渦巻く滄海 紅き空 【上】
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三十九 陽のあたらぬ場所
試合開始直後、地へ叩き付けられた煙玉。朦々と立ち込める煙幕は、ネジの視界を覆い尽くした。
煙向こうにいるナルの姿がはっきり捉えられない。しかしながら煙玉を用いた彼女の行動を、ネジは鼻で笑い飛ばした。
「これで視界を奪ったつもりか?」
己の眼の前ではこんな目眩ましなど意味を成さない。そう暗に告げながら柔拳の構えをとるネジ。
煙幕を張った張本人は意外にも仕掛けてこない。反応の無い相手に、まずは様子見か、とネジは油断なく目を凝らした。煙はまだ晴れない。
なかなか動きを見せぬ対戦相手を焦れったく思う。その瞬間、傍から感じた気配に、彼は振り向いた。
周囲を取り巻く煙。そこから飛び出たナルに向かって、手刀を放つ。相手の身体を貫く勢いで突いた四指が空を掴んだ。
白煙と化す。煙幕と雑ざり合う影分身の末路を見極めることなく、即座に視線を這わす。突如背後から現れた三つの影。雪崩れ込むように飛びかかってきた三人のナルが、ネジの瞳に映り込んだ。
(全身に等しくチャクラを分配する影分身は、この白眼を以ってしても本体を看破することは出来ない…。少しは考えたようだな)
空中にて拳を握り締める。振り落とされる彼女達の拳をネジは仰ぎ見た。
口角を吊り上げる。
「―――だが所詮、本体はひとつ」
それぞれの拳を全て受け流す。踏鞴を踏んだ一人の背を土台にし、跳躍。左右から猛攻してくるナルに、突き蹴りを放つ。
頭と顎に直撃した二人がぼうんっと煙に巻かれた。それを尻目に、残る一人に狙いをつける。
(本体は―――)
煙を切って投擲された手裏剣。明らかに最後の一人を守ろうとして打たれたそれらを、ネジは自身のクナイで受け止めた。手裏剣を投げてきたナルには見向きもせず、地を蹴る。
(影分身が守ろうとした、こいつ!!)
迫る。長い黒髪が煙の中踊り狂った。おぼろげに浮かぶ金目掛け、駆け抜ける。予選にて彼女が豪語していた「火影になる」という夢が、ネジの脳裏を掠めた。
一気に踏み込む。そして彼はくっとせせら笑った。
「火影になる、か…」
先ほど踏み台にしたナルが驚愕の表情を浮かべた。己の身体を見下ろす。
胸を抉るほどの勢いで突かれた手刀。それは確実に、ナルの点穴を突いていた。
「これじゃ、無理だな」
岩陰から現れたその人物に、カカシは目を見張った。彼の隣でサスケが怪訝な顔をする。
「あんたは……」
木ノ葉病院で療養中のはずの月光ハヤテ。予選試合で審判を務めた彼の登場に、師弟の間柄であるカカシとサスケは互いに顔を見合わせた。そしてすぐさま訝しげな視線をハヤテに向ける。
「なんで予選の試験官が此処にいるんだ?」
サスケの問いに、ハヤテが苦笑する。
「貴方の試合が迫っているからですよ、うちはサスケくん。このままじゃ、君は不戦敗となります」
ハヤテの発言を耳にして、サスケはじろりとカカシを見上げた。ははは、と渇いた笑いを漏らしたカカシが、話題を変えるように礼を述べる。
「いや~ありがとね。わざわざ知らせに来てくれて…。それによく俺達の居場所がわかったね」
入院してるはずでしょ、とさり気無く詰問してくる彼に、ハヤテは肩を竦めてみせた。
「火影の命令で、暗部が捜し回っているんですよ」
「あ――そうか。ハヤテの彼女…夕顔さんは暗部の一人か」
自ら問い、自ら解決する。サスケに修行をつけるという事を誰にも、火影にすら報告しなかったという負い目があるため、カカシはそれ以上問い質しはしなかった。
「病み上がりなのに申し訳ない。ところで、もう退院したわけ?」
「いえ…病院を脱け出して来たんです。どうにも退屈だったので…。それで偶然、貴方がたを見つけた次第でして」
「お前、勘凄いね…」
ハヤテの返事を聞いて、呆れたような顔をする。その鋭い勘のおかげで記憶を失ったのか、と内心考えたカカシは、あまり勘が良過ぎるのも考え物だという結論に達した。
「じゃ、急いで会場に向かうか。サスケ」
「当たり前だ。本選を受けなきゃ元も子もないだろうが」
むすっと顔を顰めるサスケを、まあまあと愛想笑いでカカシは宥めた。試験会場の方角へと足を向ける。
そして肩越しに振り返ると「ハヤテは病院に戻ってちょうだい。あまり無理しちゃ駄目でしょ」と忠告の言葉を投げた。
「あと不謹慎だけどさ、入院生活も無駄じゃなかったんじゃない?」
「はい?」
「喘息、治ったんじゃないの?さっきから咳き込まないし」
カカシの何気無い一言に息を呑む。だがそれはほんの一瞬の事で、すぐさま彼は取り繕った。
