自然地理ドラゴン
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三章 天への挑戦 - 嵐の都ダラム -
第38話 ドラゴン 対 ドラゴン
ティア・シェフィールドは、この世では珍しい〝女性の〟冒険者である。
艶のある長い黒髪。大きな瞳で鼻筋が通っている整った顔立ち。十代のきめ細かな肌。容姿が容姿であるため、男性冒険者たちからそういう目で見られてしまうことは多かった。
冒険者の質がよくない街では、ギルドの建物に入るだけで、たむろしていたむさ苦しい冒険者たちから、一斉に飢えた狼のような視線が飛んできた。下心丸出しの男性が近づいてくることも、性的にからかうようなことを言われることも、決して珍しくはなかった。
しかし冒険者という男だらけの職業を選択したのは、他ならぬ自分の意思である。職業の性質上、永遠に誰とも組まないで仕事をすることが不可能なのも承知のうえだ。
なので、本人としても最初からある程度の覚悟はあった。
幸いにも、彼女は体術が専門であり、護身術に長けていた。あまりしつこく迫ってくる男性については、一発入れて眠らせればいい。そのくらいに考えていたし、実際にそうしたこともあった。
そんななか、一人、一般的な冒険者の男とは異なる反応を示す者がいた。
森の町チェスターの冒険者ギルドで受付けの人と依頼の話をしていた、亜麻色の髪の少年。彼はティアが近づいてくると、ただただ困惑し、迷惑そうな顔で対応してきた。
それはティアにとって、何よりも新鮮だった。
* * *
シドウとともに連行されていたティアのすぐ目の前には、城の主塔よりも大きな灯台がそびえ立っていた。
太い最上部はこの嵐のなかでも煌々と橙に光っているが、それ以外は雨煙で暗灰色に変色している。なんとも不気味な姿だった。
嵐を消す実験は中止が決まっている。暴風雨が収まるまで一晩ここで過ごすことになる、とのことだった。
魔法使い軍団の足が重そうなのは、強い風を受けているためだけではないだろう。実験で大きな魔法を使用したため魔力が枯渇し、その疲労感があるのだと思われた。
罠を警戒していたシドウが、自身とティアの手の紐を外してほしいと、紐を引っ張っていた男に頼んだ。
「外すわけないだろ? 王都に帰るまでそのままだよ」
あっさり却下された。
もちろん、それはティアにとっても想定内だった。
だが。
「嵐が過ぎるまで塔の中だろうからな。姉ちゃんのほうはちょっと借りようかな」
直後にそんな言葉が飛んできたのは想定外だった。
ティアとしては、もちろんまっぴらごめんな話だ。吐き気すら感じた。
手は縛られているけれども、足は自由。いざとなったら蹴り飛ばす――。
そう考えていたら、今度は「おい! 急に止まるな!」という怒鳴り声が聞こえてきた。
見ると、シドウが立ちどまっていた。
「それは絶対にやめてください。お願いします」
怖いくらい静かな声で、そう言ったのが聞こえた。
風雨の雑音のなか、なぜかはっきりと聞こえた。
彼は、紐持ちの男のほうは見ていない。雨に叩かれながら、前斜め上を見ていた。
気のせいか、ティアにはその視線の先にある灯台が震えたように見えた。
「さっさと歩け!」
ふたたび飛ぶ怒声。だがシドウはそれにも反応しない。
「……え?」
ティアは声が出てしまった。
黒く空を覆う雲と雨で薄暗いなか、彼の目が光ったように見えたからだ。
そんなわけはないのに。
だが、確かに感じた。彼の様子がおかしいのを。
まさかここで変身して、この人たちを……?
