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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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百十三 時越え

 
前書き
ぎっりぎりな更新、大変申し訳ありません!!

こういう系統の話はわけわからなくなるので、意味不明な話に見えるかもしれません。私自身、よくわかっておりませんので是非、一度、映画を鑑賞してみてください…(汗)
大変申し訳ございませんが、若干加筆致しました。すみません。

百十話に一度目を通してくださってからご覧になることをお勧めします。どうぞよろしくお願い致します。



 

 
汚泥に似た黒い闇が四肢に纏わりついている。
深く冷たい漆黒は紫苑を捕らえ、ずぶずぶと己の中に取り込もうとしている。

けれど、それを妨げる光があった。


紫苑の胸元の鈴が【魍魎】の体内で光を放つ。やわい仄かな光は闇に囚われた紫苑を更に包み込み、彼女の身を守った。

鈴の光の中で胎児の如く身を丸くする紫苑の耳元で、【魍魎】が囁く。
『巫女よ、涙することはない。その光ある限り、我にお前を取り込むことは出来ぬ…だが、いいのか?お前の意に沿わぬモノを見ることになるぞ?』


宿敵である巫女をとうとう己の中に閉じ込めた【魍魎】が、堪え切れずに笑う。勝ち誇った笑い声が闇に轟いた。

『―――この世の最後をなぁ…ククク…クハハハハハ…ッ!』






【魍魎】の哄笑を聞いても、紫苑にはもう何の感情もわき上がらなかった。

抗う気持ちも焦りも感じず、ただただ、空しさだけが胸中を占めている。
世界の終わり、と聞いても何の感慨も無く、諦めの境地で紫苑は瞳を閉ざしていた。【魍魎】の体内である闇の中、現実から眼を逸らすように双眸をぎゅっと瞑る。


もはや紫苑は何も見たくも聞きたくも理解したくもなかった。鈴の結界という名の殻の中に自ら閉じこもる。
不意に、誰かが自分の名を呼んでいる気がした。


(……誰?私を呼ぶのは…)

闇に轟く【魍魎】の高笑いよりも遥かに小さく遠い声。にもかかわらず、その声は彼女が閉じこもる結界の中で微かに反響した。


――――紫苑。

(…――ナルト…?)
【魍魎】に取り込まれる寸前、彼女に向かって手を伸ばした存在。紫苑の瞼の裏で、彼の髪の金色が色濃く過った。

(私はまだ生きている…ならば、ナルトは?)


何度も視た予知夢。倒れゆく金。
あの予知が【魍魎】否、黄泉の配下の一人が変化したナルトのことならばよいが、もし間違っていたら。
どちらにせよ、【魍魎】に世界が滅ぼされるのなら、ナルトは。

(ナルトは……?)



