人理を守れ、エミヤさん!
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
卑の意志なのか士郎くん!
卑の意思なのか士郎くん!
黒化した弓兵の射程圏内を脱し、俺とマシュは円蔵山の洞窟に突入した。
薄暗く、大火に呑まれた街にはない冷気が漂っている。だが、目には見えなくとも、濃密な魔力が奥の方から流れ込んできているのがはっきりとわかった。
聖杯が顕現しているのだ、とかつて冬木の聖杯を目の当たりにしていた俺は確信する。
ちらとマシュを見る。……戦うことが怖いと思う少女を、戦いに引き込まざるを得ない己の未熟を呪う。
先程のアーチャーは、間違いなく英霊エミヤだ。俺が奴ほどの戦闘技能を持っていなかったために、こうしてマシュを戦いに駆り立てざるを得ない。
霊基という壁がある、人間がサーヴァントに太刀打ちできる道理はない――そんなことはわかっている。だが理屈ではないのだ。戦いに生きた英霊エミヤと、戦いだけに生きるつもりのない俺。差が出るのは当然で、守護者として様々な武具を貯蔵し、戦闘記録を蓄積し続けている奴に勝てる訳がないのは当たり前だ。なのに、俺は自分の力を過信して、ある程度は戦えるはずだと慢心していた。
そんなはずはないのに。サーヴァントという存在を知っていたのに。なんたる愚かさか。先程も、マシュが宝具を擬似的に展開していなければ、俺は死んでいただろう。
俺の戦いの能力は人間の域を出ない。固有結界とその副産物である投影がなければ、到底人外に立ち向かうことはできなかった。固有結界という特大の異能がなければ、俺は切嗣のような魔術師殺しとなり暗殺、狙撃を重視した戦法を取っていただろう。そして、それはサーヴァントには通じないものだ。
俺は、確かに戦える。しかし必ずしも戦いの主軸に立つ必要はないのだと肝に銘じなければならない。今の俺に求められているのはマスターとしての能力だ。強力な1マスターではない、必勝不敗のマスターになることを求められているのである。
勝利だ。俺が掴まねばならない物はそれしかない。
この身にはただの一度も敗走はない。しかし、これからは不敗ではなく、常勝の存在として君臨するしかなかった。それはあの英霊エミヤにも出来なかったこと。それを、俺は人間のまま、奴より弱いままに成し遂げねばならないのだ。
故に――
「マシュ。これから敵と交戦するにあたって、俺の出す指示に即応できるか?」
俺は、マシュに問いかけた。
マシュを戦わせたくない、だが勝つためにマシュが必要だ。
……吐き気がする。なんて矛盾だ。その矛盾を、俺は呑み込まねばならなかった。
「戦いは怖いだろう? 怯えはなくならないだろう? 辛く、痛い。そんな物に触れたくない。そう思っているはずだ。……それでも俺はお前に戦えと命じる。俺を呪ってもいい、俺の指示に迷いなく従えるか?」
「はい」
即答、だった。
恐怖はある。不安げに揺れる瞳を見ればわかる。だが、それ以上に強く輝く意思の萌芽があった。
「わたしは先輩のデミ・サーヴァントですから。それに、先輩を守りたい――その思いは本当だって、わたしは胸を張れます。だから、迷いなんてありません。先輩のために、わたしは戦います」
そうか、と頷く。その健気さに報いる術を今、俺は持っていない。
あらゆる感傷を、切り捨てる。この思いを、利用する。蔑まれるかもしれない、嫌われるかもしれない、それでも俺は、勝たねばならない。俺のために。俺の生きた証を守るために。
マシュが生きた世界を守る。俺のために。
その結果、マシュに嫌悪されることになろうとも。俺に迷いはない。俺の戦い方を、ここでマシュに知ってもらう。
「ならいい。――勝つぞ。勝ってカルデアに帰ろう」
「はいっ!」
気合いの入った返事に、俺は更に決意を固める。
狭い通路を抜け、拓けた空間に出た。
大聖杯は近い。肌に感じる魔力の波動がいっそう強くなっている。そして、
「――そこまでだ、衛宮士郎」
