外伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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御落胤 (その2)
帝国暦 487年9月 30日 オーディン 新無憂宮 ライナー・フォン・ゲルラッハ
「フレイア・ラウテンバッハは暮らしをどのようにして立てていたのでしょう? グリンメルスハウゼン子爵が援助していたのでしょうか」
私の問いに陛下が答えた。
「フレイアの父は交易船を使って相当な財産を持っておった。予とフレイアが出会った時は、既に死んでおったがフレイアが生活に困るような事は全く無かった」
「……」
ブラウンシュバイク公が陛下の言葉に頷く。陛下の言葉に嘘は無いようだ。
「国務尚書、ヘレーネは死んだのじゃな」
「……」
陛下の声にリヒテンラーデ侯は答えることが出来なかった。周りの人間も皆顔を伏せている。
リヒテンラーデ侯に答える事は出来ないだろう。ヴァレンシュタイン夫妻を殺したのはカストロプ公だった。だがそれを処罰せずにリヒテンラーデ侯は放置した、贄として育てるために。
本当ならもっと前にカストロプ公を処罰する事も出来ただろう。そうであればヴァレンシュタイン夫妻は死なずに済んだかもしれない。
リヒテンラーデ侯があの二人を殺したとは言わない、しかし責任の一端はリヒテンラーデ侯にもあり、カストロプ公のような人間を安定のために利用しなければならない帝国にもある。
「そちの所為ではない、気にするな」
「恐れ入りまする」
「ヘレーネはどのような娘であった? 誰か知る者はおらぬか?」
沈黙が落ちた。当たり前の話だが彼女を知る人間など此処にはいない。平民の司法書士などに関心を持つ人間は居ないだろう。
「誰も知らぬのか……。予はあれの髪の色、瞳の色、背丈、何一つ知ることも出来ぬのか……。皇帝など無力なものよな……」
陛下の声には自嘲の響きがある。久しく聞かなかった声だ。
「陛下、マリーンドルフ伯が知っておるやもしれませぬ」
「財務尚書、マリーンドルフ伯は謁見のために並んでおる。直ぐ呼んではどうかな」
私の言葉に、ブラウンシュバイク公が反応した。陛下を見ると、静かに頷き、その姿に女官が動き出す。
「あれは、知っておるのかの。予の孫だという事を」
「……」
「貴族にしようなどとあれにとっては笑止なことであろうな。予が皇族であるがゆえにヘレーネは認知されなかった。身分などに囚われる事がどれほど愚かしい事か……。それゆえ平民だと言い張ったか……」
陛下の呟くような言葉に誰も答えることが出来ない。いや、大体答えなど求めているとも思えない。しかし、本当にヴァレンシュタイン元帥が陛下の孫ならどうなるのだろう。
陛下の御子は全て皇女しか生存していない。しかも臣下に降嫁している。生まれた子は皆女子だ。男子で生きているのは皇孫エルウィン・ヨーゼフ殿下とヴァレンシュタイン元帥。
エルウィン・ヨーゼフ殿下には有力な後見はいない。おまけに未だ幼く政治など自分ではできない。後見に付くとすればリヒテンラーデ侯だが、それは外戚に政治を自由にさせることを恐れたためだった。
もしヴァレンシュタイン元帥が皇族と認められた場合、それでもエルウィン・ヨーゼフ殿下の後見につくだろうか? そうではあるまい、むしろ元帥とともに前へ進むのではないだろうか?
