至誠一貫
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第一部
第二章 ~幽州戦記~
十四 ~出立~
「さて。風、黄巾党の現状を説明してくれ」
「了解ですよー」
広げた地図に身を乗り出す……と言うよりは、上に乗る格好で、風は話し始める。
「幽州では公孫賛さんが、河北の残党が集まった一団と戦っていますねー」
「つまり、ウチらに蹴散らされた連中と、まだ叩いてない連中が集まった、でええんか?」
「はいー、霞ちゃんの言う通りですね。数は、最新の情報では三万ぐらいとか」
「この近隣で、他に残っているのは?」
私の質問に、風は首を傾げる。
「風は知りませんね。稟ちゃんや詠ちゃんはどうですかー?」
指名された二人は、顔を見合わせて、
「いえ。私の方でも、特には」
「ボクも聞いてないわ。匈奴も今のところ、静かみたいね」
この三人が知らぬ、と言うのなら、該当する勢力はない、と見ていい。
「ならば、公孫賛殿の助力に参る。これで決まりですな、主?」
「うむ。張世平から預かった紹介状もある、これも何かの縁だろう」
「張世平? お父様、あの方をご存じなのですか?」
月に言われて、思い出した。
そう言えば、月のところにも出入りしている……そう言っていたな。
紹介状はなくとも、こうして今は一緒にいる訳だが、な。
「ああ。我らの旗揚げの資金と馬を出して貰ったのだ」
「そうでしたか。では、張世平さんには感謝しなければなりませんね」
「そうだな。あの資金がなければ、今の我らはない」
「……それもありますけど。お陰でこうして、お父様と一緒にいられるのですから」
そうか。
紹介状を使わなかったからこそ、今の関係があるとも言える。
他人を介した関係は、きっかけは得やすい反面、信頼を深めるとなれば、なかなかに難しい。
だが、今は生死を共にして得た、信頼関係。
そう容易く、壊れる事もあるまい。
……いや、壊れる方を想像する方が難いな。
「あ~、歳っち、月。親子でほのぼのしてるところ悪いんやけど。幽州に出向くんやったら、準備が必要やろ? 出立はいつにするんや?」
「あ、ご、ごめんなさい……」
恥ずかしそうに俯く月の頭を、軽く撫でてやる。
「そうだな、霞。お前が率いる軍の方で、どのぐらいかかる?」
「せやなぁ。あんまり悠長な事も言ってられへんし……。一週間、ちゅうところやな」
「ふむ。我が軍はどうするか……。稟、一週間での部隊の再編、可能か?」
「はい。今度は全員を連れて行く訳ではありませんし、糧秣と装備さえ揃えば問題ないかと」
それならば、一週間もかからぬであろう。
「ならば、我が隊は五日後に出立。霞の隊は、後から合流、という事でどうだ?」
「ははーん、そういう事やな。やっぱ歳っちは、頭ええなぁ」
私の意図を理解したのだろう、霞は大きく頷いた。
「にゃ? 愛紗、どういう事なのだ?」
「わ、私に聞くな!」
……二人には、説明が必要なようだな。
「いいか、我が隊の主力兵は何だ? 鈴々」
「えーと、歩兵と弓兵なのだ」
「では愛紗。霞の隊は?」
「騎兵が主かと……あ」
「どうやら、気づいたようだな。そうだ、行軍速度が違う」
「せやから、ウチらは後で追いかけても、幽州までに合流するんやったら問題ない。せやろ、歳っち?」
「正解だ。稟、風、ではこの日取りで進めよ。良いな?」
「御意!」
「御意ですよー」
「星、愛紗、鈴々は、二人の指示で部隊の再編を行え。頼むぞ」
頷く三人。
「…………」
「…………」
月と二人、黙って手を合わせる。
土饅頭に、粗末な墓標。
だが、本人の遺志だと言われれば、豪奢にする訳にもいくまい。
「お父様。ありがとうございます」
「む?」
「丁原おじ様を、丁寧に弔っていただいた事です」
「いや。私自身、付き合いは短い間ではあったが、真に立派な御方だった。このぐらいせねば、死者への手向けにならぬ」
「はい……」
そんな月を見て、ふと思い出した。
「そう言えば、丁原殿は匈奴との付き合いも深い。そうであったな?」
「ええ」
「今も、その関係が絶えた訳ではなかろう。一度、挨拶をしておいた方がいいのではないか?」
「挨拶、ですか。……でも、匈奴は異民族。朝廷からは、相容れない敵、という見方をされています」
「では、その敵、というのは誰が決めたのだ? 古来から、諍いが絶えぬからであろう?」
「そうです。その為に、秦の始皇帝は長城を築かせたのですから」
「しかし、丁原殿は友好を築く事に成功しているのだ。彼らは遊牧民族、攻め寄せるとすれば……食糧であろう」
「お父様は、匈奴の事をご存じなのですか?」
「多少な。だが、面識はない」
私が知るのは、書物の上での事のみ。
だが、この時代、彼らが農耕民族である可能性は、限りなく低かろう。
遊牧生活であるが故に、食糧調達は安定は望めぬ。
