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Element Magic Trinity

作者:緋色の空
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そうして君は泣いていた


夢を、見ていた。











「ほらルー、こっちよ!」

朗らかな声が、僕を呼んでいる。大きく手を振って、ぴょんぴょんと跳ねて。
後ろにある夕陽のせいで、顔は見えない。眩しくて思わず顔を逸らすけど、しばらくしてからゆっくりと前を向く。
手を振ったその子が駆け寄ってきて、僕の手を取った。

「もう、ルーってばのんびり屋さんなんだから。置いて行っちゃうわよ?」

それは嫌だな、と思った。この子に置いて行かれるのは嫌だと、そう思う理由も解らないままに。
そう思ったのが顔に出ていたのか、近くにあるのによく見えない顔が笑う。

「なんて、冗談よ。あたしがルーを置いて行く訳ないでしょう?」

そうだね、と、僕の唇が動いていた。僕の耳にその声は聞こえなかったけれど、目の前のその子は満足そうに頷く。
どうしてだろう。この距離なら、いくら太陽が眩しくたってちゃんと顔が見えるはずなのに。なのに、どうしてこの子の顔は見えないんだろう。繋がれた手から温度は感じるのに、そこには誰もいないとほんの少しでも思っちゃうんだろう。
ねえ、解らないよ。解らないんだ。君の顔も、君がどうしてここにいるのかも、どうして僕の手を取るのかも。馬鹿だから、解らないよ。

「……ねえ、ルー」

いつの間にか隣に立っていたその子は、笑ったまま言う。

「あたし達、ずっと一緒にいようね」

――――君の事も、僕の事も、解らない事だらけだけど。
一つだけ、言える事があった。言わなきゃいけないって思って、だから。







ごめんなさい、××。
僕は、君との約束を守れなかった。



あの頃は頷けた約束に、僕はもう、二度と―――――。










はっと目を覚ます。頭の片隅を、オレンジ色が横切った気がした。
遠くでけたたましく鳴る目覚ましの音を聞きながら、寝たまま壁掛け時計に目をやる。短針が七を、長針が三と四の間を指しているのをぼんやりと見つめたまま、大きく息を吐いた。

「…解ってた、はずなんだけどな」

誰に言う訳でもなく呟いて、体を起こす。寝間着代わりのよれたTシャツが肩からずり落ちそうなのを直しつつ、静かに目を伏せた。
こんな顔、らしくない。ギルドでこんな顔をしていたら、皆に心配されてしまう。こんな、物思いに耽るような、愁いを帯びた顔なんて。

「……よし!」

ぱん、と頬を叩く。体の中のスイッチを一気に入れて、いつものルーレギオス・シュトラスキーを取り戻す。キャラを作るのは苦手だけれど、誰かを心配させない為に欺くのは、昔から大得意だった。
いそいそとベッドを出て、ぐっと伸びをする。今も家中に鳴り響く目覚まし時計を早く止めないと、寝惚けたアルカがうっかり触れてしまうかもしれない。そうなると彼は凄く落ち込んでしまうから、早くしなければ。
そう、らしくなく愁いている暇なんてないのだ。いつものように、底抜けに明るくなれ。

「待っててアルカー!今行くからねー!」

きっともう起きているアルカに向けて、目覚ましの音に負けない大声で叫んだ。









「ルーシィ―――――!」
「ちょっ」

名前を呼ばれた、というか叫ばれた、と思って振り返る間もなく飛びつかれる。周囲からは「いつもの事か」とか「朝っぱらからお熱いねえ」とか、そんな感想が向けられるが、ルーにとっては知った事ではないらしい。
背後から襲撃してきた彼は、そのまま腹の辺りに腕を回してぎゅっと抱きしめてくる。向かいの彼女がぴくりと眉を上げたが、気にした様子はない。

「おはようっ、今日も大好きー!」
「そ、そう……おはよう、ルー」
「うんっ」

頬に熱が集中する。背後から包み込むように抱きしめられているのが原因か、それとも剥き出しの肩に顎を乗せた上で、しかも耳元で喋っている事か。多分どっちもだろう。
挨拶を済ませたルーはするりと腕を解いて、当たり前のように隣に座る。通りがかったウエイトレスにアイスココアを注文して、渋い顔をした向かいに声をかけた。

「珍しいね、ティアがルーシィと相席してるなんて。何かあったの?」
「…今の今まで何とも思ってなかったけど、真正面でそれやられると鬱陶しいわ」

質問の答えになっていない。かといってそれをティアに言うのは気が引けるのか、じっとこちらに目を向けた。こういったところでティアが説明を面倒くさがるのはいつもの事なので、代わりに答える。
 
「さっきまで読んでた本に、ちょっと古い文字があったの。レビィちゃんに聞こうかとも思ったんだけど仕事でいなくて、サルディアはまだギルドに来てなかったから」
「ああ、ティアって古代文字とか読めるもんね!」
「別に古代っていうほど古くもないわよ、ただ今じゃ使われる機会が少ないってだけ」

自分で調べれば、と突き返される事覚悟で頼んだら、意外すぎるほどあっさりと了承してくれたのには驚いた。何か裏が、と(失礼ながら)思ったりもしたが、それを問えば返って来たのは「暇潰しよ」との一言だったので、頼んだタイミングがよかったのだろう。
そのお礼にとルーシィが(「人に飲み物奢ってる場合なの?今月も家賃払えるか危ういって聞いたけど」とティアに言われながら)奢ったベリーのジュースの残りをストローで吸いきって、気だるげな青い瞳が一点を見つめる。心底面倒そうに溜息を吐いて、苛ついた様子でキレのいい舌打ちを一つ。

「そんな事より、アイツ等いつまでモメてる訳?仕事一つ決めるのにすらこんなに時間食うってどういう事よ」
「あー…まあ、うん」
「どうせどっちも討伐系なんだから、ぐだぐだ言ってないでどっちも受けりゃいいでしょうに。依頼先、然程遠くないでしょ」

こつこつと人差し指でテーブルを叩く。待たされ始めてそろそろ一時間、短気な彼女にしては持った方だろう。
ルーシィよりも後にギルドに顔を出したティアに「仕事行こうぜ!」と声をかけたのがナツで、「久しぶりにチームで、な」と念を押したのがエルザ。断る理由がなかったのか断るのが面倒だったのか了承してからかれこれ長々と待たされる原因は、まあ言うまでもない。仕事を選んでいたナツとグレイが、図ったようにぴったり同じタイミングで別々の依頼書を指して、そうなればそこから揉めて殴る蹴るの喧嘩に発展するのは当然といえば当然の事で。
片やマグノリアから徒歩でいける距離での討伐依頼、片や行き帰りに列車は必須だが前者より報酬のいい討伐依頼。付け加えて、前者をこなしてから列車で後者の依頼先に行き、終わらせてギルドに帰って来たとしても、例え仕事が長引いたって明日にはならない。その結果、前者派のナツと後者派のグレイ、もう面倒だからどっちも行けばいいじゃない派のティアと、意見は真っ二つどころか綺麗に三つに割れてしまっていた。

