トシサダ戦国浪漫奇譚
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第一章 天下統一編
第七話 叙任
俺が秀吉に仕官し、石田三成の下で働くようになって一ヶ月が経過した。この間に大谷吉継と会う機会があった。大谷吉継は俺と同じく石田三成の下で働いている。当然ながら俺より大谷吉継の方が知行も立場も高い。大谷吉継の人柄は裏表はなさそうな人物だ。裏表がないから石田三成に好まれているかもしれない。だが性格は石田三成と天と地ほどの差がある。一言で言うと大谷吉継は人が出来ている。
その大谷吉継は俺の目の前にいる。奥の方には秀吉と石田三成もいる。ここは俺が聚楽第に出仕初日に秀吉と謁見した場所だ。北条攻めまでもう一月もない。その上、石田三成に毎日馬車馬のように扱き使われ、俺にとって貴重な休日は秀吉に呼び出され潰れてしまった。
この面子は何なんだ。俺はいつの間にか吏僚派に組み入れられている気がしてならない。この一ヶ月は事務仕事が多い。将来の五奉行の面子と顔を会わせることが多いしな。
「卯之助、よく来た」
秀吉は俺に対して気さくに声をかけてきた。その表情は穏やかで俺への友好的な感情が溢れていた。
「殿下のお召しとあれば何時いかなる時でもまかり越す所存でございます」
「卯之助、そう堅苦しくするでない」
秀吉は口振りとは余所に表情は満足そうだった。
「殿下のお言葉有り難く存じます。ですが、叔父と甥とはいえ、君臣の序は守らねばならないと考えております」
俺は秀吉の言葉を真に受けず、彼に謝るように頭を軽く下げた。
「佐吉。紀之介。私の甥は生真面目でいかんな。辰之助と大違いだ」
秀吉は愉快そうに笑顔を浮かべ、石田三成と大谷吉継に声をかけた。秀吉が「辰之助」と呼ぶ人物は俺の実弟、小早川秀秋、のことだ。この頃は豊臣秀俊と名乗っているはずだ。豊臣家の家臣である俺と違い、豊臣秀俊は豊臣連枝の立場にある。豊臣連枝の立場を羨ましいとは思わない。秀吉の子、拾こと秀頼、が生まれれば盤面はひっくり返るからな。それに下手したら命が危うい。
「殿下、藤四朗殿は歳は若くとも優秀です。必ず豊臣家を支える人物に成長することでしょう」
大谷吉継は秀吉に意見すると穏やかな顔で俺の方を向いた。その言葉に秀吉は嬉しそうに頷いた。秀吉の俺に対する評価は悪くないようだ。
「殿下、藤四朗に下賜されるものがございましたはず」
石田三成は澄ました表情で秀吉に声をかけた。その様子を大谷吉継は困った表情で眺めていたが何も言わない。石田三成に声をかけられた秀吉は思い出したように頷いた。秀吉は目で石田三成に合図をした。そして、石田三成から大谷吉継に同じく合図を出す。それを受け大谷吉継は部屋を出ていった。
俺は秀吉に何も言わず大谷吉継が戻るのを待った。秀吉は俺に何をくれるのだろうか。そう言えば具足をくれる話だったが、まだ秀吉から貰っていない。仕事と軍役の準備に追われてついつい忘れていた。
しばらくすると大谷吉継が小姓達を連れだって具足を運び込んできた。小姓達は運び終えるとそそくさと部屋を退出していった。具足は古風な当世具足で黄糸と黒漆塗で塗装した鉄で製作されているようだった。兜は星形兜に三鍬形の兜飾りがついている。鎧の大袖・籠手・手甲には金塗の、木下家の紋、沢瀉紋が付いている。
俺は小出家の養子だから園部額紋じゃないのか。ふんだんに沢瀉紋が使用されているんだが、でも秀吉からの下賜品だから気兼ねすることはないな。屋敷に帰ったら秀清にでも聞くことにしよう。
「卯之介、それはお前の具足だ。北条攻めでこれを身につけよ。紀之介、卯之介に陣羽織を着せてやれ」
秀吉に言われた大谷吉継は真新しい陣羽織を持って俺に近づくと、その陣羽織の背を俺に見せた。それは朱の生地に白糸で五七桐が刺繍されていた。
俺は目を向いてしばし凝視してしまった。五七桐は豊臣家が後陽成天皇から下賜された紋である。俺の陣羽織にこの紋を使用させる意図が理解できない。分かることは俺がこの陣羽織を身につけて戦場に出れば、秀吉縁者であると示すことになる。
「卯之介、儂はお前に期待しておる」
秀吉は神妙な顔で俺に言った。俺は大谷吉継に促され陣羽織に袖を通した。俺は陣羽織の着心地を吟味することなく、秀吉に対して平伏した。
