至誠一貫
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第一部
第二章 ~幽州戦記~
十二 ~襲撃~
愛紗は、天幕の入り口で立ち止まる。
何故か、固い表情をしているようだが。
「どうしたのだ?」
「……いえ。ご主人様、お、お疲れではありませんか?」
「正直に申せば、多少な」
「では、肩をお揉みします。そこにお座り下さい」
「良いのか? 愛紗とて、もう休む時間であろう?」
「構いませぬ。……それに、ご主人様の……」
語尾が聞き取れぬが……まぁ、良いだろう。
「ふむ。では頼む」
「はっ!」
私が寝台に腰掛け、愛紗が背に回った。
しなやかな指が、私の肩にかかる。
……この華奢な身体の、何処にあれだけの武が秘められているのか。
「ふふ、ご主人様。だいぶ、凝っておられますよ?」
「仕方なかろう。人間、そう便利には出来ておらぬ」
愛紗の按摩は、なかなかに心地よい。
「もっと、首筋を頼む」
「はい」
時折、豊かな胸が背に当たる。
「愛紗。ここに来た目的、按摩だけではあるまい?」
と、愛紗の手が止まる。
「な、何故そのような事を?」
「お前は、隠し事が下手だ。顔に出ている」
「……ご主人様。それならそれで、仰っていただければ」
「言ってみるがいい。聞こう」
「……はい。ご主人様は、仰せられましたね。……私や星、稟、風。皆を、等しく愛していただけると」
「うむ」
「……ですが、不安なのです。ご主人様が信じられない訳ではないのですが」
愛紗が、私に抱き付いてきた。
「何が不安だ? 私が至らぬのであれば、改める」
「いえ、そうではないのです。……気づいておられるかも知れませぬが、董卓軍の将は皆、ご主人様に好意を抱いております」
「だが、月は娘と、恋は妹と思っている」
「……その両名ではありませぬ。特に霞と、華雄です」
あの後、将の間で真名が交換された。
だから、こうして愛紗がそれを口にするのは、何の問題もない。
「二人は、その……。せ、扇情的な装いをしています。ご主人様が、それに……」
「愛紗」
「……はい」
「私がいつ、見た目で女子の好き嫌いを定める、などと申した?」
「いえ……。ご主人様がそのような方とは思いませぬ」
「霞も華雄も、佳き女子である事は否定せぬ。だが、お主らを軽んじてまで、とは考える筈もなかろう?」
「ご主人様……」
熱い吐息が、首筋にかかる。
「私は、無粋な真似は好まぬ。それだけは、忘れるな」
「わかりました。……申し訳ありません、ふふ、私の方こそ、無粋ですね」
初めの硬さも取れたようだ。
「ならば、粋というものを教えてやる。今宵は、此処にいるが良い」
「……はい」
半眼の愛紗は、妙に艶っぽい。
……次第に、女が開花してきたのやも知れぬ、な。
愛紗の香りを感じながら、ふとそう思った。
朝方、と言っても空が白み始めた頃。
……ふと、妙な気配を感じ、目覚めた。
「ご主人様。起きておられますか?」
「愛紗。……お前も、気づいたか」
「はい。参りましょう、ただ事ではなさそうです」
「よし」
愛紗は跳ね起きると、素早く美しい裸体を衣に包んでいく。
「刻が惜しい。これを使え」
私は、兼定を差し出した。
「し、しかしこれは、ご主人様の愛剣では」
「構わぬ。私には、これがある」
堀川国広。
脇差ではあるが、紛れもなく、私の愛刀。
「参るぞ」
「はい!」
天幕を出て、あたりを見渡す。
「彼処のようだな」
「ええ。あ、ご主人様。人影が」
「……よし。何者か、確かめてくれよう」
陣の一角へ、二人で駆け寄った。
そこは、糧秣の保管場所。
「おい、急げよ!」
「わかってるって。これだけありゃ、当分困らないだろうぜ」
相手は五、六人というところか。
私と愛紗であれば、心配は無用だろうが。
「ご主人様。賊、でしょうか?」
「確かに賊だろう。……だが、あれを見ろ」
「……あれは……何という事だっ!」
愛紗が、歯がみをする。
賊達の腕に巻かれたもの。
それは、少し前まで彼らが、頭に巻いていたそれである。
降伏した黄巾党の者で、我が軍に加わる事を望んだ者には、目印として黄巾を、左腕に巻くようにさせていた。
「どうやら、逃亡を図ったようだな。その行きがけの駄賃に、糧秣を掠めていく……そんなところか」
