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至誠一貫

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第一部
第二章 ~幽州戦記~
  十五 ~義の人~

 天候不順に悩まされながらも、軍は幽州を目指して進む。

「稟。どのぐらい、予定から遅れている?」
「そうですね。約二日、と言ったところでしょうか。道がこれでは」

 并州から幽州への道のり。
 距離こそさほどでもないものの、まともな道がないのが現状だった。
 従って、荒野をひたすら進むしかないのだが。

「雨ばっかりで、地面がぐちゃぐちゃなのだ……」
「鈴々、泥だらけではないか。仕方ない、拭いてやろう」

 あれこれと世話を焼く愛紗、本当の姉妹のようだ。

「これでは埒があかぬな。風、どこか近くに、大きな城か邑はないか?」
「そうですねー。(けい)の城ぐらいでしょうか」
「そこまで、どの程度の日数で着ける?」
「強行軍であれば、三日というところかとー」

 強行軍か。
 いや、それは避けたい。
 ただでさえ、兵の疲労が増している最中だ。

「後は小さな邑がある程度ですね。でも、この人数では無理かと思いますよ」
「まだ、私は何も言っていない筈だが?」
「お兄さん、風の観察力を侮ってはいけないのです。お兄さんが、兵の皆さんを見る時のお顔が、この数日厳しい事ぐらい、わかっているのですよ?」

 ふふ、顔に出ていたか。
 私もまだまだ、修行が足りぬ、という事か。

「ただ、薊を目指すのも悪くありません。幽州に入る事にはなりますから」
「そうか。公孫賛が本拠としているのは北平であったな?」
「そうです、歳三様。渤海を抜けた方が近いのですが、この状態での行軍が好ましくないのも事実です」
「ならば、迷う必要はあるまい。直ちに、薊へ向かう事にする。風、案内を頼むぞ」
「お任せですよー」



 通常の進軍速度で薊を目指す事、三日。
 霞の合流を待った事もあり、まだ道半ば……というところらしい。

「主。少し、気になる事が」

 小休止中、星が斥候から戻ってきた。

「気になる事? 星、何だそれは?」
「うむ。黄巾党ではないのだが、二千程の軍勢が、見え隠れに我が軍についてきているのだ」
「にゃ? 黄巾党じゃないなら、官軍なのか?」
「私もそう思ったのだが、それならば旗を掲げている筈。それに、このあたりにその規模の官軍がいる、とは聞いておらぬ」

 二千か。
 此方は輜重隊を除いても、二万の手勢がある。
 数の上では勝負にならぬが、兵がこの調子だ、戦闘はなるべく避けたいところではある。

「星ちゃん。黄巾党ではないと言いましたけど、何故そう思ったのでしょう?」
「まず、目印である筈の黄巾を巻いておらぬ。それに、賊軍にしては、部隊全体が整然としていたからだ」
「官軍でもなく、賊でもない。何者でしょうか、歳三様?」
「うむ。星、我が軍の後をつけてきているとの事だが、攻めかかってくる素振りはないのだな?」
「はい。今のところはございませぬ」

 たまたま、目指す方角が同じ……いや、それはあるまい。
 聞けば、薊の城はさほど大きな規模ではなく、太守も不在との事だ。

「まずは、その意図を探るとしよう。使者だが」
「ウチが行く」
「霞か」
「話は聞いた。相手が賊でないちゅうなら、官軍の可能性が高い……せやろ?」
「何とも言えぬが、今のところはそうなるな」
「それやったら、ウチが出張った方がええやろ。歳っちのところやと、相手にされへん可能性かてある」
「なるほどな。だが、賊でないという保証もまた、ないぞ?」

 私の言葉に、霞は不敵に笑う。

「歳っち。ウチが、そないな賊にやられる訳ないやろ?」
「では、霞に頼むとしよう。それから」
「歳三様。私も、霞に同行したいのですが」

 と、稟が進み出る。

「何故だ?」
「相手に、心当たりがなくもない……では説明になりませんか?」
「稟。それは本当なのか?」
「そうだ。正体不明の相手が、わかるというのか?」
「そうではありませんよ、鈴々、愛紗。ただ、今までの我が軍の行動と、場所から思い当たる事があるんです」