「…ルーシィ、今日仕事なの?」
「そろそろ家賃がね……この間の仕事でアイツ等があんなにいろいろ壊さなければ、それで今月分の家賃どうにかなったのに…」
「そっかー…」

泣き言を吐きつつ元凶の一人に目を向ければ、苺のパンケーキ(これは奢りではない)を一口口に運んだ青髪の彼女は小首を傾げる。それは思い当たる節がないといった不思議そうな動作ではなく、「私達を誘った上で報酬が丸々入ると思っていたとはおかしな奴め」とでも言いたげなそれで、口角が小さく上がっている辺り、揶揄っているのかもしれない。

「……うん、頑張ってね。もし報酬足りなかったらいつでも言って?また二人で仕事行こっ」
「うう…ごめんねルー、いつもいつも」

隣のルーがへらりと笑う。申し訳なくなりながら彼の方を向いて、いつも通りのはずのそれに少し引っかかった。
何が、と聞かれると困るのだけれど、何かが詰まるような感覚。幼くて柔らかい、見慣れた笑みがどこか遠いものに感じる。数秒にも満たない僅かな違和感に、思わずルーの顔をじっと見つめた。

「?どうかしたの、ルーシィ。僕の顔、何かついてる?」
「え?…ううん、何でもない!あ、でも寝癖はついてる」
「え、どこどこ!?」

不思議そうに首を傾げたルーにはぐらかしつつそう言えば、慌てたように髪をぺたぺたと触り出す。その姿はいつも通りの彼で、さっき感じた引っ掛かりはすっとルーシィの中に消えていった。ただの見間違い、気のせい。彼も疲れているのかもしれないからあまり頼り過ぎないように、とだけ思って。

「……ったく、いつまでモメてる気よアンタ達!さっさと決めなさいな、蹴り飛ばすわよ!」

我慢の限界を迎えたらしいティアが、がっと怒鳴って立ち上がった。
……その右手に魔力を集束させていたのは、きっと見間違いだろう。大海怒号(アクエリアスレイヴ)をぶっ放す気なんてない、はずである。



……まあ、予想通りというか、何というか。
きっかり三秒後、二人目がけて右手を突き出したティアを、たまたま近くにいたライアーが必死に、命の危険を感じつつも逃げずにめげずに宥めていなければ、大惨事になっていたかもしれなかった。








「行ってらっしゃい、気を付けてねー」

何だかんだと揉めに揉めて、最終的にライアーが平和的解決策として言い出したじゃんけんによって数十回のあいこの末ナツが勝ち、ようやく彼等は出発した。見送ったライアーがげっそりしているのはアランに任せるとして、振り返された手に全力で応えたルーはテーブルに戻って息を吐く。
注文したアイスココアは既に空、ルーシィは仕事、アルカは雑誌の取材がどうのこうので家を出てからは別行動。ティアもいない。話せる相手なら沢山いるし、やる事だって探せばいくらだってあるのだけれど、なんというか、そうじゃなくて。

「うーん…」

小さく唸って、額をテーブルに押し当てる。きっと今の僕は眠そうに見えるんだろうな、なんて他人事のように考えながら、崩れた思考をぱらぱらと適当に積み上げていく。
今日は調子が悪い。体調ではなく、調子が悪い。その理由は嫌というほど解っていて、だからこそ誰か、べったりくっついていても何ら違和感のない相手が、今日だけはほしかったのだけれど。

「強制は出来ないよね、っと…」

呟いて、立ち上がる。空のグラスは知らないうちに回収されていた。
傍らに置いた鞄を掴み、がやがやと喧しい中を歩く。かけられた声に手を振り返して、カウンターで談笑していたミラに声をかけた。

「ねえミラ、伝言頼んでもいいかな?」
「伝言?ええ、いいわよ」
「ありがと!あのね、アルカになんだけど、ちょっと遠出してきますって。夕飯までには帰る予定だけど、遅くなっても心配しないでねって、伝えてもらえるかな」

早く帰って来るつもりだが、念の為。ミラに伝えておけば間違いはないだろう。
手近な紙にささっと伝言をメモしたミラが「解った、伝えておくわね」と頷いたのに笑顔を返して、ルーは駆け足気味にギルドを出た。








「……」
「その、ティア…?どうかしたのか、何か悩みでも」
「ちょっと黙ってて」
「……ああ」

恐る恐る声をかけたヴィーテルシアがぴしりと固まった。コツを掴んで以降多用している青年姿の整った顔がさっと青くなって、ふるふる震えながら泣きそうに顔を歪めてこくりと頷く。一に相棒二に相棒、三四も相棒五も相棒の思考回路を持つ彼からすれば、今のはとんでもないダメージに違いない。クロスのように大袈裟すぎる程(ただし本人は至って真剣)にショックを受けている訳ではないが、恩のある相棒の世話のとにかく焼きたいヴィーテルシアからすれば、相棒の現状をどうにも出来ないのは歯痒いのだろう。

「…ダメだった」
「だ、大丈夫よ!ナツなんて声かけたら殴られてたし、返事があっただけ凄いって!ね、ハッピー」
「あ、あい!そうだよ、そんなにがっくりしなくても大丈夫だよ!」

ハッピーと二人で必死に励ますが、その肩は落ちたまま。すらりと背の高い青年姿が小さく見える。
骨の髄まで従者気質、とでもいえばいいのか、とにかく世話を焼きたいヴィーテルシアを頼ったのが間違いだったか、と思う。決してそれは彼が力不足であったとか、悪い意味ではない。ただ失敗した時に誰よりもショックを受けてしまうだろうから避けるべきだったと、今更ながらに思っただけで。

「だが…どうしたんだ?ギルドを出てからずっとああだと、流石に無視も出来ん」
「解らない…俺に解るのは、考え込んでいるが答えが見つからずに苛ついているんだろうな、くらいで……」
「え、散々待たされた事に苛ついてるんじゃないの?」
「それはないと思う。ティアは長々と苛立ちを引きずらないし、過ぎた事を思い出して苛つくなんて馬鹿らしい、とっとと忘れてしまえと言い切る奴だからな」

