徒然草
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232部分:二百三十二.すべて、人は
二百三十二.すべて、人は
二百三十二.すべて、人は
人というものは何事についても語ることはなく何も出来ず、そのうえで馬鹿のふりをしていた方がいいものなのであります。ある賢そうな子供がいました。この子は父親がいる前で人と話すので宋の史書からその話を引いていました。一見すると賢そうに見えましたが目上の人の前だといいましてもそこまで背伸びすることはないだろうと思われました。またある人の家で琵琶法師の物語を聞こうと琵琶を取り寄せたのでありますがその柱が一つ取れてしまっていました。それで柱を作ってそれを付けなさいと言いますとその場にいた人格者にも見えなくはない人が使わない柄杓の柄はないのかと立ち上がりました。爪を伸ばしていますからこの人も琵琶を弾くのだろうかと思ったのですが盲目の法師が弾く琵琶にそこまで気を遣うこともない、これはただ琵琶を心得たつもりでいるのだろうと思えば片腹痛くなってしまいました。柄杓の柄はわっぱ細工なので琵琶の柱になぞできるものではないという主張もあったりします。
若者は僅かなことでよく見えたりもしますしその逆に悪く見えたりもします。この違いは本当に僅かなものであります。それがどうなるかというのがまことに小さな違いなのであります。
すべて、人は 完
2010・1・1
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