人理を守れ、エミヤさん!
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魔の柱、森の如くに
人面犇めく大樹の津波。寄せる波濤は野山の奔流。
質量兵器ローマ。
枝葉の成長が濁流となって迫る様は圧巻。
その正体はパラディウムの丘に突き立てられた建国の証。ローマを象徴し、その興亡を見届けた過去・現在・未来の帝都の姿を造成する対軍宝具。
しかしその正体が『槍』であるなどと、一見して誰が見抜けるというのか。
枝葉を束ねた大樹は、造られた自然そのもの。如何に解析しても神秘を含有した樹木に過ぎないのだ。
だが、その本質を見抜ける者なら、その大樹自体が「国」そのものであることを悟るだろう。
「構成材質、解析完了」
綺羅光る星屑と、満天に座す満月の光に照らされる中、蠢く赤い森の只中で、夜の帳を突き破るようにして鋭い命令が飛ぶ。
「アルトリア、オルタ。それぞれ風王鉄槌と卑王鉄槌を使え。出力七割。アルトリアは威力よりも攻撃範囲を広く持ち、オルタは破壊力に重きを置け。見た目は派手だが材質はただの樹木だ。気兼ねは要らない」
「待て!」
制止の声を張り上げたのはネロだった。
ここはガリアだ。ブリタニアへと逃れる時に通った道。人面の中には、変わり果てていても確かに見覚えのある顔があった。
焦燥に駆られ、怒りに震え、それでもはっきりと皇帝は訴えた。
「あれは余の民だ! それを巻き込んでの攻撃など――」
「悪い報せだ。あれに呑まれている奴はまだ生きてはいる。死なせてやった方がよほど救われるぞ」
「な、」
絶句するネロを、士郎は冷徹な眼差しで一瞥した。無責任なことは言わない。自らが体験したことに基づき、冷酷に言う。
「成長の糧として、『必要もないのに』あの人間達は養分にされている。似たことを体験したことがあるから言えるが、体の内から吸われていく感覚は地獄の苦しみだぞ。――俺を止めるか、ネロ」
ローマの否定。即ち、そこに生きた人間の否定。
国とは人、人とは国。民の苦痛は国の悲鳴。ローマの否定は、その民を惨禍に叩き落とす所業である。
善き生活、善き営みを反転させた苦痛を味わう民の顔は干からびて、苦と醜と痛とを絡めた絶望に染まっている。唇を強く噛むあまり、血が流れるのにも構わず、ネロは苦渋の滲んだ声音で躊躇いを捨てた。
「……止めぬ。介錯もまた余の責であろう」
「勘違いするな、カルデアのマスター。これは指示を出した俺の責だ。ネロ帝は民を傷つけてなどいない」
「余の荷を負うと……?」
「後輩のケツは先輩が持つものだ。大したことじゃないな」
「……馬鹿者め。皇帝として、礼は言わぬ。しかし、ただのネロ・クラウディウスとしては……」
――爆ぜよ風王結界、『風王鉄槌』!
――暴竜の息吹よ、『卑王鉄槌』!
バイクから降りるなり風の鞘を解き、アルトリアが打ち出した暴風の槌は樹木の津波を遮る。オルタの黒い旭光は障害を砕いた。微塵の如くに破壊された木片がぱらぱらと地に落ちる。
人面の樹木は血を流さなかった。樹液のようなものが夜の闇の中に四散しただけ。苦悶の顔のまま果てたそれを目に焼き付けながら、ネロが呟いた声は暴風の音に掻き消された。
ただ、士郎は黙って頷いた。その目は第二波となる樹海の振動を睨み据え、アルトリアらに同様の攻撃をするように指示を出した。
「……アサシン。このままじゃキリがない。どこかに樹海を発生させる基点のようなものがあるはずだ。それを探し出して破壊しろ。困難なら俺に言ってくれ」
(了解)
気配なく、されどレイラインを通して確かな応答があった。
こういった単純な質量を前にアサシンは無力である。故に別の用途に投入したに過ぎないが、戦果は期待薄だろう。
「……アタランテ、余からも頼む。樹海発生の基点を探し出してくれぬか」
「承知した」
ネロの命に応じるや否や、アタランテが駆け、跳んだ。蠢く大樹や枝葉の妨害をするするとすり抜けていき、あっという間に姿が見えなくなる。
……神代の狩人というのは、ああいったことが普通にできるのか?