すす、と近づいてきたエルザも交えながら、ちらりとティアを盗み見る。
仕事がようやく決まり、見送られながらギルドを出た辺りまではよかった。それから三分もしないうちにティアの異変に流石は戦友のナツが気付き、声をかけたら無言で殴られるまでは、いつも通りだったのだ。
ギルドを出て歩き出してからもうすぐ三十分。ナツが理由も解らず殴られてからも声をかけてはみたが、邪魔するなと言わんばかりに睨まれるか、目すら向けられずに無視されるかの二択。最初は「放っておいた方がいい」と言っていたヴィーテルシアも流石にそうも言ってられなくなったらしく控えめに声をかけて、今に至る。

「ねえナツ、何か解んないの?」
「知らねえよ、アイツが苛つく事なんて……いや、アレか?それともアレか?もしかしてアレ気づかれたのか!?」
「オメーは何をどれだけやらかしてんだよ!?クロスに斬られるぞ、笑顔で」
「目が笑ってないやつだね」
「はーっはっはっは、と高笑い付きでな」
「どこまで逃げても追われ続けるんでしょ」
「逃げ切ったと思ったら、気配を消して背後に立ってるんだろうな」

言いながら、それぞれが挙げた特徴を足してみた。
……剣を構え、目が一切笑っていない笑顔で高笑いしつつどこまでも追いかけ回し、気づけば背後から「見ーつけたあ…」とにっこり笑顔で言いながらひたひたと近づいてくる妖怪もどきが出来上がってしまった。想像出来たのかナツがぶるりと身震いする。

「……ヤバくねえ?」
「そんな目に遭いたくないならさっさと謝れって事でしょ、ほらほら!」

妖怪シスコン魂(恐怖!激怒したシスコンでも可)に遭遇したくなければ、やるしかない。怒ったティアと火のついたクロスでは圧倒的に後者の方が恐ろしいのである。
いつまでもどこまでも追いかけられる事に比べれば、一回(で済むかは怪しいところだが)蹴り飛ばされる方がまだマシだ。

「な…なあ、ティア」

そろりと近づいて呼びかける。顔を少し傾けてじろりと睨まれるが、これくらいで怯んでいては彼女との付き合いなど出来やしない。
一先ず拳も足も飛んでこない事を確認して、ナツはばっと頭を下げた。

「すまねえ!あれがお前のだって知らなかったんだ!」
「…は?」
「仕事終わりで腹減ってて、そしたら置いてあったから食べちまって…今度奢るからそれでチャラって事でどうにか……」
「え、何が?何の話してるの、アンタ」
「お…お前が食べるはずだったシュークリーム、うっかり食べちまったって話」
「……?」
「こ、これじゃねえのか!?じゃ、じゃあアレか!お前が読みかけで置いといた本を落としちまって、どこに栞挟んであったか解んねえから適当なところに挟んでおいた事か!?」
「?あれはそもそも、読み切った本の適当なページに栞挟んでただけなんだけど」
「違うのか!?えーっと、じゃあ、この間の勝負で魔法ありで全力で殴りかかった事!」
「別にそんなの大した事じゃないし、結局私が避けてアンタが転んだじゃない」
「これでもねえのか!?他、他…あ、この前うっかり椅子投げた事…?」
「ああ、乱闘中のあれ?当たる前に壊したし、倍でやり返してやったでしょ」
「や、やべーぞルーシィ!どれもこれも当てはまらねえ!これじゃあクロスを回避出来ねえ!」

うわああああ、と叫びながらしゃがみ込んで頭を抱えたナツを、何してんだコイツと言いたげな目でティアが見下ろす。訳の解らない事に付き合わされた事への苛立ちか、先程までとはまた違った形でぴくりと眉が上がった。
その、先程までの苛立ちの壁が崩れかけているのを見逃さないヴィーテルシアではない。相棒の些細な変化に目を光らせ、今だと覚悟を決めて突撃する。

「ティア」
「ん?」

くるりと振り返って、問うように首を傾げる。目に見える返答に安堵しながら、地雷を踏まないように細心の注意を払いつつ問うた。

「その、何かあったのか?俺に力になれる事だろうか」
「…コイツといいアンタといい、何があった訳?」
「いや…お前が何かに苛立っているように見えてな。話してもらえれば、一緒に答えを見つけられるかもしれん」

ぐっと拳を作ってじっとこちらを見つめるヴィーテルシアの言葉にきょとんとしたティアが、傾げていた首を反対側にことりと倒す。訝しげに眉を寄せて、投げかけられた言葉の中身を漁るように暫し考えて、十数秒の後にようやく「ああ」と頷いた。

「随分解りやすく顔に出てたみたいね、私。…少し引っかかるだけよ。仕事に支障を来たすような事じゃないし、気にする事でもないわ」
「……」
「…そんな顔しないの、アンタが力不足って訳じゃないんだから……ただ、そうね」

右手を頬に添えて、ティアがちらりと目を向ける。

「ねえルーシィ。アンタ、何か気付かなかった?」
「え、あたし!?」
「そう、アンタ」

突然話を振られても、何を言えばいいのか解らない。何にどう気付いたのか否かなのかもざっくり省かれているし、そもそも観察眼の鋭いティアですら気づけない事に自分が気付ける自信もない。
真っ直ぐに青い目が見つめてくるが、解らない。首を横に振ると、「そう」と幾分か落胆した声色で、ティアが呟いた。

「今日のルー、何かおかしい気がするのよね」

その呟きに、あの引っ掛かりを話すべきか少し迷って。
気のせいだろうと片付けた事を話すのも気が引けて、ルーシィは何も言わなかった。










列車に揺られること数十分。一時間よりは短いだろうか。
一人で列車に乗ると高確率で降りる駅か乗る列車を間違えるのだが、今日は念には念をと何十回も行き先と駅名を確認したのが功を奏したらしい。ちゃんと乗るべき列車に乗り、降りたい駅で降りて、駅舎を出たルーはほっと息を吐いた。
そのまままっすぐ進み、次の角を右折。見慣れた小さな店に早足で近づくと、見知った店員がこちらに気づいてぱっと顔を明るくさせる。

「お、ルー君じゃないか!久しぶりだねえ」
「えへへ。久しぶりだね、おねーさん」
「あっはっは!お姉さんだなんて、嬉しい事言ってくれるじゃないの!もうねー、うちの旦那なんてやれ老けただの何だのってねえ」
「えー?おねーさんまだ老けてないよ?そりゃー生きてるし老いはするけど、まだまだ若いって!」

