亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第十七話 一時間がもたらすもの
宇宙暦 794年 4月25日 第五艦隊旗艦 リオ・グランデ バグダッシュ
「馬鹿なことを言うな、ヴァレンシュタイン少佐。ヤン中佐が我々を見殺しにするなど有り得ん事だ」
俺は強い口調でヴァレンシュタインを窘めた。
一体何でそんな事を考えるのだ、中佐が我々を見殺しにするなど有り得ない。しかしヴァレンシュタインはこちらをちらりとも見なかった。ドアに背を預けたままヤン中佐を見据えている。
「ビュコック提督は先程ヤン中佐の事を何も言いませんでした。中佐の進言でヴァンフリート4=2への転進を進めていたなら提督はその事を言ったはずです。そして私は中佐に礼を言っていた」
「……」
冷静というより冷酷といって良い口調だ。だがそれ以上にヤン中佐を見るヴァレンシュタインの視線は冷たかった。ミハマ中尉が不安そうな表情で俺を、そしてヤン中佐を見ている。重苦しい雰囲気に部屋が包まれた。
思わず表情が動きそうになったが耐えた。俺が動揺すればミハマ中尉は俺以上に動揺するだろう。ヴァレンシュタイン少佐の思い過ごしだ、そんな事は有り得ない、有り得るはずが無い……。
「しかしビュコック提督は何も言わなかった。中佐がヴァンフリート4=2への転進を勧めなかったか、或いは勧めたとしてもそれほど強いものではなかったか……」
「……」
「どちらにしてもビュコック提督にとって中佐の存在は重いものではなかった、だから私達に話さなかった。つまりこの会戦で中佐の果たした役割はかなり小さい……。違いますか、ヤン中佐?」
「……」
中佐は無言のままだ、黙って少佐の話を聞いている。
「シトレ元帥に見殺しにしろと頼まれましたか?」
「そんな事は無い」
ヴァレンシュタインの問いかけに愕然とするミハマ中尉が見えた。
「待て、ヴァレンシュタイン少佐。ヤン中佐の言う通りだ、そんなことはあり得ない。シトレ元帥は貴官に最大限の助力をするようにと我々に言ったんだ。貴官をこれからもバックアップするとな」
ヴァレンシュタインが薄く笑った。
「なるほど、ではヤン中佐の独断ですか……」
「馬鹿な事を言うな! ヴァレンシュタイン少佐! 一体何が気に入らないんだ。戦争は勝ったんだ、一時間の遅延など目くじらを立てるほどのことでもないだろう」
俺の叱責にもヴァレンシュタインは笑みを消さなかった。
「勝ったと喜べる気分じゃないんですよ、バグダッシュ少佐。エル・ファシルでも一度有りましたね、中佐。あの時も中佐は味方を見殺しにした」
今度はエル・ファシルか、何故そんなに絡む? 一体何が気に入らないんだ……。
「何を言っている、あれはリンチ少将達がヤン中佐に民間人を押し付けて逃げたんだ。見殺しにされたのはヤン中佐のほうだろう」
俺はヤン中佐を弁護しながら横目で中佐を見た。中佐の身体が微かに震えている。怒り? それとも恐怖?
「バグダッシュ少佐、ヤン中佐は知っていましたよ、リンチ少将が自分達を置き去りにして逃げることをね。その上で彼らを利用したんです。リンチ少将のした事とヤン中佐のした事にどれだけの違いがあるんです。五十歩百歩でしょう」
何て事を言うんだ、本気か? ミハマ中尉が驚いた表情でヤン中佐を見ている。はっきり否定しなければならん。
「いい加減にしろ、少佐! リンチ少将は守るべき民間人を見捨てた卑怯者だ。中佐は民間人を守ったのだ、それを誹謗する事は許さん!」
「話を戻そう、あの基地はイゼルローン要塞攻略戦では重要な役割を果たす。貴官はヤン中佐がそれを分からないほど愚かだと言うつもりか?」
「落ちませんよ、イゼルローンは」
「!」
ヴァレンシュタインは笑っていた。明らかに嘲笑と分かる笑みを浮かべている。
「イゼルローン要塞は後方に一つぐらい基地が有ったからといって落ちる程ヤワな要塞じゃありません。だったら敵を誘引して目障りな連中もろとも始末したほうがましです、そうでしょう、ヤン中佐?」
「……」
優しい声だった、だがその声には明らかに毒があった。そしてヴァレンシュタインは毒を吐き続けた。
「私はヤン中佐は必要以上に犠牲を払う事を嫌う人だと思っていました。だから第五艦隊に行ってもらったのですが、どうやら私は貴方にとって必要な犠牲だったらしい」
「嘘です、そんな事嘘です。嘘だと言ってください、中佐」
ミハマ中尉が泣き出しそうな表情でヤン中佐に話しかけた。思わず俺はミハマ中尉を、ヴァレンシュタインを怒鳴りつけていた。
「嘘に決まっている! 少佐、一体何が気に入らないんだ、邪推にも程が有るぞ!」
