至誠一貫
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第二部
第三章 ~群雄割拠~
百十二 ~再会する者、迷う者~
前書き
ご無沙汰しております。
長らくの間、お待たせしました。
かなり久々に書いたので文が安定していないかも知れませんが、更新を再開します。
以前のような頻度とは行きませんが、またお付き合いいただければ幸いです。
「追手は?」
「……ん。大丈夫……」
「そうか。よし、小休止だ」
私の言葉に、皆が思い思いに腰を下ろした。
どの顔にも、程度の差はあれど疲労の色は隠せぬ。
陳留を脱して後、ほぼ不眠不休で駆け続けたのだから当然であろう。
最も、今の華琳がまとまった数の追手を差し向ける可能性は低いと見て良いが。
「ご主人様、水を汲んできました」
「ああ、済まぬな雛里」
「い、いえっ!……皆さんと違って、今はあまりお役に立てそうにありませんし」
「そのような事はない。この先、何があるかわからぬ。その知恵を借りる場面が必ずある筈だ、頼りにしている」
「あ、あわわわ……。あ、ありがとうございましゅ……」
赤くなりながら帽子で顔を隠してしまう雛里に、場が和んだ。
……いや、一名だけ表情が硬いままの者が。
あの時、咄嗟に起こった閃光と爆発は決して偶然ではなかった。
結果として私はそれに救われた訳だが、その当人は呆然自失としていた。
そのまま置き去りにする訳にもいかず、半ば拉致するような格好で連れてきてしまった人物。
「……楽進。まだ気持ちの整理がつかぬか?」
「……はい。どうして、あの時自分はあんな真似をしたのか……」
「でも、おかげでお兄ちゃんは助かったのだ! 楽進は間違っていないのだ!」
鈴々がバシバシと楽進の肩を叩く。
「せやな。アンタの行動のお蔭でウチらは間に合うた、それは事実や」
「……ん。霞の言う通り……」
「そうだ、私の命の恩人である事は確かだ。その礼は必ずさせて貰うが……無理に我らに同行せずとも良い。華琳のところに戻っても構わぬ」
楽進は、大きく頭を振った。
「理由はどうあれ、私は華琳様に逆らってしまった身です。おめおめと戻れる程私は厚顔無恥ではありません」
「そうか。ならば、どうするつもりだ? ほとぼりが冷めるまで身を隠すつもりならば、出来る限りの手は尽くすが」
「……わかりません。とにかく、今は……」
ふむ。
袋小路に迷い込んでしまったようだな。
それならば、私の取るべき道は一つ。
「では、このまま私と共に参らぬか? 鞍替えしろとは申さぬ、私の客分として遇したい」
「え? で、ですが……」
「悩んでいるだけでは先に進めぬぞ。それと、華琳と戦いたくなければ無理強いはせぬ」
「…………」
真面目で華琳に対しての忠誠心も高い楽進。
共に歩めるならば申し分のない存在だが、今それを求めるのは酷と言うもの。
今の華琳は、明らかに正気を失っている。
だが、冷静さを取り戻せば楽進もその麾下に戻れる機会もあろう。
……最も、私がその前に討たれなければの話ではあるが。
「恋。腹が減ったであろう?」
「……(コクッ)」
「鈴々もなのだ……」
止むを得ぬ事とは申せ、恋が勘働きだけで私を救いに出た為に霞も行軍の準備などする暇はなかったらしい。
輜重隊の備えどころか、最低限の食糧すら携帯できぬまま押っ取り刀で駆けつけた状態であった。
従う兵も少数であったとは申せ、それでも糧秣なしで行軍するのは無理がある。
さりとて、此処はまだエン州。
華琳の支配域で、現地調達など危う過ぎる。
故に、猪や鹿、川魚などと捕りつつ凌いではいるがそれとて限りがある。
私や雛里、楽進らは兎も角恋と鈴々は元々が大食漢……量を賄える筈もなく。
徐州にさえ入れば、事態も好転が望めようが……。
「あ、あの……ご主人様」
おずおずと、雛里が話しかけてきた。
私に対する遠慮など無用とは常々申しているのだが、なかなか改まらぬようだ。
