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人理を守れ、エミヤさん!

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実働開始だよ士郎くん(下)





 西暦1782年12月31日、夕暮れ。カルデアへ通信を送った翌日の事である。城外に出ると、飽きもせず大粒の雪が降っていた。
 本城のマザーベースや四つの前線基地の内部はルーン魔術によって簡易な異界化がなされ、春に近しい気候に包まれているから、内と外の温度差には少し体が驚いてしまう。
 しゃり、と踏みつけた足音の大きさに思い立って、足首まで埋まるほど積もっている雪を両手で掬った。力を込めて雪玉を作る。それを後ろ手に隠したまま、何気ない風を装って皇帝陛下に背後から近づいた。

「む? シェロではないか、どうかしたのか?」

 純白の衣装、何故か真っ白に染まっている隕鉄の剣"原初の火"を武装とするサーヴァント、ネロである。
 俺の気配を察知してこちらを振り向いたネロに、俺は愛想笑いを浮かべながら歩み寄り、至近距離にまで近づくとその顔に雪玉をぶつけた。

「わぷっ! い、いきなり何をする!?」
「はっはー! ぼーっとしているからだ」
「何をぉ!? せっかく絶世の美女が舞い散る雪花の中、雅に佇んでおったというのに! 普通は見惚れて賛辞の一つでも寄越す所ではないのか!?」

 悔しそうに地団駄を踏むネロに、俺はいい歳した大人のくせしてガキみたいに破顔した。
 この皇帝様、まるで最初からいましたよと言わんばかりに『人類愛』に馴染んでいる。忙しさにかまけて構える時間がなかったが、偶々余白の出来たこの時間に見掛けたのでちょっかいを掛けてみたのだ。
 すると期待通りの反応をしてくれた。いや……生前の方のネロをカルデア側のマスターにしてしまったので、英霊としての彼女がどうなるか気にはなっていたが、問題なく『ローマ皇帝ネロ』はネロ・クラウディウスそのままのようで安心した。これで似ても似つかぬ輩だったら俺はカルデアのネロに合わせる顔がなかったところだ。

「お前は覚えてない――というよりは知らないんだろうが、生憎とお前とは別のネロ・クラウディウスと付き合いがあってな。今更見惚れる事はないよ」
「むぅ……マスターの属するカルデアなる組織であったな。契約した時に最低限の知識の共有は出来ておる、故に説明は無用だぞ。それにしてもそこに余が生身の人間、それも生前からの地続きとして存在しておるとは……前にも聞いたが今一信じられん。が、信じた! だってマスターの言葉なのだからな!」

 ――はっきりしている事が一つある。

 カルデアのネロと、英霊のネロ。人柄も能力もおおよそ変わりはないどころか、趣味嗜好に至るまで完全に一致している。しかし……英霊のネロはカルデアの方とは違い、マスターという存在に対してなんらかの理想を持っているようなのだ。
 同じ人間とはいえ、生前からの地続きであるネロと英霊のネロとでは、その在り方というか考え方に差が出るのもおかしな話ではない。ないが……どうにも、英霊のネロは妙な理想を持っているらしい。

 何せ――

「前から聞こうと思ってたんだ。俺の知っているネロは赤いドレス姿なんだが、どうしてお前は白い衣装なんだ? まるで花嫁みたいだぞ」
「むっ! あれはドレスではない、男装であるぞ!」
「はいはい男装男装」
「んむぅ……雑であるな……こほん。それより何故、余が花嫁のドレスに着替えているのかだと?  ふっふっふ、決まっていよう! それはっ!  余がそういう気分になったからである! ところでマスターの肌の色がだいぶ健康的になったのも、そういう気分になったからか?」
「んなわけあるか」

 ――これだ。

 気分で英霊としての装束がコロコロ変わるのはネロぐらいなもんだと言いたいが、その言動の端々に願望が滲んでいる。
 それはネロらしく微笑ましい願望のように感じるが――どうもやり辛い。何せ俺はネロを友人として見ているのだ。しかしこのネロときたら、まるで……。

「ところでマスターよ。マスター直々に『シェロ』と呼べと言われた故呼んでおったが、それは余ではない余の呼び方であろう? 故にマスター呼びに戻したいと要求する! それと一つ聞きたいが、いいか?」
「まあ……呼び方は強制しないが。それで、なんだ」
「マスター……何やら沖田やスカサハめと良からぬ空気ではないか? というかアプローチとか掛けられてない? 余を差し置いてヒロインレースとか始まっておらぬか?」
「なんの話だ……」

