ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜
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追憶の惨劇と契り篇
54.劣勢の最中
前書き
大変申し訳ありませんでした。
前回の更新から次の話を出すのに一年も期間が空いてしまい。
話も忘れてしまっているかもしれませんがまた読んでいただけると幸いです。
目の前で起きている出来事を柚木はただ呆然と見つめることしかできなかった。
止めどなく襲いかかってくる蛇の群れ。その一体一体が“神意の暁”が操る凶悪な眷獣から生み出された悪意の塊。それが柚木たちの前で一瞬で消滅する。まるでこちらに侵入すること拒む不可視の壁がそこにそびえ立っているかのようだ。
「おいおい。本当に楽しませてくれんじゃねェか、女ァ!」
狂気に満ちた笑みを浮かべる金髪の吸血鬼。
「だが、これは防げるかァ?」
指の骨が鳴る乾いた音が空気を伝う。
それとともに巨大な蛇が蛇の女体の後方から出現しこちらへと襲いかかってくる。
あれは、“真実を語る梟”の無力化の翼もろとも噛み砕いた大蛇の顎。
「美鈴さん、避けて!」
しかし美鈴は不敵な笑みを浮かべて思いもよらぬことを口にした。
「避ける必要なんてないわよ」
その言葉と共に一つのイメージが頭に浮かんだ。こちらへと飛来してくる大蛇の体へと無数の剣が突き刺さる。
「え?」
想像だにしなかった光景に柚木からはそんな声が漏れた。
目の前に映された光景はまるで夢のようで、幻のようだった。こちらの飛来してきた大蛇の体に無数の銀色の刃が突き刺さっている。それは先ほど柚木の頭の中に浮かんだイメージ。
なにが起きたのかがわからない。
イメージが具現化したとでもいうのか。
「ククク……おもしれェ。最高だなァ、オマエ!」
攻撃が防がれているというのに金髪の吸血鬼は悔しがるどころか歓喜に満ちた笑みを浮かべている。
それに対して美鈴は先ほどからひどく辛そうな顔をしている。
「美鈴さん、大丈夫ですか」
大丈夫じゃないことなどわかっている。
それでも今の柚木にかけられる言葉はその程度しかなかった。
「大丈夫よ、この程度どうってことないわ」
それが強がりだということは考えるまでもなくわかった。
このまま美鈴だけに戦わせるわけにはいかない。拳を握りしめて再び、眷獣を出現させようとするが、美鈴がその手を掴んで首を横に振る。
「……あと少しだけ堪えて」
「え……?」
美鈴が言っている意味がわからなかった。
何か秘策でもあるというのだろうか。
「なにコソコソ話してやがる!」
無数の蛇が再びこちらへと襲いかかってくる。
それは再び不可視の壁によって消滅する。
しかしその度に美鈴の疲労の色が増していく一方だ。
「どうしたよォ! 守ってばかりじャ俺は倒せねェぞ!」
まったく力を緩めることがない猛攻が不可視の壁へと襲いかかる。
金髪の吸血鬼は何人もの“神意の暁”と戦ってきているはずだ。それなのに相手の攻撃の手は一向に緩まる気配すらない。いくら相手が化け物だからといって魔力は有限。
“神意の暁”に選ばれし者達が個々に膨大な魔力を手に入れる。それは真祖たちに比べれば劣るが長老たちに比べれば遥かに勝る。
その条件は金髪の吸血鬼とて変わらないはずだ。しかし、彼の魔力量は真祖に匹敵するのかと錯覚させるほどに異常に感じる。
「そうね。でも、もうその必要は無くなったわ」
不敵な笑みを浮かべる美鈴。
「あァ?」
すると目の前にいたはずの美鈴の体がみるみるうちに不鮮明になっていく。
霧化だ。吸血鬼が行える一種の防御法のようなもの。質量をなくし、一時的に一切の攻撃を通さなくなる。質量を持たぬ者は、存在しないの同じ。