チリン、と美妙な音を奏でていた鈴が、呆けていた意識を呼び覚ます。
そこでようやく、紫苑は我に返った。
「このままでは…ナルトは……世界は、」


胸元の鈴をかき抱く。彼女の想いに呼応したのか、鈴が一際強く輝き始める。


その光の中に紫苑は見た。
まだ紫苑の大好きな母――弥勒が生きていた頃の世界を。



≪……母になにが起ころうと、心乱してはなりませぬ。お前の前から母の姿が消えようと…この世と同じ、泡沫(うたかた)のもの……≫


それは遠い過去の映像。
鈴の美妙な音に雑じって、母の優しく切なげな声音が紫苑の耳朶にひそやかに触れた。







紫苑は鬼の国の巫女でありながら、巫女として当然身につけねばならぬ巫術の一切を何も教わらなかった。
それはひとえに、母・弥勒の命令によるもの。


如何なる術もあの子には教えぬ。

巫女の側仕えの男に、弥勒はそう一言、申し付けた。狼狽えた部下が弥勒に詰め寄ったが、彼女は頑なに首を振る。

代わりに母から与えられたのは、現在紫苑を【魍魎】の闇から守っている、小さな鈴だった。


弥勒の言葉通りずっと、肌身離さず身につけているその鈴を、紫苑が手放したのは一度だけ。
その一度の過ちが、母の死の要因とも言えた。



≪……母になにが起ころうと、心乱してはなりませぬ。お前の前から母の姿が消えようと…この世と同じ、泡沫(うたかた)のもの……≫



弥勒の声が紫苑の耳朶にこだまする。
お守りだ、と幼き日に母に手渡された鈴が昔と変わらぬ美妙な音を鳴らして、紫苑のかつての記憶を呼び起こした。

無意識に脳裏の奥に封印していた忌まわしい記憶。

母の弥勒が紫苑の前から姿を消した訳がその過去には記されている。
故意ではなくとも、仕方がなかったことだとしても、紫苑にとって消し去りたい過去の映像。

だが、同時にその記憶にこそ、巫女の力の秘密が隠されていたのだ、と紫苑は今この時を以ってようやく気づけた。





「―――母さま…っ!」

幼い紫苑が叫んでいる。それを、今の紫苑は視ている。
過去の映像だというのに、いつもの予知夢を視ているように、紫苑は鈴が織り成す光の中に、そのビジョンを見出した。


幼き自分の眼前で、母の弥勒が【魍魎】と対峙している。
紫苑は母を呼ぼうとして、声を呑み込んだ。【魍魎】と弥勒が交わしている話の内容から、二人が旧知の間柄のようであるのが幼き彼女にも理解できた。


『魍魎の力にお前の巫術が加われば、この世を統べるなど造作も無いこと。それなのに、何故人間の味方なぞする!?』
「愚かな…。何故、人を信じてやれぬ」
『人?人を信じる?本気で言っているのか!?……もうよい。お前の力、借りるに及ばぬ』


形の無い闇の姿で【魍魎】は首を振ったような仕草をした。その動作からは【魍魎】が弥勒を見限ったのが窺える。
だがそれは、弥勒にも言える事であった。

弥勒は【魍魎】をただじっと見返している。その瞳の奥には、【魍魎】に対する哀れみの色が浮かんでいた。そして同時に、何らかの覚悟をしている強い眼差しでもあった。


【魍魎】が襲い掛かってきていたこの出来事を何故憶えていなかったのか、もしくは忘れてしまっていたのか。
いずれにせよ母と幼き自分に脅威が迫っているのは確かだ。そう思いつつも現実の紫苑は手を出せない。
目の前の映像が、既に終わった過去の出来事だからだ。


時を越えて過去の映像を垣間見る紫苑の視線の先で、【魍魎】が弥勒の背後にいる幼き紫苑の姿を捉える。
紫紺の闇の奥で【魍魎】の辛うじて眼とわかる赤い光がゆうるりと細められた。
『あくまで我の邪魔をするというのなら、弥勒…―――』


血の如き赤い眼が幼き紫苑を認める。【魍魎】の意図を察した弥勒が振り返って我が子を呼んだ。
「紫苑、鈴は…ッ!?」
「えっ、あ……」


いつもなら身につけているお守りを、あろうことか、幼き紫苑はこの時、手にしていなかった。
常に肌身離さず持っている鈴を、その日に限って置き忘れてしまったのだ。


標的を定めた闇がにんまりと嗤い、そうして弥勒の背後へ紫炎を吐き散らす。凄まじい速さと勢いのある火炎は、小さくか弱い未来の巫女を瞬く間に吞み込んだ。

宙を舞う火花の中で、【魍魎】は弥勒の大事な存在をあっさり奪い去った己の力に酔い痴れる。
だが、幼い紫苑に殺到した紫の炎は、すぐさま掻き消された。


他でもない、紫苑の母――弥勒によって。



「巫女の力、侮るでない」
闇である【魍魎】にとって忌々しき光。その中で、弥勒の凛とした声が響く。
紫苑を庇った弥勒の身体から、眩いばかりの光と力が溢れている。


神々しい光を身に纏う弥勒は、先ほど彼女が立っていた場所とは遠く離れていたはずだった。
紫苑の救出に決して間に合う距離ではない。

しかしながら、実際に紫苑を庇い、己の前に立ちはだかる弥勒の姿を見て、【魍魎】は苦々しげに唸った。
『そうか…なるほど』

得心がいったとばかりに、【魍魎】の赤い眼が眇められる。元々は巫女と同一の存在である【魍魎】は即座に、この不可思議な現象の謎を解明した。
同時に、紫苑も悟った。


母の弥勒が如何にして、幼き自分を救ったかを。
そしてそれが、【魍魎】を封印する覚悟故の力である事も。

その後、【魍魎】を封印する為に、弥勒があえて【魍魎】の中に取り込まれたという事実を、紫苑は察した。
現在、【魍魎】に呑み込まれた自分と同じく、母もこの闇に囚われ、そうする事で【魍魎】を封印し、紫苑を、鬼の国を、世界を守ったのだ。