「何故怒るんです、バグダッシュ少佐。必要な犠牲の中には少佐も、そしてミハマ中尉も含まれているんです。怒るなら私にではなくヤン中佐にしてください。それにしても随分と嫌われたものだ」
冷笑、そして嘲笑。ヴァレンシュタイン少佐の言葉にヤン中佐の表情が歪んだ。そして少し俯くと溜息を吐く。中佐がヴァレンシュタイン少佐に視線を向けた。瞳には後悔の色が有る。まさか、事実なのか……。
「そうじゃない、そうじゃないんだ、ヴァレンシュタイン少佐。私はヴァンフリート4=2への転進を勧めたが司令部の他の参謀に反対され意見を通せなかった。最終的にはビュコック提督が決断し、ヴァンフリート4=2へ向かったが一時間はロスしただろう。貴官の言う通りだ……」
沈黙が落ちた。ヤン中佐は視線を落としミハマ中尉は安心したような、困ったような顔をしている。そしてヴァレンシュタインの表情は厳しいままだ。他の参謀に反対された、新参者という事で部外者扱いされたという事か……。或いは中佐の配属そのものを自分達への不信と受け取ったか……。それで故意に反対した、有りそうな話だ。
「申し訳ない……。貴官に約束しておきながら私は役立たずだった。一つ間違えば基地は帝国軍に破壊されていただろう。貴官が疑うのも怒るのも無理は無い、だがこれが事実だ。私もシトレ元帥も貴官を謀殺しようなどとはしていない。その事は信じて欲しい」
ヤン中佐がヴァレンシュタイン少佐に頭を下げて謝罪した。
「少佐、ヤン中佐の言う通りだ。我々が貴官を謀殺するなど有り得ん事だ。幸い戦は勝ったんだ、ヤン中佐を責めるのはもう止めろ」
「そうです、少佐。少しは私達を信じてください」
俺とミハマ中尉が声をかけたがヴァレンシュタインは表情を緩める事無くヤン中佐を見ている。彼が納得していないのが分かった。きちんと話すべきだろう。
「ヴァレンシュタイン少佐、良く聞いて欲しい。我々は貴官を戦場へ送り出した。だがそれは貴官を謀殺するためじゃない、本当の意味で同盟市民になって欲しかったからだ」
「……」
「貴官は帝国に帰りたいのだろう。だが我々にはそれを認める事は出来ないのだ。酷い事をしているのは分かっている。だが貴官が帝国に戻り、ブラウンシュバイク公の腹心になられては……」
「何の話です? そのブラウンシュバイク公というのは……」
ヴァレンシュタインが訝しそうな表情をしている。何故隠す、もう隠さなくても良いんだ。貴官はブラウンシュバイク公の助けを待っていた、そうだろう……。
「隠さなくても良いだろう、貴官を帝国に戻そうと動いているアントン・フェルナーはブラウンシュバイク公の側近だ」
俺の言葉にミハマ中尉が驚いたような表情を見せた。彼女はアントン・フェルナーがブラウンシュバイク公の側近だという事を知らない……。
「私がブラウンシュバイク公の腹心? それを防ぐために私をヴァンフリートに送った?」
低い笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタイン少佐が笑っている。だがその眼には見間違えようがない憎悪が有った。
笑いを収めるとヴァレンシュタインは冷たい目で俺達を見据えた。
「私がブラウンシュバイク公の腹心になるなど有り得ない」
「しかし、フェルナーは」
俺の言葉にヴァレンシュタインは頬に冷笑を浮かべた。
「彼は私が門閥貴族を憎んでいる事を、叩き潰してやりたいと考えている事を理解している。間違ってもブラウンシュバイク公に仕えろなどとは言わない」
「……」
違う、演技じゃない。彼は本心を語っている。我々は何か間違えたのか?
「よくもそんな愚劣な事を考えたものだ。自分達が何をしたのか、まるで分かっていない」
「少佐……」
ヴァレンシュタインの口調が変わった。口調だけではない、表情も変わった。さっきまで有った冷笑は無い、有るのは侮蔑と憎悪だけだ。その変化に皆が息を呑んだ。
「私はヴァンフリート4=2へ行きたくなかった。行けばあの男と戦う事になる。だから行きたくなかった」
「あの男?」
恐る恐るといった感じのミハマ中尉の問いかけにヴァレンシュタインは黙って頷いた。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将、戦争の天才、覇王の才を持つ男……。門閥貴族を憎み、帝国を変える事が出来る男です。私の望みは彼と共に帝国を変える事だった」
「……」
ラインハルト・フォン・ミューゼル、その名前に思わずミハマ中尉と顔を見合わせた。彼は皇帝の寵姫、グリューネワルト伯爵夫人の弟だったはずだ。それが戦争の天才? 覇王の才を持つ男?