「ご主人様の恩を仇で返すとは……。許さぬ!」
「待て、愛紗。奴らの動きが、妙だ」
私は、愛紗の肩に手を置き、押し止めた。
糧秣を盗み出した者共は、そのまま陣を抜け出す、とばかり思っていたのだが。
……どうやら、私の天幕に用があるらしい。
「しかし、大丈夫か?」
「なあに、女とよろしくやっているような腑抜けさ。寝込みを襲えばイチコロよ」
「そうだ。俺達をこき使うだけで、てめぇでは何もできねぇ、ただの優男。それでも首を持っていきゃ、大手柄だぜ?」
ふふ、腑抜けか。
私も、酷く見くびられたものだ。
「ご主人様。……宜しいですね?」
どうやら、本気で怒っているらしい。
だが、己の事のみ考えるような輩、確かに手加減は無用。
「うむ。あのような者共、一人とて生かすに及ばず」
「御意!」
まさに、私の天幕に襲いかかろうとする輩に、
「待て! 外道共!」
愛紗の一喝が、全員を凍り付かせた。
「げ? か、関羽?」
「土方の情婦が、何故ここに?」
賊の一人の言葉に、愛紗の殺気が高まる。
「ほう? 貴様、今何と言った?」
「……私を悪く言うのは構わぬ。が、我が麾下を貶めるその雑言、許せぬ」
国広を抜き、構える。
「な、ひ、土方まで!」
「くそっ、こうなりゃ二人とも片付けちまえ!」
「出来るのか? お主らの腕で?」
「う、うるせぇ!」
男達は喚きながら、一斉に斬りかかってくる。
「愛紗、下がれ!」
「は、はっ!」
懐から取り出した球を、連中へと投げつけた。
破裂音と共に、それは割れる。
忽ち、男達が粉に塗れた。
「な、何だこりゃ!」
「眼が見えねぇ!」
「眼、眼が痛ぇ!」
戦いどころではない男達。
私は素早く駆け寄り、国広を振るう。
「ぐわっ!」
「ギャーッ!」
喉を斬られた男達、無論ほぼ即死であろう。
「愛紗。こちらは私に任せよ」
「御意!」
日本刀など慣れぬ筈だが、早くも扱いを心得たようだ。
流石は関羽、といったところか。
既に三、四人、斬って捨てている。
「土方! 何をしやがった!」
別の男が怒鳴る。
「大したものではない。唐辛子の粉を詰めた、破裂弾だが?」
「卑怯だぞ! それでも、義勇軍の大将かっ!」
「ほう。では問うが、数を恃んでの闇討ちは、卑怯ではないのか?」
「……だ、黙れっ!」
「ふ、己の論法が通じないとわかれば、今度は恫喝か。見下げ果てた奴だ」
「おいっ! 遠巻きにして、射殺せ!」
敵わぬと見たか、今度は弓を持ち出してきた。
切り払うには、ちと厳しいか?
「ご主人様!」
それでも、私を庇うかのように、愛紗が立ちはだかる。
「死ね!」
一斉に、矢が放たれた。
……筈であった。
「お、おい、どうした?」
その中の一人が、不意に倒れる。
その背には、矢が突き刺さっている。
そして、空気を切り裂く音が、続く。
「ぐふっ!」
次々に飛来する矢が、確実に男達を仕留めていく。
「……兄ぃ!」
恋が、駆け寄りながら弓を射ていた。
流石、飛将軍の名は伊達ではないようだ。
「愛紗! これを!」
他方から、星の声。
放り投げられたそれは、まさしく青龍偃月刀。
「済まない、星!」
相当の重量がある得物だが、愛紗は苦もなく受け取る。
「お兄ちゃんは、鈴々が守るのだ!」
「鈴々! 一人も逃すなっ!」
「合点なのだ! でりゃりゃりゃりゃっ!」
絶え間なく放たれる恋の矢に加え、三人が縦横無尽に暴れ回り始めた。
こうなれば、もはや手の打ちようもあるまい。
「だ、ダメだ! おい、逃げろっ!」
「逃す、とでも思うか?」
首領格と思しき男に、近づく。
「て、てめぇには血も涙もないのかっ!」
「……理由はどうあれ、貴様らは規律を乱したのだ。死を持って贖って貰う」
「や、やめろぉぉぉっ!」
往生際の悪い男だ。
「無駄だ。大人しく、成仏致せ」
それでも、剣を振り上げる男。
その喉を、恋の矢が、射貫いた。
「……兄ぃ。無事?」
「ああ。助かった、恋」
「……ん、良かった」
恋の眼が、心なしか潤んでいるようだ。
「心配をかけたようだな。だが、私は死なぬ。お前達のためにも、な」
「……大丈夫。兄ぃは、恋が、守る」
ふふ、鈴々のような事を申すではないか。
何となく、頭を撫でてやりたくなった。
……だが、嫌がらぬかな?