元は一つであった存在故に、【魍魎】は巫女を殺せない。同じく巫女も【魍魎】を消し去るほどの力は無い。
【魍魎】を封印するには、【魍魎】と一つになる事を受け入れ、その一部になるしかすべはない。だから母の弥勒も世界を守る為に自らを犠牲にしたのである。
【魍魎】を完全に消し去るには、弥勒より、いや今まで生きてきた巫女達以上の強大な力の持ち主が必要であった。




過去の【魍魎】が、幼き紫苑を庇う弥勒に告げる。
『弥勒、貴様…命を懸け、時を――――』

その声に合わせるように、紫苑は叫ぶ。
鈴が放つ光の中で映し出される過去の映像。
かつて母の弥勒に封印された【魍魎】の言葉尻を、現在の紫苑はとらえた。


【魍魎】の体内で、紫苑は過去を追憶し、そして己の中に眠る力を見出す。
幼き自分を救ってくれた弥勒の力。ソレが巫女の力によるものなら。


「時を――――超える!」


紫苑に出来ぬ道理は無かった。














次の瞬間、妙なことに紫苑は、既視感を覚える場所にいた。
祠に入る手前で墜ちた、谷底の湖。その湖傍の木立の下に、彼女は舞い戻っていた。

思わず怯んだ紫苑の背に、大木の幹があたる。湖の墜落時に濡れた服の感触が、これが夢でも幻でもない事実だと諭してくる。
同様に、木の幹に突き立てた爪の痛みが、目の前の光景が予知による映像ではなく、現実だということを紫苑に思い知らしめた。


気がつけば、【魍魎】の体内ではなく、湖の畔にいる。
暫し戸惑った後、冷静を取り戻した紫苑は、これこそが自分の力なのだと悟った。
巫女の力が、自分の死を受け入れて墜落し、そして助けられた、この谷底の湖へと導いたのだと。

紫苑は自らの身体を見下ろす。全身の輪郭がほのかに発光していた。おそらく巫女にしか視えぬこの光こそが時を越えた証なのだろう。


周囲を見渡して、そして彼女は、目の前に己が最も生きていてほしい存在がいる事実に気づいた。
凛とした声が紫苑に告げる。

「―――俺が守る」


視界に飛び込んできた、酷く力強く頼りになるその背中に飛びつきたくなる衝動を、紫苑はぐっと堪える。現在へ引き戻される前に、彼女は己の為すべき事をしようと、静かに立ち上がった。

紫苑をおぶさる体勢で屈んでいるナルトは、肩越しに振り返ると彼女を静かに促してくる。
物言わぬその背中に縋りついて、何もかもを暴露したくなる誘惑を振り払って、紫苑はゆっくりと彼の許に歩み寄った。


「ナルト…」
「うん?」

寡黙な背中にそっと寄りかかると、襟元に差した鈴が、ちりん、と鳴る。
ナルトの首に回した自分の腕を、紫苑はぎゅっと握り締めた。
「ナルト…お前は」


万感の想いを、全て詰め込んで、紫苑は願う。そうして、ナルトの耳元で囁いた。


「…――――生きろ」

その言葉をきっかけに、紫苑は再び、現在へと引き戻される。
【魍魎】に取り込まれてしまった無情な世界へと。















時は、実際の時間へと戻る。

過去ではなく、現実では、紫苑は【魍魎】に呑み込まれていた。
彼女が消えた代わりに出現したのは、【魍魎】の肉体らしき数多の龍。

龍のけたたましい声に顔を顰めたナルトは、紫苑の姿が消え去った地面の割れ目に視線をやって益々眉を顰めた。
龍の咆哮が洞窟に幾重にも反響している。岩場を崩す龍のせいで溶岩が溢れ、もはや足場はほとんど無かった。
ましてや紫苑の姿など、どこにも見当たらない。

不意にナルトは、踊り狂っている龍の中心に眼を留める。そこから、声が聞こえた気がした。


ナルト、お前は…―――。


自分の名を呼ばれ、ナルトの意識が一瞬、そちらに向かう。その瞬間を狙った龍が大きく口を開いて、そして。


「生きろ!」
刹那、凛とした紫苑の声と共に、鈴の音が美しく鳴り響いた。



紫苑の声が何処から聞こえてきたのか把握出来ずとも、身近に感じる鈴の音に、ナルトは眼を瞬かせる。今一度襲い掛かってきた龍を視界の端に捉え、彼はわざと傍観の構えを取った。
自分の予想が正しいのかどうか、判断する為に。


