外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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巡航艦ツェルプスト~ヨハン・マテウスの回想
帝国暦 487年 12月17日 巡航艦 ツェルプスト ヨハン・マテウス
同僚のカール・ホルスト上等兵が話しかけてきた。
「おい、マテウス」
「何だい? カール」
「オーディンに侵攻していた貴族連合軍はヴァレンシュタイン司令長官によって撃破されたそうだ。流石だな、二倍の兵力を持つ敵を破るなんて」
「まあ、司令長官ならその程度はやるさ」
「ふーん、あの人ツェルプストの艦長もやってたんだよな」
「ああ、第一巡察部隊の司令と兼任してたよ」
もう四年になる。あの時の俺は二等兵だったが今では上等兵になっている。そしてあの人は中佐から元帥だ。あっという間だった。
「どんな人だったんだい、俺は今年の春に配属になったから知らないんだけど」
「そうだな。やっぱり他の人とはちょっと違ったよ。何処が違うかと言われても困るけど……」
「ふーん、そうか、やっぱり違うのか」
カールが何処と無く憧れるような表情をしている。どんな人か……。知らないほうが良いよ、カール。あの人は外見はどうしようもないほどお嬢で中身はとんでもない悪魔だった。黒い尻尾が生えていないのが不思議なくらいだったんだから……。
帝国暦484年 1月20日 オーディン ヨハン・マテウス
巡航艦ツェルプストへの配属が決まった。軍専門学校を卒業して通信兵として最初に配属されたのは宇宙艦隊司令部だったのはまだ我慢できる。新人をいきなり最前線に出すのは危険だと思ったのだろう。だがもう一年が経っている、それなのに今度は第一巡察部隊か……。
巡航艦ツェルプストなんて艦齢二十五年を超える老朽艦だ。前線には出せないから国内でしか使えない艦。そんな艦に配属されても少しも嬉しくない。おまけに巡察部隊だなんて国内の巡視部隊じゃないか、俺は最前線で反乱軍と戦いたいんだ。それなのに……。
やりきれない思いを胸に抱いて家に帰ると姉のアティアが話しかけてきた。俺より四歳上の姉は軍務省の人事局に務めている。
「ヨハン、新しい辞令が出たんでしょう。あんた今度は何処なのよ、まさか最前線じゃないでしょうね」
姉は俺が最前線勤務を望んでいるのを知っているがそれには酷く反対している。姉にしてみれば最前線に行きたがる俺の行為が馬鹿げたものに見えるらしい。“あんたみたいに最前線に行きたがる男が多いから、私達が結婚できないんじゃない”。姉の口癖だ。
「違うよ、第一巡察部隊、巡航艦ツェルプストに配属が決まった」
幾分ぶっきらぼうに答えると姉が噛み付くように話しかけてきた。
「巡航艦ツェルプスト! あんた本当に巡航艦ツェルプストに配属になったの?」
何だ? 一体どうしたって言うんだ? 巡航艦ツェルプストってなにかやばいのか?
「そうだけど、それがどうかした?」
思わず恐る恐る尋ねると姉は興奮して俺にまくし立てた。
「何言ってるのよ、ヴァレンシュタイン中佐が艦長の艦じゃない」
「え? 艦長って決まってるの。俺が聞いた話じゃ、まだ決まってないってことだったけど」
「最新情報よ、軍務尚書、宇宙艦隊司令長官の推薦で中佐が艦長兼第一巡察部隊の司令になったの!」
ヴァレンシュタイン中佐? サイオキシン麻薬、アルレスハイム星域の会戦で有名になった、あのヴァレンシュタイン中佐か……。その中佐が艦長? しかも軍務尚書、宇宙艦隊司令長官の推薦? すげえな、俺とたいして歳も変わらないはずだけど……。
「あんた、中佐からサイン貰ってきてよ」
「はあ? サイン?」
「そうよ、サイン、後で色紙渡すから貰ってきてよ。あの山猫供にギャフンと言わせてやる」
姉は妙に力んでいる。何なんだ、一体。
「姉さん、山猫って何さ」
「山猫よ、兵站統括部の女どもよ」
俺が訝しげにしているのが不満だったのだろう、姉はさらにまくし立てた。
「いい、兵站統括部っていうのはね、碌な男が居ないの。分かる? 山奥で人が居ないところなのよ。そこに居る雌猫どもだから山猫なの!」
「随分酷い言い方をするんだね」
「何言ってるの、あいつらの肩を持つの、あんた」
「いや、そういうわけじゃないけど」
やばい、姉の目が吊り上がっている。よっぽど兵站統括部の女性兵に頭に来ているみたいだ。
「あいつら油断できないのよ、時々軍務省とか宇宙艦隊司令部に来て男をかっさらっていくんだから。分かる? あいつ等はほんとに手癖の悪い山猫なの!」
「……」
姉は以前、男に振られたと言ってたけど、まさか山猫に男を取られたのか? 気持は分かるけどこの荒れようは姉の方が山猫だ。
