兵站こそ軍の生命線、と言っていたな。
ーーー軍隊の一般原則として、何よりもまず補給部隊が充足していることが肝心だ。それも洛陽から何十、果ては何百里もの距離を行軍するとなっては、当然部隊を支える糧食や軍需品が大量に必要となるのは必至。長期持久戦となれば戦線維持のためにさらに消耗が嵩み、軍は疲弊して鋭気を失っていき、戦意も喪失していく。さらに軍需品の消耗が嵩んでいくと財政が著しく逼迫される事となるため、戦争を長期化させない事は国家の基本的な考えであり、これが出来ない国は例外なく滅んでいくのだよ。戦争の害悪を知らない国は、戦争による利益も知らないのと同意義なんだーーー。
日本に居たころ、大学の老教授に教わった『孫氏兵法』の知識はここでも役に立っている。この軍隊が非常に有機的に、かつ効率的に動いているのがだんだんと分かってきた。その彼の思考を阻むように、隣から空を裂くかのような大きな歓声が挙がる。それを見ると、やはりというべきか声を上げたのは詩花であった。彼女はこれほどまでに蠢いている軍隊を見るのは初めてなのか、驚きの声を漏らしながら右へ左へと視線を変えながら眺めている。そんな彼女を微笑ましく思ったのか、陣営内を先導していた案内役の兵が話しかけてくる。
「如何です、とても素晴らしい軍隊でしょう?」
「えぇ!!ほんっとにすごい!!!」
子供のように喜びながら詩花は視線を動かすのを止めない。気持ちは分かるが、できればもう少しおとなしくして欲しかった。お転婆な妹に連れまわされる苦労性な兄とはこういう気持ちなのだろうか、なんだか恥ずかしくなってきた仁ノ助は顔を手で押さえて溜息を漏らした。彼女と旅をしてから溜息を漏らす回数が増えている気がする。
やがて歩いていった三人は一際大きな目立つ曹操軍の本陣に辿り着く。入り口の両脇を見るからに屈強な精鋭の兵士が固めていた。本陣の幕の中からは『曹』の一字が風に揺られてはためいているのがわかる。あれは牙門旗、すなわち軍の旗印であり、軍の精神的な拠り所でもある。案内役の兵が真剣な目つきとなって言葉を出す。
「ここからは二人で入ってください。決して無礼な態度をとらないように」
「承知しました。ここまでご案内有難うございます」
案内役の兵が駆け足となって二人から遠ざかる。彼は所属している部隊に任務遂行を上申してから、次の任務に当てられるのだろう。
仁ノ助は大きく深呼吸をして心の整理をする。この中に曹操孟徳、乱世の梟雄が自分達を待ち受けているかと思うと緊張で胸がいっぱいだ。詩花はどうやって緊張を解しているのだろう。気になった彼は彼女の方を見遣った。彼女は掌に何度も文字を指で記しては、それを飲み込む行為をしていた。掌に書かれているの『人』なのであろうか。乱時の時にでも凛とした表情で一心不乱に『人』の字を掌に書く姿は、見ているだけで可笑しいものがあり、思わずくくっと笑い出してしまう。そんな彼を非難するように詩花が睨んでくるが、それでも緊張するのか今度は顔の緊張を手で解し始めた。彼女の微笑ましい行動を見ていると自分の緊張が和らいでいく。
意識してかしないでか行われる彼女の行動に「ありがとう」と感謝の意を告げると、彼女は意味が分からないという風に視線を向けてきた。それに一瞬笑みを零すと、顔つきを真剣にして本陣の幕を見つめる。彼は意を決したのか、本陣の中へ入っていくために足を動かし始める。
そして幕に手をかけて、ついに中へと入っていった。
第二章:空に手を伸ばすこと その参
「よく来たわね。私が曹孟徳、この大陸に覇を唱える者よ」
「「・・・・・・・・・」」
(えっ、なにこれ。女・・・・・・・・だと?)