俺とマシュの行く手を阻むため、前方に弓兵のサーヴァントが実体化した。
「やはり来たか」
ぽつりと呟く。
物理的に考えれば、俺とマシュを狙撃できる高台からここに先回りしてくるのは不可能である。だが、奴はサーヴァント。霊体化して、神秘を宿さない物質を素通りできる存在。
生身しか持たない俺達を先回りして待ち受けるのは容易だったろう。
「妙な因果だ。そうは思わないか?」
何を思ったのか、奴は俺に語りかけてきた。
「そうだな。なんだって英霊化した自分と対峙することになる。出来の悪い鏡でも見せられている気分だ」
「フン。それはこちらの台詞だがね」
応じる必要なんてないのに、奴の皮肉げな口調に、思わず毒を含んだ言葉を返していた。
マシュが驚いたように声を上げた。先の前哨戦、姿は見えても顔までははっきり見えていなかったのだろう。
「先輩が……二人……?」
「……ああ。どういうわけか、アイツと俺は似た存在だ。真名はエミヤシロウ。十年前俺が体験した聖杯戦争で、俺はアイツに会っている。……因縁を感じるな、という方が無理な話だ」
「ほう? では貴様はオレに遭っていながら生き延びたわけだ。――となると貴様は、あの時の小僧か」
ぴくり、とエミヤは眉を動かした。彼の抱く願望からすれば、衛宮士郎を見逃すなんてあり得ない。仮に見逃すとしたら、それは私情を抜きにして動かねばならない事態となったか、巡りあった衛宮士郎が正義の味方にならないと――英霊エミヤと別人になると判断したかになる。
そして、俺とのやり取りで、エミヤは不敵に笑って見せた。俺がセイバーと共に戦い抜いた衛宮士郎だと悟ったのだろう。
サーヴァントは通常、現界するごとにまっさらな状態となる。記憶の持ち越しは普通は出来ない。つまりエミヤが俺を識っているということは、このエミヤもまた第五次聖杯戦争の記録を記憶として保持していることになる。特殊な例だった。
自分殺しがエミヤの望み。正確には、自己否定こそが行き着いた理想の結末だ。
同情はしない。俺は奴とは別人だが、それを分かって貰おうとも思わない。
仮に奴が、俺がエミヤにならないと知っても、ここを守る立場にある以上は戦闘は避けられないだろう。なら奴は所詮、倒すべき敵でしかない。
「衛宮士郎。どうやら貴様は、世界と契約していないようだな」
「分かるのか」
「当たり前だ。世界と契約し、死後を預けた衛宮士郎が、貴様のような弱者であるものか」
「……お前から見て、俺は弱いか?」
「弱い。見るに堪えん。投影の精度の高さだけは認めるが、それ以外はお粗末に過ぎる。なんだ先程の体たらくは。生前のオレなら、二十七程度の剣弾などすべて撃ち落とせている」
なるほど……あれでまだ、本気ではなかったのか。螺旋剣の一撃こそ殺す気で放ったが、それ以外は全力でなかった、と。
笑いだしそうだった。英雄王の言う通り、俺は道化の才能があるのかもしれない。
だが。
「そうか。なら、やっぱり俺達は別人だ。それがはっきりして――ああ、とても安心したよ」
「……ふん。オレは失望したがな。貴様には殺す価値もないが、生憎とここを通すわけにもいかん。ここで死ね衛宮士郎。たとえ別人であったとしても、その顔を見ていると吐き気がする」
「そうかよ。じゃあ、最後に一つ言わせてもらおう」
俺とエミヤは同時に干将・莫耶を投影した。両腕をだらりと落とし、戦闘体勢に入る。
鏡合わせのような姿だ。英霊と人間、贋作と偽物、強者と弱者――
今に戦闘に入りそうになる刹那に、俺はエミヤに言葉を投げる。奴が絶対に無視できない、挑発の文言を吐くために。
「なんだ。遺言でも言うつもりか? ああ、それぐらいなら待とう。未熟者の末期の言葉がどんなものになるか、興味がある」
「……」
露骨な敵意。エミヤが悪意を抱く、唯一の相手。それが俺だ。その俺が今から吐く言葉は――きっと毒になる。
「なあ、アーチャー」
「なんだ」
「お前は、正義の味方に一度でも成れたか?」
「……なに?」
一瞬、その問いにエミヤの顔が歪む。亀裂が走ったように、動きが止まった。
