自然地理ドラゴン
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三章 天への挑戦 - 嵐の都ダラム -
第37話 愚かな実験
ダラムにくる夏の嵐は、たいてい南東の岬から北西方向へと進む。
足は速い。一晩過ぎると一転してきれいな晴天が広がり、嵐が来る前よりもさらに暑さが厳しくなることが知られている。
昔は、大陸の南に住まう神々が夏の暑さに怒り、北へと暑さを捨てた結果、この嵐が生まれるのだと言われていたらしい。風雨が強いのは、暑さによる苛立ちも一緒に捨てるからだとか。
だがその言い伝えも、国教となっているタリス教が公に否定をすると、やがては子供に嵐の怖さを刷り込む目的にしか使われなくなっていった。
そして今では、この嵐の正体が左巻きの巨大な雲の渦であることも、南の温かい海の上で発生していることも判明している。
大魔王討伐後はその研究も加速。王城や各ギルドが連携し、さまざまな調査や試みがおこなわれている。
今回の嵐を消す実験も、その一環――。
少なくとも、表向きはそういうことになっていた。
雨風が、非常に強くなってきていた。
完全な暴風雨である。
すぐ近くにある灯台の方角から猛烈に吹き続ける生暖かい風。大粒の雨が乗り、手足を縛られて三角座りしているシドウとティアの顔面を叩く。目を開け続けるのも一苦労だ。
見える限りでは、この岬でその風雨で被害を受ける樹木はない。そもそも樹木がないためだ。砂質土壌なうえに定期的に人馬に踏まれ続けるので、匍匐性の矮小な植物しか生えないのである。
二人の前に広がる、まるで広大な芝庭のようなこの地。
そこに、しゃがみこんで低い姿勢を取っている魔術師軍団がいる。その数、おそらく百人以上。
そう。ここが嵐を消す実験を行う予定の訓練場である。
突然現れた人型モンスター・エリファスを退けたのち、二人は無事に……ではなくズブ濡れで、王都ダラムの南東にあるこの岬へと到着していた。
「すぐに中止してください。この場にいる全員がアンデッドにされてしまいます」
シドウとティアは到着するや否や、責任者に詰め寄り、実験の中止を要求した。
「お前は王都で色々嗅ぎ回っていた冒険者だな? わざわざ現場に来てまで妨害か」
相手にはされなかった。
シドウたちはそれでもその場にとどまり、風雨がますます激しくなるなか、説得を続けた。
新魔王軍と称する旧魔王軍の残党によって、大臣が買収されていたこと。
そのグループは「魔法が使えるアンデッド」を生成する実験をすべく、人間の魔法使いの死体を確保したいと考えており、今回の嵐を消す実験はそのために仕組まれたものであること。
新魔王軍のメンバーがおそらくどこかに潜んでおり、この場の魔法使いは全員が殺されるであろうこと。
二人は懸命に説明した。
だがそれでも、信じてもらえることはなかった。
それだけではなく、「お前はどこの国の工作員だ?」と、ダラム発展に嫉妬する国の手先ということにされてしまった。
「実験が終わったら王都の役人に突き出してやる。拷問されるだろうから覚悟しておけ」
抗議もむなしく、二人は拘束されてしまっていたのである。
(シドウ。どうするの?)