通常なら触れることのできない絶対の防御であるが今回は霧化が意味がないということは今までの戦いで明確だ。“神意の暁”同士の戦いにおいて霧化はただの目くらましにしかならない。
「んなもんで逃げたつもりかァ? 狩りとれ、“黒妖犬”!」
その叫びとともに漆黒の獣が異世界から召喚される。
異世界の獣のけたたましい咆哮は衝撃波を生み出して辺りの建物を破壊していく。凄まじい衝撃に吹き飛ばされないように必死でその場に耐えようとする。
すると漆黒の獣は凄まじい勢いでこちらへと突進。それに気付いた時にはもう遅かった。
霧になりかかっていた美鈴の体を漆黒の獣の顎がとらえていた。
消えかかっていた美鈴の体は再び実態を取り戻し、上半身だけを残してこの世界から姿を消した。宙を舞って落下していく体に柚木は呆然と見ることしかできなかった。
「う……そ……」
ベチャ、という不快な音とともに地面に無造作に叩きつけられる。
それでも大丈夫。美鈴は不死身の吸血鬼だから仮に死んだとしても生き返ることができる。しかし、相手は“神意の暁”の眷獣。不老不死であろうと関係なく消し去る神の呪いを受けし神々の力。
つまりそれが意味するのは……
「大丈夫よ、柚木ちゃん」
後方から聞こえた穏やかな女性の声に振り返る。
そこには何食わぬ顔をした美鈴が立っていた。
「美鈴さん」
安堵感から力が抜けそうになるのを必死で堪える。
「確実に“黒妖犬”がとらえたはずなんだけどなァ? ……何をしやがった」
憎々しげというよりは歓喜するような表情で金髪の吸血鬼は美鈴を睨みつける。
「教えるとでも思ってるの? 足りない頭でよく考えてみな。それにこれで私も全力を出せるんだからね」
不敵な笑みを浮かべた美鈴がわずかに視線を落とした。ちょうど美鈴の足元にあたりに先ほどまで金髪の吸血鬼の近くに倒れていた三人の“神意の暁”の姿があった。
「なるほどなァ……これでそいつらを巻き込まずに済むってことか? だが、そいつらは所詮ただの抜け殻だぞ。俺が殺す前に全員眷獣の反応が消えやがったからな」
その言葉に美鈴は笑みを浮かべた。
その表情は柚木の知っているいつもの優しい彼女のものだった。
「教えてくれて感謝するわ。それならまだ助けられるわね」
優しい表情は不敵な笑みへと変わり、美鈴は右腕を空高く掲げた。膨大な魔力を空気中に撒き散らしながら彼女の手から鮮血が放出される。
それは輝かしい光を放ちながら徐々に獣の形を形成していく。
「───来なさい、“神光の狗”!」
美鈴の叫びとともに夜の街を照らす光源が現れる。その光から現れたのは太陽のごとく輝く美しい毛並みを持つ狗。
吸血鬼の天敵たるはずの太陽なのになぜか心地いと感じてしまうほどだった。
「ククククク…………おいおい、そうくるとは予想外だったなァ」
金髪の吸血鬼は、笑いを隠すように手で顔を覆う。隙間からわずかに覗く鋭い白い牙がなんとも不気味だ。
「助けるだのなんだのほざいてた割には、オメェも殺ってんじゃねェかよォ」
「同じにするな。私はお前みたいに“神意の暁”を殺したりなんかしていない」
「まァいいさ。どうせそいつらもまとめて俺のものになるんだからなァ!」
少年が叫ぶ。それとともに禍々しい魔力が大気へと放出される。
不敵な笑みを浮かべた金髪の吸血鬼は鮮血が溢れ出す右手の指の骨を鳴らした。パキッ!、という乾いた音が空気をわずかに振動させる。
形になる前からけたたましい咆哮が響く。鮮血は徐々にその姿を形作っていく。
柚木はあいつを知っていた。交戦したというわけではない。しかしアレイストに聞いた話通りだ。
鮮血の如く鮮やかに染められた鬣。全てを抉り取るように鋭く尖った爪と牙。
間違いない。間違えるわけなどない。
あれは、戦神の名を冠した“神意の暁”の眷獣。
九番目の眷獣、“戦火の獅子”だ。
「厄介なのがあいつの手に回ったわね」
舌打ちをしたのちに美鈴は鮮血の獅子を睨みつけた。
「美鈴さんあの眷獣って……」
