亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第十八話 その死の意味するところ
宇宙暦 794年 4月25日 ヴァンフリート4=2 ワルター・フォン・シェーンコップ
「行っちゃいましたね、中佐」
「そうだな」
俺はリンツに答えながらスクリーンを見ていた。俺達――俺、リンツ、ブルームハルト、デア・デッケン――だけじゃない、大勢の人間が司令室のスクリーンを見ている。スクリーンにはヴァンフリート4=2から離れて行く連絡艇が映っていた。
「寂しくなりますね、少佐が居なくなると」
「リンツ、お前、少佐と親しいのか?」
俺の質問にリンツは手を振って否定した。
「とんでもありません、少佐は周りに人を寄せ付けませんよ。そうじゃなくて、少佐は目立つから……、居れば自然と眼が行きます。もうそれも無いと思うと……」
少し照れたような表情をリンツが見せた。目立つか……、確かに目立つ若者だった。未だ大人になりきれない、少年めいた容貌に張り詰めたような緊張感を漂わせていた。今なら分かる、あれは獲物を待ち受ける緊張感だったのだろう。
「美人だったな、何というかちょっと怖いところがある美人だった。気にはなるが手は出せない、そんな感じだな」
俺の言葉に三人は呆れたような顔をして、そして顔を見合わせて小さく苦笑した。
「戦争が終わってからは、元気がありませんでしたね」
リンツの言う通りだ、戦争が終わってからは妙に元気が無かった。戦争の結果に満足できなかったとは思えない。自分の作り出した地獄に嫌気がさしたのか……。
「少佐の知り合いが敵の地上部隊に居たようです」
思いがけない言葉だった。皆の視線がデア・デッケンに向かった。彼は言うべきではなかったと思ったのか、困ったような表情をしている。
「何か知っているのか?」
「まあ、その、……」
「デア・デッケン」
俺の問いかけにデア・デッケンは諦めたように溜息を吐いた。
「夜中に少佐が遺体置き場に行くのを見たんです」
「それで?」
「それで……、少佐がある遺体をじっと見ていました。一時間ぐらい見ていたと思います。その後で遺体から認識票と髪の毛を切り取るのを見ました」
思わずリンツ、ブルームハルトと視線を交わした。彼らも顔に驚きを浮かべている。
「デア・デッケン、お前、その遺体を見たのか?」
ブルームハルトの問いかけにデア・デッケンは一瞬途惑いを見せたが頷いた。
「多分、まだ若い士官だと思います、髪は綺麗な赤毛でした」
「多分?」
「良く分からなかったんです。顔は酷く損傷していて、それに遺体はもう傷んでいました……。少佐が一時間もあそこにいたことのほうが驚きでした」
遺体は傷んでいた、おそらくは腐臭を放っていただろう。だがヴァレンシュタインはその遺体と一時間向き合っていた。何を考えていたのだろう? 後悔か、それとも懺悔か……。
「ヴァレンシュタイン少佐は冷たそうに見えるけど本当は優しい人なんだと思いますよ。時々ロケットペンダントを見て溜息を吐いていましたけど、多分あれは遺髪を入れたんじゃないかな……。死んだのは余程親しい人だったんでしょう」
デア・デッケンの言葉に皆が黙り込んだ。誰よりも冷徹に、冷酷に戦争を指揮した男だった。彼が指揮を執ったから損害は驚くほど少なかった。ローゼンリッターの戦死者は十人に満たない。
彼はヴァーンシャッフェ大佐の追撃要請をにべも無く断わった。彼が追撃を許していればローゼンリッターの戦死者の数は格段に跳ね上がっただろう。
“名誉とか決着とか、そんな物のために戦うほど私は酔狂じゃありません”
その非情さ、冷徹さはいっそ爽快なほどだったが、それは仮面だというのか……。仮面をかぶる事で味方を救った。そして今彼はたった一人で仮面の下で苦しんでいる……。