それは、奴にとっての核心。エミヤを象る理想の名前。俺は精一杯得意気に見えるよう表情を操作した。
俺が、さも誇らしげに語っているように聞こえるように、声の抑揚にも注意を払う。
「答えろアーチャー。お前は正義の味方になれたのかと聞いている」
「……戯れ言を。正義の味方だと? そんなものは幻想の中にしか存在しない偽りの称号だ。存在しないものになど成れるものか」
「……なんだ、成れてないのか」
失望したように。
笑いを、こぼす。
エミヤの顔色が変わった。俺にとっての、正義の味方の表情が苛立ちに染まる。
「何が言いたい」
「お前は俺のことを弱者と言ったな? その通り、俺は弱い。お前よりもずっと。なら強者であるお前は? アーチャーは成れたのか。正義の味方に。それが気になってな。その如何を是非とも聞きたかった訳だが……そうか成れなかったのか。正義の味方に」
「……言いたいことはそれだけか」
「いいや今のは聞きたかったことだ。言いたかったのは、こうだ。――正義の味方に、俺は成れたみたいだぞ」
「――――」
エミヤに、空白が打ち込まれる。俺の告白は、奴にとってあまりにも重く、無視しがたく、流せない言葉だったのだ。
俺は、更に一言、告げた。
「今、人理は崩壊の危機にある。これを修復することは人類を救うことと同義。――これが正義でなくてなんだ。人理のために戦う俺が正義の味方でなくてなんだ。――正義の味方に敵対する、お前はなんだ?」
「……黙れ」
「わかった、黙ろう。だがその前に謝罪するよアーチャー。すまなかった。そしてありがとう。悪として立ちふさがるお前を、正義の味方として倒す。分かりやすい構図だ。善悪二元論……喜べ。お前は悪として、俺の正義を証明できる」
「 」
エミヤの目から、色が消えた。
その鷹の目が、俺だけを見る。俺だけを捉える。
マシュが、固い顔をしていた。俺のやり方が読めたのだろう。聡明な娘だ。
やれるのか、マシュは。一瞥すると少女は頷いた。揺らがない、少女は決してブレない。戦うのは、自分のためでなく。ひとえに己のマスターのためだから。
――これで、アーチャーには俺しか見えない。
呼気を見計らう。緊迫感が高まっていく。息が苦しい、殺気が痛い。アーチャーの全身が、脱力した。その意味を俺は知っている。攻撃に移る前兆。
俺は弾けるように指示を飛ばしていた。
「マシュ! 突撃!」
「了解! マシュ・キリエライト、突貫します!」
大盾を構え、突撃するマシュ。それをアーチャーは無表情に迎え撃った。
大盾を前面に押し出し、質量で攻めるマシュ。干将と莫耶を十字に構え、ぐぐぐ、と弓の弦につがえられた矢のように力を溜めるや、干将の切っ先に力点を移しながら強烈な刺突を放つ。
っぅ……! 苦悶するマシュが盾ごと跳ね返されて後退する。同時に踏み込み、アーチャーはマシュを押し退けるように莫耶で薙ぎ払い、マシュの体を横に流した。――そこに、俺の投擲していた干将と莫耶が迫る。マシュに対していたような流麗な剣捌きが見る影もなく荒々しくなった。完全に力任せの一撃。俺を否定するように干将と莫耶を叩き落とし、まっしぐらに俺にぶつかってこようとして、
させじとマシュが横合いから殴りかかる。
「……!」
「させ、ません……!」
マシュの膂力はアーチャーを凌駕している。まともにやれば押し負けるだろう。だが英霊エミヤとて百戦錬磨の練達。今さら自分より力が強いだけの相手に手こずる道理はない。
マシュは圧倒的に経験が足りなかった。デミ・サーヴァントとなって盾の英霊の戦闘能力を得ていても、それを活かせるだけの経験がないのだ。心と体の合一していない者に、アーチャーは決して負けることがない。
それを証明するようにアーチャーは再度、マシュをあしらう。懸命に食いつくマシュを打ちのめす。
強靭な盾を相手に斬撃は意味をなさない。斬るのではなく叩く、打撃する。呵責のないアーチャーの功勢にマシュは再び競り負け――俺は黒弓を投影し、剣弾を放ってアーチャーの追撃を断った。