「殿下、過分の計らい御礼申し上げます」
俺が体を起こすと秀吉は陣羽織を身につけた俺のことを凝視した。
「少し大きいかもしれんな。卯之介、その陣羽織と具足はお前の身体に合うように後で調整するがよい。紀之介、後のことは頼むぞ」
秀吉は大谷吉継に声をかけた。大谷吉継は秀吉足して頭を下げる。それを一瞥した秀吉は俺に視線を戻した。
「卯之介、もう一つお前に与える物がある。佐吉」
秀吉は石田三成に視線をやり目配せした。すると石田三成は秀吉に頭を下げた後、立ち上がり俺と少し距離を置いて座った。俺は石田三成に対して平伏した。
「関白太政大臣豊臣朝臣秀吉の名において命じる。小出藤四朗俊定。右の者に豊臣姓を下賜し、従五位下相模守に叙任するものとする。謹んで受けよ」
俺は官職を聞き頭が困惑してしまった。
秀吉は何を言っているんだ。相模守は「相州太守」を自称する北条家に喧嘩を売っているよな。これから戦争する相手だから気にすることはないと言えばそれまでだが。戦場で俺の官途が北条側に漏れて命を狙われないかと心配になってきた。
「殿下、御礼申し上げます」
俺は平伏し顔を上げると秀吉は俺に大仰に頷いた。
「殿下、官位をいただき感謝の極みでございます。ですが、『相模守』の官職は私には少々荷が重いかと」
俺はやんわりと秀吉に官職の辞退を申し出た。位階が重要だからこれだけ貰っておけば問題ない。この時期に相模守は絶対にまずい。戦場に的になりに行くようなものだ。
「相模守が不服か? では左京大夫にするか?」
「不服など滅相もございません。この時勢に相模守は荷が重いと思っただけです」
俺は勢いよく平伏し秀吉に弁明した。左京大夫に叙任する話は冗談だろう。左京大夫は従四位下相当の官職。俺がもらった従五位下の四階級上の官位だ。仮に俺が左京大夫になれば石田三成を官位の上では超えることになる。
部下が上司より官位が上なんてありえないだろう。だから、これは冗談に違いない。秀吉は俺に相模守に叙任することで北条側を刺激するつもりなのかもしれない。初陣を迎える豊臣縁者の若武者に相模守を叙任する。だが、俺が簡単に殺されるようなら逆効果になる。それが分からない秀吉じゃないはずだ。
秀吉の凄さはその政治力と外交力だ。徳川家康すら秀吉の政治力には屈服せざるを得なかった。だが、その秀吉にすら抹殺できなかった徳川家康は恐ろしい存在といえる。話が逸れたが秀吉はある程度俺にお膳立てしてくれるだろう。だが、俺の知行だと俺につけれる与力はどうしても小粒になってしまうだろうな。
「卯之介は北条を恐れるか」
「殿下、百年に渡り関八州に覇を唱えた北条を一目置かない者などいましょうか?」
俺は敢えて言葉に出さず言葉を濁した。俺の言葉尻に秀吉は口角を上げ狡猾な笑みを浮かべた。
「それならばこそ。北条を潰せば豊臣の威勢は天下に轟くであろう。お前は黙って儂の言う通りにしていればいい」
秀吉の表情と口振りに違和感を感じた。秀吉は北条家を滅ぼしたく堪らない様子に見えた。それも秀吉自身の命令に逆らったから北条を潰すではなく、北条を潰すことが目的のように見えてきた。北条家は当初は秀吉に恭順姿勢を示していた。だからこそ真田と係争中の沼田郡の問題を秀吉の手に委ねたはずだ。だが、秀吉の様子を見ると名胡桃城を北条側が奪ったというのには裏がある気がしてきた。
「卯之介、何を考えている」
秀吉は鋭い目で俺のことを見ていた。
「いいえ。何も考えておりません。相模守の重責に心震えておりました」
秀吉は俺の返答を聞くと鼻で笑った。
「佐吉、卯之介に北条攻めに至った仔細を話してやれ。包み隠さずにな」
秀吉の言葉に一瞬石田三成は驚くも直ぐに平静を装った。
「殿下、よろしいのですか?」
「構わん。お前達も卯之介のことを評価している」
石田三成は秀吉に対して「かしこまりました」と頭を下げると、石田三成は語り出した。秀吉は真田と北条の沼田領の帰属問題に裁定を下さした。この時、秀吉は北条に沼田城と名胡桃城を譲渡したのだ。そして、真田は引き渡した沼田領で卑劣な工作を行った。百姓を一人残らず移住させたり、名胡桃城に兵を入れ領地を北条側に渡さないようにした。