「柚木ちゃん気をつけなさい。あたしも頑張って守ってはみるけど全部は防ぎきれないと思うから」
「さァ、俺をもっと楽しませろよなァ」
狂気の笑みを浮かべた少年の叫びが闇夜の街に響いた。
彩斗と友妃は再び、神々の戦場へと向けて足を走らせる。
息は切れ、今まで戦ってきた疲労が一気に襲ってくる。しかしそのどれもが彩斗の足を止める理由にはならなかった。
一分でも、一秒でも早く駆けつけなくてはいけない。それが自分のエゴだということはわかっている。行っても何もできずに足手まといになるということだってわかっている。
しかし、それでも彩斗は柚木を守りたい。彼女のそばにいて少しでも力になりたい。
「ちょっと待って彩斗君」
後方を走っていた少女の声に足を止めた。
「どうしたんだ、友妃?」
辺りを見渡しながら友妃はわずかな疑問を口にした。
「はっきりとは言えないんだけど何かがおかしい気がする」
その言葉に彩斗も辺りを見渡す。
崩壊している建物。隆起した地面。なぎ倒されている電柱などこれまでの戦いの深刻さが一目見ただけでも分かる。
普段の光景からするとおかしなことだらけだ。
しかし、それでもそれ以上に何かがおかしい。だが、言葉にすることはできない。それはどこかに異変があるということだけを認知させている。
「音が……消えた?」
友妃の言葉が今まで感じていた違和感を一気に形作っていく。
焦る感情が邪魔をして違和感に気付くのが遅れた。
今までと明らかな違い。先ほどまであれだけ鳴り響いていた轟音も、肌を刺すような魔力も何も感じない。“神意の暁”たちの戦いなど最初から行われていなかったとでも言うようにだ。
「これは……」
この現象の正体を彩斗は知っていた。体験したわけでも経験したわけでもないが知っている。
またしてもこの感覚だ。知らないはずのことを知っている不可思議な感覚。しかし今はそれを言葉にして、友妃に対処法を聞くのが打開策だろう。
「……夢幻の世界」
「夢幻の世界?」
友妃が首を傾げた。
この世界に気づいて率直な感想がそれだった。
夢と幻が作り出した偽りの世界。
彩斗は直感的にわかった。ここにいれば安全なのだと。元の世界からは一部だけ切り離された空間。外からの干渉を拒み、内からの干渉さえも拒む夢幻の牢獄。
こんなことができる……いや、こんなことを行う人物など一人しかいない。
「母さんか……」
彩斗たちをこれ以上巻き込まないためにこの夢幻の世界に閉じ込めた。そう考えればつじつまがあう。
この世界にいる限り彩斗も友妃も何もできない。このまま祭典が終わるのをここで待っていろということなのだろう。
だが、そんな気なんて毛頭ない。
この世界を打ち破る方法がないわけではないはずだ。
ない頭をフルで使って考えろ。
元より彩斗に魔術や魔族の知識などはない。だが、それでも考えるんだ。
「彩斗君、もしかしたら“夢幻龍”ならこの世界を壊せるかもしれないよ」
友妃が自らの刀を少し前に突き出す。
神々の名を冠す眷獣たちにさえ抗う夢幻龍ならこの偽りの世界を壊せるかもしれない。
「ボクから離れないで彩斗君。多分、大規模な結界だと思うから現実に戻った時に何が起きるかわからないからさ」
彼女はわずかに彩斗の体を引き寄せる。
しかし、彩斗にはわかっていた。友妃がどれだけの魔力を費やしてもこの世界を壊すまでには至らない。
触れただけで魔力を無へと還す“夢幻”の刃であろうとも実体のないものへは触れることはできない。彼女が今やろうとしていることは霧や雲を切るのとほとんど変わりない。
「待ってくれ」
「どうしたの彩斗君?」
「多分、今のままじゃダメだ。もう少しだけ待ってくれ」
そんな曖昧な答えしか出すことができなかった。
どうすればいいんだ。考えろ、考えるんだ。
立ち止まっている間にも柚木や美鈴があいつに殺られているかもしれない。