「おまけに中佐と一緒にケーキ食べてる写真なんて持ってるし、むかつくのよ! ヨハン! サイン必ず貰ってくるのよ!」
「ああ、分かったよ」
「それと、中佐の足を引っ張るんじゃないわよ、分かった!」
「もちろんだよ。そんなことするわけないじゃない」
とりあえず、此処は逆らわずにいよう。目を吊り上げてまくし立てる姉は間違いなく山猫だ。あの紅い爪で引っ掻かれたくない。
帝国暦484年 5月23日 巡航艦 ツェルプスト ヨハン・マテウス
「駆逐艦ラウエンより入電、レーダーに感有り」
「位相は」
俺が駆逐艦ラウエンからの報告を伝えるとワーレン少佐は重厚な口調で問いかけてきた。いかにも頼りがいのある、指揮官の声だ。この艦を動かしているのはやっぱりワーレン少佐だ。俺は憧れを感じながら少佐に答えた。
「八一七宙域を九一三宙域に向かって移動中との事です」
俺の返答にワーレン少佐はヴァレンシュタイン中佐に視線を向ける。
「全艦に命令、直ちに宙域八一七に向かう。軽空母ファーレンに命令。ワルキューレを出し偵察行動をさせるように」
あー、ヴァレンシュタイン中佐が命令を出したが、声は少し高いし、それに全然威圧感が無い。これじゃあ、いまいちなんだよな、緊張感ゼロ、ヤル気でねえよ。
中佐は艦長席で御行儀良く座っている。小柄で華奢な中佐は遠目には女の子のようだ。ワーレン少佐と比べると余計にそう見える。サイオキシン麻薬、アルレスハイムの会戦では功績を挙げたと言われているけどとてもそうは思えない。
当初この艦に来た中佐は殆ど艦長としての職務も部隊の動かし方も分からなかった。ワーレン少佐が付きっ切りで教えていたがその様子はまるで何処かのお嬢様と使用人だった。あれじゃワーレン少佐が気の毒だと皆で思ったものだ。
まあ、それでも熱心に覚えていたから二月もすれば任務をこなせるようになっていたけど、飲み物はココア、ピーマンとレバーが嫌いって何だよ、まるで子供じゃないか、皆大笑いだった。俺達乗組員の中佐に対する評価は“お嬢”だ。姉さんには悪いけど馬鹿くさくってサインなんか貰えるもんか、冗談じゃない。姉さんから貰った色紙十枚は俺の部屋に放置したままだ。
「どういうことだ、何故積荷の確認が出来ない?」
「はっ、それが、船長が反対しているのです」
「こちらは公務だぞ、何を考えている」
ワーレン少佐が少し眉を寄せて呟いた。かっこいいぜ、なんとも言えない渋さだ。男はこうじゃなきゃ。俺も言ってみたいぜ”こちらは公務だぞ、何を考えている”。
駆逐艦ラウエンが民間の交易船パラウド号に積荷の臨検を通知してから一時間経ったけど、まだ臨検が終わらないようだ。兵を派遣したけれど、どうもパラウド号の船長が臨検に反対しているらしい。
埒が明かない、誰かが向こうに行って指揮を取り直すべきだ。そうは思ったけどヴァレンシュタイン中佐が交易船パラウドに自ら臨検に行くと言い出したときには何かの冗談だと思った。パラウド号では何かトラブルが起きているのは間違いない。お嬢に解決できるもんか。
お嬢、お嬢はツェルプストで大人しくしてればいいんだよ、所詮は飾り物なんだから。俺も同行者の二十名の中に選ばれた時には罰当たりだとは思ったけど心の中でオーディンを罵ったぜ。
俺も不安だったけどワーレン少佐はもっと心配だったんだろう、中佐に同行してくれた。正直ほっとしたね、少佐が一緒なら何とかなるからな。さて、パラウド号に向かうとするか。
帝国暦484年 5月23日 交易船 パラウド ヨハン・マテウス
「バルツァー船長、コンテナから妙な物を見つけましたよ。御禁制のトラウンシュタイン産のバッファローの毛皮十枚。あれは一体どなたからの依頼ですか、教えていただけると助かるのですが」
やばいよ、やばいよ、やばいよ。トラウンシュタイン産のバッファローって何んだよ、それ。御禁制? なんでそんなのが有るんだよ。バルツァー船長も乗組員たちも黙ったままだ。みんな積荷が何か知っているぜ、あれは。確信犯だよ、絶対に。
仲間は皆不安そうな表情をしている、俺も多分同じだろう。変わらないのはお嬢だけだ。どういうわけか楽しそうな表情をしている、状況分かってんのか、こいつ。
俺が不安に思っているとお嬢とバルツァー船長がなにやら遣り合っている。“言いがかり”だとか“早く解放しろ”だとかだ。バルツァー船長は自信満々だ、多分貴族が後ろについてるんだろう。いけ好かない親父だが触らぬ貴族に祟り無しだ。さっさと帰ろうぜ、意地を張るなよ、お嬢。
「残念ですがそうは行きません。バルツァー船長、協力していただけないのなら貴方達には全員ここで死んでもらいます」
「!」
おいおい、何言ってんだよ、正気か、お嬢? ワーレン少佐もギョッとしているぜ、頭大丈夫か?