うろ覚えだが、確か彼女は四十代後半くらいではなかっただろうか。ルーの中では七十路までは「おねーさん」なので社交辞令でも何でもない本心なのだが、嬉しそうに笑った店員は「ほれ、聞いたかあんた!」と奥にいるらしい夫に声をかけ、「気を遣わせるんじゃない」と返されていた。
何だかんだ言って仲のいい二人をくすくす笑いながら見ていると、つんつんと肩をつつかれる。振り返ると、これまた見知った顔がルーを見ていた。

「あ、ユキ君」

久しぶりだね、と手を振ると、花屋の一人息子は何も言わずに一つ頷いた。抱えていた花を足元のバケツに移して、二つのピンで留めた前髪を居心地悪そうに弄りつつ、「どうも」とぶっきらぼうに返される。
接客業にあるまじき無愛想さだが、ルーは彼が嫌いではない。どちらかといえばやたらと親しげにしてくる店員の方が馴れ馴れしくて苦手なので、これくらいが丁度いいとも思う。

「ピン、使ってくれてるんだ。よかったー、ユキ君前髪で顔隠れちゃうんだもん。せっかくいい顔してるんだから顔出してかないとね!」
「隠れちゃうんじゃなくて隠してるんです。……あと、いい顔じゃないし。フツメンですし」
「それは僕への宣戦布告と取るよ!?この顔のせいでいつまで経っても成人目前って思われないんだからね!もう十九歳なのに、未だに背の高い子供って事で子供料金通じちゃったりする場合あるんだからね!」
「いや、だからそれは顔だけじゃなくて……全く」

そもそも身長も特別高くないせいで、本当に子供料金で何とかなりかける事態が時々起こるのだから何とかしてほしい。安く済むからいいじゃんとかではないのだ。何かこう、何かに負けた気がするのだ!
その度に身分証明の出来るものを出して向こうに頭を下げられるのもあまり気分はよくないし、この顔に生まれた事に後悔も文句もないがいい加減年相応になってみろとは思う。あと声変わりはいつ来るんだ。昔よりは低いがまだ十分高いのだが、成長期は仕事をしているんだろうか。身長伸ばしたからいいでしょ、とでも思っているのなら大間違いなのである。

「で?滅多に来ないルー兄さんが何の用……あ、今のナシで。オレが馬鹿でした」
「ユキ君が馬鹿だと僕はどうなっちゃうのさ。聞いたよ、この間試験で学年一位取ったんでしょ?」
「勉強できる出来ないの馬鹿と今の馬鹿は意味が違うでしょ、あと試験はまぐれですから」
「まぐれでも一位は凄いと思うけどなあ、今度お祝いしようねー」

ニコニコと笑って提案すると、ユキは腰に手を当て何故か眉を顰めた。不審がるようなその素振りに、何かおかしな事でも言っただろうかと首を傾げる。
どちらからも何も言い出さずに暫し見つめ合って、数秒。何かを探るようにこちらを見つめていたユキが、詰めていた息を大きく吐き出した。

「ユキ君?どうかしたの?勉強漬けで疲れてるなら休んだ方がいいよ?」
「……いや、大丈夫です」
「本当に?あんまり無理しちゃダメだよ」
「……それ、そっくりそのままお返ししますよ。ルー兄さん」
「え?」
「いつものでいいですよね、今作るんでちょっと待っててください。さーやるぞー」

どこか呆れたような顔と声色でぼそりと呟かれた言葉にぽかんとするが、何を聞かれても答えないとでも言わんばかりに背を向けて作業を始めた彼に声をかけるのはなんとなく憚られて。

「…うん、待ってるね。あ、けど急がなくていいからね?」

当たり障りなく、それだけ言った。











「二時…と、九時ね」
「じゃあ二」
「ん」

目も合わせずに短く言い合って、即座に地を蹴る。逃げようと背を向けていた賊二人にそれぞれ拳と蹴りを叩き込んで、依頼は無事に終了した。
今回の仕事は盗賊団の壊滅。真っ先に切り込んでいったナツの後をティアが追随し、二人が取りこぼした(もしくは敢えて放っておいた)賊を後に続くルーシィ達で倒していく、いつも通りの作戦で突撃したのが十分ほど前。思っていたより数が多かったが、何せ相手は魔導士でも何でもない賊。こちらは人数で不利でも力では圧倒的に有利なのである。

「そっちは?」
「終わってるぞ」

仲間達に守られながら必死に逃走を図ったボスとその右腕と思われる二人を叩きのめし、ヒールの音を高く鳴らして着地したティアがじろりと周囲を見回す。目線だけを上げての問いにグレイが返すと、「そう」とだけ呟いた。
…因みにこれは余談ではあるが、かつては相手が誰だろうが敵であるなら半殺しにしていたティアだが、最近はある程度セーブしているのか意識を奪う程度に抑えていたりする。いつだったかにヴィーテルシアが言った「嗅覚が鋭いと、血のニオイが少しきつくて不快だな」との一言が理由じゃないか、とはナツ曰くである。

「よし、それじゃあ報告に行くか」
「そうね。今回は報酬ちゃんと貰えそう…家賃……!」
「ルーシィはそればっかりだなあ」
「グレイー、また服脱いでるよ」
「マジかよ!いつの間に!?」
「あ、今日の夕飯あれがいいわ。何だっけ、マーボー何とか。この間のやつじゃない方」
「麻婆豆腐だな。任せろ、美味しく作ってみせる」








「はい、お待たせしました」
「ありがとー!あ、お金はさっきおねーさんに渡したからね」
「…前々から思ってたけど、よくうちの母親をお姉さんなんて呼べますね」

毎度、と手を振るユキに大きく手を振り返して、花屋を後にする。ユキと会うのは久しぶりだったからもう少し話したい事が色々とあったが、それはまた後日。
ここから先は徒歩だ。何せ、ルーが目指す先に列車は通ってない。列車に乗って最寄り駅で降りて歩くよりも、この街から多少道が悪くても歩いた方が確実に早い上、道が悪かろうがルーは飛べるのである。まあ良くも悪くも目立つからあまり使いたくない手ではあるのだけれど。

「……さ、行くか」

風で乱れ視界を塞ぐ前髪を軽く掻き上げる。ここまで来たくせに止まりそうになる足を一歩ずつ前に進めていく。逃げるなと自分に言い聞かせるように、花束をそっと抱きしめた。
歌を口ずさむように詠唱を紡げば、体がふわりと軽く浮き上がる。なんとなく、体だけが軽くなった気がした。