「マシュ、援護する。一心に挑み、戦いのコツを掴むんだ。胸を借りるつもりで行け」
「はい!」
名もない名剣を弾丸として放ちながら俺は立ち位置を調整する。マシュとアーチャーがぶつかり合い、果敢に攻めかかる少女にアドバイスを送りながら援護した。
「攻めるな! 押すだけでいい! その盾の面積と質量は立派な武器だ。防御を固め体ごとぶつかっていけ! 相手の体勢を打ち崩し押し潰す、呼吸を掴むまで無理はするな!」
「はい! はぁっ――!!」
途端、鬱陶しそうにアーチャーは眉を顰めた。
素人が様々な工夫を凝らそうとするより、単純で迷いのないワンパターン攻撃の方が余程厄介なものだ。
マシュの耐久はAランク。盾の英霊の力もあり、並大抵の攻撃で怯むことはない。必然、アーチャーも威力の高い攻撃を選択しなければならず、そうすると一拍の溜めが必要になる。そのために、アーチャーはマシュを振りきれず、大技に訴え排除しようにも別の宝具を投影する素振りを見せればそれを俺が妨害した。
そして頃合いを見計らい、俺は新たに干将を投影する。すると、先に俺が投擲し叩き落とされていた莫耶が引き寄せられ、アーチャーの背後から襲いかかる形になる。
アーチャーは当たり前のように飛び上がって回避して、回転しながら俺の方に戻ろうとしている莫耶を、強化された足で蹴り飛ばした。
「そこ……!」
マシュが吠え、空中にいるアーチャーにぶつかっていく。ハッ、とアーチャーが嗤った。
敢えて突撃を受け吹き飛ばされたことで距離を取った。慌てて詰めていくマシュの顔に向けて干将と莫耶を投じる。
咄嗟に盾で防いだマシュの視界が一瞬塞がり――アーチャーは自ら踏み込んで死角に回り込み、盾を掻い潜ってマシュの腹に蹴りを叩き込んだ。
「かはっ――!?」
サーヴァントの本能か腕で蹴りをガードしてクリーンヒットは防いだものの、今度こそマシュは吹き飛ばされる。
アーチャーが馳せる。瞬く間に俺に接近してくる。干将莫耶を投影し迎撃した。
「やはりこうなるか……!」
「……ォオ!!」
憎らしげにアーチャーが吠えた。瞬間的に袈裟と逆袈裟に振るわれた双剣を防ぐも、己の双剣で俺の双剣を押さえ込み、ゼロ距離にまで踏み込んできたアーチャーに頭突きを食らわされてしまう。
更に距離を詰められアーチャーはあろうことか双剣を手放し拳を放ってきた。わかっていても防げない堅実な拳打。こちらも双剣を捨て両腕を立て頭と胴を守り防御に専念する。
拳を防ぐ腕の骨が軋んだ。強化していなければ一撃で砕かれていただろう。歯を食い縛って堪え忍ぶ。
コンパクトに纏められた無数の拳打、三秒間の内に防いだ数は十八撃。ガードを崩す為の拳撃だとわかっていても、到底人間には許容できない威力に俺の防御が崩される。
腕の隙間を縫った奴のアッパーカットが俺の顎に吸い込まれた。ガッ、と苦鳴する。だが、思考は止めない。頭を跳ね上げられると、俺は反射的に飛び下がっていた。
一瞬前に俺の首があった位置を干将の刃が通過していく。アッパーカットを当てるや流れるように双剣を投影して首を狙ったのだ。
追撃に来るアーチャーの剣を、なんとか双剣を投影して防ぐ。俺とアーチャーの双剣が激突し火花が散った――瞬間。見覚えのない景色が、脳裏に浮かぶ。
「っ……!?」
「くっ……!」
アーチャーもまた戸惑ったように動きが鈍る。そこにマシュが駆け込み、大盾でアーチャーを殴り飛ばした。
まともに入った一撃に、マシュ自身が最も戸惑っていた。
「あ、当たった……? ……いえ、それよりも先輩、大丈夫ですか!?」
喜びかけるも、マスターの状態を気にかけてマシュが心配そうに駆け寄ってきた。俺は血を吐き捨てる。口の中を切ってしまっていた。
大丈夫だと返しつつ、思う。なんだ今のは、と。
(知らない男がこちらに向けて泣き縋り、白髪の男が無念そうにしている光景)
――そんなものは知らない。
溢れる未知の記憶が、光となって逆流してくる。見たことも聞いたこともない事象がどんどんと。
――これは、なんだ? ……まさか……アーチャーの、記憶……か?