「彼を相手に中途半端な勝利など有り得ない、彼の自尊心を傷つけ怒りを買うだけです。私は未だ死にたくない、だから彼を殺してでも自分が生き残る道を選んだ。たとえ自分の夢を捨てる事になっても」
「……」
「幸い彼は未だ階級が低くその能力を十分に発揮できない。だから必ず勝てる、必ず彼を殺せるだけの手を打った……。おそらく最初で最後のチャンスだったはずです。それなのに……」
ヴァレンシュタインが唇を噛み締めている。そして睨み据えるようにヤン中佐を見ていた。俺もヤン中佐も、そしてミハマ中尉も何も言えずにヴァレンシュタイン少佐を見ている。
「第五艦隊の来援が一時間遅れた……。あの一時間が有ればグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅できた、逃げ場を失ったラインハルトを捕殺できたはずだった」
ヴァレンシュタインは呻くように言って天を仰いだ。両手は強く握り締められている。
「最悪の結果ですよ、ラインハルト・フォン・ミューゼルは脱出しジークフリード・キルヒアイスは戦死した。ラインハルトは絶対私を許さない」
ジークフリード・キルヒアイス? その名前に不審を感じたのは俺だけではなかった。他の二人も訝しそうな表情をしている。俺達の様子に気付いたのだろう、ヴァレンシュタインが冷笑を浮かべながら話し始めた。
「ジークフリード・キルヒアイスはラインハルトの副官です。ラインハルトには及ばなくともいずれは宇宙艦隊を率いるだけの力量の持ち主だった。そして親友であり腹心であり、彼の半身でも有った……」
「……」
少しの間沈黙が落ちた。ヴァレンシュタインはポケットから何かを取り出しじっと見ている。ロケットペンダント? そして顔を上げるとノロノロとした口調で話し出した。
「ラインハルトは私を許さない。彼にとって私は不倶戴天の仇であり帝国を捨てた裏切者です。今回は私の前に敗れたがそのままで済ます男じゃありません。必ず私を殺す事に執念を燃やすでしょう」
「……」
「彼が武勲を上げ地位が上がれば、その分だけ彼の持つ権限も大きくなる。そして何時か私を殺す……」
ヴァレンシュタインが暗い笑みを浮かべた。自嘲だろうか?
「悲観し過ぎだ、貴官なら勝てるだろう?」
励まそうと思って故意に明るい声を出した。だがヴァレンシュタインは何処か投げやりな口調で答えた。
「勝てませんね、私など彼の前では無力なウサギのようなものです。これから先、彼が力をつければ益々私は勝てなくなる。それどころか簡単に踏み潰されるでしょう、賭けても良い」
「……」
部屋に不自然な沈黙が落ちた。ヤン中佐の顔面は蒼白だ。一時間の遅れ、それが何を引き起こしたか、何故ヴァレンシュタインがあれほど自分に絡んだかが分かったのだろう。そしてミハマ中尉は泣き出しそうな顔でヴァレンシュタインを見ている。
「シトレ元帥はこれからも私を最前線で使いたがるでしょうね。そうなればラインハルトと出会う機会も増える……」
その後をヴァレンシュタインは言わなかった。だが皆がその先を理解しただろう。何時かはラインハルト・フォン・ミューゼルに殺される……。
「貴官らの愚劣さによって私は地獄に落とされた。唯一掴んだ蜘蛛の糸もそこに居るヤン中佐が断ち切った。貴官らは私の死刑執行命令書にサインをしたわけです。これがヴァンフリート星域の会戦の真実ですよ。ハイネセンに戻ったらシトレ本部長に伝えて下さい、ヴァレンシュタインを地獄に叩き落したと」
冷笑と諦観、相容れないはずの二つが入り混じった不思議な口調だった。
「少佐、我々は」
俺は何を言おうとしたのだろう。訳もわからず声をかけたが返ってきたのは冷酷なまでの拒絶だった。
「聞きたくありませんし聞いても何の意味もない。話は終わりました、出て行ってください。私は不愉快だ、もっとも私の立場になって不愉快にならない人間が居るとも思えないが……」
そう言うとヴァレンシュタインは笑い始めた。希望を無くした人間だけが上げる虚ろな笑い声だった……。その笑い声と共に声が聞こえた。
「同盟市民になって欲しいか……。その結果がこれか……。笑うしかないな、馬鹿馬鹿しくて笑うしかない……」
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