頭がパンクしそうだ。どうしたって俺では無理だ。
───今の俺では……
その言葉をきっかけに彩斗の中に何かが駆け巡る。それは誰かの記憶であり、誰かの経験であり、誰かの感情であり、誰かの痛みだった。
そのどれもが彩斗とは無関係のものばかりだった。しかし、そのどれもが無関係とは言いがたいほどに鮮明に思い出す。
知りもしない記憶を思い出すというのもいささか気分が悪い。
「……そうか」
その感覚を彩斗は知っていた。自分にはないものを思い出す奇妙な感覚。これまで何度もその感覚に導かれてきた。その結果がこんな状況を生み出しているというわけでもある。
どれもがいままでの経験からするとありえないことだらけだったがそのどれもが彩斗を確かな方向へと向かわせている。それが果たして正しい道なのかはわからない。
この記憶も経験も感情も痛みも全てが彩斗に何かを気づかせようとしている。
今まではただ教えてくれただけだった。しかし今回のはどこか違う。
記憶の扉が次々と開いていく。
───枯れ果てた大地の上で一人倒れる青年。
───そこに歩み寄ってくる着物姿の女性。
───彼はその女性に助けられた。
───化け物だと言われた。
───化け物じゃないと優しい声で言われた。
───彼は決めた。
───何があろうと君を守ると……
───そして君は彼の……
───無数の死だった。
───そこに一人立っていたのは……化け物だった。
───そして、君は……
「……そうだったのか」
彩斗が全てを悟った時、記憶の再上映は不意に終わった。彩斗とは関係のない記憶。
誰の記憶なのかはわからない。しかし、これが今の彩斗が何者なのかを知るには十分すぎるほどのだった。
酷く突拍子もない考えだ。口に出してしまえば友妃はそんなはずがないと確実に否定するであろう。
彩斗自身も否定したかった。しかし、今まで起きたことや海原の反応、アレイストの言葉などを考えると全てがこの答えへと収束されていく。きっと彼らはこれを気づいていて彩斗を逃したのだ。
点でバラバラだったそれぞれの事柄が線へと繋がっていき一つの結論を導き出した。
「彩斗君?」
友妃がこちらを心配そうに見つめている。
このことを言うべきなのだろうか。言ったところで信じてもらえるとは思わない。
しかし、彼女にこのことを告げずにこのまま戦いに行けばきっと後悔することになる。それだけはわかった。
それならば……
「友妃、多分信じれねぇと思うけ───」
その時だった。凄まじい轟音が大気を揺らした。それは衝撃波へと変わり一瞬のうちに辺りを飲み込んでいく。
とっさに友妃の体へと覆いかぶさり、吹き飛ばされぬように隆起した地面にしがみついた。
音から数秒遅れて彩斗の体をとてつもない衝撃波が襲いかかる。
腕が引きちぎれそうな痛みが襲う。
このままでは友妃もろとも吹き飛ばされる。あんなのに巻き込まれれば確実にタダではすまない。
この状況を打開する手段を彩斗は知らない。しかし、あいつなら知っているはずだ。
「……おい、力を貸しやがれ──■■■ッ!!」
奴の名を叫ぶ。それは声になることなく空気中へと消えていく。しかし、叫びと同時に体へと襲いかかっていた衝撃がまるで嘘だったかのように体が軽くなる。
だが、いまだ暴風は吹き荒れている。
それはまるで体が質量を失ったかのような感覚。
吹き荒れていた暴風が治ったと同時に顔を上げた彩斗は目の前に広がった光景に唖然とするしかなかった。
「なんだよ、これ」
傷一つ付けることができないはずの夢幻の世界の建物も地面もその全てが先ほどの衝撃で原型をとどめないほどに砕け散っている。
いや、違う。夢幻の世界が壊されたのだ。
それも術者が意図せぬ形で。
本来、全ての干渉を拒む夢幻の牢獄が壊されたということ。
それが意味するのは術者の……
「……母さん」
彩斗は再び化け物同士がぶつかり合う場所へ向けて足を動かすのだった。