龍の尻尾が翻ると同時に、リィン、と涼やかな音色が洞窟内に轟いた。己の周囲に、丸く透明な結界が張られている。
その結界は、紫苑が常に身につけていたモノの形をしていた。
結界の光に阻まれ、ナルトに触れる寸前に弾けた龍が黒い血の雨を降らせる。


「……何をした?」

結界の形が鈴である事実から、ナルトは即座に思い当った。
龍の血を煩わしげに払い、空中で身を翻した彼は、先ほど声がした方向へ高らかに叫んだ。



「―――紫苑!」
ナルトの襟元に差し込まれた鈴が、りぃん、と鳴いた。












深い闇の中で、紫苑は膝を抱えて座り込んでいた。

【魍魎】に取り込まれた際には、さほど感じなかった闇も冷気も悲哀も、今は彼女の全身を震えさせるほど身近に感じる。心臓まで凍えそうな冷え切った指先で、自分の身体を抱きかかえるようにしたところで、暗闇が晴れるはずもない。
何故なら、紫苑を守っていた鈴の結界が無いからだ。


それまで鈴の光に避けられていた暗黒が、ここぞとばかりに浸食してくる。
既に【魍魎】と一つになった母の弥勒と同じように、闇は紫苑を呑み込もうとしていた。
けれど彼女はその闇の浸食から逃げようとも逆らおうともせず、ただ無気力に座り込んでいる。


時を越え、過去に戻り、再び現実へと戻った今の紫苑には自分の身を守るすべがなかった。




『よいのか?巫女の守りを人などに与えて……』
俯く紫苑に、【魍魎】が囁く。

弥勒が紫苑を助けた瞬間を目の当たりにした事のある【魍魎】は、紫苑もまたその力を使ったのだと理解していた。
過去へ戻り、ナルトに鈴を与えた彼女の行為を鼻で嗤う。


『よかろう。それがお前の望みなら、叶えてやろう。そして目に焼きつけるとよい。我が躰と一体となり、お前が守ろうとした者どもの死に様を…』

お前の母――弥勒と同じように、と暗に告げ、【魍魎】は愉快げに喉を鳴らす。
鈴の美しい音色にはとても程遠い、下卑た嗤い声が闇に轟いた。


『―――人の世の朽ち果てる様をな…』

暗愚な巫女だ、と己の体内で項垂れる彼女を【魍魎】は嘲笑う。こだまする哄笑の中、紫苑は一度たりとも顔を上げなかった。



「これで、これでよいのじゃ…最初からこうしておけば、里の者も私の代わりに死ぬ者もいなかった…そうでしょ?」
ようやっと顔を上げた紫苑が闇の彼方を呼ぶ。その漆黒の向こうに、小さく輝く光があった。

「…母さま……」


その光は、かつて【魍魎】に取り込まれた弥勒の最後の命の輝き。紫苑の母の弥勒は【魍魎】の一部と化しても、愛しい我が子を見守っていた。
たとえもう、人の姿はしていなくとも、その輝きが母のものだと紫苑は勘づいていた。

≪紫苑…貴女には穏やかな日々を送ってほしかった…≫

弥勒の声が闇の彼方から聞こえてくる。母の声をした穏やかな光は、紫苑に過去の映像を垣間見せる。その光景には、弥勒が何故、紫苑に巫女として身につける巫術の一切を教えなかったかの理由が描かれていた。
 


紫苑は生まれながらにして、強大な力の持ち主だった。母の弥勒、いやそれ以上、一つ間違えれば【魍魎】を遥かに凌ぐ力を持っていた。
それ故に、弥勒は紫苑に何も教えず、ただ小さな鈴を与えたのだ。
その鈴は、一見、強力な結界であり、紫苑を守る力であるように見せかけて、その実、彼女の力を抑え込む封印術がかけられていた。

強すぎる力は、時として人を【魍魎】のような化け物と変える。それを危惧した弥勒はあえて我が子の力を封印したのだ。
強力な封印の力を持つ鈴によって、紫苑の内側にも結界を張っていたのである。