が、あまり無理強いをさせるつもりもないので……追々しかあるまいな。
「何か?」
「あ、あわわ……。す、すみません」
「意見があるなら申せ。謝らずとも良い」
「は、はい!……追手がない事が、気になりませんか?」
雛里の言葉に、思案を巡らせる。
確かに、陳留を脱して後ここまで追手の類に出くわさずにいる。
無論、霞が巧みに追撃をまいている事も確かではあるが……華琳が果たしてそれに釣られる相手であるかと言われれば疑問はある。
正気を失っているとは申せ、その頭脳まで鈍っているなどと思うのは楽観が過ぎよう。
雛里が危惧しているのも、その辺りか。
「つまり、先回りして待ち伏せている可能性があると申すのだな?」
「そうです。徐州との境は、封鎖されていると考えた方が」
「うむ……」
杞憂と笑い飛ばす事も出来ぬ。
徐州では恐らく朱里や風らが善後策を練っているであろう。
が、未だ私が正式に赴任した訳でもない地で果たして迅速な動員がかけられるであろうか?
こんな事であれば、月を新たな刺史として任ずるよう陛下に言上すべきであったやも知れぬ。
悔いても詮無き事ではあるが、今は兎に角この地を如何にして脱するか。
私の決断如何では、この場にいる全員を死地に陥らせる可能性もある。
此処まで私を信じてついてきてくれた者らを、そのような目に遭わせる訳にはいかぬ。
況してや、楽進は何としてでも生き延びよう取り計らわねば。
「では雛里は、このまま徐州に向かうのは危険だと申すのだな?」
「そ、そうですご主人様。勿論、座してこのままというのはお勧めしませんが」
「うむ。霞、どうか?」
「ウチか? せやなぁ、雛里の懸念も尤もかも知れへんなぁ。ウチなら、もっと執拗に追手出してるやろうし」
「……兄ぃの邪魔する奴、恋が許さない」
「でも、お腹が空いて力が出ないのだ……」
州境の様子がわかれば良いのだが、現状我らにはその余裕がない。
待ち伏せも可能性としては高いが、華琳が追跡に手を抜くとも思えぬ。
今こうしている間に、密かに包囲されていてもおかしくはない。
無為に時を過ごすのは得策ではないが、まずは方針を定める必要があるな。
「雛里」
「はい」
「徐州入りが危険な事はわかった。では他の手立てを考えねばなるまい」
「……そうですね。上中下と策があります」
「全て申してみよ」
雛里は頷き、一同を見渡した。
楽進も、顔をこちらに向けている。
「まずは下策から。恐れ多い事ですが、洛陽に向かいます」
「陛下に庇護していただく、か」
「……はい。白蓮さんもいらっしゃいますし、そのまま西涼に向かい馬騰さんに協力を仰ぐ事も可能かと」
「せやけど、雛里。曹操の勢力圏内を逆戻りする事になるで。いくら何でも無謀過ぎや思うけど」
「その通りです。それに、今曹操さんが全力を出せば白蓮さんだけで防ぎ切るのは困難かと」
「……うむ、確かに下策だな。では中策は?」
「雪蓮さんを頼ります。距離はありますが、少なくとも曹操さんの追手からは遠ざかります。兵はそこまで多くないでしょうが、その強さはご主人様がよくご存知かと思います」
状況は異なるが、赤壁の戦いのような状況になるな。
上手く揚州に華琳の軍を引き込めれば、水軍も含めて相応に戦えるやも知れぬ。
しかも、徐州にいる月らと合流すればそこまで寡勢にはならぬ。
一見上策にも思えるが、雛里にはこれが最良ではないようだ。
他の者らも、頻りに首を傾げている。
「これを上策と言わぬ根拠は何か?」
「まず、雪蓮さんが睡蓮(孫堅)さん戦死から完全に軍を立て直せているかどうかの見極めがつきません」
「……うむ」
「情報がない状態で、それを当てにして向かうのは危険があります。最悪、混乱に巻き込まれる恐れもあります」
雛里は一旦言葉を切り、続けた。
「それに、曹操さんがそれを読んでいる可能性も捨てきれません。待ち伏せだけであれば、大軍は必要ありませんから」