「ハハハハッ! 最高だよ、女ァ!」
狂気に満ちた声とともに蛇の群れが一斉に襲いかかってくる。
それはやはりこちらへと到達する前に不可視の壁に触れて消滅していく。
「何度やっても同じよ。あんたの攻撃は私たちには届かない」
「だったら、こいつならどうだァ!」
金髪の少年が笑みを浮かべ、指の骨を鳴らした。それとともに蛇の眷獣の後方から鮮血の獅子が出現する。
「柚木ちゃん!」
「はい! ──光臨して、“真実を語る梟”!」
出現した光の塊は、黄金の翼の梟へと姿を変える。
「そんな眷獣でアレスを止められると思ってんのかァ!」
確かに全ての次元に干渉し、その四肢が触れている全てを破壊し尽くす次元喰いを持つ破壊の化身を前に“真実を語る梟”ができることは少ないかもしれない。それでも相手が同じ眷獣ならば、魔力の塊だというならば魔力を無へと還す黄金の翼に触れれば消滅こそできないかもしれない。しかし触れれば相手もただではすまない。
「いいえ、止められるわね」
黄金の梟に並走するように新たな光源が出現する。それは太陽のごとき輝きを放つ狗へと姿を変化させていく。
「“神光の狗”──ッ!」
美鈴の叫びに太陽の狗が吠え、自らの輝きをより一層際立たせていく。まるで太陽がこの場にあるような錯覚さえも覚えさせるほどに眩しい。単なる目眩しと言ってしまえばそれで終わりだが、わずかな隙が作られるだけでもこの戦況を覆すことはできる。
「行きなさい、柚木ちゃん!」
「貫け、“真実を語る梟”!」
黄金の翼が鮮血の獅子の胴をとらえた。その瞬間、翼に宿る魔力無力化の力が鮮血の獅子へと襲いかかる。
最後の悪あがきと言わんばかりに獅子が咆哮する。いや、それは咆哮というよりも自らの死の危機を感じた獣の絶叫そのものだ。
獅子の咆哮は大気を揺らし、衝撃波となって一体を飲み込んでいく。
“戦火の獅子”が最も得意とする無差別破壊攻撃。いかなる次元にも干渉し、防御魔術や加護さえも一瞬で無へと還す。
このままでは鮮血の獅子によって辺り一面が更地へと変えられてしまう。なんかとしなければならない。
「お願い、アテーネ──ッ!!」
柚木の叫びに応えるように黄金の翼が光を増幅させていく。増幅された光は空気中を粒子となって漂い鮮血の獅子へと覆っていく。
全てを無へと還す破壊の咆哮と全てを無へと戻す無力化の光のぶつかり合い。
二体の眷獣の全力の戦い。どちらかが少しでも手を抜けば、その瞬間に押し負けるであろう均衡した状態。
しかし、均衡状態は長く続くことはなかった。
先ほど無力化の翼を受けたことでかなりのダメージを受けていた鮮血の獅子の咆哮は徐々に弱まっていく。そして無力化の光に包まれて消滅した。
「……ごめんね」
消えていく眷獣へと向けられた言葉。
眷獣に罪がないとまでは言い切れない。けれど彼らだって破壊を望んでいるわけではないような気がする。
“真実を語る梟”が柚木の気持ちを読んで守ってくれたり、“戦火の獅子”の消滅を感じて悪あがきをしたように眷獣にも意思というものはある。
ならば、眷獣を破壊に使うのか守護に使うかは使役している者に委ねられる。
だが、眷獣は使役者の命令を無視することはできない。
だからこそ、あの男を止めなければならない。
眷獣たちにもこれ以上の罪を与えないためにも。
「二人がかりで九番目を止めるのが精一杯のようじャ、俺の眷獣は倒せねェぜ」
前髪をかきあげて少年の真紅の瞳がこちらを睨みつける。すると今まで沈黙していた蛇の母体が奇声をあげる。
「今度はこいつで相手してやるよ」
無数の蛇の群れ。その数優に数万体はいるであろう。それが一斉に襲いかかってくる。
普通に戦えば防ぐことなどできない。しかし、美鈴は顔色ひとつ変えることなく淡々とした口調で、
「……それは意味ないのがまだわからないの」
またしてもあのイメージだ。