必然的に、農耕民族である漢に攻め入り、食糧を奪う、という事になっても何ら不思議ではない。
「月。至難を極めるやも知れぬが……匈奴との連絡と友好は絶やさぬよう。後背に敵を持たぬ意味でも、な」
「……わかりました。何とか、やってみます」
史実の董卓も、異民族とは上手く付き合っていたのだ。
月ならば、やれる筈。
私には、そんな確信があった。
そして、四日が過ぎ。
いよいよ、出立の前夜となった。
月に貰った、公孫賛に関する資料を、今一度読み返してみた。
公孫賛、別名が『白馬長史』。
騎射の出来る兵士を選りすぐり、白馬に乗せて率いる。
……確か、袁紹との争いでは、部下を見捨てた事がきっかけで信を失った筈。
だが、月の資料は、公孫賛が誠実な人物である事を示している。
劉備を陰日向に支援したとも言われるしな。
「歳三様。宜しいでしょうか」
「稟か。入れ」
「はい、失礼します」
私が手にした竹簡を見て、
「申し訳ありません、調べ物の最中でしたか?」
「いや、いい。それより、用件があるようだが」
「こちらを、お確かめ下さい」
稟が差し出した竹簡を受け取り、開いた。
幽州に向けての、部隊編成が詳細に記されている。
そして、必要な糧秣までもが計算済み。
ただ羅列するのではなく、要点を押さえた記述といい……流石だな。
「如何でしょうか?」
「……稟。見事だ、文句などあろう筈もない」
「あ、ありがとうございます」
安堵の溜息を漏らす稟。
「丁度良い。これも、稟の意見を聞かせて欲しいのだが、良いか?」
「勿論です。私は、歳三様の軍師ですから」
私は、公孫賛の資料を、稟に手渡す。
「これは、月殿が?」
「ああ。まずは、それに目を通してくれ」
「わかりました」
ジッと竹簡に見入っていたが、顔を上げると、
「なるほど。一軍の指揮にも優れ、人物もなかなかである……そう、書かれていますね」
「そうだ。稟は、旅の途中で公孫賛には会っていないのか?」
「ええ。星は、いずれ客将として落ち着く、候補の一つと考えていたようですが」
私がいなければ、実際にそうなっていたであろう。
ただ、この世界には今のところ、劉備には出会っていない。
存在しないのか、それとも私がその代わりの役目を担う事になるのかはわからぬが。
……尤も、今の星が私と別行動を選ぶ……あり得ぬか。
「稟は、本命が曹操であったな。では聞くが、曹操と公孫賛、比べるとどのように考える?」
「そうですね」
眼鏡を持ち上げながら、少し考えているようだ。
「まず、覇気の違いがあるかと。曹操殿は、ただの一官吏で終わる方ではなく、いずれは天下を狙って打って出る、英雄気質の方。一方の公孫賛殿は、地方の刺史としては十分でしょうが、それ以上のものを求めるのは酷かと」
「器量に差がある、そう言いたいのだな?」
「……残念ながら。それにもう一つ、公孫賛殿はご自身は相応に優秀と聞いておりますが、配下にこれといった人物が見当たりません。曹操殿はその点、人材を求める事には非常にご執心なされておいでとか」
「そうであろうな。私の知識では、稟、風、詠、霞は曹操の配下となっていたからな。ねねも、一時期はそうであった筈だ」
「……それが皆、今はご主人様の下に揃っているとは。皮肉なものですね」
「全くだな。皆を敵に回すなど、背筋が凍る思いだ」
「ふふっ、ご心配なく。今の私達が、歳三様と敵対するなど、天地がひっくり返ろうともあり得ませんから」
そう断言する稟。
私の器量如何ではあろうが、その信頼に応えられるだけの主であらねばなるまい。
「私もそう願いたいものだ。さて、話を元に戻すが……」
「公孫賛殿は、その為に内政、軍事とお一人で奮闘せざるを得ないとか。お気の毒ではありますが、それが現実というものでしょう」
脳裏で、公孫賛という人物を描いてみる。
……気のせいか、同情を禁じ得ないのだが。
「とにかく、会ってみるしかなかろう。もともと、我らは黄巾党の手から民を守るために立ち上がった義勇軍。ならば、それと戦う公孫賛は、協調すべきであろう」
「仰せのままに。では、私はこれで」
「あ、待て」
「はい」
思わず呼び止めてしまったが……思い直した。
「……明日がある。早めに休むように」
「わかりました。それでは失礼します」
……何をしているのだ、私は。
ただ、稟の体調は、常に気遣っておこう。
短命が故に嘆き悲しんだ曹操の、二の舞は願い下げだ。
翌朝。
城門にて、残る者の見送りを受けた。
「では、お父様。ご武運を」
「月も、并州を、そして元黄巾党の者を頼むぞ」
「はい」
「詠も、閃嘩(華雄)もだ」
「わかってるわよ、月はボクが守るわ」
「ああ。歳三に教わった事、無為にはしないと誓おう」
二人とも、迷いのない、いい眼をしている。
「霞。では、先に参る」