「何を馬鹿なことを言っている。我々を全員殺すとはどういうことだ?」
バルツァー船長が顔を真っ赤にしてヴァレンシュタイン中佐を怒鳴りつけた。全く同感だ、もっと言ってやれ。
お嬢は穏やかに微笑みながらバルツァー船長を見ている。やばいよ、これ。どっかおかしいんじゃねえの?
「交易船パラウド号は海賊に襲われ、乗組員は全員死亡、積荷も奪われ、船は海賊の攻撃により跡形も無く爆発、そういうことです」
「馬鹿な、何を言っている。お前達が臨検しているという事はオーディンに知らせたのだぞ」
「なるほど雇い主はオーディンですか、まあもうどうでも良い事ですが……。海賊は第一巡察部隊の名を騙ったのですよ、バルツァー船長。臨検と称してパラウド号に乗り込み貴方達を皆殺しにして積荷を奪った。本物の第一巡察部隊が来たときには海賊は既に立ち去りパラウド号の残骸しか残っていなかった。大変残念です」
「……ざ、残念だと」
残念じゃねえよ! 全員皆殺しって何だよそれ。笑いながら言う事か? 頭おかしいぞ、お嬢。バルツァー親父が顔を青褪めさせて抗議している。ワーレン少佐がお嬢を止めに入った。
「ヴァレンシュタイン司令、いくらなんでもそれはやりすぎです。もう彼らも分かったでしょう。こちらの取調べに協力するはずです」
そうだよ、その辺で勘弁してやれよ、お嬢にしては良くやった。それは認めるからさ。
「甘いですね、ワーレン少佐」
げっ、何言ってんだよお嬢。ワーレン少佐に“甘い”! 気でも狂ったか? 早く謝るんだ! ワーレン少佐もむっとしてるぞ、どうなってもしらねえぞ!
お嬢とワーレン少佐が話をしている。段々ワーレン少佐の顔が強張ってきた。おいおいワーレン少佐が負けてるよ、嘘だろ。二人が近づいて小声で話している。ワーレン少佐の顔が青褪めてきた。
やばいよ、ワーレン少佐が青褪めるって一体どんな話だよ。俺は隣に居る奴の顔を見た。こいつも青褪めている。いや、全員不安そうにしている中で、お嬢だけが笑みを浮かべている。おかしい、どっかおかしいぜ、これ。
「何だ、一体、何故俺を見る? 俺をどうするつもりだ」
「いえ、ワーレン少佐が乗組員全員を殺すのは嫌だと言うのですよ。ですから誰か一人に全ての罪を背負って死んで貰おうと言っているんです」
今度はバルツァー船長に全ての罪を擦り付けて終わりにしようとお嬢が言い出した。
“冗談は止めろ、そんな事が許されるのか”
“ふ、ふざけるな、そ、そんな事が、ゆ、許されると思っているのか”
バルツァー親父は抗議しているけど誰も彼を助けようとはしない、ワーレン少佐も沈黙したままだ。そんなバルツァー船長をお嬢は冷笑を浮かべながら見ている。怖いよ、こいつ、マジで怖い。
「貴官の名前は?」
え、俺? いきなり何? 勘弁してくれよ。
「ヨ、ヨハン・マテウス二等兵です、ヴァレンシュタイン司令」
「マテウス二等兵、私はバルツァー船長が嫌いなのですが、貴官はどう思います?」
「は、はい、小官も嫌いであります」
もちろん嫌いだよ、お嬢が嫌いな物は俺も嫌いだ。ピーマンもレバーも嫌いだし、好きなものはココアと甘いものだ。俺はお子様でいい。
「気が合いますね、マテウス二等兵。名前と顔はしっかりと覚えましたよ」
「はっ、有難う御座います」
覚えなくて良いから、御願いだから覚えないでくれ。それとニコニコ笑うのは止めてくれよ、怖いんだよ、あんたの笑顔。マジで怖いんだ、小便チビリそうだよ。
「ところで、私はバルツァー船長は死ぬべきだと思っているのですが貴官はどう思います?」