飛来してくる蛇たちが柚木たちの前で消滅していく。そしてそれは数秒後に現実のものとなる。
イメージが具現化し、現実へと侵食を始めているとでも言うようにだ。
無数の蛇たちが目の前で消えていく最中、金髪の少年が額に手を当てて天を仰いでいるのが見えた。
手で覆われている表情までは読めないが打つ手がなくなったということだろうか。
そうだとしてもいつまでもこの状況が続けられるというわけではない。美鈴の魔力にも限界があるはずだ。“神意の暁”の眷獣から生み出された悪意を消し去るというだけでもかなりの消費だというのにそれを永遠に続けることなどできるわけもない。
しかし、それは相手にだって言えること。
いくら相手が強力な眷獣だからといえどこの持久戦を続けていればいつかは、金髪の少年の魔力も切れるはずだ。
それに相手は一度、九番目を消滅させられている。自ら眷獣を元の魔力の塊に戻すのと強制的に戻されるのでは、所有者へとのしかかる負担は桁違いのものだ。
その上で少年は、眷獣を持続させ続けている。
ならば、長期戦に持ち込めば少しではあるがこちらに勝機はあるはずだ。
「ククク……そういうことかよ」
不気味な笑い声。
それはこんな中では聞こえるはずもない小さな声だったはずだ。なのに柚木の耳はその音を一音として逃すことなく聞き取った。
言葉にできない悪寒が柚木を駆け巡った。
「美鈴さん!」
とっさに声を荒げる。
柚木の声に反応した美鈴が大丈夫だと言わんばかりの笑みを浮かべた。
その一瞬だった。
───パキッ
何かが割れたような音が空気を震わせた。
次の瞬間、こちらへと向かって蛇の群れが波のように押し寄せてくる。
「アテーネ!」
柚木の叫びより早く“真実を語る梟”の黄金の翼が蛇の群れとの間へと差し込まれる。
無数の乾いた音とともに消えていく神の悪意たち。
一瞬でも判断が遅れていれば二人とも無事では済まなかっただろう。
「……これで終わりとでも思ったか?」
忘れていたわけではなかった。しかしとっさの判断のせいで頭がそっちにまで回っていなかった。
相手には“真実を語る梟”を消し去ることのできる大蛇の顎を持っているということをだ。
思考を巡らせる。しかしその時にはもはや遅く大蛇の顎は黄金の梟を喰らう寸前だった。
どうする。
この距離からの回避はまず不可能。新たに眷獣を召喚しようにも柚木にそんな眷獣は存在しない。
この絶望を打開する手段を柚木は持ち合わせていなかった。
短時間での二度の眷獣の消滅なんてされれば柚木の体へとかかる負担は計り知れないものになる。しかし、この場で眷獣を解いたとしても大蛇の顎が柚木と美鈴へと襲い掛かり二人とも死ぬことになる。
そんなことが起きれば、金髪の少年に全ての眷獣を奪われる結果になる。
それは最悪のパターンだ。それだけはどんなことをしてでも回避しなければならない。
例え、自分が命を失うことになったとしてもだ。
死への覚悟をしながら大蛇の顎を睨みつけた。
その時、
「───来なさい、“神光の狗”ッ!」
叫びとともに太陽を思わせる輝きを放つ狗が大蛇を包み込んだ。その輝きに包み込まれた大蛇の顎は“真実を語る梟”を喰らう寸前で動きを止める。
そしてそのまま粒子となって空気中に霧散していく。
「い、一体、なにが?」
「さっきから小賢しい手ばかりを使いやがるなァ」
金髪の少年は大きな舌打ちをする。
「危なかったわ。ありがとう、柚木ちゃん」
苦しげな顔を隠すように無理やり笑顔を浮かべる美鈴。もう限界が近いはずだ。
確かに先ほどの不可視の壁は想定外の出来事だった。いつもの美鈴であれば動揺することはあっても一瞬の判断で動くことができる。
しかしあの時の彼女は動くことなくただ驚愕の色を顔に浮かべていただけだった。
これ以上美鈴に無理をさせるわけにはいかない。
だが、状況は最悪。