「確かにそれはあるやも知れぬな」
「或いは、袁術さんを動かして足止めを狙っていてもおかしくありません」
「……中策とは申せ、その分危険も大きいか」
「なら雛里、上策は何や? まだ聞いとらへんけど、どうもそれしか道がないような気がするんやけど」
「では、申し上げます。……河北に向かいます」
「待つのだ雛里! こないだ襲われたのをもう忘れたのか?」
「勿論忘れてはいないよ、鈴々ちゃん。でも、あの時の犯人がまだわかっていないのも事実」
「麗羽じゃないって事か?」
「少なくとも、麗羽さんがご主人様を襲う理由はないよ。ご主人様、推測ですが……麾下の何者かが独断で動いたと思います」
「私も同意見だ」
「それに、今華琳さんに独力で対抗できるのは麗羽さんだけです。危険が皆無とは言いませんが、頼るならば最上かと」
「……なるほどな」
「そして、襲われた事は当然曹操さんもご存知ですから逆に裏をかけるというのもあります」
雛里の意見に異を唱える者はおらぬか。
上策とは申したが、唯一の選択肢ではあるまいか。
「ウチも賛成や。……けどなぁ」
「霞さん、何かご懸念でも?」
「雪蓮のところもそうやけど、河北の情勢がわからんまま行くのは危険ちゃうか?」
「……そうですね。実はそこが気がかりではあるんですが」
「では、私が行って確かめて参りましょう」
と。
誰もおらぬ場所に、聞き慣れた声と共に姿を見せた者。
「疾風(徐晃)なのだ!」
「暫くぶり……になるのかな、鈴々。歳三殿、只今戻りました」
「ご苦労。……その様子では、引き返してきたのだな?」
「はっ……。独断での行動、罰は如何ようにもお受けします」
頭を下げる疾風。
「いや、桜花(士燮)や愛里(徐庶)らが気がかりでないと申せば嘘になる。だが、星や周泰らは引き続き動いているのであろう?」
「はい。……虫の知らせと言いますか、悪い予感がしまして私だけが戻りました」
「いや、良く戻ってくれた。一休みしたら、麗羽のところに向かって欲しい」
「いえ、お気遣いは無用にて。黄河近くのこの辺りにてお待ち下さい」
疾風が地図で示したのは、近くに村などのない人里離れた場所。
一時的に身を潜めるには悪くなかろう。
「それから、これを」
と、背負っていた袋を地面に置いた。
「取り急ぎ、手に入る食糧を集めておきました。十分な量ではないでしょうが、これで凌いで下さい」
「……疾風」
「お、おい! 力を入れ過ぎだ恋! 骨が砕ける!」
嬉しさの余り、恋が疾風を抱き締めた。
そして、思わず悲鳴を上げる疾風。
それを見ていた兵らから、笑い声が上がる。
ふふ、こうして笑えるのは久しぶりな気がするな。
「疾風」
「はっ」
「済まぬな、お前には苦労ばかりかける」
「と、歳三殿……。お止め下さい、これが私の職分ですから」
「いや、それだけでは済まぬ程助かっているのは事実だ。違うか、雛里?」
「あわわわ……。い、いえ。ご主人様が仰せの通りです」
「せやせや。歳っちの口癖やないけど、情報は大切や。ウチには真似できへん」
「止せ、雛里に霞まで。……な、何だかこそばゆい」
「にゃははは、照れてるのだ」
赤くなり、目を逸らす疾風。
斯様なやり取りがごく当たり前に出来る日々を早く取り戻したいものだな。
……新選組時代では、このような事を考えるようになるとは思いもしなかった。
近藤さんや総司が今の私を見たら、果たしてどんな反応を見せるのか。
数日後。
指定された地にあった森に身を潜めながら、ひたすら疾風を待った。
幸い、華琳にはまだ気づかれた様子もない。
徐州入りしている月や朱里らとの繋ぎもつけたいところだが、今はそれも叶わぬ。
いきなり華琳の軍勢に攻め込まれる事はまずあるまいが、何らかの干渉をされる恐れはある。
民や兵を落ち着かせるという意味で、印綬を持つ私がこうしている事は決して望ましくない。
だが、このまま麗羽と上手く合流できたとしてもその後はどうなるか?