「わかっとる。万全の準備、とはいかへんやろうけど。けど、絶対に遅れるような真似はせえへん」
「待っているぞ。では全軍、出立!」
「応っ!」
再編した我が軍、士気は高いようだ。
装備も、旗揚げ当初とは比較にならぬ充実ぶり。
少なくとも、乞食の軍隊、と揶揄される事はもうなかろう。
「主。念のため、周囲の索敵を行っておきます」
「うむ、任せる」
「ははっ!」
自主的に、星が動き出す。
「風」
「お呼びですかー?」
あの身長で、どうやって器用に馬を操れるのかは甚だ疑問なのだが。
……それも、触れてはならぬ事の気がする。
「間諜を専門とする一隊を作ろうと思うのだが、どうだ?」
「風は賛成ですねー。星ちゃんはもっと、違った配置で真価を発揮すると思いますから」
「やはり、そう思うか」
「ですが、現状では間諜を取り仕切るだけの人物がいませんねー」
「誰か、心当たりはいないか? 身分や出自は問わぬが」
「……ぐー」
よくも馬上で、このように器用に寝るものだ。
「稟はどうだ? 風を起こした後で良いから、思い出してみてくれ」
「は、はぁ……。風、起きなさい」
「おおぅ。吹き抜ける風がつい心地よくて」
「……それで、どうだ? 稟は」
「間諜の取り仕切り役ですか。……一人、心当たりがあります」
「ほう。その人物は、近くにいるのか?」
「いえ、洛陽にいる筈です。しばらく会ってはいませんが」
洛陽、か。
今はまだ無理だが、黄巾党が片付いたら、一度は行かねばならぬか。
漢王朝が末期だと言うのなら、その現状をこの目で確かめておきたい。
「稟の心当たりというのなら、優秀な人材……そう考えて良いな?」
「それは保証します」
「ならば、その時まで曹操に見つからぬ事を願っておこうか」
「そうですね。歳三様、その際はお供を」
「頼む」
「むー。お兄さんと稟ちゃん、今日はやけに雰囲気良くありませんかー?」
会話で除け者にされたと思ったか、風の機嫌を損ねたようだ。
「そもそも、肝心なところで寝る風が悪いんですよ?」
「仕方ないのです、それほど睡魔は手強いのですよー」
……ふと、頬に冷たいものが伝う。
見上げると、空はいつしか、鉛色となっていた。
「一雨、来るな」
「そのようですね。糧秣が濡れないよう、注意を促しておきます」
「うむ。風、雨の様子を見て、進軍を調整させたい。強行軍では兵の疲労が増すからな」
「了解ですー」
まだ、先は長いのだ。
ここで無理をすれば、士気にも関わる。
雨はそのまま、降り続いている。
進軍は予定の半分まで達したところで停止させ、そのまま野営とした。
「だいぶ、冷えてきたようだ。兵達に十分に暖を取らせるよう、申し伝えなければな」
何とか、全員を賄えるだけの天幕は用意した。
が、雨露は凌げても、寒さだけはどうにもならぬ。
「しかし、驚きました。これだけ大量の天幕を揃えるなど、最初は何事かと思いましたが」
「戦は、人がするものだ。将の働きが重要なのは勿論だが、兵がいなければ始まらぬ。その大切な兵らの疲労を抑え、士気を落とさぬ事。これこそが肝要だ、覚えておくのだぞ」
「はい」
愛紗は、素直に頷いた。
「入るぞ」
「お、御大将?」
「どうしたんです、一体?」
私と愛紗を見て、休んでいた兵達が慌てて身体を起こした。
「そのままで良い。あまり量はないが、これを持って参った。皆で分けてくれ」
「こ、こりゃ酒じゃありませんか? いいんでしょうか?」
「良い。多少であれば、身体も温まろう」
「ありがとうございます!」
「明日からも暫し、このような行軍となろう。くれぐれも無理をせぬようにな」
「へへっ!」
しきりに恐縮する兵達を手で制して、天幕を出る。
「ご主人様。一つ、伺いたいのですが」
「何だ?」
「はい。ご主人様が、私達や配下の者を大切になさるのはわかります。ただ、何故ここまでなさるのでしょう?」
「過分に過ぎるか?」
「い、いえ、そうではないのですが。ただ、兵は使い捨てのように扱い、見下す将は大勢いる中で、ご主人様の有り様は違う。そう思ったのです」
「そうだな。私の性分、ではあるかも知れぬ。……それに」
「他にも、理由がおありですか?」
「……失いたくないのだ、大切な仲間達を。適うなら、誰一人欠ける事なく、共にありたいのだ」
「…………」
「それが、将たるものの心得。……少なくとも、私はそう思うのだ」
仲間を、部下を失う辛さは堪え難いもの。
それを繰り返す愚は避けたい、いや避けねばならん。
「やはり、ご主人様ですね。そんなご主人様だから、皆が慕うのでしょう」
「愛紗?」
そっと、身を寄せてくる愛紗。
「参りましょう。ご主人様も、お身体が冷えてしまいます」
「……ああ」
私は、今一度空を見上げた。
明日には、止むと良いのだがな。
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