今まで蛇の群れから守っていた不可視の壁は破られた。蛇の群れを“真実を語る梟”なら防ぐことはできるが、大蛇の顎を防ぐことはできない。
それを防げるのが“神光の狗”だが美鈴はこれ以上過度に眷獣を使わせれば近いうちに限界がきてしまう。
つまり今の状況では、柚木たちが勝つことはまず不可能ということだ。
それにまだ嫌な予感がする。
言葉にすることはできないが、あの少年はまだ何かを隠している。
あの眷獣以上の凶悪な悪意を……
「まだ俺を楽しませてくれるよなァ?」
こちらを嘲笑うかのような笑みを浮かべる金髪の少年。緋色の瞳がより一層赤みがかっているように見える。
足が震えだす。今まで抑え込まれていた恐怖が一気に押し寄せてくる。
今すぐにでも逃げ出してしまいたい。
「……柚木ちゃん。こっち向かずにそのまま聞いて」
すると震える柚木の耳が消え入りそうなほど小さな美鈴の声を捉えた。
「……このまま戦いが続いても勝ち目はないわ」
今まではただ柚木の想像の範疇でしかなかった。しかし美鈴の言葉によってそれは現実のものとなった。
「だから少し無謀かもしれないけど……」
美鈴の言葉が紡がれていく。
まるで時が止まっていたかのように静かな空間に美鈴の言葉だけが響いてくる。
「それって……」
あまりにも無謀すぎる作戦に柚木は反論しようとする。しかし否定することは今の柚木にはできなかった。それ以外にこの状況を打開する策など思いつかない。
しかしそれは一手でもミスを犯せば、わずかでも予想外のことが起きれば美鈴は……
「私なら大丈夫よ」
いつものような優しい笑顔を見せる。
美鈴がこれだけ捨て身の覚悟で戦おうとしている。それに答えずに逃げ出すことも否定することも今の柚木にはできない。
ならば、やらなければいけないことは決まっている。
───『やらずに後悔するよりもやって後悔したほうがいい』
そんな言葉が脳裏をよぎった。
しかしそれではダメなんだ。やって後悔しては意味がない。
だから、『やって後悔しない』ように何があっても柚木はこの作戦を成功させなければならない。
覚悟を決めて柚木は大きく頷いた。
美鈴はそれに応えるように再び優しい笑顔を見せた。
「作戦会議の方は終わったかァ?」
待ちくたびれたと言わんばかりに大きな欠伸をしている金髪の少年。
「ええ、待たせちゃって悪かったわね。お詫びに楽にしたあげるわ」
「はっ! やれもんならやってみろ」
不気味に笑みを浮かべる。
指の骨が鳴る乾いた音が空気を震わせた。
それとともに再び、蛇を操る強大な悪意が姿を現した。
「それじゃあ、頼んだわよ、柚木ちゃん!」
「はい! 美鈴さんも気をつけてください!」
これが全てを決める最後の戦い。
失敗など許されない。
自分たちのために時間を繋いでくれたアレイストや海原のためにも、ボロボロになっても戦い続けてくれた美鈴のためにも、この街に暮らす人々のためにも、そして何も知らないくせに首を突っ込んで来て、何の力もないくせに助けに来て、無謀だとわかっていながらも神々に戦いを挑んだあの馬鹿のためにもいつもの日常を取り戻さなければいけない。
柚木は今一度、恐怖へと戦う覚悟を決めて拳を固めた。
後書き
無謀な賭けへと挑戦する美鈴と柚木。
自分が何者なのかを悟った彩斗。
圧倒的なまでの力で他をねじ伏せる立上。
物語は最終局面へと向けて一歩一歩動き出す。
更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
これからはこのようなことがないようにいたしますのでまた読んでいただければ幸いです。
また誤字脱字、気になるところ、物語の感想などありましたら感想などでお知らせください。
また読んでいただければ幸いです。
三度、更新遅くなり大変申し訳ありません。
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