ティアが聞いてくる。
シドウたちの眼前には、待機しているローブ姿の魔法使い軍団。雨が激しいため、声量を抑えさえすれば二人の会話が聞こえてしまう心配はない。
(この紐なら変身すれば切れそうだ。何か起きそうだったらすぐ変身する。巻き込んで踏むといけないから、少しだけ離れているよ)
三角座りしたままシドウはモゾモゾと動き、ティアから少し距離を確保した。
そうこうしているうちに、風雨は一段と激しさを増した。
座っていても、体が持っていかれそうになる。視界もますます悪くなってきている。
まもなく実験開始のタイミングなのか、風雨の音の中、怒号のような指示がはっきりと聞こえてきた。しゃがみ込んでいた魔法使いたちが、全員立ち上がる。
シドウは風雨に打たれながら、それを見守っていた。
誰が考えた計画なのかは知るべくもないが、理論としては今吹いている南東からの風に巨大な風魔法をぶつけて相殺することで、熱帯低気圧の渦を弱めてしまおうというものである。
(そんなのは無理だ)
シドウは今回使用される風魔法の威力を知らない。
だが、どんなに大きな威力の魔法をもってしても、不可能であると思っている。たとえ世界中の魔法使いがここに集結しようとも、だ。
これだけ大きな自然事象を、一生物が消そうとする。それがどれだけおこがましいことか。
そして、万が一成功しようものなら、さらに大問題になると思っていた。
南に住まう神々が夏の暑さに怒り、北へと暑さを捨てた――。
昔のその言い伝えは、まったくのでたらめとは言えない。シドウは師匠より、熱帯低気圧には南の熱を北へ運ぶという大切な役割があることを教わっていた。それを人為的に消せるようになってしまえば、その歪みによってこの世界はとてつもないことになるかもしれない。
「全員構え!」
シドウの思いもむなしく、リーダーとおぼしき人間の叫び声が聞こえてきた。魔法使いたちが、両手のひらを上前方に突き出す。
「始め!」
シドウの目が驚愕で見開いた。
頰を打ち続けていた横殴りの雨と風が、止まったのである。
突然室内に移動したかのような感覚にもなったが、もちろん空はびっしりと黒い雲に覆われているままだ。
風で雨が風上方向に押し戻され、この場に届かなくなったのだ。
一点に集中するのではなく、広がるように。〝面〟で風を起こせる魔法。それを大人数で合わせることで、広範囲かつ強いエネルギーを生み出す。
どうやらそういうことらしい。
「足りん! 雲を吹き飛ばすくらい必要だ! そのままもっと強めろ!」
怒声のような指示。
しかし。
――ああ、やっぱり。
一人、二人と、反作用に耐え切れなくなった魔法使いが、仰向けに地面に倒れていく。これはシドウとしては想定の範囲内だ。
「踏ん張れ!」
その声もむなしく、次々と魔法使いは倒れていった。
百人合作の風魔法もあっという間に崩壊。
ふたたびシドウたちの頬にも雨が打ち付けるようになった。
――ダメだ。全然通用していない。
空気の発射により、風は起こせているのだろう。理論上は雲の流れまで届くような規模にもなるのかもしれない。だが、熱帯低気圧の持つ力と比べると、おそらく足元にも及んでいない。
そして強い風を起こせば起こすほど、術者側への反作用も強くなる。この軍団はそれも甘く見ていた節がある。
(ねえシドウ、なんでみんな倒れたの?)
せっかく距離を取っていたはずのティアが、モゾモゾと近づいてきてそんなことを聞いてくる。
(壁を蹴ると後ろに押し返される感じがするのと同じだよ)
(空に壁なんてないじゃない)
ティアは風魔法を使えないため、ピンときていないようである。
(空気があるよ。この場合は猛烈な速度で押し寄せている空気が、壁の役割になるんだ)
今回の実験、どうやら新開発の風魔法とやらにその対策はない。単なる合わせ技で威力を増しただけのように見えた。
この路線ではダメだとシドウは思った。これでは人体のほうが耐えられない。魔法が強くなればなるほど術者が危険になるだけで、永遠に実験は成功しないだろう。
「今回の実験は中止だ! 全員灯台に避難!」
リーダーから指示が出た。
シドウたちにとっての問題は、このあとだ。実験の失敗が明らかになった以上、死人やケガ人が発生しないようにこの場を畳んでもらわなければならない。
避難先はこの場で唯一の建物である灯台。高さはさほどでもないが、百人は十分に収容できるほどの重厚な造りになっている。
新魔王軍を名乗るグループの目的は、魔法使いの死体の確保。何者かが潜んでいるとすれば、ここである可能性が高い。シドウはそう踏んでいた。
シドウとティアを縛っていた紐は、足だけ外された。
乱暴に手の紐を引っ張られ、魔法使い軍団の最後尾をついていく。
「あの、手の紐も外してもらえませんか。どこにも逃げませんので」
塔の中に、何者かが潜んでいる可能性がある。こちらの魔法使い軍団は百人いるが、もともとこれだけの人数が集まるのは新魔王軍側の思惑どおりであるはず。首尾よく死体にする段取りは整っているはずだ。
そうなれば、やはりシドウとティアの身は自由であるほうがいい。シドウは変身すればすぐに紐を千切れるにしても、ティアはそうはいかない。もし突然戦いが起きるようなら、彼女の両手が自由なほうが有利だ。
しかし、お願いはあえなく却下された。
「外すわけないだろ? 王都に帰るまでそのままだよ」
紐を握っている男からの、嘲笑付きのそのセリフ。
それだけなら、シドウは諦めて引き下がったかもしれない。
ところが――。
「嵐が過ぎるまで塔の中だろうからな。姉ちゃんのほうはちょっと借りようかな」
そのような言葉が飛んできて、下卑た笑いが軍団全員に伝染していくと、シドウの足はピタっと止まった。
紐を握っていた男が「おっ」っとのけぞり、「おい急に止まるな!」と怒鳴った。
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