 そう話す稟は、何かを確信しているようだ。

「良かろう。霞も良いか?」
「ウチはええねんけど……」
「大丈夫です。これでも、自分の身ぐらい、守れますから」
「……わかった。なら歳っち、ウチら二人で行ってみればええな?」
「うむ。異変があれば、すぐに知らせてくれ。愛紗と鈴々は、念のために備えを」
「御意!」
「了解なのだ!」
「星と風は、念のため、他に所属不明の軍がいないか、今一度確かめよ」
「はっ!」
「はいはいー」

 霞と稟のする事だ、手抜かりはないと見ていい。
 よもや、危険はないと思うが……。



 そして、二刻後。

「お兄ちゃん! 霞と稟が、戻ったのだ!」

 鈴々に手を引かれ、陣の外へと連れ出された。
 ゆっくりと戻ってくる、稟と霞……どうやら、何事もなかったようだ。
 そして、その後ろに従う女子(おなご)
 ……初めて見る顔だ。
 かなりの美形で、背は愛紗と同じぐらいか。

「歳っち。出迎えてくれたんか?」
「歳三様。只今戻りました」
「二人とも、ご苦労だった」

 まずは、言葉で労う。

「そっちのお姉ちゃんは誰なのだ?」
疾風(はやて)。こちらが先ほどお話しした、私の主です」

 稟の言葉に頷くと、その女子は私の前に進み出る。

「お初にお目にかかる。私は徐晃、字を公明と言う」

 徐晃……また一人、英傑の登場だな。

「私は姓が土方、名が歳三。字はない」
「少し、貴殿の話を伺いたい。それで、稟に同行させて貰った」
「良かろう。霞、鈴々は外してくれ」

 私がそう言うと、徐晃はおや、という表情になった。

「良いのか? 私は、貴殿に害意を持つのかも知れないぞ?」
「先ほど、稟との会話、互いに真名で呼び合っていたではないか。稟が信じているのであれば、私には疑う必要はどこにもない」
「ほう。なかなかに剛胆な御方と見える」

 そう言って、徐晃も緊張を解いた。
「歳っち。ホンマに、ええんか?」
「構わぬ。何かあれば知らせる故、霞は陣に戻っているが良い。鈴々も、持ち場に戻れ」
「わかったのだ。お兄ちゃんがそう言うのなら、そうするのだ」

 二人が立ち去るのを見送ってから、私は徐晃に向き合う。

「さて、徐晃殿。話を聞きたい、との事だったが」
「そうだ。貴殿は、義勇軍を指揮していると、稟より聞いた。それに、間違いないか?」
「その通りだ」
「では、尋ねる。義勇軍と言うが、何を目指しての義勇軍なのだ?」

 心の底まで見透かすような、澄んだ眼をしている。
 私は、その視線を正面から受け止めた。

「究極的には、民の為だ。今の黄巾党は、徒に民を苦しめている」
「だから、賊と名のつく者は皆、討伐するというのか?」
「徐晃殿。貴殿の言葉には、何か含むところがあるようだが」
「……では、率直に言おう。貴殿らが討伐した白波賊……何故に、戦いを挑んだのか」

 并州に入る前に、蹴散らした賊軍の事か。

「白波賊も、また黄巾党の一派。我らが黄巾党と戦うための義勇軍であり、またその為に派遣された官軍と共に行動する以上、必然的に討伐の対象となる。そうではないか?」
「ならば問うが。貴殿らは、白波賊の実態を知っての上で、討伐を決意されたのか?」
「実態?」
「そうだ。確かに白波賊は、黄巾党の一派を名乗っていた。……だが、黄巾党そのものではなかった事は、知らなかったようだな?」

 徐晃は、何を言わんとしているのだろうか?
 さっぱり、意図が掴めぬのだが。

「疾風。黄巾党を名乗りながら黄巾党ではない。それでは、矛盾がありますよ?」

 稟も、私と同じ事を思ったようだ。

「では、説明しよう。今、大陸には無数の盗賊、山賊の類が存在している。その中でも、黄巾党は最大の勢力だ。これはいいな?」

 私達が頷いたのを確かめ、徐晃は続ける。

「元はと言えば、漢王朝への不満が募った結果が、今の黄巾党の躍進に繋がっている。元々は、小規模な叛乱はあっても、ここまでの規模にはならなかったのだが、きっかけさえあれば、民の不満が爆発するのは自明の理だ」
「……疾風。あなたが、それを口にしてもいいのでしょうか?」

