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和-Ai-の碁 チート人工知能がネット碁で無双する

作者:笠福京世
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第二部 北斗杯編(奈瀬明日美ENDルート)
  第11話 炎上案件

H13年7月後半

 独りっきりの休日に神田にある明治創業の老舗洋菓子店の苺のショートケーキを食べ終える。
 パソコンを操作しながら、ずっしりとした重量感のあるシュークリームを手に取る。どこか懐かしい味がする。

 先日「出会ったときに比べて少し太ったね」と奈瀬に指摘された。自覚もある。
 僕はストレスを感じた後に過食に走るタイプだ。社会人のときに経験がある。
 この世界に来てからの趣味が美味しいものを食べるくらいしかない。

 世界が変わっても美味しいものは変わらない。

 Aiがネット碁でsaiとtoya koyoを打ち負かしても何一つ変化が無い日々が続く。

 藤原佐為や塔矢行洋と戦えば何かが変わるなんて所詮は思い込みだった。

 ありとあらゆる棋士に喧嘩を売っても何も変わらないのだろう……後は壊すだけ。

 僕が知ってるヒカルの碁という物語は来年開催の北斗杯で終わる。終われば帰れるのか保証はない。

 その帰れる保証というのが無いからこそ、僕は大学には真面目に通っている。気が付けば大学も3年生だ。3年生になるとインターンとかが始まる。来年は就職活動だ。卒業は問題なくできる。

 就職といえば僕は日本企業で正社員として働いたことがない。たぶんだけど外資は閉鎖的な日本企業とはスピード感や組織の構造が違う。
 北斗通信システムでも感じたがアクションを起こすまで上の人の了承を取って、決済を取って……と仕事の進め方の手順、稟議を通すことや周囲を納得させることが日本企業では重視されてるような気がする。

 僕が以前に働いていた環境はトップダウンで突然命令が降ってきて、その対応はフラットな組織の中で個人の裁量で自由にさせてもらえる分、利益というか手順なんかより結果・成果を素早く出すことが第一に重視される。

 この働く感覚の違いが分かってなくって、北斗通信システムではスピーディに物事を進め過ぎた為に「俺を抜かして上に話をするのか?」みたいなことが起こって戸刈さんに迷惑をかけた。

 どちらかといえば中国企業で働いてると社内のことよりも周囲からの偏見とか対外的な問題で苦労した記憶がある。いちおう香港証券取引所に上場してる世界的な企業なんだけど年配の方で知らない人は本当に知らない。「そんな企業で大丈夫か?」「潰れないの?」とか言われる。
 以前にある日本の経済紙が世界的な半導体メーカーである米国の企業を「謎の半導体メーカー」呼ばわりしたことがあったけど業界を知らない一般の人たちからすると、そういう世界かもしれない。

 たぶん世界は加速度的に変化しているけど、何処かで過去のまま時間が止まってる人たちがいる。

 この世界を生きている今の僕がそんな感じだ。

 だからこそ、この世界で企業に就職して働くという気が起きない。

 というか、この世界の社会的な常識が若干欠けているというのもある。

 公共放送はNHNだし、重大事件・事故が起こっても番組編成を変えない民放はさくらテレビだ。
 日本一賢い大学は東大こと東応大学らしい。
 北斗通信システムでアルバイトしてた時もヨツバグループという大企業の名を知らなくて恥をかいた。
 遊栄社の週刊少年ジャックではヒカ碁は連載されていないが海賊王と忍ぶ気ゼロの忍者漫画は連載されてる。

 ほんとにわけがわからないよ。

 あと微妙にヘンなジェネレーションギャップをずっと感じている。というか僕は正しくいうなら若返ってなんかいなくて、年を取っている。

 本来なら僕はヒカルやアキラと同い年のはずだ。

 だって僕がヒカルの碁の漫画を友達が毎週買ってたジャンプで読んだのは中学生のときで……。
 彼女-桐嶋和-がTVアニメの再放送でヒカルの碁に出会ったのは中1のときだと言ってた。
 僕がプロ棋士になった彼女に出会ったのが大学4年のときで……そうあれはH20年だった。
 そして彼女が天元に挑戦したのが、その10年後――。

 突然、フラッシュバックが起こる。この世界に独りやってきたときの虚無感。

 彼女を探し続けて、この世界に彼女に関わる痕跡が一切ないと知ったときの絶望感。

 つらい記憶、恐怖だけでなく、苦痛、怒り、哀しみ、無力感…様々な感情がよみがえる。

 この世界に来て、どこか神経が張りつめていて休まるときが殆どない。

 そして帰り道を探しながらも、このつらい記憶を呼び起こす状況や場面をできるだけ避けようとしてる。

 楽観的にあまり深く考えず、きっと帰れるとだけ信じて……行動してきた。

 この世界に来て1年間くらいは仕送りを貰いながらアルバイトをしてたけど、満20歳になって証券口座を開設してからデイトレまがいのことをやっていた。
 知識としてITバブルが起こったのは知っていたのでその波に乗った。崩壊することも分かっていたので売り抜けることにも成功した。