自らを曹操と名乗った少女に対して仁ノ助の脳は軽いオーバーヒートを起こしていた。あの大軍人・大政治家・詩人でもある曹操は史実では列記たる男だったはずだ。その彼が、この世界では神様が薬でもキメてとち狂ったのか、女性となっているとは。いかに現実への適応が早い人間あってもこれ絶対に予想し得ないことだ。史実の彼の評価など彼女の容姿を見た瞬間に脳から剥がれて、驚いたまま開けられている口から宙へ毀れだしてしまった。
金色の髪を二つに分かつように髑髏を象った髪飾りがつけられ、分かたれた髪の毛は何故か器用なドリルを描いて垂れている。凛々しく覇者の表情をたたえている顔は気品と自信に満ち溢れており、彼女のきりっとした瞳を美しく見せている。全体的に深い蒼に染まった服を着装しており、彼女をより威圧的に見せるのに十分働いている。同時に胸元が若干開けられた作りとなっており、そこから僅かに胸の谷間が見えて彼女の倒錯的な色気を見事に出している。胸の上をコルセットのように巻いた縁が金色をしている紫の帯は、彼女がもつ知性と理性をさらに高めている。紫色をしたスカートから健康な色をした肌が見えており、白のハイソックスのようなものを履いて鉄の具足を締めた彼女の足は組まれている。自らの偉大さをさらに高めるかのようなポーズは、正に彼女の威風堂々たる容姿にぴったりの代物であった。
改めていうが、彼が想像した曹操とは力と野望に満ちた若い青年である。自分の予想が大きく外れた彼は驚きの余り彼女の言葉に答えることができない。
「あんた、華琳さまのお言葉に答えないなんて無礼が過ぎるんじゃないの!?」
甲高い声で非難されて仁ノ助は、はっと意識を取り戻した。慌てて声のした方へ視線を向けると、この軍の軍師であろう猫耳フードを被った女性がこちらを視線で殺すように睨んでいる。
「自分より高位の者の問いに答えぬ程の阿呆なの、貴方!?最低限の礼儀くらい弁えなさいよ、全身性液人間!!!!」
下種が吐いた吐瀉物を見るように吐き出される、想像を絶するえげつのない言葉に心が大きく傷つく。この軍師はその可愛らしい外見とは全く異なる物を内心に持っているようだ。
だがそんなことに気をとられていると本当に無礼が過ぎてしまう。これはまずいと焦って言葉を出そうとするが、視線の端でわなわなと震える人影を見て視線だけを送り、そしてその正体が詩花であることに気付くと彼はこの世の終わりを垣間見たような表情をした。
なにかマズイがイヤな予感がする、こいつが惹起する結果で俺達の処刑もあり得るかもしれない。
そう思った彼は曹操に向けて言葉を発するよりも詩花の怪しげな震えを止めることを選び、急いで彼女の肩を掴んで意識を取り戻させようとする。
しかし彼女の方が彼より一瞬早く動き、肩を掴まれる前に神速の如き速さ猫耳軍師の方へと駆け寄り、息をはぁはぁと荒げて熱っぽい視線で彼女に言い寄る。
「かわいいいいい!!!!!なにこの娘!?!?持ち帰って愛でていい!?いいわよね!!!」
「ちょ、ちょっとあんたなにするの!?!?こんのぉぉおおお、離しなさああああい!!!!!」
戟を握るときよりもさらに強くなる握力で軍師の両肩を握った彼女は、可愛い可愛いと叫びながら興奮の息をさらに荒げ、彼女の顔に自分の顔を近づける。軍師は顔を青褪めた表情で自分に近寄る彼女に抵抗するために、彼女の顔と胸に手をやって非力な腕力で押し返そうとする。鼻に指を突っ込まれてさらに間抜けな姿を晒すこととなっても、詩花は猫耳軍師に興奮し続けている。
「はぁはぁ、可愛いよ君ぃぃ!!!はぁはぁ・・・食べていいわよねええ!?」
「やめてええええええ!!!!助けてください華琳さまぁぁああああ!!!!」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
目の前で行われる変態的な女性の醜態と哀れな軍師の抵抗を見て、両者の主の立場をもつ二人は唖然としてその成り行きを見ている。軍師の抵抗が強くなって悲鳴がさらに高まり詩花の興奮もつられて高くなっている。
その時、本陣の外から馬の嘶きが聞こえてきて、次いで猛牛のように女性が勢いよく本陣の中に入ってきた。その者とは、自分達を助けてくれた騎兵隊の指揮官だった黒髪の女性だった。それの後に続くように水色の髪をした女性が後に続いて入っていく。