……いや、さすがにないよね。
一瞬よぎった不安を、ティアはすぐに打ち消した。
これまで彼と一緒にしてきた旅を振り返ると、それはあまりにも考えにくいことだったからだ。
彼はあまりイレギュラーなことをしようとしない。
冒険者としての掟や慣習はたとえ罰則がないことでも破らないし、ドラゴンに変身すれば力づくで解決できることも、それは最後の手段としてできるだけ避け、人間社会の正規のやり方で向き合おうとしてきた。
そして何かにつけて「母さんに言われているから」「師匠が言っていたから」と言い、それを守ろうとする。それこそ、バカ正直とも言えるくらいに。
その基本に忠実であろうとする姿勢。彼が生まれ持った性格からくるものなのか、両親の教育によるものなのか、不正規な出自から来る反動なのか。それはわからない。が、今後それが変わることはない気がしていた。
だから、きっと今回もそうだ。彼は母親に言われたことを守る。どんなにこの魔法使い軍団が下種な集団であろうとも、パーティメンバーである自分が何を言われようとも、人間の敵になることはない。そして、当初の目標、この魔法使い軍団を保護するという目的を、彼が忘れることはないだろう。
ティアはそう信じようとした。
信じようとしていたのに――。
シドウの両手の紐が、千切れた。
「う、うそ……」
服が破け、全身が膨張……したと思ったら、次の瞬間にはドラゴンの姿へと変貌していた。
異様に速い。
一瞬だった。その変身スピードにティアは驚いた。
膨張したシドウの体に巻き込まれ、数名の魔法使いが突き飛ばされた。砂質の土壌にもかかわらず圧倒的な降雨でぬかるんでいる地面へ、倒れる。
脅すだけのつもりにしては、いつもの配慮がまるで感じられなかった。その場で変身したので、右に左に前にも人間がいる。少しでも歩けば踏むだろう。
自分のことで怒ってくれたのであれば、それはもちろん嬉しい。だがティア自身はまだ何かされたわけでもなく、されかけたわけでもない。さすがにやりすぎだと思った。
魔法使い軍団は、いったい何が起きているのかわかっていないようだった。
反射的に逃げ出せる者はおらず、声をあげられる者すらいない。百人の集団が、ただ固まっていた。
ティアがシドウに声をかけて真意を問おうとしたそのとき、一瞬空が光った。
直後に、空から激しい音。雷だ。
「あっ」
ティアの口から、驚く声。
雷に対してのものではない。雷鳴とほぼ同時に、シドウのその巨体が力強く跳ねたのである。空中で翼を広げながら、前方に。
ドラゴン姿のシドウが、軍団の後ろから一気に先頭へと着地した。
ドラゴンの重さで地面が揺れる。
そこでようやく目の前の現実を理解した魔法使い軍団。だが悲鳴は上がるものの、足が動く者はいない。皆、腰が抜けてへたりこんだ。
「ちょ、ちょっと! どういうこと?」
ティアは手に紐がついたまま先頭まで出て、後ろからシドウに叫んだ。
空が光り、さらに大きく雷が鳴った。もはや何の音なのかわからないような轟音が耳をつんざく。
さらにまた、まばゆいばかりの光。
雷……ではない。今度は、空が光っているわけではなかった。
(灯台――)
気づいたティアが灯台を見上げた、まさにそのとき。
レンガ造りの最上部が、強い光を溢れさせながら、一瞬膨張したように見えた。
そして、爆散――。
ほぼ同時に、雷の鋭い音とはまた違う鈍い破壊音が、広いこの地に鳴り響いた。
「――!?」
魔法使い軍団と同様、ティアも声が出せなくなった。
壊れた灯台上部。そこから細かい何かが、たくさんこちらに飛んできた。
レンガだ。
集団の先頭に出ていたシドウが、灯台を見上げながら翼を大きく広げる。
背中に乗ったときにティアは見ているが、ドラゴンの翼は完全に広げると、相当な面積がある。
ここにいる人間たちを、レンガから守れるほどには。