ブラウンシュバイク公も自分だけが椅子に座っている事に気が引けたのだろう。立ち上がり、椅子を女官に片付けるように指示を出した。
「マリーンドルフ伯、参りました」
「おお、伯か、そちに聞きたいことが有る」
足早に謁見室に入り、ひざまづいたマリーンドルフ伯に対し陛下が尋ねた。
「ヘレーネ・ヴァレンシュタインを知っておるな、どのような娘であった?」
「娘? 彼女はヴァレンシュタイン元帥の母親ですが……」
「似ておるのか?」
マリーンドルフ伯は陛下の問いに困惑しながら答えている。
「髪の色、眼の色は違いますが、それを除けばよく似ています」
「そうか、髪の色は金、眼は青じゃな」
「はい」
「ヘレーネはフレイアに似たのじゃな。一度でよい、この腕に抱き締めてやりたかった……」
陛下の言葉に女官たちの間ですすり泣く声が聞こえた。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、火急のお召しと聞きました」
「エーレンベルク軍務尚書だ、御免」
「シュタインホフ統帥本部総長、入るぞ」
「ラインハルト・フォン・ローエングラム、入ります」
帝国軍三長官が来た、それにローエングラム伯も。呼んだのはヴァレンシュタイン元帥だけのはずだ、例の改革の件でトラブルが起きたと勘違いしたか。陛下は入ってきた四人を見ると驚いたようだったが、直ぐヴァレンシュタイン元帥を手招きして呼び寄せた。
「おお、ヴァレンシュタイン、いや、エーリッヒ、ここへ」
「はっ」
陛下は不審そうな表情で近寄るヴァレンシュタイン元帥の傍によると両肩をつかみ元帥の顔をじっと見た。
「似ておる。やはりそちはフレイアに似ておる」
「?」
「苦労をかけたな、予がそちの祖父じゃ。そちの母、ヘレーナは予の娘じゃ」
「!」
軍務尚書、統帥本部総長、ローエングラム伯は驚いて顔を見合わせた。ヴァレンシュタイン元帥は状況が良く分からないのだろう、不思議そうな顔をして陛下を見ている。
「陛下、それは一体何の冗談です」
「冗談ではない。予はそちの祖父なのじゃ」
ヴァレンシュタイン元帥は少し困ったような表情をしてこちらを見た。
「大体何が有ったか想像がつきますが、リヒテンラーデ侯、まさか侯まで信じたのではないでしょうね」
「いや、まあ嘘じゃと思ったがの・・・・・・」
リヒテンラーデ侯も少し困ったような表情で答えた。ヴァレンシュタイン元帥は一つ溜息をつくとリヒテンラーデ侯に話しかけた。
「リヒテンラーデ侯、一体何が有ったか詳しく説明してもらえますか、帝国軍三長官、それにローエングラム伯まで此処に来ているんです」
リヒテンラーデ侯は渋々といった表情で事の顛末を話した。ヴァレンシュタイン元帥は呆れたような表情をし、エーレンベルク、シュタインホフの両元帥、ローエングラム伯は半信半疑な顔をしている。
「嘘なのですか、元帥」
「嘘ですよ、財務尚書。そんなことはありえません」
「しかし……」
「グリンメルスハウゼン子爵は今生きていれば七十八のはずです。母は四百四十一年に生まれました、今から四十六年前です。つまり子爵は当時は三十代前半、祖母の傍に居た四十代の男性とは明らかに別人です」
なるほど確かにそうだ、やはり嘘なのか、思わず陛下を見る。
「違うの、それはグリンメルスハウゼンじゃ、あれは歳より老けて見えたからの、三十代前半の頃は既に四十近くに見えた」
平然と陛下が言い放った。確かにグリンメルスハウゼン子爵は歳より老けて見えた。ではやはり本当なのだろうか。
「陛下、そろそろ止めませぬか。皆に御謝りください、冗談がすぎますぞ」
「リヒテンラーデ侯、ではやはり嘘なのか」
ブラウンシュバイク公が腑に落ちない表情で問いかけた。
「陛下の御戯れじゃ。グリンメルスハウゼン子爵は確かに歳より老けて見えたかもしれん。じゃが子爵は侍従武官の職にあった。そうそう簡単に陛下の元を離れ、元帥の祖母の元に行く事が出来たとは思えん。周囲の目に付いたという事はかなりの頻度で行ったということじゃ、ありえぬことよ」
なるほど、確かにそうだ。侍従武官が度々陛下の元を離れていては職務怠慢で咎めを受けよう。となるとやはり元帥は陛下とは血のつながりは無いのか。
「その通りです。私は陛下とは何の関わりも有りません」
「陛下、元帥の言うことに間違いありませぬな」
リヒテンラーデ侯が念を押す形で確認を取った。
「ヴァレンシュタインの言う通りで良い」
「? 陛下それは一体……」
「ヴァレンシュタインが孫だと言うなら孫よ、違うと言うなら違う、そういうことじゃ」
「陛下、それでは……」
「良いではないか、予は孫に甘い爺なのじゃ」