「華琳さま!!!!賊共の逃げ先をつきとめま、し・・・・・・た?」
「華琳さま、主命滞りなく勤め・・・・・・・」
二人は目の前で行われる混沌とした格闘に思わず唖然とした様子となり、報告を紡いでいくにつれて萎みがちとなってしまった。黒髪の女性は数秒目をぱちくりさせると目に正気の色を取り戻し始め、子供が仕返しを企むような笑みを浮かべる。悪戯めいた表情は全体的に豪快な印象を受ける美顔に意外と似合っている。
「・・・いいぞそこの変態、もっとやれ」
「いいわけないでしょおおお!!!何煽ってんのよイノシシィィイイッッ!!!!!」
「うへへへっへ、ここがええんかああ!?はあはぁ、ここなんやろおお!?」
輪にかけて混沌さを増した惨状は最早手に負えるものではなくなってきた。仁ノ助と曹操はゆっくりとお互いを見詰め、そして長年連れ添った夫婦が心を通わせたかのように自然と目線を合わせる。
どうしようもない部下を持っていることに対する同情と、そんな部下を持っている相手に対する深い憐憫の情を交えて、声に出さずに互いを思いやる。
ーーー苦労してるな・・・・・・。
ーーーお互いにね・・・。
事前に打ち合わせたかのように全く同じタイミングで深い溜息をつく。今後大変な部下を持つ上司として仲良くやれそうな気が、仁ノ助の中に芽生えていた。目の前で起こる混沌は今暫く続きそうな予感がし、それを止める実力行使の手段を彼は考え始めていた。
「本っっっ当に申し訳ありませんでしたっっっっ!!!!!!!」
地に付かんばかりに頭を下げる仁ノ助。目と表情は今までの人生の中で一番真剣なものである。その隣には頭から煙を上げて伏せている赤毛の変態がいた。煙は頭部に大きく出来たタンコブから出ているらしい。この変態、詩花は意識を完全に失って白目を出しており、体が時折ひくひくと痙攣していることから殴られてさほど間を置かれていないことがわかる。
怯えを出しながら猫耳が真っ先に口火を切る。
「当たり前よ!!!なんでこんな変態を躾けておかないの!?!?ほんっとうに使えない男ねっ、この全身バカ性液魔人!!!」
彼女の仁ノ助への評価が人間から魔人へとランクアップした事態には喜ぶべきなのであろうか。彼女の方を見て魔人呼ばわりを止めて欲しいと言ってやりたいが、今は素直に頭を下げて侘びをいれなければならない。さもなくば軍師を愚弄し、その主をも辱めたとして斬首となってしまう。
「・・・・・・いつも威張ってるからこうなるんだ」
曹操を挟んで軍師の反対側に立つ体験を背負った女性が言葉をさらりとこぼす。それは聞き捨てならないと軍師の怒りの矛先が変わる。察するに両名は相当相性が悪いらしい。
「なによっ!あんたこそ煽ってないで助けたらどうなのよ!?いつも突撃ばかり考えているから頭回っていないのね!?!?」
「なにをいう!!!ただ真っ直ぐ突撃するだけの脳ではないわ!!!!たまに曲りながら突撃している!!」
「突っ込むところがそこではない気がするが、そんな姉者も可愛いな」
竜虎交わらずといったところか口論がさらにヒートアップする。水色の女性は黒髪とは姉妹の関係であるらしい、拳を握って力強く違う点を反論する女性を微笑ましく思って暖かな視線を送る。頭を上げていれば、その視線がバカな人をカワイイと称する日本の友人を想起させるものだと分かっただろう。仁ノ助はその口論を聞き流して頭を下げているため見ることが出来なかった。
やがて疲れた口調で曹操が二人の口論に口を挟む。
「二人ともそこまでにしなさい。我が軍の恥部として君臨する積りなのかしら?」
「い、いえ、そうのような気は一切ございません!!」
「そ、そうです華琳さま!!全部桂花が悪いんであって私はっーーー」
「それ以上の言い訳は無用よ、私に恥をかかせる気なの?」
本陣に人を招いた手前で部下の醜態を態々見せるほど彼女は愚かな人間ではない。二人もそれには異を唱えるつもりが無いのであろう、不承不承という感じで喉元に出掛かっている互いへの罵倒を飲み込んだ。もう一人の女性は何も言わずに臍|を噛んでいる黒髪の女性の隣に立っている。
曹操は改めて頭を垂れる仁ノ助を上から見据えた。
「部下の失態を詫びるわ。あなたにも恥をかかせてしまったわね」
「いえとんでもありません。むしろこうなった原因は私の連れでありますが故、それを止めなかった私にこそ責任があります」