シドウの体全体に、爆発と風の勢いが乗ったレンガがぶつかっていく。
とても無事で済むようには思えない衝突音も聞こえた。
ティアはそこで我に返った。
彼が急いで変身した理由を理解し、腕を縛られたままの状態で立ち上がる。
魔法使い集団を抑えにかかった。
「みんな! このドラゴンは敵じゃないから! いまみんなを守ろうとしてくれてるから! 絶対に広がらないで! そのまま固まってて!」
ちょうどうまい具合に楕円形で固まっている魔法使い集団。このまま全員へたり込んでいたままが理想だ。
ティアの声に対し、返事はこない。が、散ろうとする動きもない。口をパクパク動かしている者がいるのは雨煙の中でもわかったが、声までは聞こえてこない。
大丈夫だろうとティアは判断した。
今度は前に向かって叫ぶ。
「シドウ! 大丈夫なの?」
「平気」
シドウはそう言って、淡々と受け続けた。
レンガの飛散はすぐにやんだ。
「いきなり変身したからびっくりしたよ! 緊急事態だったんだね。わたし、てっきりシドウが怒っちゃったのかと勘違いしちゃった」
自意識過剰すぎた、という照れ笑い付きでシドウの背後まで来ると、ティアはそう声をかけた。
「……と思ったよ」
「え?」
それはシドウが前を向いたまま小さい声で言ったこともあり、よく聞こえなかった。
ティアが聞き返すと、今度は首を向けてきた。
「一瞬だけだけど、俺、この人たちはもう助けなくてもいいかもしれないって思ったよ」
その声は生暖かい風雨を凍らせてしまうような低さで、ティアは硬直してしまった。
だがそのトーンはすぐに直った。
「でも、この人たちを助けなかったら、それはそれでティアは悲しむのかなとも思った」
それを聞き、彼の吐露を、フッと力を抜くことで受け入れる。
「……そうだね。というかあんたのお母さんも悲しむんじゃない?」
「そうかも」
また彼がモヤモヤしている。そう思ったティアは、いつもの笑顔を彼に向けた。
「わたしのことは気にしなくていいよ。変な実験は無事に失敗して、あんたは百人の人間を助けました。死人は出しませんでした。今回はめでたく終了。それでいいじゃない」
「うん。まだ終わりじゃないと思うけど……ありがとう」
「え、終わりじゃない?」
「たぶん」
そこでまた大きな音……というよりも、声がした。
崩れた灯台の最上部からだ。
何かの吠えるような声だった。
ティアとしては生まれて一度も聞いたことがないようなものだった。
シドウが「下がっていて」と言い、前に首を戻し、灯台を見上げた。
ティアも気づいた。
灰色の何か巨大なものが、塔の壊れた部分から姿を見せていたのである。
その巨大なものは、そのまま下にゆっくり落ちるように、地面へと降りてきた。
「……!?」
それは、白骨だった。
大きな大きな、アンデッドモンスターだった。
前傾している体に、長い首、長い尾。翼のようにも見える、長い両腕。
その骨の体の上には、雨およびかぶっているフードでわかりづらいが、まだ青年のように見える男が二人乗っていた。おそらく人間ではなく、人型モンスター。
彼らは着陸後に降りると、横に立った。
「ここにドラゴンがいるということは……エリファス殿はやられたのか」
そのセリフは、ティアの右から左にすり抜けていった。
目も意識も、巨体アンデッドのほうに吸い付いていたからである。
その大きさと、体の形。ティアにはすぐに連想した生き物があった。
そう。ドラゴンをアンデッドにしたら、こんな感じになるのではないか、と。
気づいたのはティアだけではなかったようだ。
「ど、ドラゴンの呪いだ……!」
そんな声が、へたりこんだ魔法使い集団から聞こえてきた。
「何よそれ!」
ティアがその声に対して大声で突っ込む。
「ここは昔、弱って地面に降りてきた一匹のドラゴンを、国中の冒険者が寄ってたかって倒した地なんだ。この塔はそれを記念して作られた。骨が保存されていたはずだ」
