八神家の養父切嗣
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六十三話:“正義の味方”
二人同時に前に踏み出していく。切嗣は雪原を、スカリエッティは砂漠を。その様子をはやて達はただ見つめることしかできない。この戦いは自分たちの踏み入れられる領域にはないと否応なしに理解させられたために。
「くははは……」
「…………」
お互いの拳が届く位置まで近づき二人は足を止める。口では笑いながら目はまるで笑っていないスカリエッティを凍り付いた瞳で睨み返す切嗣。
「見事に世界に境界線が引かれているね」
「この境界を越えた時がお前の死ぬ時だ」
「くくく、そんなものなど私の世界で塗り潰してしまうさ」
雪の世界と砂漠の世界がお互いを侵食し合うように境界線を生み出す。その線を越えた時が戦いのゴングが鳴らされる時だ。もはや二人に戸惑いなどない。お互いが拳を固く握りしめ―――同時に殴りかかることで境界線を越える。
『くたばれッ!!』
互いの拳が同時に突き刺さる。しかし、どちらも一撃程度では倒れない。故に戦略も知性もかなぐり捨てがむしゃらに腕を振るう。
「うおおおおッ!!」
「はああああッ!!」
どこまでも泥臭い殴り合い。とてもではないが悪魔の頭脳を持つ男と魔導士殺しと呼ばれた男の戦いには見えない。当然だろう。これは殺し合いではない、勝負だ。
「この体が死ぬことはない! 故に私が敗れる時は心が折れた時!!」
己の存在を賭けた勝負だ。どちらかが倒れる時は相手に負けた時ではない。己に敗北した時だ。
「死なないのなら死ぬまで殴るまでだ…! この身が朽ち果てるその瞬間まで!!」
既に両者の身体は人間というものから逸脱している。壊れてもなお動く。勝負が決するその時まで殴り続ける。死という概念などにもはや二人は捕らわれていない。故にこれは殺し合いではなく勝負なのだ。
「ぬおおおおおッ!!」
「らあああああッ!!」
拳がぶつかるたびに骨が折れていく。それを巻き戻すスカリエッティ。無視をして攻めの手をさらに強める切嗣。加速と巻き戻しは同時には使えない。スカリエッティは回復に使い切嗣は攻撃にエネルギーを割いているのだ。
「いくら攻撃の手を強めようとも―――私は死なん!!」
どれだけ攻撃が苛烈を極めようとも巻き戻されれば意味がない。逆に相手は攻撃すればするほどに消耗していく。それが分からぬ切嗣ではない。何より彼自身も同じ能力を持っている。
だが、停止した状態の体を巻き戻すということはできない。固有結界の影響で身体外部の加速・減速はできる。しかし、停止した身体内部は動かすことができない。不死身ではあるが後ろであれ、前であれ、停止した状態から動かせば彼の体はそれこそ砂で作った山のように崩れ去ってしまう。
「君の体は死体も同然! 戦闘機人に勝てる要素などないッ!」
体の頑丈さは戦闘機人であるスカリエッティが圧倒的に有利。全ての能力がない状態で戦っても彼の有利は揺らがないであろう。それを証明するように剣のような刺突が切嗣の体を何度も貫く。内臓が破裂し骨はへし折れ血を吹き出していく。しかし、それでも―――
「もとよりこの身は―――捨て身ッ!!」
―――衛宮切嗣は前へと進み続けた。
一切攻めの手を緩めることはない。その姿は嵐であった。如何なる攻撃を受けても止まることなく突き進む。本来の彼とは180度も違う戦闘スタイル。だが、今の彼にとってはそんなことなど頭にはなかった。
「お前が倒れるまで死んでも止まるつもりはない!!」
「小癪な…ッ!」
切嗣の腕が振るわれるたびに血が飛び散る。それはスカリエッティのものと、彼の手の甲から飛び散るものだ。彼の手の甲の骨は割れ外に飛び出てきている。見るからに痛ましい。しかしながら、彼は殴るのを止めなかった。
「ウォオオオオオッ!!」
獣のような咆哮が叫び渡る。否、今の彼は紛うことなき獣であった。しかしそれは地を這う卑しい獣ではなく、愛する者を守る誇り高き獣であった。気迫をもって彼は性能の差を上回る。このままいけば切嗣がスカリエッティの喉を喰いちぎる。はやて達の誰もがそう思った。
「私を―――舐めるナァアアアッ!!」
だが、スカリエッティの精神力はその状況を打ち破る。瞼が開かれ獰猛な瞳が覗く。それは獲物を刈り取る瞬間に捕食者が見せる勝利への確信。
「なに!?」
今まさに殴りかかろうとしていた左腕が掴まれる。とっさに危険を察知し払いのけようとする切嗣だったが時はスカリエッティに味方した。
「その腕を貰い受けるッ!!」
切嗣の腕が一瞬にしてあらぬ方向に折り曲げられる。まるで鉛筆をへし折るようにいとも容易く折られたそれからは骨がむき出しとなりグロテスクな様を見せていた。
「あははははは! 死なずとも片手ではもはや勝ち目はあるまい。この勝負、私の勝ち―――」