「たっだいまー!」
「あら、おかえりなさい」

依頼主への報告も済ませ、行き同様に徒歩でギルドまで帰って来た。ちらりと時計を見れば、午後三時にまだ少し届かない辺りを指している。いつも通り騒がしいギルドに大きく響いたナツの声に、カウンターに立つミラが微笑んだ。いつもの席が空いている辺り、アルカはまだギルドに顔を出していないらしい。
と、なれば。ルーシィは思わず身構える。自分とティアは今まで仕事で不在、アルカもいない。という事は奴は暇を持て余している可能性が高く、まあ暇であろうとなかろうと奴は絶対に来る訳で、仕事から帰って来て即飛びつかれるのには、いいんだか悪いんだかもう慣れてしまっている。
仕事に行く前にあまり構ってやらなかったから、その反動があるかもしれない。さあ、どこからでも来い―――――と、視線を走らせて、気が付いた。

「……?」

どこを探しても、あの色鮮やかなエメラルドグリーンが見つからない。声変わりしているのか疑いたくなるような声もしないし、もちろん飛びついてだって来ない。
仕事、だろうか。だが彼は滅多に一人で依頼を受けないはず。誰かを誘って行ったのだろうか。例えばウェンディとか、例えば。

「あ、ルーシィさん。……どうかしたんですか?」

今声をかけてきた、ココロとか。

「ううん、何でもない。……そういえば、ルーは?仕事?」
「ルーさん、ですか?私達がギルドに来た時にはいなかったですけど……」
「そっか」

ココロが言う私達、にウェンディとシャルルが含まれているのは知っている。二人と一匹は同居しているらしいから、一緒にギルドに来ていてもおかしくない。その彼女達が来た時点でもういなかったという事は、彼女達と仕事に行った訳ではないのか。

「うーん…」

……普段なら、なんて事はないのだ。いちいち気にしたりはしない。ただ、どうしても引っかかってしまっている。朝のちょっとした違和感であるとか、ティアの呟きであるとかが、どこかで小さく引っかかっていて、だから。

「ルーさんだったら出かけましたよ、遠出してくるって」
「え?」
「遅くなるかもしれないって、ミラさんに伝言頼んでました。……あれ、ルーさんの事探してた訳じゃなかったんですか?あちこち見回してたから、もしかしたら、と思ったんですけど」
「え、いや、探してた訳じゃないよ?ただ、見当たらないなーって」

誰かと手合わせでもしてきたのか、首から下げたタオルで汗を拭いながら近づいて来たアランが言う。首を傾げながらの問いに慌てて両手を振りつつ答えると、アランは少しきょとんとしてから「じゃあ、そういう事で」と微笑んだ。何だか盛大に勘違いされている気がしなくもない。

「けど、珍しいですね。ルーシィさんがルーさんを気にするなんて。……あ、ふ、普段ルーさんの事無視してるとか気にしてないとかって訳じゃなくて、えっと、あのっ」
「あー…うん、まあね。気にするっていうか……ただちょっと、今日のアイツ変だったかもって思って」
「変、ですか?僕にはいつも通りに見えましたけど」
「うん…あたしも、上手く言えないんだけどね。そんな気がしたの」

ルーと出会って、一緒に仕事をして、沢山の大きな戦いを駆け抜けて。実家の父親と対峙した時も、一緒に来てほしいと言った自分にすぐに頷いてくれて。出会ってからも、好きだと伝えられてからも、毎日のように一緒にいた。
だから、うっすらとでも解る。なんとなくでも引っかかる。何かを見落としているような、肝心な何かを聞き逃してしまったような、そんな感覚。そしてそれは、何があっても気づいてあげるべきものだったような―――――。





「ティア、いるか!?ヤベえよ、オレとんでもない事しでかした!」

深く潜りかけた思考を、焦った叫び声が遮った。
その声の主は、駅からここまで走って来たのか息を切らしたアルカは、訝しげなティアを視界に捉えるなり、また叫ぶ。

()()()()()()()()!ああくそっ、うっかりしてた!今日は、今日だけはアイツを一人にしちゃいけねえってのに!取材なんて受けてる場合じゃなかった!」
「アルカ?どうしたんだ、お前は何を」
「ルーは!?今アイツは誰といる!?なあティア、お前一緒じゃねえのか!?」

ずかずかと大股で歩いたアルカが、ティアの肩を掴む。それは責めるというよりは焦りが行動に出てしまったとでもいうようで、彼女が人に触れられるのが好きではないのを思い出したのか、はっとしたようにすぐに手を放した。
ギルド中のあちこちからの視線が集中する。視線を集める中心の彼女は、珍しく大きく目を見開いていた。

「……そうよ。何で、忘れてたの」
「ティア?」
「約束したのに、私から言い出したのに。……私だけでも、覚えててやらなきゃいけなかったのに」

傍らのヴィーテルシアからの問いかけも入って来ないのか、ぽつりぽつりと呟いて。
見開いた目をすっと細めて、置いたばかりの鞄を引っ掴み、高らかにヒールを鳴らして真っ直ぐにこちらへ―――――え?



「行くわよルーシィ、マッハで」
「ええ!?」

訳の解らないまま、ルーシィはティアに抱えられていた。











とん、と降り立つ。だだっ広い更地をぼんやりと眺めて、花束を抱え直して歩き出した。
舗装されていない道を歩いて、歩いて、何も考えずに歩き続けて―――ぴたりと足を止める。建物も人影も何もない中にぽつりと置かれたそれに、くしゃりと笑って呟く。

「……ただいま」

沢山の名前が刻まれた、大きな石碑。ルー以外の皆が眠る、この場所。
それをルーは、寂しそうな微笑みを湛えて見つめていた。






形が崩れないようにそっと花束を置いて、目を閉じて手を合わせる。しゃがんでいた足が辛さを訴え始めた頃に目を開けて立ち上がって、それから石碑の足元に腰かけた。少し丸みを帯びた石碑を支える土台に浅く座って、冷たい石を撫でながら口を開く。

「最近来れてなくてごめんね、いろいろ忙しくて。本当に、いろいろあったんだよ」

最後にここに来たのは、確かララバイの一件が片付いた辺りだった。何か月前の事だろうと考えて、苦笑する。ここに来るのを忘れていた訳ではないのだけれど、最近は何かと予定が入ってしまっていた。
二十八日。毎月この日、ルーは決まって夢を見る。それは家族と一緒にいる夢であったり、友達と遊んでいる夢であったり、大好きだったあの子と手を繋いで歩いているだけの夢であったりした。今でこそ夢を見る度にぽっかりと穴が空いたような気持ちになるだけになったが、昔は二十八日が来る度に夢を見ては悲しくなって、その度にアルカを心配させていた。
今でも毎月二十八日は何だかいつも通りにはいられなくて、誰かの体温が無性に恋しくなって、いつも以上に人にくっついたりしていたのだけれど。