紫苑の力は死ぬ間際に発動する。よって紫苑の身代わりとなって誰かが死なねば、【魍魎】以上の力を持った存在が目覚めてしまう。幼き紫苑が己の強大過ぎる力を御する事が出来るわけもなく、ただ暴走させるのは目に見えていた。
だから彼女が己自身の力を操るようになれる年齢になるまで、弥勒は巫女を守るべくして傍に仕える里の者達に頼んだのだ。
酷な願いである事を重々承知の上で、巫女の身代わりに死んでほしいと。


【魍魎】以上の破壊と恐怖が我が子から生まれるのを防ぐ為に、鈴という枷を与えた弥勒。
母の告白を耳にして、紫苑は思わず光へ手を伸ばす。闇の彼方の微かな光は今にも消え入りそうに小さなモノだったが、紫苑の身体をやわらかく包み込んだ。

その光の中で、紫苑は確かに弥勒に抱き締められた。
≪紫苑…母は貴女を守っても、信じてもあげられなかった…恨みますか?≫

母のぬくもりの中で、紫苑は静かに涙した。彼女は悟っていた。
弥勒が自分を守る為に、悩み考え、そして里の者からも保護してくれた事を。
強大過ぎる力に人々は恐怖し、畏怖する。予知の力だけでさえ、敬遠されてきたのだ。
もしも最初から凄まじい力を持っていたら、想像するだけでゾッとする。

「いいえ…母さま。紫苑は母さまが大好きです……」



母の愛により紫苑は全てを悟り、そして己の中に眠る強大な力を目覚めさせた。
鈴を持たぬ彼女にはもう、自分を束縛する枷は無かった。

『な、なんだ…この光は』
体内に取り込んだ、か弱いはずの巫女から凄まじい力が溢れてくる。漆黒の闇を圧倒する眩い輝きが、紫苑の中から生まれ出ているのを見て、【魍魎】は狼狽えた。
『まさか、あの鈴は…お前の、この力を…』

鈴が結界を張って守っていたのではなく、紫苑の強大な力を抑え込んでいた事実を察して、【魍魎】が愕然とする。
今まで生きてきた巫女の集大成とも言える、物凄い光と力を身に纏った紫苑は、己の身体から溢れる光を見下ろした後、さっと手を翳した。その些細な仕草だけで【魍魎】の闇が晴れてゆく。
鈴の光より遥かに強い神々しい光が紫苑から迸り、【魍魎】が苦悶の声を上げた。


「共に消え去るのだ…」
【魍魎】を完全に消滅させる為、強大な力を生まれながらに持っていた紫苑。そして今、こうして【魍魎】と共に消滅する事が己の運命なのだ、と彼女は自嘲する。

元々は同一の存在である【魍魎】と巫女。
あまりの力に自らその力の使い方を誤らぬよう、二つの心・思想に分かれ、互いに互いを戒め、思い、見つめ合って存在してきた陰と陽。
紫苑はその二つの力に、生まれながらにして振り回されてきたとも言える。


紫苑は瞳を閉ざす。瞼の裏で思い出が去来し、ナルトの声が彼方で聞こえた。
時を越えたあの湖畔で、ナルトが紫苑に伝えた一言。


――俺が守る。

自分を守る、と真摯に宣言した彼の顔が脳裏に過ぎって、紫苑は口許に苦笑を湛えた。
「嘘つき…お前は嘘つきじゃ」

だって今この瞬間に、自分は【魍魎】と共に、死ぬのだから。


強く閉ざした瞼から長い睫毛を伝って、小さな雫がころり、落ちる。
暗澹たる闇に音も無く、紫苑の頬を撫でてゆく玉。
瞼から零れる透明な涙は皮肉にも、今にも鳴りそうな輪郭をしていた。

常に肌身離さず身につけ、そして自ら手放したモノの形。


りぃん、と空耳がした。


















同時に、鈴の音に雑じって、怒声が響き渡る。

「…―――このっ、バカ巫女が!」

彼にしては珍しい、荒々しい声音。


怒りに満ちた声を浴びせられたかと思うと、紫苑は己の手首を誰かに掴まれた。一気に引きあげられる。
海底の如く澱んだ暗闇から急激に引っ張られたその先に、金色に輝く髪が風に靡いていた。




「紫苑…っ!」

己の名を呼ぶその声の主は、紫苑の身体から溢れていた光より眩しく輝いて見えた。
 
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