 昔は投資担当の仕事をしていたので、情報の収集・選別や事業・財務面の現状分析とシナリオ分析などは手馴れてものだが、事業投資と個人投資は違うし自分の性格がデイトレに向いていないことも分かってた。
 社会人になって株式投資を始めた頃は株価の変動に一喜一憂する日々が続いて仕事に手が付かなかったことを覚えてる。けど今は明らかに何処か感覚が麻痺している。何処かで自分の資産に無頓着というか博打まがいの大胆な売り買いができた。

 この世界との乖離が、僕を麻痺させる。今年の9月11日は米国でテロが起こるのだろうか?
 そしたら10年後の3月11日には東日本で大震災が起こるのだろうか――。

 だから、この非現実な現実から逃避するように自分の資産を動かせる。けど遊戯感覚で短期投資を続けるのは限界でヒカルが通ってたネット喫茶に置いてあった林檎の印のコンピュータ会社や密林とか呼ばれている米国のECサイトの会社の株とかを長期保有の資産へと変える予定だ。林檎が1株14.5ドル。密林の株価も1株6ドル未満で買える時代。

 語学力なんて使わなければすぐに衰えるし、仕事だって忘れていく……。

 色んなことを一つ一つ真面目に考えていくと恐ろしい。だから深く考えないようにする。

 奈瀬に吐き出したこと、奈瀬から伝えられた想い。

 お互いにすれ違っているけど……どうしようもなくて外飲み派だけど最近は自宅で独りお酒を飲んでしまうことが増えた。

 そういえば和-Ai-と緒方先生と塔矢先生の対局が終わってから、やたら和-Ai-のホームページに韓国語で書かれたメールが大量に送られてくるようになった。
 僕は韓国語はさっぱりだし、韓国語ができる楊海に和-Ai-に宛てられたメールの翻訳を頼むわけにはいかない。

 そこで楊海に韓国で和-Ai-が大きく話題になってるみたいだけど何か知らないか聞いてみた。

 すると――

・ある韓国のタイトル戦がネットで大々的に宣伝されて中継された
・緒方先生、塔矢先生とAiがネット碁で対局した日がその中継日と被る
・誰かがタイトル戦の対局よりAiとの対局の方が素晴らしいと発言し広がる
・ネット碁のファンはAiの棋譜を絶賛し、タイトル戦の棋譜をネット碁にも劣ると批判→炎上
・韓国棋院のお偉いさんとタイトル戦のスポンサーは恥をかかされて激怒しているらしい

 しかも韓国人の囲碁愛好家の一部は、和-Ai-のホームページが日中英の三カ国語対応で韓国語に対応してないことについて怒っているらしい。
 
 90年代以降あらゆる世界棋戦で好成績を挙げ、いまや世界最強の囲碁勢力となった韓国を無視する和-Ai-の存在が気に入らない。韓国を無視してインターネット最強の碁打ちを名乗るなど笑止千万らしい。

 いや知らんがな。おまけに謝罪しろとか言われても……。

 というかAiは安太善や韓国のプロ棋士とも対局したって緒方先生から聞いたこともあるし、チャットやメールは日中韓とか関係なくすべからず無視してる。

 あまりにも自意識過剰じゃないか?

 事情が分かると粘着してる気持ち悪いヤツがいることに気づく。

 しかも憶測であらぬことを無責任に掻き立てては広めている。

 過去のトラウマを思い返す。

 彼女-桐嶋和-が女流タイトルを返上したとき、随分とネットで叩かれた。

 女の癖にとか、弱いくせに、生意気だ……etc.

 文句や愚痴など匿名で罵詈雑言を並べる輩に対して僕は彼女以上に過敏な反応していた。

 酔いの勢いもあったのだろう。碁チャンネルの国際板でやってしまった。


>ネットの世界に生きる“電子の妖精”だけど何か質問ある?(英語)

 いくつかの質問に酔った勢いで答えていく。
 当然ながらホンモノかと問われたので、回答変わりに和-Ai-のホームページを更新する。


「自分たちが囲碁界の中心だと思うのは私に勝ってからにして下さい。」(韓国語)


 その一文による大炎上が想定を超えた騒動を引き起こすことになる。 
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