麗羽は私の事を師と仰いでくれてはいるが、私の指示でその将兵を思いのままに動かせる訳ではない。
つまり、状況次第では私が徐州に入れぬ事も想定せねばなるまい。
……思えば、此処までが順風満帆過ぎたのやも知れぬ。
その反動が今だと思えば、何とも痛烈な皮肉ではある。
「……?」
眠っていた恋が、不意に目を覚ました。
「如何した?」
「……誰か来る」
「疾風ではないのか?」
「……(フルフル)」
周囲に村はなく、漁師や猟師がやってくる事もまず考えられぬ場所。
旅人が迷い込んだ可能性も皆無ではなかろうが、この緊迫した中を歩き回る度胸があれば最早常人ではあるまい。
「味方やない……つまり」
「敵なのだ!」
霞と鈴々も身構えた。
私も兼定を抜き、相手が姿を現すのを待つ。
……と。
楽進が、ゆっくりと歩き出した。
「まさか……そんな」
そう呟きながら。
「楽進。如何した?」
「……この気配。間違いない」
私の声も聞こえておらぬのか。
あまりにも無防備だ、放ってはおけぬ。
そう思いながら、近づく足音に耳を澄ませた。
……そして、その時がやって来た。
「……やっと見つけたで、凪」
「探したの!」
「真桜……沙和……」
互いを真名で呼び合うのだ、親しい間柄なのであろう。
だが、敵意や殺意は感じられぬ。
その証拠に、恋は武器を下ろしていた。
「私を捕らえに来たんだな?」
「……まぁ、命令はされたのは確かや」
「……でもね、凪ちゃん。沙和は、凪ちゃんと戦いたくないの」
相手は二人だけ、兵は連れておらぬようだ。
となれば、説得に参ったのであろう。
「歳っち。どないする?」
霞が、二人から目を離さずに尋ねてきた。
恐らく、この顔触れであれば戦っても後れを取る事はなかろう。
が、楽進がどう動くかがわからぬ。
見守るべきか……。
思案を巡らせていると、二人が得物を手放した。
そして、その場に膝をついた。
「土方様。ウチは李典です」
「沙和は于禁なのー」
「……今の華琳様は、明らかにおかしい思います」
「それに、凪ちゃんと戦うなんて絶対嫌なの!」
「真桜、沙和。じゃあ」
「ああ、せや。……ウチらも連れてって欲しいんです」
「お願いなの!」
そういう事か。
「楽進。どうする?」
「……二人共、私の親友です。華琳様に刃向かいたくはありませんが、二人と戦わずに済むのであれば……」
そして、楽進も膝をついた。
「どうか、私達もお連れ下さい。我が真名、凪をお預けします」
「ウチは真桜と呼んで下さい」
「沙和もなの!」
「相わかった。だが、我が道は決して平坦ではない。そこは覚悟しておけ」
私の言葉に、三人は頭を下げた。
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