 まるで……。

「惚けるでない! まさかとは思うが、二人ともものにしよう! とか考えておらぬだろうな! 浮気はダメだぞっ。なんか良くない!」
「……アイツらとはそういう関係じゃないって」
「そうかっ! なら余にもまだチャンスはあるのだな? 諦めずともよいのだな! うむうむ、マスターとは中々イケイケな仲になれると踏んでおるからな、余は嬉しい!」
「……」

 まるで……考えたくないが、このネロは俺を恋愛対象として狙っているようではないか。いや狙われてる感はある。キアラを数百倍希釈した感じの感覚だから、割と分かりやすい。
 はっきり言えば、悪い気はしなかった。何せネロはその内面からして美しい女性だ。俺の知るネロとは別人だと割り切って接する事も出来る。出来るが……カルデアのネロとは別人だが、同一人物でもある英霊のネロとそういう関係になるのは流石に気が引けた。仮になったとしたらカルデアの方のネロにどんな顔して会えばいいんだ。

 雪原の上を、上機嫌に両手を広げ、まるで舞台の上にいるようにくるくると回るネロ。それを苦笑して眺めつつ思考する。

 恋愛事に現を抜かしている暇もない。俺もいい歳なんだし、身を固めるのもありなんだが、その相手は決まってる――と思いたい。いや真面目な話、一筋縄ではいかない話の気がするので考えたくないというのが本音だが。

「ところでネロ。お前の言う浮気とはなんだ?」

 ネロに玉藻の前に似た空気を感じていたので若干声が震えたが、なんとか平静を取り繕って問いかけた。
 するとネロは不愉快な事を聞いたとばかりに回転するのをやめ、俺の正面に向き直る。

「無粋な事を聞くな……そんなもの、心が決める。具体的に言えば伴侶のおる身で、本気で他の者に惚れたら浮気に決まっておろう! というより肉体的接触もイロイロとアウトである!」
「……浮気者にはどうする?」
「愚問である! 浮気者にはこの世の地獄を味あわせるのみだ!」
「この世の地獄とはなんぞや」
「えっ。え、えー……っとぉ。……地獄とはなんぞや。そういえば余、キリスト教とか弾圧した側だから地獄なんて知らなかったりして。てへっ」

 反駁するとネロは途端に口ごもった。誤魔化すように濁すも、やはりネロはその手の知識に疎い。地獄という名称自体、ネロには合わないだろう。
 尤も言わんとするニュアンスは伝わった。ネロの中で浮気者=物理的断罪の方程式が固まる前に、それとなく保険を刷り込んでおこう。

「浮気者は断罪する方針なのは分かった。だがいいのか?」
「む?」
「浮気されたから断罪する……それでは伴侶の浮気相手にお前は敗けを認めたと宣言するようなものだぞ」
「なんと!? 何故そうなるのだ!?」
「だってそうだろう。他の女に心を盗られたら、取り戻す自信がないから断罪する。そう言っているようにも受け取れる。真に愛するなら心を取り戻すぐらいの気概がなくてはな」
「む、むむむ……い、一理ある……? か? ……むぅ、何故か丸め込まれている気がするぞ……」
「それこそ気のせいだって」

 ははは、と笑う。俺はネロとそういう関係じゃないからセーフ。彼女はサーヴァント、いずれ彼女は彼女の運命と出会うだろう。出会えたらいいなと祈っておこう。その時正式なマスターとなった者のために、こうして保険を刷り込んでおく……まさに俺は今そのマスターの身を救ったのだ。
 ふ、またしても顔も知らぬ誰かを救ってしまった。俺も中々やるものだろう。口先の魔術師とは誰が言ったのだったか。詭弁を弄させれば彼のカエサルにだって敗けはしない。いや負けるかな。負けるという事にしておこう。俺はあんな歴史的詐術使いではない。脳裡に浮かんだあかいあくまの物言いたげな顔を掻き消す。

 ネロは暫く腕を組んで首を傾げていたが、ふと思い出したように俺に言った。

「ところでマスターよ。そなた、仕事があるのではないか?」
「……それを言ったらお前もだろう。練兵とか兵舎・住居・病院建造計画とか、陳情の決裁はどうした」
「余は余に代わって仕事の出来る部下を育て、そちらに投げた。付け焼き刃だがな。その者らを総括して修正を加えるなどの判断を下すのが余の役割である。故に纏まった時間を作り出せたのだぞ。練兵は専らスカサハめが担当すると申し出てきた故な」
「流石皇帝……如才ない」
「ふっふっふ、もっと誉めるがよい! それはそれとして、そのスカサハがマスターを探しておったぞ。こう、鬼のような顔で『あの馬鹿マスターはどこだ!? 訓練から逃げるとは腑抜けたか!』とな」