その光景に勝利を確信したスカリエッティは勝ち誇ったように叫ぶ。腕以外に攻撃手段がない人間の片腕をへし折る。それは常識で考えれば彼の言うとおりに勝利といっても過言ではなかった。だが、しかし。彼は忘れていた相手は―――
「それが―――どうしたァアアアッ!!」
「ガッ!? 折れた腕でだと…!?」
―――怪物と呼ぶ以外にない存在であることを。
折れて剥き出しになった骨で顔面を殴られ驚愕で目を見開くスカリエッティ。威力のある攻撃ではなかった。だが、意識の外から来た攻撃であり、何より、相手の底知れなさを感じさせる一撃は戦意を削ぐには十分すぎた。
「ハァアアアアアアッ!!」
懐から取り出したナイフで邪魔になった左腕を自ら切り離しそのまま襲い掛かる切嗣。その瞳を見た瞬間スカリエッティは―――死を感じた。
「ぬぁあああああッ!!」
感じてしまった恐怖を振り払うようにスカリエッティは雄叫びを上げ切嗣の無防備な腹を蹴り飛ばす。諸に食らったそれに威力を押し殺すことができずに切嗣ははやて達の近くまで吹き飛ばされる。
「おとん!?」
「はやて……下がっていなさい」
「でも…!」
思わず駆け寄ってきたはやてを左手で制そうとして無くなったことを思い出し軽く笑う切嗣。しかし、はやてからすれば安心できるはずもない。なおも声をかけようとするが切嗣はそれを遮り立ち上がる。
「大丈夫、父さんは絶対に―――負けないから」
どこまでも真っすぐで、どこまでも強い瞳に見つめられはやては悟る。
この人はもう―――死ぬまで止まらないのだと。
「……分かった」
「うん。それから……ありがとう」
決して引き下がらないという決意を理解してはやては頷く。そんなはやてに切嗣は様々な想いを込めたお礼を言う。家族に対して、娘に対して、自分を救ってくれてありがとうと。それは何も切嗣だけ想いだけではない。
今は意識のないアインスも同じ想いだ。これが最後の会話になるかもしれない。だというのに、否、だからこその短い言葉に込めた想いをはやてはしっかりと受け取っていた。しかし、そう簡単に心の整理はできずに俯く。その時に、ある物を見つけた。
「あれ……これって……」
切嗣が再びスカリエッティの下に歩いていく中、はやては切嗣が倒れていた場所に一発の銃弾が落ちているのに気付いた。恐らくは倒れた衝撃で懐から落ちたのだろうと結論付け拾い上げる。そして父の背中を見つめ、続いてしまってあったコンテンダーを見て何事かを決心するのであった。
「最後の別れは済ませたかね」
「お前の方こそ、遺言は考えたのか?」
そんなはやての反対側では二人が息を荒げながら睨み合っていた。
「くくく、お互いに減らず口は顕在か」
「そのようだな。だが、それもこれで終わりだ」
互いにこれが最後の攻防だと直感し覚悟を決めていた。互いに満身創痍、しかしその気迫は欠片たりとも衰えることはない。極限まで高まった闘志を隠すことすらなくぶつけ合う。
「カードを切ろう……さあ―――ついてこられるか」
「くくく! 君の方こそ―――ついてきたまえ!!」
―――そして最後の時が動き始める。
「うぉおおおおおッ!!」
「はぁあああああッ!!」
風のようにナイフが舞い、濁流のような拳の連撃が踊る。どちらも死力。一歩たりとも引くことなくぶつかり合い続ける。互いに空間に罅が入るような雄叫びを上げての攻防は終わることを知らない。
「負ける…かァアアアアッ!!」
「朽ち果て…ろォオオオオッ!!」
しかし永遠に拮抗した状態が続くわけもない。徐々に片方が押していく。押しているのはスカリエッティ。そして負けているのは切嗣。焦燥感が切嗣の胸に占める。だが、それでも負けるわけにはいかない。
「おォオオオオッ!!」
先程まで正面で斬りつけていた切嗣であったが今度はスカリエッティの周りを舞うように斬りつけ始める。
「何をしようが―――無駄、無駄、無駄ァアアアッ!!」
しかしながら、決定的な一撃を入れることができない。片手とナイフだけでは完全に敗北させる力がでない。流れるはずのない汗が切嗣の額を伝う。このままでは勝てない。大切なものを守ることができない。こんな時に自身の最高の獲物である―――コンテンダーがあれば。
「おとん!」
背後から声が響いてくる。誰の声かなど考えるまでもない。何かが投げられたことが分かる。それが武器なのかどうかも分からない。だが、彼は振り返ることもなくナイフを捨てそれを受け取った。最愛の娘からの贈り物がろくなものであるはずがないと確信して。
「まさか―――コンテンダーだと!?」
壊れたはずのそれの姿に目を見開くスカリエッティ。しかし、彼が破壊したのはデバイスでありはやてから渡されたものは質量兵器だ。魔法を知る何年も前から使い続けてきた切嗣の罪の証。
「これで……終わりだ!」