頭を上げずに仁ノ助はさらに詫びを入れる。騒動の元々の原因は彼の連れの暴走であることは間違いない。
後で原因をきつく問いただすことにしよう。
彼の謝罪は理解は出来るがという風に、曹操は顔を顰|(ひそ)めて再度言う。
「あなたの気持ちは分からないでもないけど、これ以上互いが詫び続けたらきりがないわ。今回の件は叱責だけで済まして、話が進むようにお互い手を打ちましょう」
「・・・・・・承知しいたしました」
彼女の言葉に自分達の死が回避されたことへの大きな安堵の念が生まれ、仁ノ助は感謝の意を湛えてゆっくりと頭を挙げた。軍師が此方を非難するように目を向けているのに対し、罰が悪くなる。しかし既に先ほどの話で互いの失点を認め合って終わりとしたのだ、彼女の抗議はここで受けることは面子上相応しくないだう。
今は幸運にも、曹孟徳の陣営に招かれた理由を聞くことが先決である。彼は曹操を見詰め、言葉を慎重に選びつつ問うた。
「して、此度私らがここに呼ばれたのは如何様な理由があってのことでしょうか」
「順を追って説明しましょう。我らは今漢王朝の勅命をうけて黄巾討伐に向かって出撃した、左中郎将の皇甫嵩・右中郎将の朱儁の連合軍の援軍として潁川に向かっているところよ」
黄巾賊が主に集結している地点は曹操が向かっている潁川と冀州である。史実において皇甫嵩と朱儁の連合軍が乱の序盤に辛酸を舐めていることから、敵はかなりの数をもち、または中々に頭が切れる将軍が居るらしい。事実その通りで黄巾側の将軍は波才といい、朱儁の軍隊を数の暴力で敗走に陥れた後に皇甫嵩が立て篭もる長社を包囲するに至っている。ただ仁ノ助は曹操が女であるこの世界に対して認識を改めており、必ずしも史実通りに事が運ぶとは限らないとして、波才以外の人間が軍を指揮していることもありうると考えていた。
其れは兎も角として、この軍が潁川の波才率いる賊軍を破ることを目的として行軍しているのは、曹操が今語ったとおりだ。途中途中に現る賊軍の一派を討ちながら行軍しているのかもしれない。
曹操はさらに言葉を続ける。
「軍の進軍経路を確認していきながら進軍していると、予め放っていた細作から報告があったのよ。『前方にて賊軍と何者かの抗争あり』と」
あの時の戦闘を思い浮かべる。細作は見通しが良い所から此方を発見したのであろう。自分達はそれに意識を向けるほど余裕が無かったわけだ。というより、ここで曹操軍と邂逅することが彼にとって予想外だったのだが。
「それで騎兵隊を先発隊として、賊軍を奇襲しその落ち伸び先を突きとめよと命令させたら、あなたたちを見つけたの」
「・・・・・・ご説明ありがとうございます。しかし敢えて申し上げますが。私達を保護したらそのまま解放して、行軍を再開するのが普通ではないでしょうか?」
彼の疑問を溶かすように曹操が口を吊り上げて応える。
「数十人の賊に僅か二人で拮抗せしめたのよ?これは中々の武芸者でなければ出来ないことだわ」
良い獲物が手に入ったとばかりに曹操の目に若干の光が見える。挑発的でいてそれでいて淫靡に見える目が、だからこそ危険に感じてしまう。世界が違えど曹孟徳という人物に違いはないと彼は確信する。
「天下を歩む我が軍は兵の数は多けれど、それを指揮する強者が少ない。乱の前も荀彧のように傑出した人物を掘り起こしているけど、それでも少ない」
「・・・・・・」
やはりというかなんというか、猫の耳を模した服を被っている少女は荀彧であるらしい。曹操に褒められていると感じて頬を赤く染めている。それに捉われることなく、彼には次に曹操が話す句がなんであるか、大体わかってきた。
その彼の予想を当てるように曹操が事の答えを言った。
「喜びなさい。あなた達の武を見込んで、我が軍の客将として扱ってあげるわ」
「なっ、この変態共をですか!?」
無視を決め込んでいた荀彧が大きな驚愕を浮かべて曹操に言う。汚い吐瀉物のように蔑んでいた者達が急に仲間となってしまうのだから無理はなかろう。
「桂花、これは私が決めたことよ。なによりあなたにとっても仕える駒が増えるのは悪いことではないでしょう?」
「それは確かにそうですが・・・」
「ならば納得しなさい。憎悪と嫌悪感に捉われては軍師としての理性を失ってしなうわ。私がそれを許すと思って?」