そう言うと陛下は大笑いした。
そんな陛下の姿を苦い表情で見ていたヴァレンシュタイン元帥が国務尚書に言葉をかけた。
「リヒテンラーデ侯、陛下がこんなにもひょうきんになってしまわれたのは侯の監督不行き届きのせいです。侯が陛下を甘やかすから・・・・・・」
その言葉にリヒテンラーデ侯がむっとして言い返した。
「私のせいだと言うか。大体陛下がひょうきんになられたのは卿の責任であろう」
「どういうことです。私のせいとは」
「ブルクハウゼン侯を嵌めるとき、台本まで作って陛下を指導したのは誰じゃ、卿ではないか。陛下がひょうきんになられたのは卿が妙な小芝居を教えたからじゃ」
リヒテンラーデ侯の言葉にヴァレンシュタイン元帥は憤然として答えた。
「確かに台本は作りました。演技も指導しました。しかし、黒真珠の間で大笑いしろなどとは書いていませんし、指導もしていません。仕事を楽しむのは結構ですが、楽しみすぎです!」
「わ、私だけではないぞ、軍務尚書も統帥本部総長も一緒だったのじゃ。何故私だけを責める。二人も同罪じゃろう」
「陛下のお傍に一番居るのはリヒテンラーデ侯です」
その言葉に軍務尚書も統帥本部総長が激しく頷く。
「とにかく、帝国軍三長官と副司令長官が呼び出されたのです。いずれ納得のいく説明をしてもらえるものと考えております。失礼させていただきます」
むっとして帰ろうとするヴァレンシュタイン元帥をリヒテンラーデ侯が呼び止めた。
「待て、まだ話は終わっておらん」
「?」
「卿の祖父は誰なのじゃ?」
「・・・・・・」
「知っておるなら言うが良い、このままだとまた陛下の孫だと噂が出るぞ。それとも言えぬ訳でもあるか」
リヒテンラーデ侯は何処か意地の悪そうな表情で元帥に問いかけた。元帥はしばらく黙って侯を睨んでいたが薄く笑うと侯に答えた。
「言っても宜しいですが、後悔なさいますぞ」
「なんじゃと」
「私の祖父の名前はクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵、貴方です」
「!」
一瞬皆沈黙した。
「そうか、予ではなく国務尚書の孫か、良かったの、頼りになる孫で」
陛下の爆笑とともに出される言葉にリヒテンラーデ侯は体を震わせた。
「冗談ではありません。このような性格の悪い孫など持った憶えはありませぬ」
「そんなことはありません。私は侯に良く似ていると軍務尚書、統帥本部総長に言われました」
澄ました顔でヴァレンシュタイン元帥は言うと、軍務尚書、統帥本部総長を見た。それにつられ軍務尚書、統帥本部総長が口々に答える。
「確かに似ているとは思うが」
「うむ、似すぎるくらいにな」
軍務尚書、統帥本部総長の声にリヒテンラーデ侯は
「何処も、似とらんわ! 一体何処を見ておる」
と怒鳴りつけた。
「ご安心ください、お爺様。リヒテンラーデ侯爵家の家督が欲しいとか、養育費を払えとか、認知しろとか言いません」
「あ、当たり前じゃ! 何がお爺様じゃ、第一私は外で子供など作っておらんわ!」
「お爺様、自慢になりませんし、証人も居ません。私とお爺様が他人だと説明するのは難しそうですね。しかし、陛下の孫などと言われるよりはましでしょう」
その声に陛下がまた爆笑し、それがリヒテンラーデ侯を更に激昂させた。
「こ、この悪党め、何と言う嫌な奴じゃ。卿などヨルムンガンドに食われてしまえ!」
リヒテンラーデ侯の罵声を聞きながら、ヴァレンシュタイン元帥はにっこりと笑うと
「それでは皆さん、祖父をよろしくお願いします」
と告げ、マントを翻して謁見室を出て行った。
「ええい、何といやな奴じゃ。腹の立つ、これも、あのヒルデスハイムの阿呆のせいかと思うと更に腹が立つわい」
「閣下、少し落ち着きませんと」
「何を落ち着くのじゃ、ゲルラッハ子爵。陛下、本日の謁見は終わりにいたしますぞ」
「うむ、善きに計らえ」
「ゲルラッハ子爵、午後の閣議は卿が取り仕切れ。私は家に帰る」
「帰るのでありますか?」
「おお、そうじゃ。文句があるか、ゲルラッハ子爵。不貞寝じゃ、陛下とあの小僧のせいでの、とことん疲れたわい。宜しいですな、陛下」
「おお、たまにはゆっくり休むが良かろう。孫の事でも考えながらの」
「陛下!」
「そちが要らぬのなら予が貰うぞ」
「陛下!」
陛下はリヒテンラーデ侯の抗議を無視し大笑いをしながら謁見室を出て行った。残されたのは、怒り心頭に達しているリヒテンラーデ侯と必死に笑いを堪えている廷臣たちだった。
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