スクリーンを見た。連絡艇はかなり小さくなっている。眼を凝らさなければ見えない。重苦しい空気を振り払おうとするかのようにリンツが頭を振った。そして場違いとも言える明るい声を出す。
「第五艦隊が出迎えですか、凄いですね。最高評議会議長だって有り得ないでしょう。皇帝並みの待遇だな」
皇帝並みの待遇、リンツの言葉に皆が苦笑した。この同盟で皇帝並みの待遇、確かに有り得ない。
「何でも統合作戦本部長、シトレ元帥の命令だそうだ。ヴァレンシュタイン少佐はシトレ元帥のお気に入り、というか秘蔵っ子らしいな」
俺の言葉にリンツがおどけたようなしぐさで口笛を吹いた。ブルームハルトとデア・デッケンが再び苦笑した。
皆分かっている。リンツがおどける事で皆の気持を軽くしようとしている事を。馬鹿なのではない、馬鹿を演じているだけだ。演じる事で周りの気持を切り替えさせようとしている……。本当は誰よりも熱い心を持っている男だ。誰よりもヴァレンシュタインの事を心配しているだろう。
リンツが表情を変えた。
「我々も移動が近いと聞きましたが?」
「来週には輸送船が迎えに来る。準備をしておけ」
俺の返事にリンツは頷くとまた問いかけて来た。
「次はイゼルローン要塞ですか」
「おそらくそうだろう。今回の戦いで相手にかなりの打撃を与えた。上層部としては一気にイゼルローン要塞を攻略、そう考えてもおかしくない」
皆黙り込んだ。イゼルローン要塞を落とす、その難しさを思ったのだろう。
「落ちますかね、あれが」
そんな深刻そうな顔をするな、デア・デッケン。
「分からんな、まあ、俺達は給料分の仕事をするだけだ」
「まあ、そうですね」
デア・デッケンが笑みを浮かべた。そうそう、それで良いんだ、デア・デッケン。余り難しく考えるな。
ブルームハルトも同じ事を考えたのだろう。陽気な声で話題を変えてきた。
「それにしても俺達は輸送船、ヴァレンシュタイン少佐は第五艦隊、偉い違いだ」
「第五艦隊も文句は言えんさ。なんと言っても同盟軍が勝てたのは少佐の用意した対空防御システムのおかげだからな。あれが無ければ良くて引き分け、悪けりゃ負けた上にこの基地も破壊されていた」
俺の言葉に三人が頷いた。いや三人だけじゃない、周囲に居る人間も頷いている。ヴァンフリート4=2の戦いはヴァレンシュタイン少佐の力で勝った。その事を疑う人間は居ない。
「またあの人と一緒に戦いたいですね、あの人の指揮なら長生きできそうだ」
ブルームハルトの言葉に思わず苦笑した。まるでヴァーンシャッフェ大佐の指揮では長生きできないと言っているように聞こえる。そして俺はそれを否定できない。
「何時かはそんな日が来るさ、だから生き延びろよ、ブルームハルト」
「それ、結構難しそうですよ、中佐」
「だが不可能じゃない、そうだろう?」
俺の言葉にブルームハルトは苦笑交じりに頷いた……。
帝国暦 485 4月25日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
「大丈夫か、ミューゼル准将」
「大丈夫だ、リューネブルク准将」
俺の言葉にリューネブルクは少しの間黙って俺を見ていた。キルヒアイスの死後、リューネブルクが俺を心配そうに見ている事は分かっていた。だが声をかけてきたのは今日が始めてだ。
リューネブルクの眼には明らかに俺を気遣う色が有る。何処かで煩わしく思いながら、それでも受け入れている自分が居た。妙な気分だ、初めて会ったときは嫌な奴としか思わなかったのに……。
しかし、俺が生きているのは間違いなくこの男のおかげだ。この男が地上部隊の総指揮官でなければ俺は死んでいただろう、キルヒアイスと一緒に……。あの撤退からもう二十日近く経つ、今でもあの四月六日、七日の事は鮮明に思い出す……。
反乱軍はこちらの撤退に追撃を仕掛けては来なかった。撤退は何の支障も無く、一人の犠牲も無く行なわれた。問題が有るとすれば何の支障も無く撤退できた事だろう。何故敵は追撃してこないのか?