俺は石田三成の話を聞いて引いてしまった。北条に名胡桃城を与えておきながら、後になって北条が名胡桃城を強奪したと因縁をつけたことが真相のようだ。北条は秀吉に嵌められたのだ。俺が感じた違和感はこれだったのか。
「卯之介、何故に儂が北条を潰したいか分かるか?」
「徳川と婚姻関係を築き同盟関係にある北条の存在は容認出来ないです。北条と徳川が組めば豊臣家の脅威となります。そして、北条を潰し徳川の力を削ぎ、その徳川に北条の領地を治めさせるつもりでしょうか」
秀吉は満足そうに口元に笑みを浮かべた。石田三成と大谷吉継は驚いた顔で俺のことを見ていた。
「卯之介、何故そう思う」
「小牧・長久手の戦いで殿下を野戦で破った徳川家康は天下にその武名を轟かせたはずです。だからこそ殿下は徳川家康に妹と母を渡してまで臣下に付けざる終えない状況に追い込まれてしまいました。徳川家康は豊臣政権にとって脅威になります。だから、豊臣家の本拠である畿内から遠ざけないといけません。ですが百三十万石の大封を領する徳川を転封させるほどの広い領地はありません。ないなら作るしかありません」
俺は歴史を知っている。だから、秀吉と石田三成の話を聞いて、秀吉の考えが見えてきた。だが、俺は内心で秀吉の卑劣なやり方に晩年の家康が豊臣に対して行った行為に相通じるものを感じた。天下人とは汚い手も辞さない者でなければ立つことができない高みなのかと思った。俺は心にその言葉をしまい感情を表に出さず冷静な表情で秀吉を見た。
「卯之介、北条攻めが終われば、お前に伊豆一国をやろう。手柄次第では更に加増してやる」
秀吉は俺に北条滅亡後の話をはじめた。彼は北条を滅ぼせると確信しているのだろう。確かに北条が頼みとする徳川家康と伊達政宗が北条を裏切る以上、北条に勝ち目はない。北条が何をしようと、秀吉は北条を滅ぼす方針を変更する気がない。だが、徳川家康に北条の領地を与えることは危険すぎる。徳川家康は関東を治めきるからだ。俺が伊豆国を領することになれば、徳川の領地と接することになる。立ち回りを一つでも間違えると徳川家康にすり潰されることになる。
「殿下、ありがとうございます!」
俺は不安を打ち消すように大きな声で秀吉に礼を述べた。秀吉は俺をどう扱うつもりなのかが気になった。もし、徳川家康と対立する立場に据えられると俺は破滅する。今でも俺は吏僚派の立ち位置にいる感じがする。この時期に豊臣系大名が武断派と吏僚派と明確に分かれている訳じゃない。だが石田三成と大谷吉継に近い俺はこのまま時間が推移すると間違いなく吏僚派だろう。
やばすぎる。胃が痛くなってきた。俺は秀吉の面前であるから胃の痛みを我慢した。
「卯之介、分かっているだろうが、先程まで話した内容は他言無用であるぞ。他言すれば死ぬことになると心得よ。よいな」
秀吉は威圧的に俺に念を押した。話せる内容じゃない。でも、この謀には他にも関係者がいそうな気がする。時期的に上杉も関係しているかもしれない。これが戦国大名というものなのかもしれないな。
「心得ております。誓って誰にも漏らしません」
俺は表情を引き締め秀吉に答えた。その様子を見て秀吉は俺に対して頷いた。
「藤四朗、難しい話はこれで終わりだ。お前の与力が決まった。紀之介、連れてこい」
秀吉が俺につけた与力は三人だった。彼らは俺に順に挨拶した。
彼ら三人は、郡宗保(知行三千石)、石川頼明(知行千石)、野々村吉保(知行五百石)、順に名乗った。
俺は三人に名乗りを受けても誰か分からなかった。郡宗保と石川頼明の歳は四十半ば、野々村吉保は二十代後半に見えた。郡宗保は馬廻衆で騎馬隊の運用は慣れているそうだ。そして、野々村吉保は若いが腕が立つらしい。石川頼明は小姓と聞いた。石川頼明は小姓の割に知行千石とおかしな点がある。
折角、秀吉に与力をつけてもらったが微妙な面子だな。
これなら俺が家臣した面子の方が余程役に立ちそうな気がすると心中で独白した。
「卯之介、そう言えば面白い奴らを家臣にしたそうだな」
俺は素っ頓狂な顔で秀吉のことを見た。
「面白い家臣ですか?」
「そうだ。藤林長門守。それと岩室坊の者達のことだ」