引き金を引きスカリエッティの心臓に弾丸を放つ。衛宮切嗣の人生はいつだって手遅れだった。助けたい人は助けられない。自分の願いに気付いた時には愛した人とは一緒にいられない。いつまでも薔薇が咲いていると思って枯らしてきた。だが、今回だけは―――手遅れになどさせはしない
「―――時のある間に薔薇を摘め!!」
スカリエッティの心臓に弾丸が風穴を空ける。目を見開きスカリエッティは自身の胸を抑える。自身の固有結界内にいる状態であればこの程度の傷であれば即時に巻き戻せるはずだ。だというのに―――
「なぜ……巻き戻せないィイッ!?」
―――その胸にはぽっかりと穴が開いたままであった。
「当然だろう。お前の運命は―――切って、嗣がれたんだから」
切嗣の言葉にスカリエッティは全てを理解する。皮肉なことだ。自身の生み出した殺人兵器によってその命を絶つなど、まるでギロチンを生み出しギロチンで殺された人間のようだ。
「起源弾…!」
「不可逆の変化を与えられた能力は元に戻ることも、先に進むこともできない。そして、その心臓も癒す術はない」
スカリエッティの心象風景が消え切嗣の心象風景に呑まれていく。心臓を撃たれ瞬間的に塞がれた結果、体内の血液、魔力その他のものが障害を起こしレアスキルを扱う能力が一時的に断たれたのだ。それがただの銃弾であればすぐに元に戻せただろう。
しかし、永遠に癒えぬ古傷となる起源弾の前では一瞬の傷も永遠となる。そして加速・減速はできても巻き戻しは固有結界内でなければできない。つまり一度固有結界が解かれれば傷を治す術はないのだ。
「もしも、お前が起源弾を生み出せるほど―――天才でなければお前の勝ちだったろうな」
要因は他にもオリジナルよりも能力的に劣っていたなど複数ある。しかし、最も大きな理由は起源弾という殺人兵器が凶悪なまでに、完成されていたからである。つまり、スカリエッティは自身の優秀さ故に完全なる存在になることができなかったのだ。
「く、くくく…ははは、あーはっはっは! なるほどこれは傑作だ! 確かにこれは自分自身との闘いだった。そして私は―――私に負けた!」
自身を賭けた戦いにおいて自身の発明した武器により止めを刺された。これを敗北と言わずになんと言うのか。それに何より相手は自身の能力を見事に超えてみせた。何も悔いに残すことなどない。この戦いの勝者は―――
「―――君の勝ちだ、衛宮切嗣」
「そして―――お前の敗北だ、ジェイル・スカリエッティ」
―――衛宮切嗣だ。
敗北を認めると共にスカリエッティの体が崩れ去っていく。時の流れを無視し、何度も巻き戻した代償が訪れたのだ。しかし、自身の消滅を前にしても彼は嗤っていた。どこか満足気にで、それでいてつまらなさそうに。
「くくく……何とも下らん結末だ。生み出されてより続いていた乾きがようやく癒されるかと思っていたが……まるで足りん。未だにこの身は満たされない! だが―――」
神となり、完全な存在となれば空っぽの心が埋められるとそう信じていた。しかし、ついぞその領域に辿り着くことはできなかった。不満だ、生まれて初めて己の望んだものを手にすることなく消えていく。敗者となったのだ。不満が残らぬはずがない。しかしながら。
「―――悪くない」
悪い気分はしなかった。このまま消えるだけの身だというのに実に清々しい気分だった。もはや何も願いはない。崩壊していく体を引きずるように聖杯の前へと進んでいく。それにはやて達は反応するが切嗣は黙って見送るだけである。
「ああ……そう言えば私は敵の登場を願ったのだったな。まさか、そのような些細な願いを叶えてくれるとは思っていなかったよ」
固有結界を展開する前にはやて達に語った言葉を聖杯は聞き届けていた。スカリエッティを楽しませる敵の登場を。悪の敵―――正義の味方の登場を。
「悪が正義に敗れるのは必然か。だが…悔いはない。下らん人生であったが……最後は君のおかげでやりごたえのある…良い人生になったよ。……くくく…ははは…! はーはっはッ!」
最後の最後まで狂った笑いを響かせる男の姿は畏怖すら感じさせた。肉体が完全に崩れていきまともに動く部分は口だけになってもスカリエッティは叫び続ける。生涯最高の賛辞を宿敵に送るために。
「喜べ、我が宿敵ッ! 君の願いは―――ここに叶ったッ!!」
悪を討ち、弱きを救った“正義の味方”へ賛辞を送りスカリエッティは消え去る。跡形もなく、この世のどこにもその痕跡を残さずに、風に乗り散っていった。
だというのに、彼の嗤い声だけはいつまでも―――切嗣達の耳に残り続けるのだった。
後書き
この回だけでこの小説全体の九割は叫んでいる気がする(笑)
それもこれもZeroのドラマCDを聞いたせいだ、きっと。
さて、次回で最終回です。ほぼエピローグみたいなものなんで短いです。
ああ……安心した(三十話の予定が倍近く伸びて六十話以上になったけど完結できそうで)
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