「……?」
首を傾げる恋。
……嫌がったなら、謝れば良いか。
そう思い直し、恋の頭に手を載せる。
「……兄ぃ?」
「嫌なら、止めるが?」
「……(フルフル)」
「そうか」
そのまま、髪を梳くように、そっと撫でてやる。
「……兄ぃ。それ、好き」
つい先ほどまで、正確無比な弓裁きを見せていた人物とは、誰が同一だと思うであろうか。
「ご主人様!」
「主! お怪我はござりませぬか!」
「うむ。皆も、無事のようだな」
恋の頭から、手を離す。
「……あ」
どこか、残念そうだ。
……また、折を見て撫でてやるか。
一刻後。
騒然とした中、私は皆を集め、前に立った。
元黄巾党の者は皆、一様に不安げな顔をしている。
「お主達に、申し渡す」
「…………」
場が、一度に静まり返る。
「つい先ほど、一部の不心得者が、脱走を企て、騒ぎを起こした」
一様に皆、目を伏せている。
「我が軍は、義勇軍である。いかなる理由であろうとも、盗みは認めぬ。また、指示された戦以外での殺しもまた、然りだ」
「…………」
「よって、この騒ぎに加わった者は皆、処罰した。だが、此度の事は、皆が事……とは思わぬ。よって、騒ぎに加わっておらぬ者については、一切を不問とする」
「……で、では、お咎めは全くない。そう、仰るんで?」
前にいた男の問いに、はっきりと頷く。
「そうだ。もし、この仕置きに不満がある者は、直ちにこの陣を去るが良い。ただし、再び賊として民を苦しめるならば、容赦はせぬ。左様、心得よ」
「……へ、へいっ!」
これで、大多数が去るならば、それも仕方あるまい。
「出立は、今日の昼。それまでに各自、身の処し方を決めておくよう」
それだけを告げ、私はその場を後にした。
「なあなあ、歳っち」
「……霞。なんだ、その呼び方は?」
「アンタが好きに呼んでええ、ちゅうたんやろ? 年上を呼び捨てにするんは抵抗ある、せやから。……それとも、あかんか?」
何故、いじけたような仕草をするのか。
ここではっきりと拒否を示したなら、どう見ても私が苛めている格好になるのだが。
「……好きにすれば良かろう」
「さっすが、歳っち。話がわかるなぁ♪」
嬉しげに、腕を絡ませてくる霞。
「これ。少しばかり、はしたないのではないか?」
「ウチは気にせえへんで?」
私は気になるのだが、な。
……どうやら、不毛な議論にしかならぬようだ。
「ところで、何か話があったのではないのか?」
「ああ、せやった。……アイツら、ホンマに全員、并州まで連れて帰る気なんか?」
「うむ。それは、既に話してある通りだ」
「……歳っちの考えも、わからんでもない。元賊徒やから、目の届くようにしたいちゅうんはな。けどな」
霞の眼は、真剣そのものだ。
「ウチらの軍と変わらん規模の連中を引き連れていく。それが、どんだけ無茶かわからん、アンタやないやろ?」
「無論だ」
「せやったら、今からでもまだ間に合うやろ。他の手立て、考えた方がええんちゃうか?」
「ならば尋ねるが。霞は、何か良き案でもあるのか?」
「そ、それは……ある訳ないやろ。ウチは、詠達や歳っちみたいに、頭良うないねんで?」
気まずそうだが、霞はそこまで卑下する事もない筈だ。
何せ、あの張文遠その人なのだからな。
「稟や風やったら、ええ知恵浮かぶん違うか?」
「かも知れぬが。だが、二人はその策を巡らせる事はあるまい」
「何でや?」
「私が、降伏した者達を連れて行く、と宣言した時。二人とも、異論がなかった」
「それは、歳っちに惚れとるから。アンタの意に沿わん事は言わへんだけちゃうか?」
「霞、それは違うな。私を慕ってくれていればこそ、二人は私に憚りなどせぬ。私が誤っていると思えば、即座に指摘するよう、そう申しつけてある」
「……ほなら、稟も風も、これでええ、って思ってるっちゅうんやな?」
「恐らくな。そして、稟と風が止めぬのに、私が過ちを犯せば、今度は星と愛紗が黙っていまい。勿論、鈴々もだ」
「随分と、皆を信用しとるんやな」
「当然であろう? 部下を信じぬ者が、人の上に立つ資格などあろう筈がない。だからこそ、私は己を律する事が出来るのだ」
「……せやな。アンタは、そういう男や」
何故か、遠い目をする霞であった。
出立の刻。
「歳三様。脱落した者、数名のみ、との事です」
「それどころかですねー。お兄さん、これを」
と、風が何かを差し出した。
「……黄巾ではないか」
しかも、剣で斬りつけた跡がある。
「皆、今までの自分と決別し、ご主人様に従う決意の表れとして、だそうです」
「黄巾党の者にとっては、これは命に等しきもの。……主、軽くはありませぬぞ」
「みんな、いい眼をしているのだ」
「……そうだな」
私は、皆の前に進み出た。
「……良いのだな? 私はこの通り、修羅の道に生きる者。過酷な道のりとなろうぞ」
「俺達、地獄の底まで大将についていきやすぜ!」
「今まで、人様に迷惑しかかけられなかった俺達を、どうか生まれ変わらせて下せえ!」
口々に、決意を述べる様に、嘘偽りは感じられぬ。
「ならば、共に参ろうぞ」
「応っ!」
ついてくるならば、私は全身全霊を持って、それに応えるまで。
「歳三さん。参りましょう……并州へ」
「ああ」
丁原の遺志……しかと、確かめさせて貰うとしようぞ。
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