Secret Garden ~小さな箱庭~
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『忘れられた人々編 』
世界名"ミトラスフィリア"
"創造主???"が創りあげた無数ある世界の一つ
世界の中心に佇む巨木の枝葉の世界が一つ。
創造主の子あり、人々の正の感情から生まれし"女神ナーガ"が支配する世界。人々は女神を信仰し、女神は人々の信仰心を力の糧とし、世界へ恩恵を授けていた――はずだった。
――女神歴:六百二十五年 貧困時代
「今年も不作だったか……」
枯れてひび割れた台地を見渡すと男は、はあと大きな溜息をつき、首に括っている紐から肩へさげて麦わら帽子を頭に乗せ照り返す日差しを避ける。
しゃがみ込み足元に生えた枯れた草花に手を添える。それだけの衝撃で枯れた草花は塵となり、風に吹かれ飛んで行く。その様をぼうっと見つめ男はもう一度はあと大きな溜息をを吐いた。
神が人を見放したのが先だったか。
人が神を見放したのが先だったか。
女神の加護を受け自然豊かで実りに溢れて、作物の恩恵に扱っていたのはもはや過去の話。
「……今回も不漁だな」
船を沈没させようと荒れ狂う海の上、何も入っていない水槽を見つめ漁師の男は重くはあと溜息を吐いた。飽きずに毎日毎日網を投げ続けているが小魚一匹たりとも獲れたためしがない、それは釣りでも同じこと。
神が人を見放したのが先だったか。
人が神を見放したのが先だったか。
女神の加護を受け海の幸に恵まれていたのはもはや過去の話。
今では黒く濁り死んだ魚が浮いている荒れた海では生きた新鮮な魚を獲る事など夢のまた夢。そんな事出来るはずもなかった。
見放したのは神か人か。
世界は残酷だ。と、誰かが言った。確かにその通りだろう、人の命と時間だけは皆平等にあると言われているが実際は不平等なものである。
「けほっけほっ」
可愛らしい熊のぬいぐるみが枕元に置かれたベットの上でうずくまり苦し気な咳をする一人の童。まき散らさないようにと口を押さえた手には血飛沫が付いている。吐血だ。咳と一緒に出てしまったのだろう。咳をするたびに白銀色の髪が揺れ動き、毛先が閉じた目に重なり入るのが痛いからと払えば、毛先は真っ赤な血で汚れてしまう。
ガタガタと騒がしい音が部屋の外から聞こえ、バタンッと勢いよくドアが開かられた。
「ヨナ! 大丈夫!?」
動揺しきっているのは童と同じ白銀色の髪をした少年だ。おろおろと慌てふためいている事から彼は童の近しい人物だと思われる。少年はすぐさま童の傍に駆け寄ると、身体を抱き起し背中をさすってった。それで少しは楽になってくれたんだろうか、童ははにかみ。
「うん……ちょっと咳が……でただけ……だから」
大丈夫だよ……お兄ちゃんと言葉を続けた。
兄と呼ばれた少年の顔はまだ晴れない。どんよりとした曇り空のように童を心配そうな顔で見つめ、背中をさすり続け幼い子供に言い聞かせるように優しく丁寧に言う。
「そ、そう? でも無理しちゃ駄目だよ?」
「うん……わかってる……ヨナは……だいじょうぶだからね?」
「……うん」
だがこの兄妹の上下関係は妹の方が上のようだ。兄はこれ以上何かを言うのは諦め、血で汚れた手のひらと髪の毛先をタオルで拭き取ってあげた。拭き取る際妹は「くすぐったいよ」と言っていたが、ちゃんと拭き取らないと後でかぴかぴになって大変なことになるよ? と、言い聞かせちゃんと綺麗に拭き取った。自慢の透き通るような白い肌が赤黒く変色した姿など兄として見たくないから。
拭き終われは妹は満足したように布団の中へと戻って行く、ベットの中だけが彼女の居場所だからだ。
(やっぱり今日はヨナの傍に居てあげた方が……)
心の葛藤。今日は村の住人から仕事を手伝って欲しいと頼みごとをされてた日。だがこんな状態の妹を一人家に置いて出かけると言うのも……兄は勇気を振り絞って妹に訊いて見ることにした。
「ヨナ……やっぱり僕……」
今日はずっと家にいるよ。そう言いかけた桃色の唇は小枝のように細く小さな指が制した。はんなりと笑う犯人に対して困った兄は表情で固まり首をかしげる。妹は諭すように言った。
「お兄ちゃんが行かなきゃ、みんなが困っちゃうでしょ?」
「それはそうだけど……」
もごもごとまだ何か言いたそうにする兄を妹は許さない。今度は小さな手を使って口を塞いできたのだ。これではもう喋ることが出来ない、兄の完敗だ。降参だよ、両手をあげれば妹は満足そうな笑みを浮かべ手を離しまた布団の中へとしまいこむのを確認すると兄は立ち上がりドアの方へと歩き出し、