「え、ああ…。病院生活が性に合ってるのかもしれませんね、ゴホ」
目に浮かんだ、隠微な動揺の色。だがその微かな変化に気づかず、カカシとサスケは地を蹴った。修行場所としていた荒野を後にする。
会場へ向かう彼らの背中をハヤテは暫し見送っていた。不意に頭を下げる。
晴れ渡る中空で、白い光円を覗かせる太陽。頭上に惜しみなく降り注ぐ日光は、彼の表情を照らしはしない。
陰影に縁取られる顔。俯き様に浮かべた含み笑いは誰にも見られる事は無かった。
瞬く間に煙幕の一部となったナルの影分身達。周囲を取り巻く白煙がネジの黒髪を浚った。
「大体わかってしまうんだよ、この眼で。生まれつき才能は決まっている。火影とてそうだ。なろうとしてなれるものではなく、そういう運命で決められている。言うなれば、人は生まれながらに全てが決まっているんだ」
まるで幼子に言い聞かすような物言い。顔を上げないナルを、ネジは冷やかに見下ろした。
「人はそれぞれ違う。避けられない流れの中で生きるしかない。……ただ一つ、誰もが等しく持っている運命とは――――」
観戦者達が固唾を呑んで試合を見守る中、その者はすっと目を細めた。彼はネジが次に何を言うのか、既に知っているようであった。静かに双眸を閉じる。
冷淡な眼差しで見下すネジと、微動だにせず俯くナル。彼らの頭上には憎たらしいほどの真っ青な空が広がっている。
光り輝く太陽の下、ネジの静かな声が会場に響き渡った。
「『死』だけだ」
「それがなんだってば?」
ゆっくりと頭を上げる。ナルの顔を覗き込んだネジが僅かに動揺した。
落胆の色を湛えているものだと決めつけていた彼女の瞳は、少しも輝きを失っていない。むしろ先ほど以上に強い眼光で、ナルは言い放った。
「そうやって、なんでもすぐ決めつけるのは、良くないってばよ!」
手からすり抜ける。眼前で巻き上がった白煙に、ネジは目を見開いた。
煙幕から躍り出る。二人のナルがネジの瞳に飛び込んだ。
(手裏剣を投げた方が本体だと…っ!?)
分身の一体をわざと守り、本体と見せ掛けた。その張本人が太陽を背に、ネジの眼前に躍り出る。交差した両手には、それぞれクナイと手裏剣。
左右から投擲。同時に投げられた刃物は、ネジを挟み打ちにした。
双方からの攻撃は如何にネジとて避けられない。陽射しを浴び、鈍く光る数多の銀。
その眩しさに、彼は白い眼を細めた。身体を捻る。
「……【八卦掌――回天】!!」
弾かれる。
その名の通り、その場で自ら回転したネジ。彼の全身から迸ったチャクラが巨大な円球と化す。ネジが解き放つチャクラの渦。それは突風を伴い、ナルに襲い掛かる。
ネジを中心に円の軌跡を描いたチャクラがクナイと手裏剣諸とも、ナルの影分身を掻き消した。
「…ぐッ」
ナル本人も吹き飛ばされ、地に強く叩きつけられる。
白煙となって消えた分身体。ようやく一人になったか、とネジは冷笑を浮かべた。今しがた発動した術の威力は、彼の足下が物語っている。
穿たれ、円形に窪んでいる地面。ネジが佇む僅かな地点のみが無事である事をナルはちらりと目の端に捉えた。
(今のが、もう一つの奥の手か…)
冷淡な眼差しでこちらを見つめてくるネジ。強い悲しみに彩られた白眼を、ナルは真っ向から見据えた。
予選試合で見せた【八卦・六十四掌】と同様、日向宗家のみに伝わる術【八卦掌・回天】。
チャクラ穴から放出したチャクラにより攻撃をいなし、尚且つ体を回転させる事により相手を弾く柔拳法体術奥義。言わば我愛羅と同じ、もう一つの『絶対防御』。
【八卦掌・回天】の直撃を喰らったナル。だが諦めずに立ち上がる彼女の動向に呆れ、ネジは嘆息した。
戦意が喪失していないかどうかは、瞳を見れば明らかである。未だ強く輝いているナルの双眸に、ネジは眉を顰めた。自分を信じ切っている、いっそ眩しいほどの空の如き青が非常に苛立たしい。
特に宗家の陰でしかない自分のような日蔭者には。
「お前はもう逃げられない。この…」
ぴくりとネジの指が動いた。そのまま独特の構えをとる。見覚えのある体勢に、ナルは身構えた。
うっすら地に浮かび上がる八卦の円。
「八卦の領域からはな」
凄まじい勢いで踏み込む。一瞬で詰められる間合い。影分身をつくる暇さえ無い。
「【柔拳法・八卦―――…」
驚異的な速度で接近したネジとナルの目が合う。絡み合う視線。
追い詰められ、強張った表情を浮かべていたナルの顔が、不意に緩んだ。迎え撃つように構える。
そして同時に口を開いた。
「――――六十四掌】!!」
「――――【蛙組手】!!」
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