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人理を守れ、エミヤさん!

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帰郷しちゃった士郎くん!




 ――必死の表情で、彼はこの手を掴んでいた。

 腰から下が瓦礫に押し潰され、もう幾ばくの時も残されていないようなわたしを助けようと。
 自分だって、今にも死んでしまいそうなのに。自分以外に生きてる人を、懸命に探していた。

 わたしがまだ生きているのを見つけると、とても嬉しそうに目を輝かせて。まるで、助けられたのが自分の方であるかのような、そんな顔をして。
 その様が、あまりにも綺麗だったから。もう、わたしのことなんて放っておいて、貴方だけでも生きてほしいと強く思った。

「先輩。――わたし、死にたくありません。こわい、です」

 ――なのに。わたしは、そんなばかなことを訴えてしまっていた。

 エミヤ先輩は、血塗れの顔で、ギチギチと鋼の剣を擦り合わせたような音を出しながら、それでもはっきりわかるぐらい微笑んでくれた。
 きっと、わたしの声は聞こえていないだろうに、喋る余力もないくせに、彼はわたしを安心させようと力強くうなずき、わたしを抱き上げて歩き始めていた。

 嗚呼。わたしは今、安堵してしまっていた。命を救われるよりも、心を救済された。
 彼と接した時間は短いけど、なによりも色づいた鮮烈なものだったと思う。エミヤ先輩とのふれあいが、わたしにはどれほどありがたいものだったのか、今にしてようやくわかった。
 未練だ。まだ生きていたいと思ってしまった。だから情けなく、誰より大切なエミヤ先輩に縋ってしまって。……そんな駄目なわたしを、先輩は当たり前のように助けてくれようとした。

 レイシフトが始まる。

 炎に焼かれながら、煤と熱からわたしを守ってくれる人がいる。それは、なんて幸福なことなのだろう。
 わたしはもう死ぬのだろう。体の半分が潰れても、生きていられる人間はそんなにいない。そんなことは先輩も理解しているだろうに。先輩は、わたしを安心させようと、声のない励ましを何度もくれた。
 炎に包まれ、熱いはずなのに。
 そんなものより、心の方が暖かかった。
 わたしを抱き締めて。辛いものから守ってくれる。そんな、庇護者のような尊い人。
 だけど、そんな人も、すぐに死んでしまうだろう。わたしよりも、よっぽどひどい状態だったのをわたしは見てしまっていた。

 死なせたくない。この人を、死なせてはいけない。

 心がそう叫んでいた。この人を守りたいと思った。そう思うことは、ひどく傲慢なことなのだろう。それでも、思うことは止められなかった。
 先輩の手の大きさ、わたしを守るために見せる笑顔を、わたしはきっと忘れない。瞼に焼き付いた光景にどこまでも救われたから。
 レイシフトした先で、先輩は無事ではいられないだろう。彼を助けたい、守りたい、思いだけが膨らんでいく。

 なんてこと。わたしは、無力だ。今は、それがとても口惜しい。















 ――懐かしい景色だ。

 焦土と化し、尚も炎上する汚染された都市、冬木。その中心の都市部にレイシフトした俺は、奇妙な感慨を抱きそうになるのを寸でで堪えた。
 意識の断絶は少なくとも自覚している限りはない。状況を把握しようとして、ふと、自身の右手に懐かしい刻印の形を見る。
 令呪。冬木でマスターをしていた頃と同一の形。それがあることに眉を顰める。……あまり良い思い出とは言えないもの、その象徴がこの令呪だった。
 自分を偽っていたあの頃。頑なに衛宮士郎を演じ、生き抜いた約十年間の闘争期間。……俺は、衛宮士郎になってから、聖杯戦争を制覇するまでの時間、ずっと地獄のような戦争をしていたのだ。
 自分を見失わないための戦い。自分を失わないための戦い。命を懸けるよりも、あるいはずっと辛かったかもしれない。他人の生き方を投影した代償は、己のアイデンティティーの崩壊だった。もう、あんな真似はしたくないと、心から思う。

 ――唯一。あの日々の中で心が安らいだのは……。さて、いつの頃だったか。

 回想に向かい、遠退きそうになった意識を繋ぎ止める。
 奇しくも冬木に再来し、同じ形の令呪を持つ。それが、自分を『衛宮士郎』にする呪いのようで、胸くそ悪くなっていた。

「……いや、待て」

 気づく。右腕を見た。二の腕から千切れていた腕が完全に修復されている。ついで腰を見た。こちらも同様。見た目だけなら正常だ。
 解析する。完治はしていない、しかし確実に死の危機から遠ざかっていた。なぜだと考えそうになって、はたと思い至った。
 なぜ令呪が俺にある? いや、そうじゃない。令呪があるということは、つまり俺はマスターになってしまっているということ。そしてマスターにはサーヴァントが付いているものだ。