「行ってくるね」
「いってらっしゃい」
「すぐに帰って来るからっ」
もう一度妹の可愛い笑顔を見て、彼女がこくりと小さく頷くのを確認してから部屋を出て静かにドアを閉めた。
二人に両親はいない。妹が生まれて間もなく二人の目の前から姿を消したからだ。兄弟共に両親との思い出は殆ど残っていない。兄が覚えているのは父の大きな手のひらに頭を撫でられた事、妹を産んだ母から妹を受け取り「今日から貴方がお兄ちゃんよ」と言われた事の二つだけ。
何故二人の前から両親が消えたのか誰も知らない。いつ帰って来るのかもわからない。生きているのかさえもわからない。
それでも兄妹は待ち続ける。両親が二人の前に帰って来るその日を夢見て待ち続けるのだ。
この人々から忘れ去られ地図からも消されてしまった村で――。
†
鶏のトサカを彷彿とさせる前髪をした男児にしては細い身体に背の低い兄の方――名はルシア。
妹の手編みの首まである温かい鼠色のセーターを着込み、腰にベルトを巻きそれを通して左側に下げているのは、居なくなった父が唯一残していった形見の品である"宝剣リリース"をぶら下げている。
白い鞘に海の波のような青白い模様が描かれ、柄の部分には希少価値の高い"アウイナイト"が埋め込まれている。
「おー、ルシアかー」
「こんにちは、ヤッカルおじさん」
「お前さんは今日も元気なさそうだなー」
鍬を振り上げた男はカッカッと大口開けて笑う。頭に乗せた紐付きの麦わら帽子を被り直すと、肩に下げているのは銭湯の模様が描かれたタオルで額の汗を拭く。
「今日もあちぃなー」
上はパーカーで下はダルダルのズボンに足元は長靴の動きやすい恰好をしている中年男は大口を開けて大笑い。ルシアも愛想笑いをする。
「……今年も駄目だったんですね」
目の前に広がる枯れ果てた台地を見つめ溜息混じりに呟いた。
この村ではもう何年も作物が出来た事がない。どんなに畑を起こしても、良いとされる肥料を撒いても、、死んでしまった台地は蘇がえらない。
「おう。今年もからっきしよ」
農業を生業としている農家の男はケロッとした表情で明るく答えた。もう何十年もやり続けていても駄目なのだ、もはや開き直るしかない。
「そういやー。ルシア、ヨナちゃんの具合はどんなだ?」
「……あまり良くはないです」
「そっかー」
ルシアの妹ヨナは齢八ながらにして重い大病を患っている。
女神の加護を受けられなくなったのと同じ、丁度百年前から流行り始めた謎の病。
罹った者は変な苦し気な咳をし始め、狂ったように発狂したり、化け物のような呻き声をあげ、のたうち回り苦しんだ後、奇声をあげ死に至るという恐ろしい病。
病の事は各国あげて研究されているが未だその解明には至ってはいない。治療方法も発見されず、苦しむ患者にしてあげれることは只傍で見守ってあげる事のみ。
咳をしたなら背中をさすり、寝具の上から出られない彼らの身の回りの世話をしてあげることしか出来ない。
未来ある子供達も、これからの大人達も、まだまだこれからの老人達も、関係なく襲い掛かり全ての光を奪い闇中へ引きずり込む事から人々は"闇病"と呼ぶようになっていった。
「じゃあルシア、お前さんが頑張って稼いで来ないといけねーな!
お前がだけがこの村の頼りでもあるしな。お前に倒れらちゃ、この村は終わりだぜ!」
ガハハハッと大きな口を広げ笑う農家の男はルシアの小さな背中を丸太程に太い大きな腕で叩く。
村一番の狩人のルシアは数少ない村の外に出る事を許された存在である。ルシア達兄妹を入れて三十人程しかいないこの村の殆どはあまり身動きが取れないお年寄りばかりで、働き盛りの若者と言えばルシアくらいしか思い浮かばない。
彼の頼みごとをされると断ることが出来ない性格も禍してか、
「じゃあ今日は西の草原で放牧しているヨッカルの手伝いをして来てくれー。
こんなあっちぃ日に、お天道様の直射日光なんて浴びちまったりしたら真っ黒焦げになっちまうよっ」
豪快に笑うただの面倒くさがりの頼みごとを
「ええ、いいですよ」
何も考えず二つ返事で引き受けてしまう程の村一番のお人好しは良いようにこき使われる。
そもそも此処へ来るように呼んだのは面倒くさがりだ。だが自分にされや頼みごとが面倒になり、仕事はルシアへなすりつけて昼間から酒場に入り浸ろうという魂胆なのだろう。
そのことを知ってか、知らずかルシアはニコニコした笑顔で面倒くさがりの男に手を振る。そして丘の上にある西の草原へと歩き出した。
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