「・・・いえ、決して許さないでしょう。出過ぎたことを申し上げました。お許しください」
曹操に諌められて荀彧が頭を下げて許しを請う。曹操はそれに、うむ、と応えて面を上げさせた。荀彧が頭を上げるとこちらを恨み骨髄に徹す如き仇であるかのように睨みつけていた。内心ではあらん限りの罵詈罵倒を述べて呪詛を送っているのだろう。正直こちらはその恐ろしい歓迎を喜ばしく受け取ることはできない。
若干顔をひくつかせながら仁ノ助は曹操に応える。
「・・・非力な身ではありますが、連れ共々謹んで参軍させていただきます」
「それでいいわ。天下に覇道を敷く軍に加えられたことを光栄に思いなさい」
曹操が彼の言葉に満足そうに頷く。
(人物マニアであることも史実通りとは、難儀しそうだな)
目を閉じて礼をする彼の内心を露知らず、曹操は思い出したかのように言葉を続ける。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったわね。あなた、名は?」
「こちらに伏せる者は錘琳と申し、真名を詩花と申します。私は辰野仁ノ助と申します。・・・・・・真名はございません」
曹操を初め四人は彼の名に不思議なものを見るような表情をし、次いで真名を持っていない事実に驚く。真名は例え皇帝であっても神聖にして不可侵なくらい重要なものであり、これを人に預けることは魂を預けることも同意義である。それを持たぬ仁ノ助はその名前もそうであるがこの世界では非常に珍しい者である。
騎兵隊を指揮していた女性が目を怒らせて仁ノ助に問い質した。
「貴様ぁああ!!華琳さまに預ける名がないとはどういうつもりだああああ!!!!」
「落ち着け姉者。態々剣で斬るようなことではないだろう」
大剣の柄を掴んでこちらに詰め寄ろうとする女性を隣に立つ女性が冷静な声で諌め、詰め寄りを止めようと後ろから抑える。曹操はそれに慣れているのかそれには目もやっていない。
仁ノ助は目の前で突如怒る女性に無視を決め込んで言葉を続ける。
「・・・ですので、私を呼ぶ時は『仁』とお呼び下さいませ」
「・・・・・・真名を持たないならば仕方ないわね。ここは妥協してあげます。だけど貴方の事は仁ではなく、仁ノ助と呼ぶわ」
真名の代わりに名を一字だけで呼ぶように求めた彼の提案を、曹操はあくまでも己のルールを通して受け入れた。受け入れを聞いて、黒髪の女性は怒り出すのを止め、ゆっくりと再び主の隣に立つ。
それを自然な様子で受け入れた曹操は言葉を続ける。
「では仁ノ助、あなたには春蘭の部隊に一時的に入ってもらいます。その後の活躍次第では隊を率いさせることもやぶさかではないわ」
「ご期待に必ずやお応えしましょう。してそのお方とはこちらの・・・?」
仁ノ助がちらりと黒髪の女性に目をやって問う。それに答えるように女性が胸を張り、誇り高く答える。
「私こそが曹孟徳一の猛者、夏候元譲だ!」
「姉者が度々迷惑をかけてすまない。私は夏候妙才という」
曹操の隣に立つ黒髪は夏候惇、隣の水髪は夏候淵なのか、随分仲が良さそうな姉妹だ。最早驚きを表さない仁ノ助は二人に向かい敬意を表す礼をする。先程まであちらは怒ってはいたが、今からは時によっては背中を預けることとなる。信用がならないといえども表面上は納得する度量があるらしい。
しかし反対側に立つ軍師はそうではないようだ。二人が名乗ったのにも拘らず口を噤んで沈黙を保ち、まだ睨みを利かせている。だが自分だけ名乗らないというのもまた無礼と思ったのか、酷く不機嫌な声で本当に不承不承という風に言った。
「・・・・・・荀文若よ」
王佐の才はもう話すことは無いとそっぽを向く。
これで全員が名乗ったことになる、一人は未だに気を失っているが。
「ではそろそろ進軍再開といきましょう。潁川まで気を緩める事を無いようにせよ!」
「「「「はっ!!」」」」
四人はそれを聞いてすぐさま行動に移った。夏候惇の後を追うように仁ノ助と夏候淵が続いて本陣を出る。
荀彧は全軍に出立の命令を出すために遅れて本陣を出た。
そして本陣内には悠然と佇む曹操と、未だに気を失って口から泡を吹いている詩花が残された。
「・・・・・・えっ。これ、私が面倒見るの?」
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