「そんなの初めて聞いたわよ!」
「ここらじゃ有名な話だ!」
怒鳴りに対し、怒鳴りで返ってきた。
ティア自身は初耳だった。
エリファスが敗れた際の保険だったのか、それとも、ドラゴンであればドラゴンに対抗できるかもしれない、そう考えたのか。
なんでこんな展開になってしまうのだろう――。
ティアとしてはそんな思いだった。
当然ではあるが、彼は自身の母親以外、純血のドラゴンに会ったことがない。そして彼の母親以外は昔に討伐済である以上、今後会うことも絶対にないはずだった。
それが、こんなかたちで。
アンデッドにされてしまった個体と対面することになってしまうとは。
そして日進月歩であろう、新魔王軍と称するグループのアンデッド生成技術。
このアンデッドドラゴンはどうなのだろう。
どの時点での技術で作られたアンデッドなのだろうか。
「まあいい。ここで始末すれば手柄も二倍だ。このドラゴンを殺れ」
男の片方の人差し指が、シドウに向いた。
嫌な予感だけをたずさえ、ティアはシドウを見守った。
その彼はドスンと、姿勢を低くしながら、前に一歩進む。
シドウが、何かをしゃべった。
人間の言葉ではなかった。旧魔王軍の公用語か、それとも公用語同様に母親から教わっていたというドラゴン族の言葉か。どちらも知らないティアには判別できない。
だが、男のほうに話しかけているのではないということはわかった。
すると、動き出そうとしていたアンデッドドラゴンが、とまった。
そして――。
「……!」
ティアは目を見張った。アンデッドドラゴンがしゃべったからである。
やはり、何語かはわからない。
シドウがそれに対してさらに返していく。またアンデッドドラゴンが返す。
やり取りは続く。
だが、シドウの声が徐々にか細くなっていったように聞こえた。
首の角度が、落ちていく。
ついにはシドウが沈黙し、風雨の音だけとなった。
「なんだ? 何をしゃべっている? 早く攻撃――!?」
アンデッドドラゴンを急かそうとした相手の男は、最後まで言えなかった。
シドウが、天に向かって咆哮したからである。
それは黒い雲を割らんばかりに、太く、大きく……。だがティアには、それがとてもつらそうな叫びに聞こえた。
それがやむと、シドウはアンデッドドラゴンに突進した。
アンデッドドラゴンも反応する。シドウの動きに比べれば鈍いようにも見えたが、構えようという姿勢を見せた。
ティアはそこで気づいた。そのアンデッドドラゴンは骨が不完全なようだった。ところどころ欠損しており、体もやや傾いていた。
鋭く踏み込んだシドウが、腕を一閃。
アンデッドドラゴンは対応しきれなかった。
白骨の体が、粉砕された。
一瞬のことのはずだったのに、骨が飛び散る様が、ティアにはとてもゆっくりに見えた。
その後に浴びせられた激しい炎も。とてもゆっくりに見えた。
アンデッドドラゴンが灰となり、やはりゆっくりと豪雨に流されていく。
「ひ、ヒエッ」
衝撃的な光景に、男の片方が情けない声を漏らし、逃げ出していく。
もう一人もそれに続いた。
シドウは追わなかった。
「シドウ!」
かけよるティア。
シドウが、振り向いて答えた。
「あのアンデッドは生前の知識が残ってた……会話が……できたんだ……ドラゴン族の言葉で……」
「……」
「でも、俺が母さんの……ドラゴンの族長の娘の子だと伝えても……お前を殺すって……」
ポツリポツリと話すシドウ。
最新のアンデッド生成技術で、生前の知能知識を保持しつつ、情は排除され、指示には完全に従うような処置が施されていたのだ。
ティアはドラゴン姿のシドウの頭を、縛られたままの両手で撫でた。
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