止められない
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第三章
「豊臣を差し置いて」
「それでどうもです」
「当家には恭順を言われているとか」
「どうやら」
「その様ですが」
「天下人は豊臣じゃ」
茶々はあくまでと言った。
「それは変わらぬ、拾こそがじゃ」
「それは」
天下の流れを見てだ、どうかという者達もいた。しかし茶々が拾即ち秀頼の母であり勘気の強い気質のことからも言えなかった。
そしてだ、茶々はさらに言ったのだった。
「このこと認めぬ、何としてもな」
「では」
「今度は」
「内府、いや右府とは手切れじゃ」
こうまで言う始末だった、戦さえも辞さぬと。だが。
その茶々の話を聞いてだ、藤堂はまた言った。
「ああなることはな」
「もう、ですな」
「殿としては」
「関ヶ原の前に我等にお話して下さいましたが」
「既に」
「わかったおった」
嘆息しての言葉だった。
「あの方はそうした方じゃ」
「もう天下は決まったというのに」
「徳川家のものに」
「しかしそれを理解されず」
「そして、ですな」
「ああしてじゃ」
まさにというのだ。
「無闇に騒がれる」
「そして、ですな」
「そのうえでかえって」
「ご自身を」
「そうなる、おそらくお拾様と千姫様のご成婚はなるが」
しかしというのだ。
「あの方は常に騒がれるぞ」
「そして誰もそれを止められぬ」
「その騒ぐ茶々様を」
「そうなるのですな」
「うむ、これからもな」
藤堂は言った、そして実際にだった。
秀頼と家康の孫娘千姫の婚姻は成ったがそれでもだった、茶々が実質的に豊臣家の主であり続けてだった。
とかく家康の政とは反対の政を執った、幕府の命に従おうとしない。家康もそれを見て藤堂が駿府城に来た時に言った。
「大坂に人はおらぬな」
「はい、最早」
藤堂は家康に答えた。
「あちらには」
「あれではわしが何もせずともじゃ」
「自身から」
「そうなる」
まさにというのだった。
「どうにもならぬわ」
「そうなりますな」
「わしとしてもな」
家康は藤堂に彼の考えを話した。
「豊臣家には臣従を求めておるが」
「お取り潰しまでは」
「考えておらぬ、戦がなく取り込めれば何よりじゃ」
豊臣家をというのだ。
「要は大坂さえ手に入れればよい」
「大坂ですか」
「そうじゃ、大坂を手に入れればな」
「豊臣家にしましても」
「何の力もなくなる」
大坂城から出してしまえばというのだ。
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