 稟の言葉に、徐晃は苦虫を噛み潰したような顔で、

「構わんさ。官職など、擲ってきたからな」

 官職?
 では、徐晃は宮仕えをしていたのか。

「随分と、思い切った事をしたのですね」
「いや、己の保身と財を得る事しか頭にない高官連中に、嫌気が差していたのは事実なんだ」
「徐晃殿。地位を捨ててまで、此処にやって来た理由、白波賊と関係があるようだが」
「ほう、察しがいいな。流石は、稟が主と見込んだ男だけの事はありそうだな」

 話の流れからして、そうではないかと思っていたが、やはりか。

「白波賊の頭目の名、覚えているか。土方殿?」
「ああ。楊奉に韓暹、であったな」
「そうだ。韓暹は小悪党、取るに足りない奴だが。楊奉殿は違う」
「どのように違うのだ?」
「今でこそ賊の頭目などに身を窶してしまったが、本来は義の心を持つお人なのだ。私も、世話になったものだ」

 徐晃は、遠い目をした。

「それで疾風。先ほどの矛盾、答えて貰ってませんが?」
「白波賊、いや白波軍は、楊奉殿が太守の横暴によって苦しむ民を見かねて、立ち上げた組織なのだ」
「それならば、何故黄巾党に荷担したのです?」
「……考えてもみよ、稟。黄巾党がここまで勢力を拡大した今、奴らとの連携なしに叛乱が成り立つと思うか?」
「では、正式に黄巾党に参加していたのではない……そう言うのですか?」

 稟の言葉に、頷く徐晃。

「だが、白波軍は違う。理由なく民を襲ったりはしていない。太守を追放し、戦ったのも官軍相手ばかりだ」

 なるほど。
 当初、悪名を聞かなかった理由がわかった気がする。
 稟や風達が、対象として見逃したとしても、やむを得まい。

「貴殿らが、それを承知の上で、白波軍に討伐と称して戦いを挑んだのなら。民を救う義勇軍、というお題目とは齟齬が生じるのではないか?」
「では、徐晃殿。貴殿は、白波軍と我が軍は戦うべきではなかった。そう言うのだな?」
「そうだ。だから、楊奉殿の危急を聞き、急ぎ駆け付けたのだが……。間に合わなかった」

 無念そうに歯噛みをする徐晃。

「……事の次第はわかった。貴殿の言われる事も」
「では、楊奉殿を引き渡して貰いたい。あの御仁には罪はなく、朝廷の裁きを受けさせるに忍びない」
「それで、貴殿はどうするのだ?」
「……もう、洛陽には戻れまい。楊奉殿を、朝廷の手が届かない所までお連れし、畑でも耕して暮らそうかと思う」
「そうか。……だが、楊奉は渡せぬ」
「何故だ! そうまでして、勲功を求めるか!」

 詰め寄る徐晃の前に、稟が立ちはだかる。

「どけ、稟! 如何に貴様と言えども、邪魔立ては許さん!」
「落ち着いて下さい、疾風。楊奉は、ここにはいません」
「では、既に洛陽に送った後か。ならば、こうしてはいられない」
「待ちなさい。楊奉は、落ち延びて行方知れずです」
「では、ご無事なのだな?」
「恐らくは。少なくとも、我が軍は首級を上げてはいません」

 その言葉に、徐晃は安堵の溜め息を漏らす。

「そうか……。ご無事なのが、せめてもの救いだな」
「徐晃殿。貴殿の言われる事はわかった。……だが、やはり私は、討伐されるべき運命(さだめ)にあった、そう見ている」
「どういう意味だ、土方殿。返答如何では、ただでは置かんぞ!」

 腰の剣に手をかける徐晃。

「落ち着かれよ。事情は察するが、やはり黄巾党を名乗れば、討伐軍が差し向けられても当然。これは、勅令なのだからな」
「し、しかし!」
「貴殿は、我が軍と董卓・丁原連合軍が討伐に当たった事を言われるが。では、もし我が軍が白波軍を見逃せば、どうなったと思われるか?」

 私は、努めて冷静に話した。
 徐晃も、剣から手を離し、私の話に聞き入っている。

「まず、黄巾党の一派である以上は、他の官軍が討伐に来る。遠からずな」
「……それは、否定しないが。だが、白波軍は他の黄巾党とは違い、近隣の民から恨まれる事はしていない。それを聞けば、どうだ?」
「同じ事だろう。官軍に命じられている事は、あくまでも黄巾党の討伐。実態がどうであろうと、構わず攻撃を加える。私はそう見ているが、どうだ、稟?」
「ええ、仰せの通りでしょう。それに、黄巾党の看板を掲げている以上、更に事態が悪くなる可能性もあります」
「稟。それは一体……?」
「簡単な事ですよ、疾風。白波賊が仮に討伐を免れ、勢力を保ったとしましょう。その間、他の黄巾党集団は当然、官軍に付け狙われます。その結果、発生した敗残の将兵は、何処に向かうと思いますか?」
「……白波軍に合流する、と?」
「ええ。結果、規模は膨れ上がり、目につきやすくなります。そして、人数が増えれば、それに比例して抱え込む問題が増えます」
「食糧と、秩序……そんなところか」