身軽と言うより、羽が生えているとでも言った方が適切な跳躍力だ。士郎は呆れるやら感心するやら、見えなくなったアタランテから意識を切り、武器庫から黒弓と螺旋の剣弾を抜き取る。
障害物の多い中で、通常の剣弾は用を為さない。貫通力に秀でた投影宝具を選ぶのは当然である。
しかし、第二波以降、大樹の津波は収まった。
「……なんだ?」
不気味な静寂。士郎は突然収まった攻勢に眉を顰めて周囲への警戒を緩めなかった。
アルトリアを見る。首を左右に振った。
警戒を維持したまま無言でバイクに乗るように促す。士郎は顔を青くしていたマシュの背中をそっと押し、黒いバイクに乗るように言った。
……人面大樹とはいえ、元々が人間だ。それが破壊された光景を見て気分が悪くなったのだろう。敢えて優しい言葉はかけない。いつかは人を相手にしなければならない時が来るかもしれない。
マシュに、人の死に慣れろと言いたいのではない。ただ、そういった場面に直面する時が来ることを伝えねばならなかった。いや、言葉では言っていても、実感はなかっただろう。それが今、無惨な人の死を見て吐きそうになっている。
バイクに乗り、移動を開始する。念話で切嗣に移動を再開したことを伝えた。応答が返ってくる。
一時間余りも走っただろうか。代わり映えのしない景色に心が膿み始めた頃、定期的に入れていたアサシンへの念話に異変があった。
互いの現在地を報せ合うための定時連絡だ。こちらが伝え、切嗣が答える形だったのに――反応がない。
(――――)
応答がない。
「……アサシン?」
(――――)
異常事態だ、と瞬時に士郎は判断した。
すぐオルタとアルトリアにバイクを止めさせる。
アサシンからの応答が失せたと伝えると、緊張が深まる。
(――――い)
「! ……アサシン?」
(すまない。しくじった。僕はここでリタ――)
ぷつん、と念話が途絶える。士郎は驚愕した。切嗣がしくじるとは、何があった?
士郎は首に下げていた計器をはずした。前方を走るドゥン・スタリオン号を操縦するアルトリアの後ろにいるネロに計器を投げ渡す。
「シェロ、これはなんだ?」
「自身と契約するサーヴァントとの念話を可能にする装置だ。ネロ、アタランテに伝えてくれ。アサシンが消滅した」
「!」
空気が電撃を帯びる。士郎は最後に互いの位置を確認した時と、移動距離と時間経過から割り出した、アサシンがいただろう地点を予測し、その座標をネロに伝える。
ネロは頷き、アタランテに連絡したようだ。
暫く移動を停止し、アタランテからの報告を待つ。
「……アタランテからの報告だ。何もないそうだぞ」
「……」
「ただ、何か巨大な、円形の穴が空いていたらしい」
「巨大な……穴?」
「うむ。まるで錨のようだとアタランテは――」
――瞬間、大地が激しく振動した。地震? こんなタイミングでそれはあり得ない! ならば、
「アルトリア!」
「下です!」
言葉短く叫び返してきた言葉を認識するや、士郎は即座にオルタに合図した。ラムレイ号が急発進する。黒弓に螺旋の剣弾を装填する。
アルトリアが愛機より離れ、聖剣を構えて厳戒体勢に移った。
やがて地面が大きく盛り上がり、地中からおぞましい肉の柱が飛び出てくる。
「――」
円柱のような、肉の塊。
幾筋もの赤い裂け目が心臓のように脈打ち、無数にある黒緑色の魔眼の奥から、歪な瞳孔が開ききっているのが見えた。
膨大な魔力。優にサーヴァント数騎分もの力を内包した異形の柱。
それが、まるでこの特異点に投げ込まれた錨のようで――
士郎達は、戦慄と共にそれを見上げた。
――魔神柱、出現。
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