バカな、と思う。愕然とした。
前世の自分を降霊し、前世の自分の技術を習得する魔術があるという。アーチャーと衛宮士郎は人間としての起源を同じくする故に、特例として互いの記憶を垣間見て、技術を盗むことが可能だった。
現に俺の知る『衛宮士郎』は、アーチャーとの対決の中で加速度的に成長していた。あれは、アーチャーの戦闘技能を文字通り吸収していたからであり、同時にアーチャーの記憶をも見てしまっていたからだ。
言えるのは、あんな現象が起こるのは『衛宮士郎』と英霊エミヤだけということ。両者が、厳密には別人だったとしても、緊密な関係を持っていたからこそ起こった現象なのだ。
翻るに、この俺は『衛宮士郎』ではない。自分の名前が思い出せずとも。かつての自分が何者かわからずとも。俺は俺であり、俺以外の何者でもなかった。
だからあり得ないのだ。俺がアーチャーと――英霊エミヤと共鳴し、その記憶を垣間見ることになるなんてことは。
だってこれは、エミヤシロウ同士でないとあり得ないことで。それが起こるということは……?
……いや、まさか、そんな……。
俺は……『衛宮士郎』なのか……?
「貴様は……」
エミヤが、呆然とこちらを見ていた。
愕然と、信じられないものを見た、とでも言うかのように。
何を見た? 奴は、俺の何を見た。
「先輩! どうかされたんですか?! まさかアーチャーが魔術を使って……? ……先輩! しっかりしてください、先輩!」
「マシュ……」
虚ろな目で、マシュを見る。その目に、光が戻っていく。
……俺は、誰だ。
「マシュ、俺は、誰だ?」
「先輩は先輩です。それ以外の何者でもありません」
マシュの声は、全力で俺を肯定していた。
それに、勇気付けられる。そうだ、俺は俺だ。惑わされるな、俺は全知全能じゃない。知らないことだってある。むしろ知らないことばかりだ。
今、たまたま俺の知らない現象があった。それだけだ。何も変わらない。
意思を強く持て、何度も揺らぐな、ぶれるな。大人だろうが!
「……俺は、大丈夫だ。俺が俺である『証』は、ちゃんと俺の自我を証明しているはずだ。だから、大丈夫」
自分に言い聞かせる。そう、問題はない。
ふぅ、と息を吐き出し、アーチャーと相対する。
「ふざけるな……」
「……なに?」
「ふざけるな……! 衛宮士郎! 貴様はこれまで何をして生きてきた!?」
突如、アーチャーが激昂した。訳がわからない。いきなりどうしたと言うのだ。
マシュが警戒して前に出る。マシュの認識ではこのアーチャーはエミヤシロウでも、自分のマスターに怪しげな魔術を使ったかもしれない相手なのだ。警戒するな、という方が無理な相談である。
だが、そんなことなど気にもせず、アーチャーは握り締めた拳を震わせて、激情に歪む顔を隠しもせず、歯を剥いて吠え立てた。
「答えろ、貴様はどんな生涯を辿ってきた?!」
「……何を突然。答える義理はないな」
「なんだあれは。なんだそれは。そんな……そんな簡単に……貴様は……貴様が!?」
錯乱したような有り様だった。あの、英霊エミヤがだ。
(ありがとう、お兄さん!)
(いや、助かった。若いのによくやるねえ)
(ねえ、ねえ! シロウ兄ちゃん! この間話してくれたヒーローの話聞かせてくれよ!)
(助けて! 助けてください! シロウさん、うちの娘が、化け物に拐われて!)
(いやぁ! 助けてよ、シロウさん!)
(助けに来てくれたの……? こんな、化け物の根城まで? ……ありがと)
(美味しい! なにこれ! すっごく美味しいよ!)
(僕たち、シロウさんに出会えてよかった!)
(ありがとう)
(ありがとう!)