「前に言ったと思うけど、好きな子がいるんだ。その子と二人きりで仕事に行けるのが大体月末だから、ついそっちを優先しちゃってて。……こんな事言ったら、怒るかな」

そろそろ、それでは駄目な気がしていた。ティアに縋って、アルカに頼って、誰かの力がないと一日を乗り切れないのを、卒業しなければいけないと思い始めていた。
ルーは知っている。ルーがいつも弱ってしまうこの日に、二人が予定を一切入れない事を。何に誘われても、指名の依頼が入っても、全てを断っている事を、知っている。

「けどね、大好きなんだ。一緒にいられる限り一緒にいたくて、隣で笑っててくれたら、それだけで幸せになる。だから、ついね」

それを知って、それを無視して甘え続けるなんて出来なかった。ルーは二人の事だって大好きで、いつだって笑顔でいてほしくて、自分のせいでやりたい事が出来ていないなんて、そんなのは許せなくて。

「だからさ、みんなの事、忘れてた訳じゃないんだよ。忙しかったのと……一人でここまで来るのに、僕の勇気が足りなかっただけなんだよ。ほら、僕って臆病者だから」

だから、隠した。
二十八日にはいつも弱って、それで二人は気づくから。弱っている部分を必死に隠して、二人をなるべくカレンダーから遠ざけて、アルカの予定に取材を入れる事で今日一日は距離を置いて、昨日の夜のうちにナツにお勧めの仕事があると声をかけておいて。
そうすれば、いつもと変わらないルーを見たアルカは特に気にせず取材を受けに行くし、ナツは同じチームのティアを誘って仕事に行くだろう。どちらかが今日が二十八日である事に気づいてしまったら、ナツがティアを仕事に誘わなかったら、この計画は失敗する。解っていながらどうにも完璧な作戦は練れなくて、穴だらけになってしまったけれど、意外と上手くいったらしい。長時間接さないようにしていたのがよかったのかもしれなかった。

「だけど、いつまでもそれじゃあダメだから。…だって、ずっと一緒にはいられないんだから」

そろそろ、気づいてしまっているだろうか。勘が鋭いティアが先か、取材先で日付を知ったアルカが先か。ずっと隠せはしないだろうとは思っていたから、今気づかれていたとしても予想通りだ。

「だから、僕もそろそろ成長しなきゃね。一人になっても、大丈夫だよって言えるようにならなきゃ」

ずっと一緒、なんて不可能だ。ルーはそれを知っている。だから、だから――――。



「ルーさん?」





はっとした。気付かないうちに降りていた視線を上げると、不思議そうな顔をした少女と目が合う。
想像していた誰かと違う事をどこかで残念に思いながら、ぽろっと零すようにルーは彼女の名前を呼んだ。

「メープル?」







「今日は、アイツの故郷が滅んだ日なんだよ。月命日ってやつだ」

ティアがルーシィを抱えて走り去っていたギルドで、アルカが苦しそうに呟いていた。

「……なんて、オレが言っていい事じゃねえんだろうけどさ」








「…そうなんですか。ここが、ルーさんの」
「うん。もう、何にも残ってないけどね。メープルはどうしたの?この辺り、何にもないよ?」
「薬の材料を採りに来たんです。この辺りじゃないと採れないし、なかなか市場には出なくて」

隣に腰かけたメープルと他愛のない話をしながら、オレンジに染まっていく空を見上げる。まさかここで会うとは思わなかった、と呟けば、鞄を抱えた彼女は微笑んだ。

「私もです。…そういえばルーさん、この辺りで一番近い列車の駅ってどこですか?なかなか見つからなくて」
「ん?ここからだと結構歩くよ。この辺、本当に何にもないから」
「……歩くって、因みにどれくらい…」
「そうだなあ…まあ、一時間くらい」
「えっ」

メープルの声が引きつる。まあ確かに遠いし、途中までは舗装された道なんてないから歩くのにも一苦労だろう。こんな女の子に歩かせていい距離ではない、と流石のルーもすぐに気づいて、慌ててもう一つのルートを提案する。

「で、でもね!さっき言ったのより道は悪くなっちゃうけど、かかる時間は半分のルートもあるよ!僕はそっちのルートで来たし…まあ飛んだけど……」
「…ならそっちで帰ります……彼を呼んで抱えてもらえば、道が悪いのは関係ないですから」
「彼?」
「私の魔法、吸血鬼(ヴァンパイア)です。まだ日が沈んでないから力は弱まりますけど、飛ぶくらいなら大丈夫でしょうし」
「そっか」

そう言って立ち上がったメープルに合わせて腰を上げる。鞄を肩にかけ直したメープルは、にっこり笑って頭を下げた。

「ありがとうございました、ルーさん。おかげでこれ以上道に迷わなくて良さそうです」
「あ、迷ってたんだ。……ううん、このくらいお礼言われるような事じゃないよ」
「いえいえ、助かりましたから」

それでは、と背を向けて歩き出しかけたメープルが、一歩も踏み出さずに振り返る。

「そうだ」
「?」
「…私、何も聞いてません。けど、ルーさんが頑張れるように、応援してますね」

笑ったままそれだけ言い残した彼女の言葉の意味を、数度噛み砕く。
その意味を理解した頃にはもう、彼女の後ろ姿は見えなくなっていた。







「私ってば、変わりませんねえ」

ぽつりと呟くと、メープルを横抱きに抱える彼が笑みを含んだ声で言う。

「背の事かい?そりゃあ変わらないね。あ、それとも胸」
「そんなに銀のお皿に乗ったニンニクが食べたいんですか?なら主として用意するしかないですね。あ、十字架の飾りも用意しますよ?」
「いやあ君にはなかなか成長期が来ないなあ!まあ来年には何とかなってるだろうね!うん!」

全く失礼な。声に出さずに吐き捨てて、「違いますよ」と首を横に振った。

「……いつだって私は、あの人に助けられるんだなあって」








「そろそろ帰らないと、心配させちゃうかな」

メープルを見送って、それからどれだけ経っただろう。明るいオレンジ色だった空が徐々に暗さを帯びてくるのをぼうっと眺めていたルーは、ふと呟いた。
そろそろ、取材から帰って来たアルカが心配してギルドを飛び出しているかもしれない。同い年のはずなのだが年の離れた弟でも見ているかのようにルーに接する彼の事だから、心配性を爆発させているかもしれないなあ、なんて、遠い事のように思った。