 頭に両手を当て、人差し指をたてて鬼の角を模したポーズを取ったネロに苦笑する。いちいち身振りがあざとくて可愛いな、おい。口調も真似てるが全然迫力がない。

 スカサハが俺を探してる。ふ、知ってるさ。だって逃げたんだからな。腰抜けとか誰にも言わせないぞ。
 なぜかは知らないが、今まで特に抵抗感はなかったのに、最近は鍛練と聞くと無性に体が震えるのだ。首が涼しくなったり、全身が焼け爛れたり、消し飛んだり、心臓の風通しがよくなったり、息苦しくなったりする気がして、率直に言って吐きそうだ。
 鍛練とか嫌だよ、もういいよ。俺個人が強くなる意味なんてないんだから。指揮官として、マスターとして、兵士とサーヴァントを指揮すればいい。そしてたまに爆撃すればいい。今更サブカルチャーの主人公ばりの修行パートとか誰が得をするんだ。見てうんざり聞いてうんざり察してうんざりである。

「見つけたぞ、マスター」
「あっ」

 噂をすれば影という。影の国の女王は噂をすると出くわす仕様なのか。三国志の曹操もびっくりの出現速度である。
 背後に感じる凄まじい怒気。荒御魂も斯くやといった本来は神霊であるスカサハの王気(オーラ)。俺はフッと涼やかに笑む。

「ネロ」
「うむ」
「……Help me」
「I’m sorry, I’m busy right now (すまぬ。今は少し忙しいのだ)」

 お前今暇って言ってませんでしたかね!? 纏まった時間があるって言ってましたよね!?
 ぐわしと首根っこを掴まれる。抗えぬ膂力の差に泣きたくなる。うわぁ、嫌だぁ! そんなふうに喚いた気がしたが慈悲はなかった。
 ずるずると引き摺られていく俺に、ネロは指先で涙を拭う素振りをしながら手を振って、「どなどなどーなーどーなー売られてゆーくーよー」と歌い始めた。

 やめろー! というか音痴のくせしてそんな歌だけ上手いとかふざけてんじゃ――えっ。影の国の門番の竜種を召喚した? 倒せ? それどう見ても成体の竜ですよね千歳越えてますよね勝てる訳が――負けたら男じゃないから去勢する? ……馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前ぇ!!
 あっ。開幕竜の吐息(ドラゴン・ブレス)とかやめろゴラァ! 竜殺し宝具連打してぶっ殺してや――投影宝具の投射禁止? 何それ聞いてない……なんで格上相手に戦術縛りがあるんですかね……。剣一本でやれ? セタンタなら楽勝?
 そんなのと比較するとか遂に呆けたかこの鬼ババ――



















 以上の惨劇を以て彼の末路は決定された。
 ヒューマンなど偽りの種族。其は鬼教官が生み出した、彼の資質を最も悪辣に引き出した合理主義。
 その名をケルト。エジプト、インド、ウルク、ブリテン、日本、ギリシャに並ぶ、七つの戦闘民族の一つ『死狂(ケルト)』の理を持つ(ケルト)
 人が人のまま人を超え、神をも殺すという戦闘論理こそが、その男の獣性なのだ。

 ――等という戯れ言は兎も角として。

 その男は誓った。最早あの鬼畜にも勝る、遠坂さん家の凛さんが裸足で逃げ出すレベルのスパルタ女には一切の遠慮はしない、と。過労死するレベルの仕事を振って酷使する事に良心を痛める必要はない。そこまでして漸く対等なのだ。
 俺が物理的に殺されるか、スカサハが過労死するかのデッド・オア・チキン・レースこそが俺達の関係なのだと魂で理解した。後、無性にマーリンをぶん殴りたくなってきた。
 理不尽だろうが、何故か正当な怒りとか悔しさとか情けなさとかがある気がする。

 衛宮士郎がこの特異点に転移させられてより、凡そ一年の月日が流れるまで――死と隣り合わせの練磨は続いた。
 そうして『人類愛』の兵士の練度は飛躍的に向上する。生存をかけた士気高らかなる戦意しかなかった彼らに、それに釣り合うだけの力が宿ったのである。

 そうして、彼らの実働が開始された。








 
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