『ミューゼル准将、応答してくれ』
「こちらミューゼル」
乗り心地の悪い装甲地上車に揺られながら通信機に答えた。
『敵は追撃してこない、卿はこれをどう思う?』
「可能性は二つ。一つ、敵にはこちらを追撃するだけの戦力は無い」
『却下する、そんなひ弱な敵なら俺達は退却などせん。もう一つは?』
「こちらをいつでも殲滅できるだけの戦力を持っている。おそらくは膨大な航空戦力を持っていると思う」
何度か舌を噛みそうになりながらリューネブルクに答えた。全くこの乗り心地の悪さは何とかならないのか。
『同感だ、全く可愛げの無い敵だ。追撃でもしてくれれば少しは安心できるのだがな。常にこちらの嫌がる事ばかりする。そうは思わんか?』
「同意する」
全くだ。この敵は手強いだけではない、辛辣で執拗なのだ。常にこちらの先を読み苛立たせる。そのくせこちらの息の根を止めようとはしない。まるで猫が鼠を弄ぶような戦い方をする。連中が俺たちに与えるのは不安と絶望だ。今も俺達は未だ見ぬ敵の航空兵力に怯えている。
『ミューゼル准将、連絡艇を呼べ』
「連絡艇?」
『そうだ、その連絡艇で卿は先に艦隊に戻れ』
「……」
戻れ? どういう事だ? 俺に部隊を捨てろというのか? 思わずキルヒアイスの顔を見た。キルヒアイスも訝しげな表情を浮かべている。
『司令部に敵基地の攻撃を頼むのは無理だろう。卿の艦隊でも基地を攻撃するのは不可能だ。対空砲火であっという間に撃破される。だが我々を迎えに来る事は可能なはずだ』
「艦隊を動かすとなれば司令部の許可が要る。彼らがそれを許すと思うか、リューネブルク准将」
『おそらくは許すまい。だから部隊の収容をしやすくするために移動すると言え。それなら司令部も許すはずだ』
何を考えている? リューネブルク。
「しかし、それでは部隊の収容には向かえない。意味が無い……」
『卿は自分の艦隊を出来るだけ本隊から離せ。そして見つからんように上手く隠すのだ』
「!」
『敵の増援が来れば艦隊は上空から一方的に攻撃され全滅する。そして基地は膨大な航空戦力で俺達を攻撃するだろう。地上部隊は壊滅状態になるに違いない。だが生き残る兵も居るはずだ、彼らをこのヴァンフリート4=2から脱出させる艦が要る……』
そうか、そういう事か……、勝つためではなく生き残るために戻れというのか。俺の艦隊は二百隻、それほど多くの兵を収容できるわけではない。だが敵の攻撃を受ければ地上部隊で生き残れるのはその二百隻でも十分に収容できるだけの人数になっているだろう。
「……しかし、部隊の指揮は」
『俺が指揮を執る。幸い敵は追撃してこない、特に問題は無いはずだ』
「……」
『俺達を見捨てるなどと思うな、俺達を救うために艦に戻るのだ。躊躇うな、ミューゼル。俺達は指揮官として部下を一人でも多く救わねばならん、そうだろう?』
キルヒアイスを見た。キルヒアイスが俺に頷く。
「分かった、連絡艇を呼ぼう」
「リューネブルク准将、小官はキルヒアイス大尉です。小官は此処に残り、閣下のお役に立ちたいと思います。お許しを頂けるでしょうか?」
思わずキルヒアイスの顔を見た。しかしキルヒアイスは俺を見ない。通信機を見ている。
「何を言う、キルヒアイス。お前も一緒に……」
最後まで言えなかった。キルヒアイスが首を振って俺を止めた。
「私まで部隊を離れれば、兵は本当に見捨てられたと思うでしょう。私は残らなければなりません。……リューネブルク准将、お許しを頂きたい!」
『……了解した、キルヒアイス大尉、よろしく頼む。……ミューゼル准将、卿は良い副官を持った。キルヒアイス大尉の想いを無駄にするなよ』
連絡艇が来たのは三十分後だった。必ずタンホイザーに戻ると言ってキルヒアイスは笑顔を見せた。そしてそれがキルヒアイスを見た最後になった……。
タンホイザーに戻り、なんとか司令部を説得して自分の艦隊を目立たないところに移動させる事が出来た。上空に敵艦隊が現れた時はただただ見つからないようにと祈った。死ねなかった、キルヒアイス達をこのヴァンフリート4=2から脱出させるためには死ねなかった……。
幸いにも敵艦隊の、基地からの航空機による攻撃は一時間で終了した。帝国軍主力部隊が来援したのだ。その後、艦隊を動かし地上部隊を収容したが、その数は一万人に満たなかった……。
そして収容している最中に帝国軍主力部隊が基地の対空防御システムによって混乱するのを見た。その後は反乱軍によって帝国軍は一方的に叩かれ続けた……。
キルヒアイスの死を知ったのはヴァンフリート4=2を脱出し、反乱軍からの追撃を避け安全になってからだった。それまではキルヒアイスの安否を確認する余裕など無かった。いや、もしかすると故意に確認をしなかったのかもしれない。
涙は出なかった、何処かで俺はキルヒアイスの死を覚悟していたのだろう。ただ怒りだけがあった。ヴァンフリート4=2の敵、お前がキルヒアイスを殺した。お前が俺からキルヒアイスを奪った……。
これまで俺の望みは皇帝になり、姉上を救い出す事だった。だがもう一つ望み、いや義務が出来た。ヴァンフリート4=2の敵、お前を殺すことだ。そしてその首をキルヒアイスの墓前に供える。その時、俺は心からキルヒアイスのために泣けるだろう……。
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