『ありがとう!』
「なんだ、これは……なぜ貴様の記憶には、こんなにも『笑顔』がある!? これではまるで……正義の味方のようではないか!?」
頭を抱えて、入ってきた記憶に苛まれるようにアーチャーが叫んだ。
血を吐くような、嫉妬に狂いそうな魂からの雄叫びだった。
それは、アニメか漫画にでも出てきそうな、ヒーローだった。かつて、エミヤシロウが思い描いた、理想の姿だった。
それが。
それを成しているのが、目の前の未熟な衛宮士郎。
アーチャーには分からなかった。何をどうすれば、あんなことになる。わからないから、叫んだのだ。
「何をバカなこと言ってる。正義の味方はお前だろうが、アーチャー」
「オレが?! オレがか!? 周りを不幸にし続けたこのオレのどこが?!」
妬ましいのはこちらの方だというのに、奴は必死に問い質してきていた。
どう考えても、正義の味方はエミヤの方であるというのに。
「俺はただ、俺のために慈善事業に手を出していただけだよ。誰かのため、なんて考えたこともない。徹頭徹尾、自己中心。所詮は偽善だ、そんなものが正義の味方なんて張れるわけないだろう」
「……今、なんと言った?」
「……俺のために生きてきたと言っただけだが」
「自分のためだと? 衛宮士郎が!?」
「そうだ、それの何が悪い」
俺は俺の生き方を選んだ。そこに恥じるものはなにもない。俺は俺のために生きている。だから、俺は俺が悔やむようなことはしないし、嫌だと思うことは一度もしてこなかった。
それだけだ。だから、他人のために死ぬまで戦い続け、死んだあとでまで人間のために戦い続けているエミヤに、俺は正直畏敬の念を覚えていたのだ。
俺にはそんなことはできない。だって、俺にとっての一番は、俺自身に他ならないのだから。
「……そうか。わかった。衛宮士郎、オレは、お前をもう未熟者とは言わん。お前はオレにとって、絶対に倒さねばならない『敵』だと認識する」
「ふん。もともと敵同士だっただろうが。何を今更」
「……そうだな。確かに、今更だ」
どこか、苦笑めいた声だった。
―― I am the bone of my sword.
「先輩! アーチャーは明らかに宝具を使おうとしています! 阻止しましょう!」
決然と唱えた文言は、魔力を宿さずとも世界に語りかける荘厳な響きを伴っていた。
その雰囲気だけで察したのだろう。マシュがそう訴えてくるも、俺は首を左右に振って、それを拒否した。
黙って見守る。それは、決して男の生き様を見届けるためなどでは断じてない。
俺は奴の固有結界を見ることに意味があるから黙っているのだ。奴もそんな打算などお見通しだろう。
だが、それでも、力で押し潰せると奴は考えている。そしてそれは正しい。エミヤが固有結界『無限の剣製』を発動すれば、今の未熟なマシュと、不出来な俺は押し負けてしまうだろう。唯一の手段は、俺も固有結界を展開して、奴と心象世界のぶつけ合い、打ち勝つことだけ。
エミヤが望んでいるのはそれだろう。自分の世界で、俺の世界に勝つ。そうしてこその勝利だ。
だが――
――So as I pray, unlimited blade works.
詠唱が完成する。紅蓮が走る。世界が広がり、世界が侵食されていく。
見上げれば、緋色の空。無限の剣が突き立つ紅の丘。
空の中で巨大な歯車が回っている。その枯渇した威容がエミヤの心象を物語っていた。
「――固有結界、無限の剣製。やれやれ、俺には一生を掛けてもこんなに宝具を貯蔵したりはできないな」
苦笑する。周囲を見渡して改めて、格の違いというものを思い知った。
どれだけ戦い続けて来たのか。何もかもを犠牲にして、理想のために歩み続けてきた男の結実がこれか。
盗み見た己の矮小さ、卑小さが滑稽ですらある。
「どうした、見ただけで戦意を喪失したのか、衛宮士郎」
「まさか」
試すような言葉に、俺は失笑した。
俺の辞書に諦めるという言葉は載っていない。
そして、勝算もなく敵の切り札の発動を許すほどおろかでもない。
「――卑怯だと思うか? なら、それがお前の敗因だ」
「なに?」
俺は、言った。
気配を遮断したまま、エミヤの背後にまで迫っていたサーヴァントに。
「やれ、アサシン。宝具展開しろ」
エミヤは直前になって気づいた。固有時制御によって体内時間を遅延させて潜伏していた状態を解き、攻撃体勢に入ったがゆえに気配遮断が甘くなった第三者に。
「な――」
「時のある間に薔薇を摘め」
そして。敏捷A+ランクのアサシンが、三倍の速度で奇襲を仕掛けてきて、それを防げるだけの直感を、彼は持っていなかった。
見るも無惨な、芸術的な奇襲。
急所を狙った弾丸の洗礼を、腕を犠牲に防いだエミヤに。
容赦なくトドメのため、彼の起源を利用して作成されたナイフを投げ放つ。
心臓に直撃を食らったエミヤは、その暗殺者の面貌に、驚愕のあまり目を見開いたまま――固有結界を崩壊させ、物も言えぬまま消滅していった。
「――お見事、暗殺者」
「そちらこそ、我が主人」
面白味もなく、アサシンは己の戦果を誇りもしなかった。
ページ上へ戻る