人理を守れ、エミヤさん!
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幕間「百人母胎」
――これは――
――まだ、まだ、先の噺となるけれど――
――神の手より巣立ち、訣別を告げた原初の時代――
――「百獣母胎」なる権能を持つ大地母神がいた――
――ティアマト――
――原罪のⅡ・ビーストⅡと呼称される――
――「回帰」の理を持つ人類悪である――
「あは」
――遠く、遠く――比較する事すら烏滸がましいものでしかないけれど――
――狂える女は、《聖杯と一体化して》――
――百の英霊の恋人となる為の最適解を見つけ出した――
「あはっ、あはははは――!」
度しがたいほど無垢に、穢らわしいほど清楚に、悍ましく淫蕩に耽る女の瞳はどこまでも澄んでいる。
歓喜しながら激怒し、振り切れた感情のメーターが戻る事はない。女は淫靡な仕草で自身の指を嘗めた。鮮血に濡れた女は、たった今捕食した人間の男の臓物の滓を飲み干した。
ああ、ああ、足りなかった養分は命だったのか。道理で何をしても出来損ないの女しか産まれなかった訳だ。女王に権能はない。聖杯を孕み、英霊の座に接続して、サーヴァントを強制召喚する事であらゆる男の戦士達の恋人となろうとしたが、そんな程度であらゆる生命の母である大地母神の真似事など、とてもではないが叶えられるわけもなかった。
何せ命など産み出せない霊基だ。七つの聖杯を束ねたものよりも、なお上回る魔力炉心を持っている大地母神の足元にも及ぶまい。影すら踏めないだろう。
どうしたって、限界がある。どれほど狂い叫ぼうと成せぬものがある。所詮その身はサーヴァント、生前を越えられぬ影法師。
だがそれがどうしたという。足りぬなら、よそから持ってくればいい。必要なのは何か? 霊基? それとも魔力? いいや、いいや違う。必要なのは「命」だ。純粋に養分が足りない。
女王は号令を発した。この大陸を蹂躙する全ての兵隊の脳髄に直撃される声ならぬ声を。
「可能な限り、生きてる人間は殺さないで! 生かしたまま私の許まで持って帰ってきなさい! 今すぐによ!」
老若男女は問わない。試行錯誤の結果、捕食という工程を踏む事にしたのだが、何も直接食べる必要はない。必要なのは命なのであって、その肉と血、骨は要らないのだ。ただ強力な兵隊を求めているだけ。
何せ女王が殺したいほど憎んでいる相手は、あの宝具を使った狂王をも深い眠りに落とすような存在。その正体なんて皆目見当もつかないが、なに、この大陸に存在する全てを殺し尽くせば自ずと相対することになるだろう。狂王を長い眠りに就かせた罪を償わせるには、まずその正体不明の敵ですらどうしようもない圧倒的な兵力がいる。
かといって弱すぎたら話にもならないだろう。普通の兵隊では十万揃えたとしてもあっさり殲滅されてしまいそうだ。
そうして、女王は嗤った。
淫靡に、滾る情欲の炎を燃やしながら――はじめて成功した一人目の戦士に命じる。
「ねぇ、スパルタクス? 私のお願い、聞いてくれるかしら?」
その戦士は青白い躰に数え切れないほどの傷跡を持つ、筋骨隆々とした巨漢であった。
真名をスパルタクス。トラキアの剣闘士にして、第三次奴隷戦争の実質的な指導者である。
彼を知る者なら驚愕するであろう。その眼には理知的な光が点り、彼の物腰は紳士的なそれであったのだから。そればかりか本来有り得ぬ態度で女王であるメイヴに「跪いている」。《絶対の忠誠と愛を抱いている》。《メイヴのためなら隷属をも喜びとする》という、叛逆者スパルタクスという英霊には有り得てはならない性質を持っていた。
「お願いとは言わず、どうか命じていただきたい。母よ。この私が、このスパルタクスが貴女に叛逆するもの悉くを抱擁しよう」
――ローマを相手に、僅か十数名で叛乱を起こし。戦力を瓦解させる事なく奮戦した指揮官。闘技場と戦場で闘い抜いた熟練の剣士。その力と手腕は本物だ。
しかしその、弱者の為に強者に挑み、最後まで叛逆を貫いた気高い魂は――全て、母にして恋人であるメイヴへの愛へと置換されてしまっていた。
彼は剣士・スパルタクス。
その姿に、メイヴはどこまでも純粋に、穢れる事を知らぬ白百合の如く、邪悪に笑む。
「そう? なら命じるわ。スパルタクス――貴方はこの大陸にいる全てのサーヴァントを殺しなさい。もちろん、無駄死にはダメよ? 不利なら撤退してもいいわ。なんなら兵隊もあげる。幾らほしい?」
にんまりと、下された圧制者の命令に、スパルタクスとは掛け離れた紛い物は。しかし本物のスパルタクスである剣士は笑った。
「では、百人の兵を賜りたい。我が恋人に叛逆せし愚か者を、この私が女王に代わって誅戮してくれよう」
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