 私の呟きで、徐晃は崩れ落ち、地に手をついた。

「……どのみち、楊奉殿を救う手立てはなかったと言う事……そういう事か」

 稟は、徐晃の肩に手を置いた。

「疾風。あなたの気持ちは理解出来るつもりです。ですが、これも時勢。後は、楊奉が追っ手を逃れる事を願うばかりです」
「……では、貴殿らは、追撃を行ってはいない、と?」
「そうだ。先ほども申したが、行方知れず、と言うのも事実だ」
「何故だ? 賊を討伐しても、頭目の首級を上げなければ、手柄の証拠にならんのだぞ?」
「私は、立身出世が目当てではない。ただ、苦しむ民を救い、皆が守れればそれで良いのだ」
「…………」

 徐晃は、しきりに頭を振っている。

「……すまん。暫く、一人にしてくれないか?」
「いいだろう。稟、参るぞ?」
「はい」



 更に、一刻が過ぎた。
 小休止のつもりが、存外時間が経ってしまった。

「主。そろそろ出立を」
「……ああ」

 徐晃は、どうするのか。
 暫し待ってみたが、現れる様子もない。

「ほな、ウチんとこも準備にかかるで?」

 霞の言葉を契機に、皆が腰を上げた。

「お兄さん、稟ちゃん。徐晃さんは、あのままでいいんですかー?」
「いや、後は本人が決める事。我らが口を挟むべきではなかろう」
「そうですね。疾風は思慮もあります、心配せずとも自分の道は見つけるでしょう」
「でも、アイツなかなか強そうだったのだ」
「そうだな。我らに同行して貰えれば、とは思うのだが」

 私としても、加わってくれれば心強いのは事実。
 腕も勿論だが、あの義に溢れた心根は、得難いものだ。
 ……だが、無理強いする訳にもいかぬ。

「土方殿」

 再び行軍状態になり、まさに動き出さんとした時。
 徐晃が、私の前にやって来た。

「心は決まったか?」
「……は。それを申し上げる前に、土方殿に頼みがある。聞いていただけるか?」
「頼み? 私に出来る事であれば、だが」
「あの者達を、貴殿に預けたいのだ」

 少し離れた場所にいる、自分の兵を指さした。

「ふむ。……楊奉を探すつもりか」
「その通りだ。やはり、楊奉殿の恩は、忘れられないようだ。だが、その為に奴らまで巻き添えには出来ん」
「しかし、我が軍で預かる、という事の意味は、わかっているのだろうな?」
「勿論だ。……貴殿の言葉を、信じようと思う。稟が真名を預ける程の人物、私の目に狂いはない筈だ」

 真摯で、何の打算もない言葉。
 そして、潔い態度。
 ……つくづく、惜しまれるな。

「……良かろう。貴殿の覚悟、この土方が受け止めよう。ただ、一つだけ、約定を願いたい」
「何でしょうか?」
「楊奉が見つかり、追っ手を避ける事が適ったならば。ここに戻ってきて貰いたい」

 皆、同意とばかりに頷く。

「私が、か?」
「そうだ。貴殿のその力、民の安寧の為に使わぬのは天下の損失。私は、そう思っている」
「……民の安寧、か。果たして、それだけか?」

 そう言う徐晃の顔は、笑っている。

「それは、貴殿自身が見定めれば良かろう。私が舌先三寸の男と見たなら、如何様にもするが良い」
「……いいだろう。では、その日が来る事を願っておく。稟、さらばだ」
「ええ、疾風も。待っていますよ、歳三様と共に」

 稟に向かって頷くと、徐晃は去って行った。

「星。徐晃の預かり者、受け取って参れ」
「……はっ」
「歳っち。ウチらは、先に出立するで!」

 霞が、馬上から叫ぶ。

「うむ。我々も、すぐに後を追う」
「ほな、後でな!」

 駆けていく霞。
 ……雨は、いつしか止んだようだ。 
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