「……それじゃあね、みんな。また来るからね」

立ち上がって、石碑を撫でる。相変わらずひんやりとした石の温度が、何故か寂しかった。
傍らに置いてあった鞄を掴み、もう一度向き直る。風に揺れる花束、刻まれた沢山の名前達、何も残っていない故郷を、何も言わずに見つめては目線を外していく。

「……」

そっと、指で名前をなぞった。
エリアルド・シュトラスキー。優しくて、けれど厳しくもあった人。最期の最後まで友達と真っ直ぐに向き合った、ルーの父親。大丈夫だと、必ず勝つと約束した、その人。
ヴァニラ・シュトラスキー。星霊を愛し、愛された人。ルーを深い愛情を持って育ててくれた、大好きな母親。一人になんてしないと言った、それがルーの覚えている最後だった。
向かいのおじさんは、声がやたらと大きい人だった。頭のいいお兄さんはいつも難しい話をしていて、けれどルーにはそれを解りやすく言い換えてくれていた。隣に住んでいたお姉さんは女の子を生んだばかりで、一人っ子のルーはその女の子を妹のように思っていた。村の広場に行けばいつも誰かがいて、それは大柄な男の子だったり、気が弱くてすぐに泣き出してしまう女の子だったりした。広場のベンチにはおじいさんがいて、長々と語られる昔話がルーは好きだった。八百屋のおばさんはお菓子作りが趣味で、おつかいに行くと手作りのお菓子をくれた。魚屋のお兄さんはパン屋のお姉さんの事が好きで、けれどお姉さんはお兄さんからの好意に一切気づいていないようだった。図書館のお姉さんはよく読み聞かせ会を開いてくれた。近所のおばあさんは花を育てるのが好きで、ルーの家で花を育て始めたのは種を分けてもらったのがきっかけだった。
今だって、思い出せる。おじさんの大きな声、お兄さんが解りやすく言葉を選んでくれた話、生まれたばかりの子供を抱くお姉さんの顔、広場で遊んだあの子達、おじいさんが目を細めて話してくれた昔話、貰ったお菓子、お兄さんがお姉さんを見つめていた恋する瞳、物語を紡ぐ声、貰った種が咲かせた花も、それから。

「…サヤ」

大好きで、大好きだった、あの子の事も。
一度だって、忘れた事なんてなかった。

「…あれ……?」

ぽっかりと空いたままの穴。今までだったら誰かの体温で埋めていた、それ。何もしないまま今の今まで放っておいた、大きな穴。
それを、今の今まで放っておけた穴を、唐突に思い出した。一度思い出してしまえば、忘れるなんて到底出来そうになくて。

「違う…違うよ、これ。こんなのじゃないよ、だって、だって僕」

ぱたり、ぱたり。
ぽたり、ぽたり。

「だってさ、だって、もう」

口角が引きつる。
ああ、どうして、上手く笑えない?

「……ルー」

後ろから、声をかけられた。肩を震わせて振り返る。
滲んでぼやけた視界に、悲しそうに顔を歪めたあの子が見えた。







ティアに抱えられて、行き先も解らないまま連れて来られた先。

(ルーの故郷なんだって、ティアは言ってた)

今日は月命日なのだと、今はここにいない彼女は言った。何も言えなくなったルーシィの手に帰りの切符代を握らせて、「二人で帰ってきなさい」とだけ言って飛び去った彼女の姿を見送って、言われた方向に歩き進めていたルーシィの耳に飛び込んできたのは、声だった。

「……ルー、シィ?」

震える声。涙で濡れた頬。ぼろぼろと溢れ続ける涙。
それが何なのか、何故こんなにも止まらないのか、理解が追い付いていない顔。

「ルーシィ、だよね。……ねえ、僕おかしいんだ。もう何年も経って、もう大丈夫で……あの時泣けなかったくせに、今更悲しいんだ。変でしょう?」

口角が引きつっている。ひくひくと揺れるのは、無理して笑おうとしている証。それが痛々しくて見ていられないけれど、目を逸らす訳にはいかなかった。
今逃げてはいけないと、そっと誰かに囁かれた気がして。

「みんなの事、思い出すのだって、初めてじゃないんだよ。もう何度も何度も思い出して、夢にだって見て、悲しいって思っても、泣いた事なんてなかったのに。……なのに、何で今更泣くの」

頬を伝う涙を拭おうともせずに、引きつった笑みを浮かべながら。

「これまでだって、二十八日は絶対に回って来たよ。けど、泣いた事なんてなかった。なのに、なのにさ、どうして……もう、十年も経ったんだよ。なのに何で、今になってこんなに悲しいの」

逃げないと決めた。目を逸らさないと誓った。

「こんなのじゃないんだ、違うんだよ。僕は……」

――――けれど、これ以上は見ていられなくて。

「僕、は」

うわ言のように続けるルーに駆け寄って、その体を強く抱きしめた。







吐き出しかけていた言葉を見失う。思わず目を見開いて、だらりと下げた両手の行く先に戸惑った。知らないうちに冷え切っていた体にじんわりと体温が滲んでいく。

「…どうしたの、ルーシィ。何か、あったの?」

問いかけると、すぐ傍でぐっと息を詰める音がした。背中に回された腕にぎゅっと力を込められて、耳元に寄せられた唇から囁くような小さな声がする。

「あのね、ルー」
「うん」
「何年経ったとか、関係ないよ」

頭に手が回された。くしゃりと髪を潰して、そのまま撫でられる。

「今のルーが悲しいって思ったから、悲しいんだよ」

抱きしめ返せない腕が震えた。持ち上げようとしては見るけれど、一瞬のうちに鉛にでもなったかのように重く感じる。いつもならとっくに抱きしめ返しているはずなのに、今は指の一本ですら彼女に触れられない。

「ルーはおかしくなんてない。変だなんて、思わないよ。あたしだって、ママの事思い出したら悲しくなるし、泣きたくだってなる。もう七年も経ったけど、それは変わらない」

視界がぼやける。景色が滲んで、何も見えなくなる。ぎゅっと目を閉じると、何も映らない中にルーシィの声だけが響いていく。

「だからね、ルー」

優しい声がする。柔らかい声が聞こえる。
そのあたたかな声は、そっと、耳元で静かに囁いた。

「泣きたい時は、思いっきり泣いていいんだよ」










背中に腕が回される。閊えていたものごと吐き出すように、耳元で嗚咽が聞こえた。

「っ…死んでなんて、ほしくなかったよ。みんなとやりたい事、いっぱいあったのに。明日はあれで遊ぼう、あの話をしようって、思ってたのに。今度のお菓子は何かなとか、次は何の話をしてくれるかなとか、楽しみな事だって、沢山あったんだ。……そうだよ、悲しいんだ、寂しいんだ。悲しくて寂しくて、涙が、止まらなくて、っ、……」