「――先輩」

 背後から、声。気づかなかったのがどうかしているほど強大な魔力を内包した気配だった。自らの迂闊さを内心罵りながら振り向くと、そこには。

「……マシュ……?」
「はい。貴方のデミ・サーヴァント、シールダー。マシュ・キリエライトです、先輩」

 漆黒の鎧に、身の丈以上の巨大な盾。華奢な体躯にはあまりに不釣り合いで、しかしその凛とした雰囲気と完璧に調和した武装形態だった。
 それはマシュだった。見間違うことはあり得ない。彼女がサーヴァント化していることに対する驚きは、ああ、そういえばそうだったか、という納得によって消えていた。
 ――そうか。彼女が、グランド・オーダーを旅するサーヴァントだったのか。

 マシュが心配そうにこちらを覗き込んできた。

「先輩? 大丈夫ですか? 傷が痛みますか?」
「……完治はしていないが、行動に支障はない。ひとまずは問題ないはずだ。それよりマシュはどうだ? 見たところ怪我は治っているようだが」
「はい。デミ・サーヴァント化したためか、わたしに異変は見られません。むしろ、すこぶる調子が良いです」
「それは重畳だが……もしカルデアが無事なら、ロマニにメディカル・チェックして貰わないとな」
「そうですね。先輩も、きちんとした治療を受けないといけません。そのために、」
「ああ。なんとかカルデアと連絡をとらないとな」

 地獄のような赤景色。花の代わりに咲くのは炎。大気に満ちる汚染された呪いの風。
 最悪の景色は、しかし見慣れている。冬木で、海外を回る中で見つけた死都で、もう見飽きてしまった。
 カルデアは無事なのか。――無事だと信じる。少なくとも、ロマニだけは俺を信頼してくれていた。俺の言葉を蔑ろにはしていないはずで、あの万能の天才ダヴィンチにもテロへの警戒は促していた。カルデアを爆破した犯人が誰かは知らないが、犯人が警戒意識を持っているダヴィンチを出し抜ける可能性は低いはずだ。
 少なくとも、最悪の事態にはなっていない確証はある。レイシフトした俺とマシュが無事な時点で、カルデアは壊滅していない。施設や観測スタッフがいなくなってしまえば、俺とマシュは意味消失しとっくに消え去ってしまっているだろう。

 両目に強化の魔術を叩き込み、見晴らしの悪い周囲を見渡す。こんな混迷とした状況だ、まず第一に身の安全を確保しないといけない。

 すると、北の方角から骸骨――竜牙兵が群れとなってこちらを目指しているのを見つけた。
 数は十。斧や剣、槍などで武装した蜥蜴頭と二足歩行の獣戦士の姿もある。こちらは合わせて五体。
 マシュも気づいた。デミ・サーヴァント化しているせいか、気配探知能力も高まっているらしい。こちらに警戒を促し俺の前に出ようとするより先に、俺は詠唱していた。

投影開始(トレース・オン)

 手には黒い洋弓。狙撃の経験を積むにつれ、自身に最適なモデルを一から作成した、宝具の射出にも耐える渾身の一作。投影するのに一呼吸もかからない。夫婦剣・干将莫耶と同じぐらい使い込んだもの。

 矢継ぎ早に矢をつがえ、十五本打ち放つ。

 狙ってはいない。だが当たる(・・・)。その確信は、十五体の敵性体が全て沈黙したことで証明された。
 目を白黒させてこちらを見るマシュに、微笑みかける。

「どうだ。俺もやるものだろう」
「確かにすごいです。……でも、先輩は怪我人なんですから、無茶だけはしないでください。戦闘はわたしが請け負います」
「ああ、頼りにさせてもらう。だが俺も、守られるだけの男じゃない。――女の子の背中に隠れてなにもしない男など、死んでしまえば良い。俺はそう思う。せめて援護ぐらいはするから、背中は任せてくれて良いぞ、マシュ」
「――はい。心強いです、マスター。わたしを、守ってください。わたしは先輩を守ります」
「よろしく頼む。……行こう。ここは危ない。落ち着ける場所を探し、そこでカルデアとの通信を試みる」
「はい」

 俺とマシュの間には、霊的な繋がりがある。一組のマスターとサーヴァントになった証拠だ。
 俺の体が癒えつつあるのは、何かの拍子に彼女と融合したらしい英霊の持つ加護の力だろうか。

 マシュがなぜデミ・サーヴァントになったのか。それについての疑問はある。
 しかし今はそれを追求しても意味はなかった。とにかく、生き残ることが先決で。それは、俺の得意分野だった。



 
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