バルツァー船長がギョッとした表情になって俺を見ている。何てこと訊くんだよ、勘弁してくれよ。俺が自分も同感ですって言ったらどうなんだよ? この人殺されちゃうの? 一生俺トラウマになるぜ。ワーレン少佐、助けてくださいよ。
「ワーレン少佐が気になりますか、マテウス二等兵。大丈夫ですよ、ワーレン少佐はもう直ぐ昇進して異動です。遠慮せず、本当の事を言ってください」
お嬢が優しい声で話しかけてくる。怖いよ、何だよそれ、俺達の事怒ってるの? お嬢って呼んで馬鹿にしてるって……。ワーレン少佐が居なくなったらどうなるか分かってるのか、そう言う事? 今自分に味方すれば許してやるがどうする? そう訊いてんの? 勘弁してくれよ。
「ヴァレンシュタイン司令」
ワーレン少佐が止めに入ってくれた。助かった、有難うございます、ワーレン少佐。少佐は命の恩人です。マジで感謝です。
そこから先はお嬢がバルツァー船長を脅しまくって終わった。軍人よりも犯罪者のほうが似合いそうな脅し文句だった。バルツァー船長は最後は泣きながら許してくれと懇願して、中佐は“興が冷めました”と言ってバルツァー船長をいたぶるのを止めた。つまらなさそうだった。
多分、お嬢の本当の狙いはバルツァー船長じゃない。お嬢を見くびっていた俺達乗組員を脅し上げることだ。自分を見くびるとどうなるか、バルツァー船長を見てよく覚えておけ、そう言いたかったんだと思う。実際パラウド号に行った連中は皆お嬢に怯えていたからな。きっとそうに違いない。
帝国暦484年 7月15日 オーディン ヨハン・マテウス
「やったじゃない、昇進ね、ヨハン」
「うん」
オーディンに帰ってくると、俺達を待っていたのは昇進だった。何といっても皇帝陛下の財産を不届きな盗賊から守ったんだ。当然と言える。俺は二等兵から一等兵に昇進した。姉も喜んでくれた。
「ねえ、サイン貰えないの」
「無理だよ、姉さん。前にも言ったけどヴァレンシュタイン中佐は艦長兼司令で忙しいんだ。サインくださいなんて言えないよ。仕事の邪魔しちゃいけないだろう?」
「うーん、残念」
残念そうな姉の表情を見ると胸が痛んだ。ごめん、姉さん。でも中佐のサインなんか貰っちゃ駄目だ。呪われるぜ、絶対祟りがある。一生結婚できないとか、三代先まで早死にするとか。中佐は山猫にくれてやれよ、その方が絶対幸せになれるから。
「ねえ、俺達中佐を除いて全員昇進したけどさ、中佐はどうなるの。勲章貰ったみたいだけど」
「中佐の昇進は十月よ、人事異動に合わせて昇進するの」
「?」
「昇進が早すぎるから本人のためにならないって言う事。凄いわよね、昇進が早すぎるなんて」
「へー」
確かに凄い。俺も一度で良いからそういう扱いを受けてみたいもんだ。
「多分異動もあるんじゃないかな、何時までも巡察部隊にはいないわね」
「そうなの」
「そうよ。今年はサイオキシン麻薬の後始末で外征はなかったけど来年は有るわ。多分中佐も出征するんじゃないかしら」
「……」
「あんた、まだ前線に出たいの?」
「いや、俺は巡察部隊で良いよ。前線は中佐みたいな人に任せるさ」
「そうね、あんたみたいな凡人はそれが一番よ。今の世の中、生き残るのは大変なんだから」
そう言うと姉はクスクス笑い出した。正直面白くはなかったけど、姉の言う事が幾分か分かるような気がした。あんな化け物みたいな人間の居るところには近づきたくない。命が幾つあっても足りはしないからな。中佐が異動になるなら俺は巡察部隊でいい。平穏なのが一番だ……。
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