俺は表情を強張らせた。藤林長門守、彼は藤林正保という。彼は伊賀上忍三家が一つ藤林家当主だ。秀吉の指摘した「岩室坊の者達」とは根来衆の生き残り岩室坊勢祐とその一党のことだ。秀吉が藤林正保と岩室坊勢祐を俺が家臣にしたことを知っているのか分からなかった。彼らが俺に仕官した切欠は興福寺宝蔵院の院主、胤舜の紹介だ。仕官までに色々とあったが何とか家臣にできた。
秀吉と根来衆の因縁は知っている。根来衆は秀吉に逆らい滅ぼされた。それでも岩室坊勢祐達は俺に仕官してくれた。だから、岩室坊勢祐と俺に仕えてくれた岩室坊の者達を手放すつもりはない。
俺は「唯才是挙」と胤舜に明言した。この言葉を曲げては人を紹介してくれた胤舜の顔を潰すことになってしまう。秀吉のことは恐ろしいがここで引くことはできない。ここで引くと胤舜からもう人を紹介してもらえなくなるだろう。それに秀吉が難色を示すとは限らない。
「殿下、両名ともに私に快く仕官してくれました」
「藤林はよかろう。だが」
秀吉は言葉を切り俺を睨み付けた。俺を射殺すような目つきだ。
「儂に逆らった根来の者達を雇うとは何事だ! それも岩室坊と言えば、最後まで儂に逆らった奴らではないか!」
秀吉は声を荒げ俺に対して怒鳴りつけた。石田三成も大谷吉継も秀吉の様子に驚き身体を強張らせた。俺も心臓を握り潰されたように呼吸が苦しい。だが、俺は気を張って秀吉から視線を逸らさず真正面から秀吉の顔を見た。
「殿下、根来衆は小牧・長久手の戦いで殿下に反逆しました。ですが、それは過去ではございませんか? 武家の者は親子で敵味方に分かれ殺し合うこともあれば、不倶戴天の仲であろうと過去の恩讐を捨てともに轡を並べ闘うこともあります。力ある者なら家臣にすべきです」
「根来の者達がお前の父、家定を殺しても同じことを言えるか?」
秀吉は睨めつけるような目で俺のことを見ていた。だが、その目は俺を探るような目つきだった。
俺は自問した。俺の家族が根来衆に殺されたら。答えは許せないだろう。豊臣家の家臣には根来衆に殺された者達もいるだろう。だが、この時代においてそれは日常茶飯事だ。秀吉だって明智光秀の旧臣を召し抱えている。一々私情で皆殺しにしていたら、何時までたっても俺の勢力は大きくならない。そうなれば俺は史実通りに死ぬだろう。俺は生憎と死ぬつもりはない。
「恨みは抱きません。その者を召し抱えます」
池田輝政は自分の父を殺した相手を憎むどころか、その主君である徳川家康に加増するように嘆願した。池田輝政の行動が正しいか分からないがこの状況では良い先例だと言える。この史実はもっと先の未来の出来事だから先例と言うのは言葉の誤りだな。
「戦場で死ぬは武士の本懐です。父が武士として死んだのなら、私は遺恨を抱かず父の死を悼むことが父の死への手向けとなりましょう」
俺は神妙な表情で秀吉のことを見た。その状況に陥った時、こんなことが言えるか分からない。だが、俺が武士と出世するにはそうしなければならないだろうと思う。徳川家康だって一度は殺されかけた甲斐武田旧臣の多くを家臣として迎えている。俺の考えは間違えていないだろう。
「卯之介、良い顔をしおる」
秀吉の顔からは嘘のように怒りは成りを潜めていた。秀吉は俺を試したのだろうか。あまり気持ちがいいものでない。
「岩室坊の者達の件は好きにするがいい」
「殿下、ありがとうございます!」
俺は秀吉から許可を得て感謝の言葉を口にした。秀吉は慇懃に頷き口髭を弄っていた。
「佐吉、卯之介はやりおると思わないか。伝手も禄になく家臣を集めている。儂は実家と小出家頼みと思っておったから余計に驚いておる。それにお前に扱き使われてるおるからな」
秀吉は苦笑しながら石田三成を見た。彼の表情は上機嫌そうだった。石田三成は澄ました表情で「仰る通りにございます」と答えた。その淡泊な反応に秀吉は溜息をつき俺に視線を向けてきた。
「卯之介、できるだけ家臣を多く雇っておけ。何かあった時に兵が足らないなど目も当てられんからな」
「肝に銘じておきます」
秀吉は大仰に俺に対して頷いた。今、俺に仕官した者達は小出秀清、藤林正保、岩室坊勢祐を含めて六人いる。この六人が仕えてくれたおかげで陪臣を含めて軍役の条件を満たすことができている。だが、北条攻め後に伊豆一国をくれるならもっと家臣を増やしておいた方がいいだろう。
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