痛いほど抱きしめられる。その分を返すように、ルーシィも抱きしめる力を強めた。
上手くは言えなかった。これがティアだったら、きっともっと上手く彼を慰められただろう。けれどここにティアはいなくて、彼に言葉を投げかけられるのはルーシィだけで、言える限りで彼の傍に寄り添いたくて。
少しでも、届いたらいい。ほんのちょっとでも、どこかに残ってくれればいい。それだけでも十分だ。





ルーが泣いている。その頭を撫でながらふと視線を動かして―――ルーシィは、見た。
金髪の、女の子。どこか自分に似た、小さな子供。花冠を頭に乗せて、白いワンピースを纏ったその少女は、石碑の土台に腰かけて、こちらを見つめていた。

「あ…」

目が合う。一度だけ見た事のある顔だった。
少女は静かにルーシィの目を見返して、にっこりと笑った。



そして少女は、瞬き一つのうちに消えていた。











夢を、見た。
時間帯的にもう二十八日は終わったはずなのに、珍しい。

「ルー」

あの子の、サヤの声がした。振り返ると、やっぱりあの子がいる。お気に入りの白いワンピース、いつだったかに僕が作った花冠。にっこりと笑って、僕を見上げている。
……そういえば、珍しい。夢の中では僕も子供に戻るはずなのに、今の僕は十九歳のままだった。…ああ、でも、こっちの方がいいかもしれない。

「ねえ、サヤ」
「なあに?」

しゃがみ込んで呼びかけると、サヤが首を傾げる。

「今日ね、泣いたんだ。みんなの事と君の事を思い出したら、悲しくなった」

サヤは何も言わない。ただ黙って、続きを促すみたいにこちらをじっと見つめてくる。

「みんなのところに行ったのも久しぶりでさ……君の夢を見たのが、きっかけだった」
「あたしの?」
「うん。…サヤは覚えてるかな、ずっと一緒にいようって約束したこと」

僕が問うと、サヤは当然でしょって言わんばかりに大きく頷いた。そりゃそうだ。約束を言い出したのはサヤの方だった。これで忘れられてたら、多分僕はべっきり折れて立ち直れなくなる。

「その約束の夢だった。けど僕は、約束を守れなくて、……それで」

言葉に詰まる。言いたい事はあるのに、これ以上は言葉にならなくて。
ぐっと唇を噛みしめる。言わなきゃって思うのに、声が出て来ない。上手く言葉にならない。けど言わなきゃ。このまま黙ったままじゃいけないって、解ってるのに。

「……あ」

そっと、頭を撫でられる。目を上げると、ちょっと背伸びしたサヤが僕の頭に手を乗せていた。
目が合う。笑うようにサヤの目が細められて、その姿がちょっとだけあの子に重なった。
……僕ってば軽いなあ。自分でも思う。言いたい事が言えなかったくせに、サヤとあの子を見た瞬間にさらっと声に乗せられちゃうんだから。

「……それでね、サヤ」

今なら言える。
ずっと一緒なんて約束に頷けなくても、それなら絶対に頷ける約束をしよう。

「もう一回、もう一個、約束をしようか」

約束を破った僕が言っていい事じゃないだろうけど、それでも僕は。

「あのね、内容は単純なんだ。本当に簡単で、難しい事なんてないんだよ」

例えここが夢の中であっても。
ここにいる君が、僕が作り出した偽者であっても。





「僕はずっと君を忘れないし、ずっと君を大好きなままの僕でいる」



これはもう、一方的なんだから。
もうこの世に君はいなくて、ちゃんとした約束なんて、最初から出来やしないから。


「臆病者の僕だけど、毎月会いに行くよ」


これは、僕は一方的に誓うだけ。



「……ね、約束」


小指を差し出すと、サヤは、笑って小指を絡めてくれた。












「もういいの?」
「ああ、十分だよ。付き合わせてしまって悪いね」
「それはいいけど…」
「……私は加害者だ、言い逃れなんて出来やしない。本当は、こんな事をする権利だってないんだろう」
「彼を殺したのは、別の人なのに?」
「それでも同罪だよ。……それは、解ってるんだけどね」



「けど、友達の命日に、何もせずにはいられないんだよ」 
 

 
後書き
こんにちは、緋色の空です。

てな訳で、今回はルーの話。……なんですけど、何かこう、書きたい事がしっかり自分の中にあるからこそ書き足りてない感が凄い…!けど全力出し切った感も凄い…。
夢で始まって夢で終わろう、その夢に約束を絡めよう、とは決めていましたが、肝心の内容に約束が絡んでねえんだよう私ってば…。

あと今回は一つ、今までから一歩大きくルーを進ませました。
当初の予定では、ルーの下に駆けつけるのはいつも通りティアで、ぼろぼろ泣くルーを抱きしめるのも彼女でした。が、そろそろルーもルーシィに一歩近づくべきなんじゃないか、と思いこの結果に。目に見える距離は近いですが、心の距離はそこそこ間を取っているのがルーさんです。
あとメープルちゃん…あの子のシーンは挟むか否かで散々悩み、今後の為に省くときついので入れました。もうちょっといい感じの流れで入れたかったなあ…精進します……。

そして!
本日、五月二十八日は、ルーレギオス・シュトラスキーの誕生日です!わーぱちぱち。
……あと、五月八日がヴィーテルシア、五月十日がアラン・フィジックスの誕生日だったんです…けどこの短期間に三本は流石に無理…無念…。

…因みに来月、六月十九日はアルカの誕生日なんですが、彼メインの話は馴れ初め云々しか用意してなくて書けるか怪しいところ…。
ルーとルーシィの訳ありデート話か、アラン君とティアさんの仕事話くらいしかストックがない…平和的なバースデー書くか…?
あ、あと、短編集の中にあった「クロノとナギの話」はストーリーの流れ上天狼島編後、大魔闘演武編前に挟みます。ご了承ください。
なので短編集はあと「ルーとルーシィの話(後回しにも出来なくはない)」、「アランとティアの話(これは早めにやっておきたい)」、「アルカ誕生日話(次回は多分これ)」、「スバルとヒルダの話(帝国編の前でもいいかな、流れ的に)」です。終わり次第エドラス編ですが、いつになるやら…頑張ります。

ではでは。
感想、批評、お待ちしてます。
そしてルー、誕生日おめでとう!大好きだよ! 
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